澄んだ声、重なる指先

大竹あやめ

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1 榛色と白

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「高岩さん、ですね。わたくし、採用担当の田口と申します」

 数日後、真澄は家事代行スタッフ派遣会社の事務所にいた。人が良さそうな笑顔を浮かべた女性は、真澄を席に促す。

「高岩と申します、よろしくお願いします」

 真澄が挨拶をして席に着くと、田口は「早速ですが」と身を乗り出す。

「高岩さんいつから出勤できます?」
「え?」

 今日は確か面接じゃなかったか、と面食らうと、田口は笑みを深くした。それなのに彼女からはとてつもない圧を感じて、真澄は何となく身体を引く。

「ベテランさんがお孫さんの世話で腰を痛めてしまって出勤できない状態であれまぁどうしましょうと困っていたところに高岩さんからご連絡いただいてこれぞまさに渡りに船! と思っていたところなんですよそれで……」
「あ、あのっ」

 笑顔を崩さないままひと息で話す田口に、真澄は慌てて両手を振って止めた。

「きょ、今日は採用していただけるかの面接では?」
「そーなんですけどねこちらとしてはベテランさんの抜けた穴は大きいと言いましょうかもう猫の手も借りたいくらいなので今すぐにでも高岩さんに来ていただいて即戦力として……」

 どうやら田口は、話しだしたら止まらないらしい。社内の事情までペラペラと話してしまうのはどうかと思うが、実際、そのベテランさんは多くのリピーターを抱えているようだ。事前のメールで軽くプロフィールを伝えてあったのもあり、一人暮らしをしている真澄なら、ある程度の家事ができると見込んで採用したいと田口は言ってくれた。なので、真澄は確認する。

「大学の授業の合間とか、終わったあと、それと土日の出勤で大丈夫ですか?」
「ええ、ええ、大丈夫ですともそれでは引き続き弊社との契約や仕事内容のご説明に入りましょうか」

 やはりひと息で喋る田口は、それでも契約についての説明や、注意事項などの話はわかりやすくしてくれた。こんなにすんなり次のバイトが決まるとは思わず、真澄は拍子抜けする。

「大丈夫ですよ最初は誰もが不安ですからねでは早速研修の動画を見て頂きましょうか」
「はあ……」

 この人は、喋ってて疲れないのだろうか、と真澄は思う。そして質問をしながら動画を見て、慣れるまでは短時間の単発依頼をこなしていきましょう、と言われた。

「とはいえご依頼主様のご自宅にお邪魔する訳ですからくれぐれも失礼のないよう……」
「ああ、はい……頑張ります」

 このマシンガントークは仕事に影響はないのだろうか。真澄はそう思うけれど、田口はこれがデフォルトのようだ。彼女は次に依頼があれば真澄にも回すようにしてくれるという。

「……って、ちょっとお待ちください早速ご依頼がきました……!」
「え……」

 田口はスマホ画面を見ながら、今までより数倍早口でブツブツ呟いていた。依頼はホームページのメールフォームから来るようで、依頼主のことや、依頼内容なども大まかにわかるらしい。

「ええ、ええ。ご依頼内容も高岩さんにピッタリですのでぜひお願いしたいのですが……!」

 そう言って、田口はスマホ画面を見せてくれた。そこには最低限の掃除と食材の買い出し、とある。確かに初心者の真澄でもハードルが低そうな依頼ではあるが、と田口を見ると、彼女は満面の笑みを浮かべていた。

「こういったご依頼からリピーターを増やしていくのです高岩さんはすぐに人気スタッフになるとわたくしの勘が言ってますもの……!」
「はあ……」

 どうしよう、採用されたものの大丈夫かな、と真澄は心配になってきた。
 田口は早速依頼主と連絡を取ると息巻いていて、詳細が決まり次第、連絡をもらうことになった。
 真澄は事務所から出ると、その足でバイト先のスーパーに向かう。新しいバイト先が決まったので、辞めると伝えるためだ。
 大学進学と共に始めたバイトだった。新生活、やるしかないと奮い立たせて入ったので、多少雰囲気が悪くても耐えてこられた。けれど減給されては死活問題だし、視覚障がい者に白杖を使うなと、店ぐるみで言うような所にはいたくない。
 ――偽善者。
 真澄はグッと息を詰める。違う、これは偽善なんかじゃない、と自分に言い聞かせる。
 これで店長やパートさんに嫌なことを言われることもないし、内藤が来て好き勝手やることもなくなる。

(あと……)

 脇崎にも会うことはもうないだろう。すぐに謝る癖は長年染み付いたものだし、そう簡単には変えられない。人の短所やコンプレックスをズバズバ言ってくるようなタイプには、近付きたくない。

(そう思っていたのに)

 数日後、田口と依頼者の自宅へお邪魔した時、真澄は運命や偶然を呪った。
 脇崎という名前を聞いた時、そこそこ珍しい苗字が何件もあるとは思わなかったけれど、どうか別人であって欲しいと願ったのだ。しかし真澄は今、鮮やかな青色のシャツを着た男に現実を突き付けられている。

「ええと、ご依頼主様は、りょう様のお父様でして……」

 真澄は案内されたダイニングテーブルに着き、内心白目を剥きながら、田口の話を聞いていた。
 依頼内容はメールと変わらず、最低限の掃除と食材の買い出し。家に稜がいるけれど、彼の介助と、彼の部屋の掃除はしなくていいらしい。
 珍しく田口は普通の口調で、稜に契約内容を説明していた。あくまでも依頼主は稜の父であり、契約については彼の父を通してもらうこと、と話している。

「ただ、逐一お父様に指示を仰ぐ訳にもいきませんので、現場では稜様の指示に従うように、と仰せつかっています。間違いないですね?」

 田口の確認に、稜は「はい」と頷いた。
 目の前にいる男は、稜と言うらしい。資料で漢字を見た真澄は真っ先に気骨稜稜きこつりょうりょうという四字熟語を思い浮かべた。ハッキリものを言う彼にはお似合いだ、と内心ため息をつく。

「もし、仕事上で何かありましたら、お気軽に仰ってください。もちろん、言いにくいことがあればわたくしでも、お父様を通してでも構いません」
「わかりました」

 稜は頷くと、田口は満足そうに微笑んで、あとはよろしくお願いしますね、と真澄にも笑顔を向けた。どうしてか、稜に向けた笑顔とは違って、目が笑っていない。

(リピーターにするのですよ……!)

 小声でそう言われて、なるほど、と真澄は納得する。

(でも、相手が脇崎さんだからなぁ……)

 あれこれ言われて、早々に辞めることにならないか、と危惧する。けれどこちらも生活がかかっているのだ、精一杯やるしかない。
 田口がお暇すると、早速沈黙がおりた。気まずくて、指示を仰ごうと口を開きかけると、先に発言したのは稜だ。

「あの、違ったら申し訳ないですけど。高岩さんって、スーパーで会った高岩さん?」

 その質問に真澄は意外だ、と思う。会ったのは数日前だし、稜も覚えているかと思っていたのに。

「えっと……そうですよ?」
「……ああ、良かった。声からしてそうじゃないかなって思ってたんです」
「……」

 それを聞いて真澄は、稜が視覚障がい者だということを改めて感じた。確かに真澄は、稜の顔や背格好で彼を覚えていたけれど、彼には本当に、声という情報しかないのだな、と納得する。

「まったく知らない相手より良いか。よろしくお願いしますね、高岩さん」

 前半の言葉は余計だ、と思いつつも、真澄も笑顔で挨拶を返す。

「早速ですが、家事代行をしていただくにあたって、注意事項があります」

 ハッキリとした口調で、稜は言った。こういう強い口調は、萎縮してしまうので苦手だ、と真澄は少しだけ肩を竦める。

「家にあるものは、動かしたら元の場所に戻すことを徹底してください」

 何でまた、と真澄は思った。最低限の掃除でいいなら、適当に戻しては駄目なのだろうか。

「……返事は?」
「……っ、はいっ」
「じゃあ、まずはこのリビングの掃除をお願いします。掃除道具は、階段下の収納です」

 俺は二階の自室にいるんで、と稜は立ち上がり、テーブルの端に指を滑らせながら歩き出す。本当は見えているんじゃないかと思うほど、稜はスムーズに柱や壁に指先を当てて、リビングを出ていった。

「……よし」

 やるしかない、と真澄は小さく気合いを入れると、早速制服であるエプロンを着ける。教わった場所に掃除道具を取りに行き、汚れが目立つところから手をつけていった。
 そこで気付いたことがある。家族が稜を置いて赴任先へ行った、と聞いた通り、数日間掃除をしていない雰囲気があったのだ。両親は視覚障がい者である稜を、なぜ置いて行ったのだろう?

(……って、僕はただの家事代行。踏み込まないようにしないと)

 変に同情して、助けたら大変なことになる。

「……っ、続き続き」

 危うく嫌な思い出が甦りそうになり、真澄は意識を切り替えた。掃除機をかけ終わると思ったより時間が余ったので、キッチンの掃除もしようと移動する。
 キッチンはカウンターの向こうにあった。いたって普通の家族が住む一軒家だが、どこもかしこも整理整頓されているのに汚れている。その矛盾が、何となく普通ではないと感じた。
 すると、稜が階段を降りてくる音がする。時計を見ると、そろそろ切り上げの時間だった。

「高岩さん、そろそろ……」

 どうやら稜は真澄を呼びに来たらしい。スッとリビングに入ってきたかと思うと、そのままダイニングの椅子に突っ込んだ。

「ぅわ……っ」

 派手に転んだ稜を見て、真澄は慌ててキッチンから出る。あれだけスムーズに家の中を歩いていた稜が、掃除をしたあと戻し忘れた椅子に、まさかぶつかるとは思わなかったのだ。

「大丈夫ですかっ? すみませんっ」
「いって……。高岩さん、俺が最初に言ったこと忘れてましたか?」
「すみませんっ、まさかそのままぶつかるとは思わず……っ」

 稜からは、呆れたような、怒ったような声がする。幸い怪我はないようで、彼はそのまま椅子を伝って座った。そして一つ大きなため息をつくと、わかりました、と呟く。

「とりあえず、今日はそろそろ時間でしょう?」
「す、すみません、本当に……」

 彼があまりにも家の中を難なく歩くので、最初の注意事項を失念していたことは図星だ。いくら苦手な人とはいえ、怪我までさせるつもりはないので真澄は落ち込む。
 これはもう事務所にクレームを入れられて、しばらくはバイトも入れさせてもらえないかな、と思ったのだ。生活がかかっているのにこの有様で、どうしてこんなミスをしたのだろう、と反省する。
 とにかく、時間が迫っていたこともあり、真澄はしっかり頭を下げて謝り、稜の家をあとにした。これはきちんと田口に報告しないと、と事務所に寄り、退勤処理をしたついでに田口に話しかける。

「あの、田口さん……」
「高岩さんすごいですねやりましたよ!」

 真澄の顔を見るなり、飛び上がりそうな勢いでやってきた田口は、見るからに上機嫌だ。訳がわからず固まっていると、彼女は真澄の両手を握ってブンブン振る。

「明日から! 毎日! 三十分からでもいいから来てくださいって脇崎様が!」
「は、え? 毎日?」

 確かにバイトに出られるのは、空いた時間と伝えていた。けれど、危うく怪我をさせるところだったのに、毎日来てくれと言われるとは。しかも今さっき別れたばかりなのに。
 稜の意図が読めなくて混乱する。今までの彼の態度だって、別段好印象を持たれている感じはしなかった。だから、と真澄は自分の気持ちに確信を持つ。
 あの人は、苦手だ、と。
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