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大波乱の土曜日、悩める乙女は胃が痛い ~売り言葉を買ったらアカンやつがついてきた~

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「尚史……なんのためらいもなく……」
「当たり前だ。結婚費用全額負担してくれるなんて、こんなにオイシイ話はない。モモも書け、今すぐ。モモには迷ってる時間なんてないはずだろ?」
「う、うん……そうだね……」

確かに尚史の言う通りだ。
光子おばあちゃんを蝕む病魔は一刻たりとも待ってはくれないし、少しでも光子おばあちゃんの意識がハッキリしているうちに花嫁姿を見せてあげるには、ぐずぐず悩んでいる暇なんてない。
身内ではない尚史が光子おばあちゃんのためにここまで思いきってくれたんだから、孫である私が覚悟を決めなくては。
動揺を鎮めるためにひとつ大きく深呼吸した。
最初から私の目的は、光子おばあちゃんに花嫁姿を見せるために結婚することだった。
そんな私の気持ちを理解した上で、本当に結婚して光子おばあちゃんの願いを叶えてくれる人なんて、尚史しかいないじゃないか。
──大丈夫、なんとかなる。
尚史は自分の記入欄に署名と捺印を済ませた婚姻届用紙を私の方に差し出した。
尚史からボールペンを受け取り、『妻になる人』の記入欄にペン先を下ろす。
婚姻届なんて、実物を見るのはもちろん初めてだから、緊張してボールペンを持つ手が震える。
なんとか記入を終えると、母と洋子ママが保証人の欄に記入し始めた。
こんなときだけやたら仕事が速い。

「モモは帰ってそれに判子押して。今日の晩にモモのお父さんに挨拶に行くから、明日は役所にこれ提出しに行こう。そんでそのあと新居探しだ」
「えっ、早くない?!」
「善は急げだ。今後のこと考えると早い方がいいだろ?何か問題でも?」
「ないけど……」

あまりにもトントン拍子に話が進みすぎて、その勢いに私自身がついていけない。
そんな私を置き去りにして、母と洋子ママは『花嫁衣装はやっぱりウエディングドレスがいいわね』とか『新婚旅行は海外かしら?』などと話している。
あれ……?
何か大事なことを忘れているような……?
それがなんなのかを思い出そうとしても、事態が急転したことで混乱して、うまく考えがまとまらない。

「それじゃあ今夜はうちでお祝いね!そうと決まればごちそうの準備をしなくちゃ!お父さんにも早く帰って来るように連絡しておくわ」


喜び勇んだ母に引きずられるようにして尚史の家を出たあと、夕飯に必要な食材を調達するためにスーパーをハシゴして自宅に戻った。
母は家に帰るなりキッチンへ向かい、嬉々として料理を始める。
私には結婚なんて無理だからやめておけと言っていたわりにはずいぶん嬉しそうにしているところを見ると、もしかして『ヲタクな上に女子力0以下のモモは一生お嫁にいけないかも』と本気で心配していたのかも知れない。
そんなどうしようもない娘が結婚できるだけでも親として嬉しいのに、その相手が仲良しの洋子ママの息子である尚史だったから、余計にテンションが上がっているのだろう。
これも親孝行のうちか……?
なんとなくスッキリしないけど、尚史のおかげで光子おばあちゃんの願いを叶えてあげられそうだから、その厚意をありがたく受け取っておくことにしよう。


その日の晩、夏目家は祝いの宴で大盛り上がりだった。
尚史は中森家と夏目家の両親の前で『お嬢さんを僕にください』とまるきりテンプレで棒読みな挨拶を済ませ、いとも簡単に結婚の承諾を得た。
父に至っては『こんなどうしようもない娘をもらってくれてありがとう。いつでも持っていってくれ』と涙ながらに尚史の肩を叩いた。
大事な一人娘をそんなに簡単にくれてやっていいのか?

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