公爵様のランジェリードール―衣装室は立ち入り厳禁!―

佐倉 紫

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第五章 メイド、専属侍女になる。

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 ……シャ、シャッ、となにかがこすれるような音が聞こえてくる。
 なんだろう、と思うと同時に意識がはっきりしてきて、ジゼルはゆっくりまぶたを開けた。
 体中なんだかギシギシする……だが起き上がった瞬間、肩からずるりと厚手のマントが滑り落ちたのを見て、パチッと目が覚めた。

「あれ? どうして男物のマントなんか……」
「やぁ。起きたね、僕の可愛いモデル兼メイドさん」
「ふぎゃあああ!」

 至近距離から呼びかけられて、ジゼルは文字通り跳び上がった。

「ロ、ロ、ロイド様……!?」
「ごめんね、そこまで驚かれるとは思わなかった。どこか痛めていない?」

 立ち上がった拍子に椅子を蹴倒し、机の角に腰をごんっとぶつけたジゼルを、ロイドは心配そうに見つめる。
 あいにく驚きが強すぎたジゼルは、腰よりもバクバクしている心臓のほうが痛いくらいだった。

「お、おおお驚かさないでください……! いつお帰りに……というかここ作業室……えっと……」

 なぜ自分がそんなところにいたのか、急いで記憶をたどる。すぐに、いつの間にかうたた寝してしまったことに思い至った。

「……すみません! 旦那様の作業部屋で眠ってしまって……!」
「そんなことは謝る必要がないよ。それに僕も君が目覚めるのを待つあいだ、可愛い寝顔をスケッチできたしね」
「はっ、スケッチ……? って、うわああああ!」

 ロイドがにっこりしながら見せたスケッチブックには、机に突っ伏しぐっすり眠るジゼルが嫌味なほど細かく描かれていた。
 なるほど、あのシャッシャッという音は紙に鉛筆を走らせる音だったか。

「まるで鏡を見たみたいだわ……。ってそうじゃなくて! うわあああん、そんな間抜けな寝顔早く消してくださいぃいいい!」

 スケッチブックのジゼルは目元も口元もだらしなく緩んで、今にもよだれを垂らしそうな顔をしている。恥ずかしさのあまり取り上げようとするが、ロイドは長い腕を惜しみなく動かし、ジゼルの手をひょいひょいとよけていた。

「間抜けなんてとんでもない。とても平和的で可愛い寝顔じゃないか。見ているだけで心が癒される。このあとちゃんと色づけもして、額に入れて寝室に飾るから――」
「いやぁああああ! やめてくださいぃいいい!」

 涙目になって訴えると、ロイドは「えー」と唇を尖らせながらも、渋々スケッチブックを閉じてくれた。

「それはそれとして。帰りが遅くなってごめんね、ジゼル。僕を待ちくたびれて眠ってしまったのだろう? それなら謝るのは僕のほうだ」
「い、いいえ……!」

 真面目な顔で謝られて、恐縮したジゼルは首だけでなく手までぶんぶん振りたくった。

「わたしもその、孤児院に行って力仕事をしたので、少し疲れてしまっていて。あっ、でもちゃんとシャワーも浴びましたので、旦那様の仕事場を汚したりはしてません!」
「うん。わかるよ。君の身体から石鹸せっけんのいい香りがするから」

 ロイドはにっこりといつも通りの笑顔を浮かべる。
 ジゼルもほっと微笑んだが……いや待て……なにか気になる言葉を聞いたような。

「ロイド様、聞き間違いかもしれませんが、そうであってほしいのですが、今わたしの身体から石鹸の香りがするっておっしゃいましたよね? まさか寝ているあいだに嗅いでたりとか――」
「それでねジゼル、君が美術館に行くときに着ていくドレスなんだけど」
「話を逸らさないでぇえええ! 気になりすぎてドレスどころじゃありませんんんんっ!」

 涙目になって訴えるジゼルを綺麗に無視して、立ち上がったロイドは近くのトルソーの背後へ回った。

「ここにあるドレスが、ひとまず用意したものなんだ。露出は少なめで慎ましい訪問用のデザインだ。あとで部屋に持って行っていいからね」
「はっ……?」

 ジゼルは驚きのあまり固まってしまう。
 作業場に入ってきてすぐこのドレスを見つけて、舞台衣装よりは控えめだけど充分神々しく見えるわ、なんて思っていたけれど。

「――このドレスがわたしの!? えっ、ここにある三着全部ですか……!?」

 ドレスを着せられたトルソーは三つ並んでおり、それぞれ綺麗なドレスを着ている。スカートの膨らみは抑えられ、襟元えりもとも詰まっているか、開いていてもせいぜい鎖骨さこつが見えるくらいの慎ましいデザインだが、そこここにフリルやレースが縫い止められている、かなり手の込んだ品である。
 それを一介のメイドである自分が……!? と思ったが、ロイドの次の言葉でハッと現状を思い出した。

「僕の専属侍女となるからには最低でもこれくらいの訪問着が必要だよ。泊まりの仕事があるときには同行してもらうことになるからね。ほかに普段着となるドレスも四着用意してある。衣装棚にあるからあとで持って行ってね」

 ジゼルはぽかんと口を開けたままドレスを見つめてしまう。まさか専属侍女になるだけでドレスがこれほど必要なんて……

「それより……このドレスたち、まさかロイド様がお作りになったのですか?」
「ドレスに関しては、僕はデザインと最終チェックと手直しくらいしかしていないよ。お抱えのお針子たちは優秀だからね。これもジゼルのために作ったドレスではあるけれど、デザインは婦人用ドレスの店舗でも流用する予定だ」
「わ、わざわざロイド様がデザインしてくださったなんて」
「当然だよ。君が身につけるものなんだ。なにもかも僕が作り上げたい」

 なにか決意をにじませる面持ちでロイドがそう言うものだから、ジゼルは嬉しいような恥ずかしいような、恐れ多いような緊張するような、なんとも言えない気持ちに包まれた。

「あ、もちろんドレスだけでなくて、下着や靴下なんかも僕がちゃんとデザインしているからね! 安心して全身を僕の作品で飾ってくれ!」
「うぅ、せっかくロイド様の思いに感動しかけたのに、その台詞で一気に変態っぽく変換されてすごく台無しです……!」

 ジゼルは思わず天を仰いで本音をぶちまけてしまった。
 とにもかくにも、試着してほしいということで、ひとまず一番手前にあったえりのドレスを着ることにした。
 コルセットもしっかりと固いものが用意されていたが、いつもの簡易コルセットで充分腰を絞れたので、そのままドレスの着付けに入る。

 いくら裸を見られたとは言え、着替えているところを見られるのは恥ずかしすぎて言語道断のため、ロイドには背中のひもを結ぶとき以外は部屋の隅で目を閉じてもらうことにした。

「ロイド様、あと背中の紐だけです……」
「よし、ようやく僕の出番か。……ジゼル、思った以上によく似合っているじゃないか!」

 目元を覆っていた手をよけたロイドは、ジゼルを見るなり喜色満面になる。
 着慣れないドレスにすっかり及び腰になっていたジゼルだが、ロイドがそう言うならそれなりに見えるのだろうかと思って少しほっとした。背中の紐をきつく結べば、身体のラインもあらわになって、しっかりと見栄えする。
 胸や腰回りはもちろん、袖口やスカート丈まで詰める必要がないほどぴったりのドレスであることには、真っ赤にならずにはいられなかったけれど。

 とにかく、臙脂色えんじいろのドレスはジゼルによく似合っていた。肩の膨らみは抑え気味で、スカートもさほど膨らんでいないデザインだが、そのほうが動きやすい。胸元を飾る真っ白なリボンが可愛らしくて、ついつい口元が緩んでしまった。

「こうして見ていると、下着だけモデルをしてもらっているのが惜しく思えてくるな。今後はドレスのモデルもお願いしたいけれど」
「さ、さすがにドレスは本物のモデルさんや女優さんにお願いしたほうがいいと思います。そのほうが絶対に映えますよ」

 ロイドがまんざらでもない様子で提案してくるので、ジゼルは慌ててそう断る。ロイドは残念そうに眉を下げたが、「確かにこれ以上君に負担をかけるのは自重しないとね」と頷いていた。

「突然専属侍女に引き抜いたから、驚いただろう?」
「はい……。あの、ロイド様、わたしを専属侍女にしたのって、その……下着モデルのお仕事を、その、効率的にこなさせるため、ですよね?」

 それしかないと思ってジゼルは確認したのだが、ロイドの答えは「半分はそうだね」だった。

「半分? じゃあもう半分は」
「純粋に、働き者の君をそばに置きたいと思ったからだよ。前々から侍従には小間使いの一人や二人雇えってせっつかれていたから、ちょうどいいと思ったんだ。今屋敷で働いている人間の中では、君が一番真面目で熱心だから信用できるしね」

 にっこり微笑みながら言われて、ジゼルは気恥ずかしいやら嬉しいやらで、ほんのり頬を赤く染めた。

「う、嬉しいです。働きぶりをそう言っていただけるのは……」
「そのせいで今後は風当たりも強くなるとは思うけれど、なにかあれば家政婦長や僕に相談してくれ」
「わかりました」

 神妙に頷いたとき、どこからかボーン、ボーン、と低いかねの音が響いてきた。
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