3 / 45
大嫌いな男
3
しおりを挟む
愛美は自宅の最寄り駅より二つ手前で電車を降りて、行きつけのバーへ足を運んだ。
前に勤めていた支部がこの近くにあり、1年半ほど前に会社帰りにたまたま通りかかって店に入ったのが、ここに通うようになったきっかけだった。
マスターは落ち着いた大人の男と言う感じの人で、愛美がボロボロに傷付いて初めて一人で店を訪れた時から、つらかった過去の話を優しく相槌を打ちながら聞いてくれた。
ああしろとか、こうするべきだとか、特別な事は何も言わないけれど、人付き合いが下手で傷付いてばかりいる愛美を、否定せず受け入れてくれた。
それ以来、愛美にとってこの店は、一人でも気軽に立ち寄れる心の拠り所のような場所になった。
バーで酒を飲みながらマスターと話していると、時々ここで顔を合わせる常連客と会って、なんとなく一緒にお酒を飲みながら会話をしたりもする。
お互いに相手を深く知ろうとはしないが、それも面倒な人付き合いに疲れた愛美にとっては心地がよかった。
人と深く付き合えば、いつも傷付く。
それは恋愛だけでなく、友人関係にしてもそうだ。
信頼していた人に裏切られたと気付いた時のショックは計り知れない。
昨日まで一緒に笑っていた友人に彼氏を寝取られたり、頼ってくれていると思っていた友人に、内心では頼めばなんでも言う事を聞く都合のいい馬鹿な奴だと思われていたり。
社会人になってからは仕事や結婚が絡んでくる分、学生時代のような気楽な人間関係ではなくなったように思う。
社内恋愛のカップルが、同じ部署で付き合っていることを会社の上層部に知られて勤務先を引き離されたとか。
一人の男性社員を二人の結婚適齢期の女性社員が取り合っていて、職場の空気が最悪だとか。
既婚者の上司と若い女性社員が不倫の関係で、それが上司の奥さんにバレて泥沼だとか。
勤続年数が長くなるにつれ、支社や他の支部の事まで、聞きたくもない恋愛絡みの噂が多く耳に入ってくるようになった。
愛美はそんな噂を聞くたびに、社内恋愛なんて面倒な事だけは避けようと思っていた。
社内恋愛が禁止されているわけでもないのだが、同じ職場に恋人がいると周りに知られた後がめんどくさい。
根掘り葉掘りいろいろ聞きたがる者や、余計な気を回して気まずい思いをさせる者もいる。
『オフィスラブ』なんて言い方をすれば、なんとなく響きも違って甘美な物に思えるかも知れないが、蓋を開ければこんな物だ。
会社は賃金を得るために労働する場所であって、異性との出会いや恋愛を求めて来る場所ではない。
そこにあるのは仕事としがらみと面倒な人間関係だけだ。
『オフィスにはラブなんて落ちていない』
それが愛美の持論だ。
社内恋愛なんてしない、と思う以前に、そもそも今の職場にはそんな出会いも落ちていない。
若い男性社員が数多くいる支社と違って、今の勤務先は支社ではなく支部だ。
30名ほどの営業職員のほとんどが愛美よりうんと歳上のオバサマで、男性は大嫌いな緒川支部長と、歳下の高瀬FPしかいない。
過去の苦い恋愛経験から、歳上の俺様も、甘え上手なかわいい歳下も、どちらも恋愛対象にはならないし、向こうもきっとそう思っているだろう。
草食系で性格の穏やかな優しい人ならともかく、少なくとも自分の好みのタイプが肉食系の俺様でない事はたしかだなと思う。
愛美が社会人になってから付き合った男は3人。
自信過剰な俺様男。
女にだらしない調子のいいチャラ男。
部屋に転がり込んだ歳下のヒモ男。
若気の至りと言えばそれまでだが、そんなつまらない男との恋愛を振り返ると、ため息しか出ない。
今度はまともな男とまともな恋愛をしようと思いながら、付き合わないかと誰かに言われても、過去の恋愛の失敗を考えるとそれもまた面倒で断り続け、かれこれ1年半ほど彼氏がいない。
特に今すぐ彼氏が欲しいと思っているわけではないが、26にもなったのだから、もうそろそろ将来を見据えて行く必要もあるかなとも思う。
だけど、いまだに残る心の傷が、それを受け入れようとしない。
とは言え、いつまでも過去に縛られて前に進めないのもどうかと思う。
どこかにいい出会いが落ちてはいないだろうか。
カウンター席でウイスキーの水割りを飲んでいた愛美の隣に、一人の見知らぬ男が座って笑いかけた。
まったく見覚えのない顔だ。
「あのさ……良かったら一緒に飲まない?」
酒の勢いで口説こうとでもしているのか、ギラギラと獣のように愛美を見つめるその目から、明らかに下心が透けて見える。
でもその男は残念ながら愛美の嫌いなタイプだった。
「明日も仕事あるし、これ飲んだら帰る」
「そう言わずにさ、もう1杯だけ、一緒にどう?」
突然手を握られ、愛美は全身の毛が逆立つような悪寒を感じて、慌てて手を引っ込めた。
(キモッ!!気安く触んなバカ!!)
「触んないで。帰る」
愛美は仏頂面で席を立ち勘定を済ませると、店の外に出て駅に向かって歩き出した。
男は愛美の後を追いかけてきて、ピッタリとへばりつくようにして愛美の横を歩く。
前に勤めていた支部がこの近くにあり、1年半ほど前に会社帰りにたまたま通りかかって店に入ったのが、ここに通うようになったきっかけだった。
マスターは落ち着いた大人の男と言う感じの人で、愛美がボロボロに傷付いて初めて一人で店を訪れた時から、つらかった過去の話を優しく相槌を打ちながら聞いてくれた。
ああしろとか、こうするべきだとか、特別な事は何も言わないけれど、人付き合いが下手で傷付いてばかりいる愛美を、否定せず受け入れてくれた。
それ以来、愛美にとってこの店は、一人でも気軽に立ち寄れる心の拠り所のような場所になった。
バーで酒を飲みながらマスターと話していると、時々ここで顔を合わせる常連客と会って、なんとなく一緒にお酒を飲みながら会話をしたりもする。
お互いに相手を深く知ろうとはしないが、それも面倒な人付き合いに疲れた愛美にとっては心地がよかった。
人と深く付き合えば、いつも傷付く。
それは恋愛だけでなく、友人関係にしてもそうだ。
信頼していた人に裏切られたと気付いた時のショックは計り知れない。
昨日まで一緒に笑っていた友人に彼氏を寝取られたり、頼ってくれていると思っていた友人に、内心では頼めばなんでも言う事を聞く都合のいい馬鹿な奴だと思われていたり。
社会人になってからは仕事や結婚が絡んでくる分、学生時代のような気楽な人間関係ではなくなったように思う。
社内恋愛のカップルが、同じ部署で付き合っていることを会社の上層部に知られて勤務先を引き離されたとか。
一人の男性社員を二人の結婚適齢期の女性社員が取り合っていて、職場の空気が最悪だとか。
既婚者の上司と若い女性社員が不倫の関係で、それが上司の奥さんにバレて泥沼だとか。
勤続年数が長くなるにつれ、支社や他の支部の事まで、聞きたくもない恋愛絡みの噂が多く耳に入ってくるようになった。
愛美はそんな噂を聞くたびに、社内恋愛なんて面倒な事だけは避けようと思っていた。
社内恋愛が禁止されているわけでもないのだが、同じ職場に恋人がいると周りに知られた後がめんどくさい。
根掘り葉掘りいろいろ聞きたがる者や、余計な気を回して気まずい思いをさせる者もいる。
『オフィスラブ』なんて言い方をすれば、なんとなく響きも違って甘美な物に思えるかも知れないが、蓋を開ければこんな物だ。
会社は賃金を得るために労働する場所であって、異性との出会いや恋愛を求めて来る場所ではない。
そこにあるのは仕事としがらみと面倒な人間関係だけだ。
『オフィスにはラブなんて落ちていない』
それが愛美の持論だ。
社内恋愛なんてしない、と思う以前に、そもそも今の職場にはそんな出会いも落ちていない。
若い男性社員が数多くいる支社と違って、今の勤務先は支社ではなく支部だ。
30名ほどの営業職員のほとんどが愛美よりうんと歳上のオバサマで、男性は大嫌いな緒川支部長と、歳下の高瀬FPしかいない。
過去の苦い恋愛経験から、歳上の俺様も、甘え上手なかわいい歳下も、どちらも恋愛対象にはならないし、向こうもきっとそう思っているだろう。
草食系で性格の穏やかな優しい人ならともかく、少なくとも自分の好みのタイプが肉食系の俺様でない事はたしかだなと思う。
愛美が社会人になってから付き合った男は3人。
自信過剰な俺様男。
女にだらしない調子のいいチャラ男。
部屋に転がり込んだ歳下のヒモ男。
若気の至りと言えばそれまでだが、そんなつまらない男との恋愛を振り返ると、ため息しか出ない。
今度はまともな男とまともな恋愛をしようと思いながら、付き合わないかと誰かに言われても、過去の恋愛の失敗を考えるとそれもまた面倒で断り続け、かれこれ1年半ほど彼氏がいない。
特に今すぐ彼氏が欲しいと思っているわけではないが、26にもなったのだから、もうそろそろ将来を見据えて行く必要もあるかなとも思う。
だけど、いまだに残る心の傷が、それを受け入れようとしない。
とは言え、いつまでも過去に縛られて前に進めないのもどうかと思う。
どこかにいい出会いが落ちてはいないだろうか。
カウンター席でウイスキーの水割りを飲んでいた愛美の隣に、一人の見知らぬ男が座って笑いかけた。
まったく見覚えのない顔だ。
「あのさ……良かったら一緒に飲まない?」
酒の勢いで口説こうとでもしているのか、ギラギラと獣のように愛美を見つめるその目から、明らかに下心が透けて見える。
でもその男は残念ながら愛美の嫌いなタイプだった。
「明日も仕事あるし、これ飲んだら帰る」
「そう言わずにさ、もう1杯だけ、一緒にどう?」
突然手を握られ、愛美は全身の毛が逆立つような悪寒を感じて、慌てて手を引っ込めた。
(キモッ!!気安く触んなバカ!!)
「触んないで。帰る」
愛美は仏頂面で席を立ち勘定を済ませると、店の外に出て駅に向かって歩き出した。
男は愛美の後を追いかけてきて、ピッタリとへばりつくようにして愛美の横を歩く。
1
あなたにおすすめの小説
ヒロインになれませんが。
橘しづき
恋愛
安西朱里、二十七歳。
顔もスタイルもいいのに、なぜか本命には選ばれず変な男ばかり寄ってきてしまう。初対面の女性には嫌われることも多く、いつも気がつけば当て馬女役。損な役回りだと友人からも言われる始末。 そんな朱里は、異動で営業部に所属することに。そこで、タイプの違うイケメン二人を発見。さらには、真面目で控えめ、そして可愛らしいヒロイン像にぴったりの女の子も。
イケメンのうち一人の片思いを察した朱里は、その二人の恋を応援しようと必死に走り回るが……。
全然上手くいかなくて、何かがおかしい??
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
五年越しの再会と、揺れる恋心
柴田はつみ
恋愛
春山千尋24歳は五年前に広瀬洋介27歳に振られたと思い込み洋介から離れた。
千尋は今大手の商事会社に副社長の秘書として働いている。
ある日振られたと思い込んでいる千尋の前に洋介が社長として現れた。
だが千尋には今中田和也26歳と付き合っている。
千尋の気持ちは?
【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!
satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。
働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。
早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。
そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。
大丈夫なのかなぁ?
それは、ホントに不可抗力で。
樹沙都
恋愛
これ以上他人に振り回されるのはまっぴらごめんと一大決意。人生における全ての無駄を排除し、おひとりさまを謳歌する歩夢の前に、ひとりの男が立ちはだかった。
「まさか、夫の顔……を、忘れたとは言わないだろうな? 奥さん」
その婚姻は、天の啓示か、はたまた……ついうっかり、か。
恋に仕事に人間関係にと翻弄されるお人好しオンナ関口歩夢と腹黒大魔王小林尊の攻防戦。
まさにいま、開始のゴングが鳴った。
まあね、所詮、人生は不可抗力でできている。わけよ。とほほっ。
結婚直後にとある理由で離婚を申し出ましたが、 別れてくれないどころか次期社長の同期に執着されて愛されています
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「結婚したらこっちのもんだ。
絶対に離婚届に判なんて押さないからな」
既婚マウントにキレて勢いで同期の紘希と結婚した純華。
まあ、悪い人ではないし、などと脳天気にかまえていたが。
紘希が我が社の御曹司だと知って、事態は一転!
純華の誰にも言えない事情で、紘希は絶対に結婚してはいけない相手だった。
離婚を申し出るが、紘希は取り合ってくれない。
それどころか紘希に溺愛され、惹かれていく。
このままでは紘希の弱点になる。
わかっているけれど……。
瑞木純華
みずきすみか
28
イベントデザイン部係長
姉御肌で面倒見がいいのが、長所であり弱点
おかげで、いつも多数の仕事を抱えがち
後輩女子からは慕われるが、男性とは縁がない
恋に関しては夢見がち
×
矢崎紘希
やざきひろき
28
営業部課長
一般社員に擬態してるが、会長は母方の祖父で次期社長
サバサバした爽やかくん
実体は押しが強くて粘着質
秘密を抱えたまま、あなたを好きになっていいですか……?
【完結】溺愛予告~御曹司の告白躱します~
蓮美ちま
恋愛
モテる彼氏はいらない。
嫉妬に身を焦がす恋愛はこりごり。
だから、仲の良い同期のままでいたい。
そう思っているのに。
今までと違う甘い視線で見つめられて、
“女”扱いしてるって私に気付かせようとしてる気がする。
全部ぜんぶ、勘違いだったらいいのに。
「勘違いじゃないから」
告白したい御曹司と
告白されたくない小ボケ女子
ラブバトル開始
君がたとえあいつの秘書でも離さない
花里 美佐
恋愛
クリスマスイブのホテルで偶然出会い、趣味が合ったことから強く惹かれあった古川遥(27)と堂本匠(31)。
のちに再会すると、実はライバル会社の御曹司と秘書という関係だった。
逆風を覚悟の上、惹かれ合うふたりは隠れて交際を開始する。
それは戻れない茨の道に踏み出したも同然だった。
遥に想いを寄せていた彼女の上司は、仕事も巻き込み匠を追い詰めていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる