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自在剣篇
32.狂乱波乱の舞台演出Ⅴ
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2021年10月30日土曜日。神奈川県川崎市、『エコービル』1F。
午前8時15分。
普段なら二度寝に耽っているこの時刻に、ヴォルカンから緊急招集がかかってしまい、寝間着のままバジルはエコービル1階の会議室を訪れていた。
彼が到着した頃にはすでに全員が揃っており、会議は速やかに始まった。
「率直に申し上げますと――拘束していたはずのニーデル・カーンが、約3時間前に脱走しました。現在も逃亡を続けており、作戦部の同志たちが行き先の割り出しを行っています」
深刻な表情のヴォルカンが告げたのは、たった少しの揺るぎない事実のみ。恐らく、脱走が発覚してからほとんど時間が経過していないのが原因だろうが、ここまで詳細を語らなかったことは他に一度たりともありはしない。
もしや、公言しづらい内容が含まれているのか――そう疑問に思ったバジルは顔をしかめ、
「ニーデル含む過激派の連中を捕まえたのは、最終的に本家のカーン派へ引き渡すためだったはずだ。ということは、脱走したニーデルを改めて捕まえるのが、今回の任務なのか?」
「……彼の脱走が発覚した要因についてですが……エコービルの地下6階にある住居エリア内で、ロゲスト・カーン様のご遺体が発見されました」
「――そうか」
突然の報告に、会議室内は騒然となる。とはいえ彼らは最大の特徴として、無所属に当てはまる人間味というものが欠けているため、むやみやたらに騒いだり動揺する者は、一人もいなかった。しかしそれでも、先日対面した老紳士の突然の死は、新人類たちの瞳に真っ黒い影を落とした。
そしてバジルは、今回の任務についてさらに質問しようとするが、周囲の雰囲気に気圧されてしまい、言い出せなかった。
「ヴォルカン、任務内容について説明をお願い」
他の誰もが、先ほどのヴォルカンの告白に含まれた言外の部分を汲み取って、自ら発言することはしない。
そんな鬱屈した空気の中、常に凛とした表情を浮かべるマイは、率先して口を開き、参謀長に内容説明を促した。
「――憶測ですが、ロゲスト様を殺害したのは、ニーデル・カーンでしょう。それはつまり、アズガルズ・カーン率いる過激派が本格的な行動を起こそうとしていることの証左であり、僕たちが一刻も早く事態を終結させる必要があります。そして任務ですが、アズガルズ・カーンの殺害と、過激派に所属する元カーン派の人間、全員の確保です。各部署で作戦会議を行い、早急に対処していただきたいと思います」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
会議終了後、バジルはとある少女に手を引かれ、地下6階の住居エリアへ赴いた。
久しぶりに足を踏み入れたその場所は、一体いつ拡張工事を行ったのか、今までの凡そ5倍と言っても過言ではない広さになっており、勿論部屋の数も随分と増している。
圧巻の光景にバジルが感嘆していると、少女は苛立った様子で舌打ちをした。
そして、
「ほら、入れ」
「入れって……ここ、君の部屋じゃないか」
「いいから。ハーブはただ、あたしの言うことを聞いていればいいの」
高圧的な態度と命令的な口調でバジルを部屋に招き入れた、黄金色の短い髪とあどけなさの強く残る幼い顔がたいへん愛らしい少女――アリシア・カーンは、桃色と水色で女の子らしい彩りのベッドに腰をおろす。
ただ毛布の上に座っているだけなのだが、足を組んで胸を張ったその姿が、彼女の高慢さを濃く物語っていた。
「そういえば俺、まだ君の名前聞いてなかったよね」
「アリシアだけど?」
「えらくあっさりとした自己紹介だな……」
以前は頑として名乗らなかった少女に対して、不満そうに顔を歪めるバジル。すでに表情から、アリシア苦手オーラなるものが滲み出ている。
しかし、なぜ今回はすぐに名前を教えてくれたのか。変わらず不満顔を浮かべるバジルが、小さな唸り声をあげて黙考していると、アリシアは照れくさそうにそっぽを向いて、
「い、今からの、その……対価的なアレだし……?」
「まず『今からの』っていうのが気になるんだけど」
「そ、それは……!」
突然に言い淀むアリシアの目尻は、いつの間にか涙ですっかり濡れてしまっていた。先ほどまで正常だったので、恐らく今しがた言い渋った内容が関係しているのだろう。
そんな憶測を脳内で巡らせている間に、金髪の少女はとうとう泣き出してしまった。
小さな手では拭い切れない、妙に熱い大量の水滴が溢れ出でて、薄桃色のシーツに際限なく灰色の染みをつくっていく。泣きじゃくる少女を見て、反射的に駆け寄ったバジルだったが、そもそも少女がなぜ泣いているのかわからない以上、何もできはしない。
するとアリシアは、涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔を両手で覆い隠す。
「あ、あたしのパパ……うっ。死んじゃって……ひぅ。ニーデルも、い、いないし……」
「ロゲストさんは、アリシアの父親だったのか」
優しく頭を撫でながら訊ねると、アリシアはぎこちなく頷いてくれる。
彼女がロゲストの娘なら、確実に純粋な新人類の少女だ。
バジルにとって新人類とは、自分たちをあくまで地球に生きるいち動物だと考えている、シュールな人間たちというイメージが完全に定着していた。しかしアリシアは、正真正銘どこにでもいる普通の女の子だった。
悲しいことに涙して、泣き顔を見られるのを恥ずかしがって。その程度、子供なら当然だと思えてしまう自分に嫌気がさしてしまうくらい、アリシアは人間らしくてどこまでもごく普通の小さな女の子だった。
だがバジルにとって、何よりも嬉しかったことは、
「なんで、俺を部屋に呼んだの? 俺としては、日和あたりのほうが優しくしてくれると思うんだけど」
「……うぇ、ぅ……ひぅ……」
「嗚咽で返事されても……いや、やっぱり理由は言わなくていいよ」
別にこれ以上追窮したところで、自分とアリシアの何かが変わるわけではない。それに、バジルと初対面の時からずっと高飛車な振る舞いをしていた少女が、そう易々と自分に不利益なことを口にするはずがなかった。
……というのは建前で、バジル自身が男女の機微というものに疎い人間だと自覚しているので、下手なことを聞いて少女に嫌われるのを避けたかったのだ。
「ハーブは……泣いてる、子には、優しいんだ……サイっテぇ……」
「いや、男って案外単純な生き物だし、そこは大目に見てよ?」
きっと、暗く沈み込んだ雰囲気を明るくするためのアリシアの冗談だろう。そう思いバジルも撤回を申し出なかった。
彼の少し自虐的な発言に、すっかり赤く腫れあがった目元を笑わせるアリシアは、さながらバジルの『妹』のようだ。
「そ、そういえば……さっき、ニーデルって言ってたよね。親戚かな?」
「はあ? ニーデルは、パパの息子だし。何言ってんの」
――つまり彼女は、正真正銘の『妹』。
「……なあ、アリシア。君には悪いけど、ニーデルに少しだけお灸を据えてもいいかな?」
今さらだが、バジルは『妹』から『兄』に仕置きする許可を得たいと述べる。これは任務完了後、傷ついた『兄』を見た『妹』からの激しい追及を回避するための保険である。
「な、なんでそんなこと……?」
「今回の任務は、多少だけど荒療治が必要なんだよ。だから、無傷は保証できないってこと」
するとアリシアは、再び瞳に薄っすらと涙を浮かべて、
「絶対に、殺さないでよ……?」
「勿論だよ。たとえ向こうに殺意があっても、俺は殺さない」
たった数日前に、ただの殺しよりも惨たらしく虐められた記憶が、言い切った直後に蘇ってきた。
何度も身体を斬り裂かれて、吹き飛ばされて、穿たれてもなお延々と続く行為。 もう幾度となく死の頂に達したというのに、運命もといバジルの特異な力が、彼を楽に逝かせてはくれなかった。
死と直結する一撃を身体に受けても、苦痛の記憶が蓄積するだけで結局は死ぬことができないという状態が、一体どれほど辛いのか……きっと誰もわからない。
ただ聞いただけ、見ただけだと、『不老不死』が人間の終着点なる存在であると思ってしまうが、至極真っ当な見解だ。人間にとって最大の欠点にして課題は、いつか尽きる生命にあって、それが永遠に在り続けることこそ人間の終極的な願望である。
つまり、人は誰しも最後には死んでしまうのだ。
同じ苦痛を味わわされてなお、死を知らない者。無自覚に、今までに死亡した者たちの死の記憶を冒涜する、永遠の生者。
どれだけ骨を砕かれても、肉を抉られても、腸を細かく千切られても、結局は死を知ることのできない哀れな宿命を、一体誰が咎められるだろう。
バジルの発言は、常軌を逸している。自らの宿命を知っていながら、なぜ自分を痛めつけたうえに辱めた人間たちに情けをかけるのか。
彼らはいずれ死を迎える存在であり、彼らに一矢報いるとなれば、それは当然彼らを屠るということだ。彼らに、自分の味わった苦痛の何十倍も楽な痛みをもたらす行為は、ただの仕返しといってもおかしくはない。ただ、その程度が生死に関わるレベルというだけのこと。
「必ず、ニーデルも他の人間たちも、生きたまま戻ってくるから」
この少年は、一人の少女のためだけに、根拠・方法ともに自らにしかできない復讐手段を、容易く投げ捨てたのだ。自らの仮初の死さえも、冒涜しようというのだ。
――だが、確かに少女は笑っていた。父を失い、兄と敵対関係となり、心を痛めていたその少女の泣き顔が、バジルの言葉によって素敵な笑顔になったのだ。
「……約束、してよ」
「約束する。俺はアリシアに必ず、家族たちを還す」
「……じゃあ、その……だ、抱きしめ、て……?」
「それは遠慮する」
少女の精一杯の勇気は、別の何かと間違われたらしく、愛想笑いで拒否されてしまった。
しかし彼女は満足そうに鼻を鳴らして、ベッドから立ち上がると、
「ほら、早く行ってきなさい。あと、ちゃんと約束は守れよ」
「わかった。ただし、帰ってくる前にシャワーを浴びておくこと」
唐突にバジルはセクハラ紛いのことを言って、「なんでよ?」と聞いてきたアリシアの頬を軽くつついた。
「だって、涙の臭いと目元の腫れが気になるし。それって、子供っぽさ丸出しじゃない?」
「なあっ……!? こ、このハーブ野郎!」
罵りではなく、ただバジルのあだ名を叫んだのち、アリシアは小走りで部屋を飛び出してしまった。
アリシアの自宅に独り取り残されたバジルは、入室した頃から気になっていた場所へ移動して、その気になっていたある物を手に取る。
それは、なんの変哲もない写真立てに入った1枚の写真。
20数人の子供たちと、スーツを着た男性が映り込んだ写真の中で一際目立つ、金色の短い髪と赤いリボンが特徴的な女の子、恐らく彼女がアリシアだろう。そのアリシア似の少女と一緒に映り込んだ13歳前後の子供たちは、彼女と違って皆一様に目から涙を流している。
最初はごく普通に、小学校の卒業式か何かで撮影したものだと思った。
しかし、なぜアリシア似の少女一人だけが、涙を流すどころか、得も言われぬ満面の笑顔で映り込んでいるのだろう。
「……新人類って、よくわかんないよな」
その少女の誤魔化し方が、今の自分と少しだけ重なって見えたバジルは、口元に同情の笑みを浮かべる。その笑みは、少しばかり気まずそうにも見えた。
午前8時15分。
普段なら二度寝に耽っているこの時刻に、ヴォルカンから緊急招集がかかってしまい、寝間着のままバジルはエコービル1階の会議室を訪れていた。
彼が到着した頃にはすでに全員が揃っており、会議は速やかに始まった。
「率直に申し上げますと――拘束していたはずのニーデル・カーンが、約3時間前に脱走しました。現在も逃亡を続けており、作戦部の同志たちが行き先の割り出しを行っています」
深刻な表情のヴォルカンが告げたのは、たった少しの揺るぎない事実のみ。恐らく、脱走が発覚してからほとんど時間が経過していないのが原因だろうが、ここまで詳細を語らなかったことは他に一度たりともありはしない。
もしや、公言しづらい内容が含まれているのか――そう疑問に思ったバジルは顔をしかめ、
「ニーデル含む過激派の連中を捕まえたのは、最終的に本家のカーン派へ引き渡すためだったはずだ。ということは、脱走したニーデルを改めて捕まえるのが、今回の任務なのか?」
「……彼の脱走が発覚した要因についてですが……エコービルの地下6階にある住居エリア内で、ロゲスト・カーン様のご遺体が発見されました」
「――そうか」
突然の報告に、会議室内は騒然となる。とはいえ彼らは最大の特徴として、無所属に当てはまる人間味というものが欠けているため、むやみやたらに騒いだり動揺する者は、一人もいなかった。しかしそれでも、先日対面した老紳士の突然の死は、新人類たちの瞳に真っ黒い影を落とした。
そしてバジルは、今回の任務についてさらに質問しようとするが、周囲の雰囲気に気圧されてしまい、言い出せなかった。
「ヴォルカン、任務内容について説明をお願い」
他の誰もが、先ほどのヴォルカンの告白に含まれた言外の部分を汲み取って、自ら発言することはしない。
そんな鬱屈した空気の中、常に凛とした表情を浮かべるマイは、率先して口を開き、参謀長に内容説明を促した。
「――憶測ですが、ロゲスト様を殺害したのは、ニーデル・カーンでしょう。それはつまり、アズガルズ・カーン率いる過激派が本格的な行動を起こそうとしていることの証左であり、僕たちが一刻も早く事態を終結させる必要があります。そして任務ですが、アズガルズ・カーンの殺害と、過激派に所属する元カーン派の人間、全員の確保です。各部署で作戦会議を行い、早急に対処していただきたいと思います」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
会議終了後、バジルはとある少女に手を引かれ、地下6階の住居エリアへ赴いた。
久しぶりに足を踏み入れたその場所は、一体いつ拡張工事を行ったのか、今までの凡そ5倍と言っても過言ではない広さになっており、勿論部屋の数も随分と増している。
圧巻の光景にバジルが感嘆していると、少女は苛立った様子で舌打ちをした。
そして、
「ほら、入れ」
「入れって……ここ、君の部屋じゃないか」
「いいから。ハーブはただ、あたしの言うことを聞いていればいいの」
高圧的な態度と命令的な口調でバジルを部屋に招き入れた、黄金色の短い髪とあどけなさの強く残る幼い顔がたいへん愛らしい少女――アリシア・カーンは、桃色と水色で女の子らしい彩りのベッドに腰をおろす。
ただ毛布の上に座っているだけなのだが、足を組んで胸を張ったその姿が、彼女の高慢さを濃く物語っていた。
「そういえば俺、まだ君の名前聞いてなかったよね」
「アリシアだけど?」
「えらくあっさりとした自己紹介だな……」
以前は頑として名乗らなかった少女に対して、不満そうに顔を歪めるバジル。すでに表情から、アリシア苦手オーラなるものが滲み出ている。
しかし、なぜ今回はすぐに名前を教えてくれたのか。変わらず不満顔を浮かべるバジルが、小さな唸り声をあげて黙考していると、アリシアは照れくさそうにそっぽを向いて、
「い、今からの、その……対価的なアレだし……?」
「まず『今からの』っていうのが気になるんだけど」
「そ、それは……!」
突然に言い淀むアリシアの目尻は、いつの間にか涙ですっかり濡れてしまっていた。先ほどまで正常だったので、恐らく今しがた言い渋った内容が関係しているのだろう。
そんな憶測を脳内で巡らせている間に、金髪の少女はとうとう泣き出してしまった。
小さな手では拭い切れない、妙に熱い大量の水滴が溢れ出でて、薄桃色のシーツに際限なく灰色の染みをつくっていく。泣きじゃくる少女を見て、反射的に駆け寄ったバジルだったが、そもそも少女がなぜ泣いているのかわからない以上、何もできはしない。
するとアリシアは、涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔を両手で覆い隠す。
「あ、あたしのパパ……うっ。死んじゃって……ひぅ。ニーデルも、い、いないし……」
「ロゲストさんは、アリシアの父親だったのか」
優しく頭を撫でながら訊ねると、アリシアはぎこちなく頷いてくれる。
彼女がロゲストの娘なら、確実に純粋な新人類の少女だ。
バジルにとって新人類とは、自分たちをあくまで地球に生きるいち動物だと考えている、シュールな人間たちというイメージが完全に定着していた。しかしアリシアは、正真正銘どこにでもいる普通の女の子だった。
悲しいことに涙して、泣き顔を見られるのを恥ずかしがって。その程度、子供なら当然だと思えてしまう自分に嫌気がさしてしまうくらい、アリシアは人間らしくてどこまでもごく普通の小さな女の子だった。
だがバジルにとって、何よりも嬉しかったことは、
「なんで、俺を部屋に呼んだの? 俺としては、日和あたりのほうが優しくしてくれると思うんだけど」
「……うぇ、ぅ……ひぅ……」
「嗚咽で返事されても……いや、やっぱり理由は言わなくていいよ」
別にこれ以上追窮したところで、自分とアリシアの何かが変わるわけではない。それに、バジルと初対面の時からずっと高飛車な振る舞いをしていた少女が、そう易々と自分に不利益なことを口にするはずがなかった。
……というのは建前で、バジル自身が男女の機微というものに疎い人間だと自覚しているので、下手なことを聞いて少女に嫌われるのを避けたかったのだ。
「ハーブは……泣いてる、子には、優しいんだ……サイっテぇ……」
「いや、男って案外単純な生き物だし、そこは大目に見てよ?」
きっと、暗く沈み込んだ雰囲気を明るくするためのアリシアの冗談だろう。そう思いバジルも撤回を申し出なかった。
彼の少し自虐的な発言に、すっかり赤く腫れあがった目元を笑わせるアリシアは、さながらバジルの『妹』のようだ。
「そ、そういえば……さっき、ニーデルって言ってたよね。親戚かな?」
「はあ? ニーデルは、パパの息子だし。何言ってんの」
――つまり彼女は、正真正銘の『妹』。
「……なあ、アリシア。君には悪いけど、ニーデルに少しだけお灸を据えてもいいかな?」
今さらだが、バジルは『妹』から『兄』に仕置きする許可を得たいと述べる。これは任務完了後、傷ついた『兄』を見た『妹』からの激しい追及を回避するための保険である。
「な、なんでそんなこと……?」
「今回の任務は、多少だけど荒療治が必要なんだよ。だから、無傷は保証できないってこと」
するとアリシアは、再び瞳に薄っすらと涙を浮かべて、
「絶対に、殺さないでよ……?」
「勿論だよ。たとえ向こうに殺意があっても、俺は殺さない」
たった数日前に、ただの殺しよりも惨たらしく虐められた記憶が、言い切った直後に蘇ってきた。
何度も身体を斬り裂かれて、吹き飛ばされて、穿たれてもなお延々と続く行為。 もう幾度となく死の頂に達したというのに、運命もといバジルの特異な力が、彼を楽に逝かせてはくれなかった。
死と直結する一撃を身体に受けても、苦痛の記憶が蓄積するだけで結局は死ぬことができないという状態が、一体どれほど辛いのか……きっと誰もわからない。
ただ聞いただけ、見ただけだと、『不老不死』が人間の終着点なる存在であると思ってしまうが、至極真っ当な見解だ。人間にとって最大の欠点にして課題は、いつか尽きる生命にあって、それが永遠に在り続けることこそ人間の終極的な願望である。
つまり、人は誰しも最後には死んでしまうのだ。
同じ苦痛を味わわされてなお、死を知らない者。無自覚に、今までに死亡した者たちの死の記憶を冒涜する、永遠の生者。
どれだけ骨を砕かれても、肉を抉られても、腸を細かく千切られても、結局は死を知ることのできない哀れな宿命を、一体誰が咎められるだろう。
バジルの発言は、常軌を逸している。自らの宿命を知っていながら、なぜ自分を痛めつけたうえに辱めた人間たちに情けをかけるのか。
彼らはいずれ死を迎える存在であり、彼らに一矢報いるとなれば、それは当然彼らを屠るということだ。彼らに、自分の味わった苦痛の何十倍も楽な痛みをもたらす行為は、ただの仕返しといってもおかしくはない。ただ、その程度が生死に関わるレベルというだけのこと。
「必ず、ニーデルも他の人間たちも、生きたまま戻ってくるから」
この少年は、一人の少女のためだけに、根拠・方法ともに自らにしかできない復讐手段を、容易く投げ捨てたのだ。自らの仮初の死さえも、冒涜しようというのだ。
――だが、確かに少女は笑っていた。父を失い、兄と敵対関係となり、心を痛めていたその少女の泣き顔が、バジルの言葉によって素敵な笑顔になったのだ。
「……約束、してよ」
「約束する。俺はアリシアに必ず、家族たちを還す」
「……じゃあ、その……だ、抱きしめ、て……?」
「それは遠慮する」
少女の精一杯の勇気は、別の何かと間違われたらしく、愛想笑いで拒否されてしまった。
しかし彼女は満足そうに鼻を鳴らして、ベッドから立ち上がると、
「ほら、早く行ってきなさい。あと、ちゃんと約束は守れよ」
「わかった。ただし、帰ってくる前にシャワーを浴びておくこと」
唐突にバジルはセクハラ紛いのことを言って、「なんでよ?」と聞いてきたアリシアの頬を軽くつついた。
「だって、涙の臭いと目元の腫れが気になるし。それって、子供っぽさ丸出しじゃない?」
「なあっ……!? こ、このハーブ野郎!」
罵りではなく、ただバジルのあだ名を叫んだのち、アリシアは小走りで部屋を飛び出してしまった。
アリシアの自宅に独り取り残されたバジルは、入室した頃から気になっていた場所へ移動して、その気になっていたある物を手に取る。
それは、なんの変哲もない写真立てに入った1枚の写真。
20数人の子供たちと、スーツを着た男性が映り込んだ写真の中で一際目立つ、金色の短い髪と赤いリボンが特徴的な女の子、恐らく彼女がアリシアだろう。そのアリシア似の少女と一緒に映り込んだ13歳前後の子供たちは、彼女と違って皆一様に目から涙を流している。
最初はごく普通に、小学校の卒業式か何かで撮影したものだと思った。
しかし、なぜアリシア似の少女一人だけが、涙を流すどころか、得も言われぬ満面の笑顔で映り込んでいるのだろう。
「……新人類って、よくわかんないよな」
その少女の誤魔化し方が、今の自分と少しだけ重なって見えたバジルは、口元に同情の笑みを浮かべる。その笑みは、少しばかり気まずそうにも見えた。
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