シンデレラ・マリアージュ

佐倉 紫

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番外編

海辺のコテージにて 1

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「わぁ……! 本当に海がすぐ目の前なのね」
 ベランダから見える景色にマリエンヌは感嘆の声を上げる。
 すぐ目の前どころか、ベランダのすぐ下はもう海だ。これから五日ほど滞在することになるコテージはすべて波打ち際に建てられており、満ち潮の時間帯はすぐ足下まで波がやってくるのだ。
 コテージは全部で八個ほどあるが、マリエンヌたちが使うのはその中でも最上級部屋――ホテルで言うところのスイートだ。
 それもそのはず。このコテージも、アルフレッドが経営するホテルのひとつなのだ。
 もとは貴族の持ち物だったそこをアルフレッドが土地ごと安く買いたたき、ホテルとして新たに改築したものなのである。
 浴室はやはり最新鋭の配管設備が施されており、一番広い部屋はちょっとしたパーティーが催せるほどに大きく広い。
 実際このあたりはリゾート地として多くのホテルが進出しているが、今のところこの、コテージは富裕層を中心に大変な人気を博しているということだった。
「今回は社長と奥様がお泊まりになるということで、すぐ近くの三軒のコテージは空室とさせていただきました。貸し切りとはいきませんでしたが、他の客人の目を気にすることなくくつろげるかと存じます」
 ホテルの支配人が丁寧な口調でマリエンヌに説明する。わざわざそこまで気遣わなくていいのにとも思うが、おそらくアルフレッドの指示なのだろう。
「お気遣いありがとう。それとアルフ……社長のことなのだけれど、まだお仕事が片付かないとかで、こちらにこられるのは夜になるそうなの」
「はい。先ほど電報が入りました。ご安心ください。ご到着次第すぐにこちらにご案内させていただきますので」
「ありがとう」
 支配人を見送り、マリエンヌはうきうきしながらコテージの中を見て回った。
「奥様、長旅でお疲れでございましょう。お茶をご用意しましたので、どうぞおくつろぎください」
 よくできたメイドたちは、マリエンヌがコテージを一周する頃合いを見計らって、きちんとお茶を用意してくれていた。
「ありがとう。ねぇ、みんなも半日馬車に揺られて疲れたでしょう? 荷物ときは本当に必要なぶんだけでいいから、夕食まで休んでいてちょうだい」
「お気遣いありがとうございます。では、順に休憩を取らせていただきます」
 マリエンヌは頷き、奧の寝室へと移動した。
 サイドテーブルにはお茶の他に本も置いてある。
 アルフレッドがプレゼントしてくれたものだ。彼はマリエンヌが無類の読書好きだと知ると、流行の物語本をたくさん買ってきてくれるようになったのだ。
 マリエンヌにとっては宝石よりも嬉しい贈り物だ。大はしゃぎで本を抱きしめる愛妻を、アルフレッドはいつも暖かなまなざしで見つめてくれた。
 そのアルフレッドはまだ仕事が終わらないとのことで、マリエンヌだけ先にこちらへやってくることになった。さすがに五日も会社を空けるとなると、やり終えておくことは山のようになるらしい。
 一緒に行けないことをしきりに謝っていたアルフレッドだが、そんなことよりも彼が寝不足にでもならないかが心配なマリエンヌだった。
 とはいえ、昨夜はマリエンヌもよく眠れなかった。
 結婚式の余韻が冷めやらなくて、ただでさえ目が冴え渡っていたところに、アルフレッドがやってきたのだ。式の前に一度果てたくらいでは到底満足できなかったらしく、結局朝方までマリエンヌは愛されることになってしまった。
 出発のために朝は早かったし、馬車で多少うたた寝をしたが、それでも充分な睡眠とは言えない。
 気づけば、クッションにもたれ本を読んでいたマリエンヌも、うとうととまどろみかけてしまう。
 波の音に誘われるように目を閉じれば、あっという間に眠気が忍び込んできた。
 そうしてマリエンヌは膝に本を置いたまま、束の間の眠りに身を浸していった。


 気がついたときにはもう日が暮れていて、月明かりと波の音だけが寝室を静かに満たしていた。
 ぱちぱちと瞬いたマリエンヌは、本がきちんと棚に戻され、身体に毛布が掛けられていることに気づく。どうやらメイドの誰かが寝入っているマリエンヌに気づいて、気を利かせてくれたようだった。
 ベッドサイドには「ご用があればお呼びください」という書き置きも残されている。
 時計を見るともう真夜中まで一時間という時間で、マリエンヌはすっかり寝入ってしまったことにひどく驚いた。
「本を読みながら眠ってしまうなんて、行儀が悪いわね」
 毛布をたたみながら、マリエンヌはうーんと伸びをする。しっかり眠ったおかげか、疲れはずいぶん取れていた。
「みんなはもう眠ってしまったようね……」
 コテージの奧からは少しの物音もしない。
 テーブルには軽食が用意されていたので、マリエンヌは自分でお茶を淹れて、ありがたくサンドウィッチをほおばった。
「すっかり目が覚めちゃったわ」
 普段なら寝付くはずの時間なのにと思いながら、マリエンヌは寝室から直接バルコニーへ出る。
「わぁ……っ」
 バルコニーには寝椅子も置かれ、オーシャン・ビューを楽しむために広々としたスペースが設けられている。
 コテージに到着したときの海の水位は、バルコニーの高床を波がわずかにくすぐる程度だった。だが今は満ち潮の影響で、手すりの隙間から手を伸ばせば水面にふれるほどにせり上がっていた。
 マリエンヌはさっそく手すりのそばに膝をつき、隙間から手を伸ばしてパシャパシャと波にふれてみた。夜の海は意外と冷たく、気持ちいい。
 マリエンヌはうずうずしてしまって、そっと周囲をうかがった。
 遅い時間だけに、波打ち際にはひとの気配はない。
 一度サンダルを取りに戻った彼女は、浜辺へ続く階段と回廊を渡って、夜の波打ち際をゆったりと歩き始めた。
「なんて美しい光景かしら……」
 月明かりの美しい夜だ。天上に輝く白い月が、水面にもうひとつ浮かんでいる。ゆらゆらと揺れるその月は頼りなくも美しく、波の煌めきと相まって、実に幻想的な印象を見る者に与えてくれた。
 ザザー……と引いていく波の音が耳に心地よい。ザパッ、と押し出してくる波の音も。自然が奏でる永遠のメロディーだ。ずっと聴いていても飽きることはないだろう。
「すてき……」
 いつしかマリエンヌはサンダルを脱ぎ、波打ち際の浅いところに素足を浸して、波の音に聞き入っていた。
 音とともに指のあいだをくすぐる波が気持ちいい。さらさらと流れる砂の感触も……
 ――だからこそ、そっと目を伏せ、自然の作り出す不思議に浸っていたマリエンヌは、飛んできた警告の声にすぐに反応することができなかった。
「危ない!」
「っ!」
 びっくりして目を開けたマリエンヌに、ザザッと強い力で押し寄せた波が無情にぶつかる。
 それまで、せいぜいくるぶしを濡らす程度だった波が、いきなり膝上まで押し寄せてきたのだ。
「きゃっ……!」
 突然のことに立ちすくむマリエンヌは、踏ん張りが利かずに、引いていく波にあっけなく転がされてしまう。
 濡れた砂の上に尻餅をついた彼女は、弾みでサンダルを落としてしまった。
「あっ……」
 慌てて顔を上げるが、次の波が押し寄せてくる。
 新たな波もかなりの高さがあって、マリエンヌはたちまち胸まで波に攫われた。
「きゃっ……、あぷっ!」
 再び引いていく波に引きずられて、今度は砂の上に倒れ伏してしまう。
 規則正しく打ち寄せる波は、じたばたともがくマリエンヌのことなど関係ないとばかりに、ざぱぁ、と再び押し寄せてきた。
「うっく……」
 濡れた服が重くて、足にまとわりつく砂が重くて、マリエンヌは動くに動けない。
 なんとか這い出そうともがくが、濡れた砂はまるで彼女を拘束するかのごとく、動くほどに身体に絡みついてきた。
「た、助け……」
 そこへ新たな波が襲ってきて、マリエンヌはとうとう頭まで波をかぶってしまう。
 潮水が口から鼻から一気に流れ込んできて、小さなつぶてが目にぶつかる。痛みと苦しみ、なにより波の冷たさに、すっかりパニックに陥ったマリエンヌは、両手足を振り乱して必死にもがいた。
 その腕を、大きな手ががっちりと掴む。
 強い力で引きずり出され、マリエンヌは水面から顔を突き出した。
「ぷはっ……!」
 空気を求めて大きく喘ぐと、器官が刺激されて激しい咳が立て続けに出てくる。
 潮水の痛みにぽろぽろと涙しながら咳き込む彼女を、腕を掴んだ人物は引きずるように乾いた砂地まで運んでいった。
「――馬鹿が! 夜にひとりで海に出る奴があるかっ。もう少しで溺れるところだったんだぞ!?」
 耳を打つような怒声に、咳き込んでいたマリエンヌはびくっと肩を揺らす。
 だがその声には紛れもなく聞き覚えがあって、彼女は救いを求めるように顔を上げた。
「アルフ……っ」
「無事か? マリエンヌ」
「うっ……」
 驚きがたちまち安堵に変わり、マリエンヌの瞳に新たな涙があふれた。
「うわぁぁん……っ」
「……泣くな。怒鳴って悪かった」
 ひしと抱きしめてくる夫の腕の中で、マリエンヌは泣きながら何度も首を横に振った。
「ほら、戻るぞ。……まったく、到着した途端にとんだところを見せられたものだ」
「ごめんなさい……」
 紛れもない自分の不注意に、マリエンヌは殊勝に謝った。
 砂と潮水にまみれたマリエンヌを、同じくびしょ濡れになったアルフレッドはひょいと横向きに抱き上げる。そうして危なげない足取りで、波の届かない浜辺を歩いてコテージへと戻った。
「とりあえず、身体を温めないとな」
 そのまま浴室に連れて行かれて、浴槽の縁にそっと降ろされる。
 勢いよくシャワーを流しながら、アルフレッドは手早くオイルランプに火を入れて、浴室を昼のように明るく照らし出した。
「……ひどい有様だな」
「……アルフも」
 明るい中でお互いの姿を見て、思わず唖然と呟いてしまう。
 濡れた状態で砂の上を転がったのだ。ふたりとも濡れている上に汚れた砂まみれで、身体だけでなく頭も髪も汚れていた。
「ごめんなさい。わたしのせいで……」
「まぁ、違うとは言わないがな」
 アルフレッドはにやりと笑い、お湯が温かくなったのを確かめると、マリエンヌと一緒に浴槽の中に入った。

************************************************
こんにちは、佐倉紫です。
番外編に目を通していただき、ありがとうございます。

今回も相変わらず、バカップルがいちゃいちゃするだけのお話ですので、
生ぬるい目で見ていただけるとありがたいです。

今回のお話は四話構成になります。
毎日一話ずつ21時に更新になりますので、
よろしくお願いいたします。
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