オフィスにラブは落ちてねぇ!!

櫻井音衣

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大嫌いな男

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愛美は自宅の最寄り駅より二つ手前で電車を降りて、行きつけのバーへ足を運んだ。
前に勤めていた支部がこの近くにあり、1年半ほど前に会社帰りにたまたま通りかかって店に入ったのが、ここに通うようになったきっかけだった。
マスターは落ち着いた大人の男と言う感じの人で、愛美がボロボロに傷付いて初めて一人で店を訪れた時から、つらかった過去の話を優しく相槌を打ちながら聞いてくれた。
ああしろとか、こうするべきだとか、特別な事は何も言わないけれど、人付き合いが下手で傷付いてばかりいる愛美を、否定せず受け入れてくれた。
それ以来、愛美にとってこの店は、一人でも気軽に立ち寄れる心の拠り所のような場所になった。
バーで酒を飲みながらマスターと話していると、時々ここで顔を合わせる常連客と会って、なんとなく一緒にお酒を飲みながら会話をしたりもする。
お互いに相手を深く知ろうとはしないが、それも面倒な人付き合いに疲れた愛美にとっては心地がよかった。
人と深く付き合えば、いつも傷付く。
それは恋愛だけでなく、友人関係にしてもそうだ。
信頼していた人に裏切られたと気付いた時のショックは計り知れない。
昨日まで一緒に笑っていた友人に彼氏を寝取られたり、頼ってくれていると思っていた友人に、内心では頼めばなんでも言う事を聞く都合のいい馬鹿な奴だと思われていたり。

社会人になってからは仕事や結婚が絡んでくる分、学生時代のような気楽な人間関係ではなくなったように思う。
社内恋愛のカップルが、同じ部署で付き合っていることを会社の上層部に知られて勤務先を引き離されたとか。
一人の男性社員を二人の結婚適齢期の女性社員が取り合っていて、職場の空気が最悪だとか。
既婚者の上司と若い女性社員が不倫の関係で、それが上司の奥さんにバレて泥沼だとか。
勤続年数が長くなるにつれ、支社や他の支部の事まで、聞きたくもない恋愛絡みの噂が多く耳に入ってくるようになった。
愛美はそんな噂を聞くたびに、社内恋愛なんて面倒な事だけは避けようと思っていた。
社内恋愛が禁止されているわけでもないのだが、同じ職場に恋人がいると周りに知られた後がめんどくさい。
根掘り葉掘りいろいろ聞きたがる者や、余計な気を回して気まずい思いをさせる者もいる。
『オフィスラブ』なんて言い方をすれば、なんとなく響きも違って甘美な物に思えるかも知れないが、蓋を開ければこんな物だ。

会社は賃金を得るために労働する場所であって、異性との出会いや恋愛を求めて来る場所ではない。
そこにあるのは仕事としがらみと面倒な人間関係だけだ。
『オフィスにはラブなんて落ちていない』
それが愛美の持論だ。

社内恋愛なんてしない、と思う以前に、そもそも今の職場にはそんな出会いも落ちていない。
若い男性社員が数多くいる支社と違って、今の勤務先は支社ではなく支部だ。
30名ほどの営業職員のほとんどが愛美よりうんと歳上のオバサマで、男性は大嫌いな緒川支部長と、歳下の高瀬FPしかいない。
過去の苦い恋愛経験から、歳上の俺様も、甘え上手なかわいい歳下も、どちらも恋愛対象にはならないし、向こうもきっとそう思っているだろう。
草食系で性格の穏やかな優しい人ならともかく、少なくとも自分の好みのタイプが肉食系の俺様でない事はたしかだなと思う。

愛美が社会人になってから付き合った男は3人。
自信過剰な俺様男。
女にだらしない調子のいいチャラ男。
部屋に転がり込んだ歳下のヒモ男。
若気の至りと言えばそれまでだが、そんなつまらない男との恋愛を振り返ると、ため息しか出ない。
今度はまともな男とまともな恋愛をしようと思いながら、付き合わないかと誰かに言われても、過去の恋愛の失敗を考えるとそれもまた面倒で断り続け、かれこれ1年半ほど彼氏がいない。
特に今すぐ彼氏が欲しいと思っているわけではないが、26にもなったのだから、もうそろそろ将来を見据えて行く必要もあるかなとも思う。
だけど、いまだに残る心の傷が、それを受け入れようとしない。
とは言え、いつまでも過去に縛られて前に進めないのもどうかと思う。
どこかにいい出会いが落ちてはいないだろうか。


カウンター席でウイスキーの水割りを飲んでいた愛美の隣に、一人の見知らぬ男が座って笑いかけた。
まったく見覚えのない顔だ。

「あのさ……良かったら一緒に飲まない?」

酒の勢いで口説こうとでもしているのか、ギラギラと獣のように愛美を見つめるその目から、明らかに下心が透けて見える。
でもその男は残念ながら愛美の嫌いなタイプだった。

「明日も仕事あるし、これ飲んだら帰る」
「そう言わずにさ、もう1杯だけ、一緒にどう?」

突然手を握られ、愛美は全身の毛が逆立つような悪寒を感じて、慌てて手を引っ込めた。

 (キモッ!!気安く触んなバカ!!)
「触んないで。帰る」

愛美は仏頂面で席を立ち勘定を済ませると、店の外に出て駅に向かって歩き出した。
男は愛美の後を追いかけてきて、ピッタリとへばりつくようにして愛美の横を歩く。

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