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番外編 それぞれの傷・永井視点

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「は? 今なんて言った?」

 平日の昼間、ナチュラルテイストの店内で、対面に座る男は店に不釣合いな声を上げ、眉間に皺を寄せた。

 十五年前、私がゲイコミュニティで知り合った男だ。

 男はそこそこ綺麗な顔をしていた。学生だった彼は学費を稼ぐために休学していて、本末転倒なことになっていたので、援助を申し出てそのまま付き合うことになったのだ。

 出会った頃はかわいかった。生活費が浮くからと私の家に引越しもした。彼は素直に甘えてきて、私の世話焼きな性格にも呆れつつ、受け入れてくれていたと思う。いつか返すからと復学し、順調に単位を取得していた、はずだった。

 けれど、なぜかそのうちバイトにも行かなくなって、いつの間にか学校も退学していた。私の前では横柄な態度を取ることが多くなり、大学を辞めたなら就職しなさいと促しても、ゲームをしながら酒タバコを飲むばかりだった。

 その頃になってようやく、私は金ヅルなのだと理解する。

 そうと分かれば付き合う義理はない。そこに恋愛感情がないのなら、いくら彼に奉仕しても響かないだろうから。

「だから、別れてくれと言っている」
「何で? 和博は恋人が欲しいんだろ?」

 外でこんな話をするのには理由がある。家だと怒鳴り散らし、こちらの話を一切聞かないからだ。案の定話は聞いてくれるが、横柄な態度はいつも通りだ。

「何が不満なんだよ? 世話させてやって、セックスもして……俺はあんたに与えてばっかだけど?」

 あんたは俺に何かしてくれたか? と彼は言う。出会った頃の彼だったら、絶対に言わないセリフだ。そしてああ、と合点がいく。

 彼は初めから私の金が目当てで、猫を被っていたのだと。

「好きな人ができた。だから別れてくれ」

 そう言うと、彼は驚いたような顔をした。それから片眉を上げて笑う。その反応で、やはり私は好かれてなどいなかったのだな、と分かった。

「せっかくいいATMが見つかったと思ったのに……。ま、五年はもったからいい方か」

 彼はそう言って立ち上がると、じゃあな、と去ろうとする。

「待て、このままどこかへいくつもりか? 荷物は?」
「あんたにあげるよ。別の場所にもあるし」

 さらりと浮気発言をして奴は去っていく。他のひとのところにも行っていたなんて、とことん私は鈍いやつだな、と彼が見えなくなったあと頭を抱えた。

◇◇

「……」

 十年前の苦い記憶が蘇り、私はため息をついた。今まで忘れていたのに、どうして急に思い出したのだろう。答えは明白だ、ヨウが私の過去に触れそうになったからだ。

 流されて、雰囲気で付き合った元彼とは違い、ヨウに対しては、初めての衝動といってもいい程の強い感情が溢れてきた。それは長年社長業をやっていて、自制心もついたと思われた私の心を一瞬で砕き、思考全てが『小井出遥』で埋め尽くされるほど。

 そこそこの年数生きてきたが、あんなに綺麗でかわいくて、同じ人間とは思えないひとを見たことがなかった。それくらい、私にとってヨウは完璧だったのだ。

「あの、和博さん?」

 遠慮がちに聞いてくる声すら愛おしい。私はヨウの張った背中をマッサージしながら、ヨウの言葉を促す。

「もう結構な時間やってもらっちゃってるけど……疲れたならいいよ?」

 考え事をしていたのを、疲れたと捉えたらしいヨウ。元彼がアレだったのもあり、ヨウはなんて優しいんだ、と感動する。心の中で。

「いや、まだ十分ほぐれていない」
「そう? なんかいつもありがとう」

 ふああ、とヨウはあくびをした。マッサージのせいで眠いのか、力が抜けた声もかわいい。そんな声が聞けるなら、私はいつでも、どれくらいでもマッサージをしよう。

 うつ伏せに寝たヨウの上に跨り、背中のコリをほぐしていく。細身に見えて実は筋肉が付いているヨウは、後ろから見ても惚れ惚れするほど美しい身体つきだ。

 その綺麗な背中の下には、こちらも丸く綺麗なお尻がある。こちらは柔らかく肌もスベスベで、思わず頬ずりしたくなるほど。……おっと、下半身が反応しそうになった。意識を上半身に戻そう。

「ん……あー、気持ちいいー。……ほんと、和博さん上手だよね……」

 力の抜けたヨウの声と、勘違いしそうな言葉に、私の下半身がハッキリと反応してしまった。いや待て、今はヨウの疲れを癒さないと。

 でも、このほんのり赤いヨウの耳を舐めたら? 彼はどんな反応をするだろう。肩を竦めてこちらを見て、戸惑いと期待の目で私を見るヨウを想像した。

「……いい」
「え? 何が?」

 いい。すごくいい。かわいい。堪らない。

 妄想なのにあまりの破壊力で、私の下半身は完全に熱くなってしまった。体勢を変えるふりをして、ヨウのぷりんと上がったお尻に私の腰を押し付けると、案の定戸惑ったヨウが振り返る。

「え、何で和博さん、勃って……」
「ヨウがかわいくて」
「え? マッサージしてただけだよね? って、あっ」

 びく、とヨウの背中が反った。私が後ろから、腰をお尻に擦り付けるような動きをしたからだ。柔らかいヨウのお尻はやはり最高の触り心地で、この狭間に挟まれてみたい、と腰をグリグリ押し付ける。

「ちょっと! 明日もあるから!」
「明日は午後からだな。十時間はある」

 私がそう言うと、ヨウはうっ、と言葉に詰まった。ヨウのスケジュールはヨウより把握している。だから時間を理由に逃げることはさせない。

「……本当に嫌ならやめよう」
「……ずるい」

 ヨウは口を尖らせて前を向いてしまった。……その尖った唇もかわいくて食みたい。

 この家に引っ越して来た頃のヨウは、借りてきた猫のようで、私の顔色を常に窺っていた。本人は無自覚かもしれないが、それが彼の母親にずっと向けられていたのかと思うと、胸が締めつけられる。

 けれど、ここでの生活も慣れてくるにつれ、ヨウは本来の甘えん坊な性格が顔を出してきた。私からのスキンシップも、次第に戸惑うことなく受け入れてくれるようになる。

 それがまた天使かと思うほどかわいい。

 明るく、傲岸不遜に振る舞う『小井出遥』もいいが、この大人しくおずおずと近付いてくる小動物のようなヨウもいい。しかも、それを知っているのは私だけとなると、あの木村さんに対して優越感を覚えるのだ。まあ、木村さんは私に対して何とも思ってはいないと思うが。

 そんなことを思いながら、ヨウの耳にキスをすると、ヨウは肩を震わせる。相変わらず敏感でかわいい。

「か、和博さん……」

 遠慮がちなヨウの声がした。

「手加減、してよ?」

 赤く染まった頬を見せ、上目遣いでそう言われたら手加減なんてできやしない。私は「分かった」と嘘をついて、ヨウの服を脱がせた。
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