澄んだ声、重なる指先

大竹あやめ

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7 重なる指先

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 ハッと目を開けると、目尻から涙が零れた。やはり夢だったらしい、と思っていると、左手が誰かに握られている。

「大丈夫か?」

 声がして、え? と思ってそちらを向くと、床に胡座をかいてこちらを見ている、稜がいた。手を握っていたのは稜だったらしい。

「え、なん……」

 どうして彼がここにいるのか。それにどうして手を握っているのか。そう聞こうとしたけれど、声が掠れて上手く話せない。

「田口さんに無理言って、二人で様子を見に来た」

 彼女はいま、必要そうなものを買い出しに行っているらしい。それにしても、どうやって家の中に入ったのだろう。そのまま聞くと、稜は手の甲で真澄の頭に触れ、そこから額を探して手を当てた。熱が高いな、と彼は小さく呟く。

「覚えてないのか。玄関の鍵を開けたものの、そのまま動けなくなった。田口さんが布団まで運んだよ」

 真澄が熱を出したことは、田口から聞いたのだろう。けれど、まさか稜がこの家に来るとは思わなかった。初めて来る場所だし、来ても物の場所すらわからないのに。躓いて転ぶようなものは置いていないけれど、と握られた手を見てハッとする。いつから手を握ったままなのだろう、と手を引こうとすると、稜は離すどころか両手で握ってきた。大きな手で包み込まれる感触に、ドキリとする。

「……昨日はごめん」

 そう呟いた彼に、一瞬何を謝られたのかわからなかった。それが、抱きつかれたことだと悟ると、手を引っ込めたくなる。けれどやっぱり稜はそれを許してくれない。

「しんどくなければ話してくれないか? どうしても納得できない」

 この期に及んでまたその話か、と真澄は思う。けれど今の真澄は反論する気力がないし、拒否する頭もなかった。ぼうっとする頭で稜を見つめていると、彼は眉を下げる。

「さっきうなされてた。……俺にそばにいて欲しいって」

 俺はここにいる。ずっといる、と言われて、真澄はまた視界が滲む。こうして目を向けてくれることが嬉しいなんて、久しく感じることもなかったなと思う。目が不自由な彼だけれど、真っ直ぐ真澄を見てくれる。そう思ったら胸がきゅう、と締めつけられた。

「……これ以上稜に依存したくないんだ。自分がされて嫌だったのに、同じことを稜にしそうで……」
「依存だなんて思ってないよ」

 稜はそう言う。けれど真澄は首を振った。

「僕……重たいんだよ……。稜と咲和さんが指点字で会話してるのが嫌だった。そんな当たり前のことすら許せないんだよ?」

 これのどこが重たくないの? ウザイでしょ、と真澄は目尻から涙を零す。

「……やっぱりそこだったか」
「コミュニケーション方法はいくらでもあるのに、どうして指点字で会話する必要があるんだ? とか、盲ろう者と話す時はそれが普通なんだから触るななんて言えない、とかそんなことを考えて……」

 嫉妬や秋波を送ることはみっともなく、相手にとって迷惑な気持ちや行為だと、真澄は身をもって知っている。だからこそ話したくなかったし、せめてこの感情が収まるまで稜から離れたかった。
 それなのに今、稜がここにいてくれて嬉しいと思っている。心配して来てくれたのに、真澄はそんな彼に際限なく甘えてしまいそうで怖かった。

「……そっか」

 しかし、稜から返ってきたのはそれだけだ。どうして、と真澄は稜を見る。
 彼の瞳は穏やかだった。真っ直ぐ真澄を見つめて、なんなら微笑んでさえいる。なぜそんな表情でいられるのか、不思議だった。

「どうして? 嫌でしょ、こんな感情向けられて。少なくとも僕は嫌だった」

 頭が痛くなってきて、真澄は目を閉じた。すると急激に意識が落ちそうになり、なんとか堪える。

「……そっか。真澄にとって好意は、相手の迷惑になるものだった? って、そっか……そうだよな」

 一人で納得したらしい稜は、真澄の手を力強く握った。温かい手に酷く安心して、はあ、と息を吐くと同時に、また意識も落ちていきそうになる。
 元同級生といい、内藤といい、向けられた好意は真澄にとって危害が及ぶものだった。だから自分もそうなりたくないと、思っていたのに――……。
 沼に沈むように意識が落ちていく。

「これ以上、すきに……なりたく……ない……」

 好きになったら、きっと全部独り占めしたくなる。束縛して、自分だけを見てとせがみ、他人との接触を許さないだろう。――元同級生のように。

「……ありがとう」

 けれど静かに話を聞いていた稜は、そう言って真澄の手を彼の唇に当てた。しかし真澄は、反応ができないほど深い眠りに落ちていく。
 完全に意識が途切れる瞬間、温かい手が頭を撫でてくれた。

◇◇

 次に目が覚めた時は、まだ怠さは残るものの意識はハッキリとしていた。

「……起きた?」

 声がしてそちらを見ると、稜がそばに座っている。真澄は状況が飲み込めなくて狼狽えた。

「え、あの……」
「この説明二回目だけど。田口さんと様子見に来た。調子はどう?」

 そうだった、と真澄は慌てる。仕事を休んで迷惑をかけた上に、家にまで来てもらうとは、と布団の上に座る。

「なん、なんで……?」

 真澄の戸惑いをよそに、稜の表情は穏やかだ。そういえば、さっきもこんな優しい顔をしていたなと思い出し、ついでに自分が恥ずかしいことを口にしたのも思い出した。

「り、稜っ、あの、……さっきの……っ」
「とりあえず、身体が回復するまで寝てな。体温計も田口さんが買って来てくれて、そこのビニール袋に入ってる」

 あと、夕方か夜にもう一回来るって言ってたぞ、と言う稜は、ぎくしゃくする前と変わらない。平静な彼に対し、真澄はもっと慌てる。

「で、でもっ、風邪うつしたら悪いから……!」
「悪いけど、俺も田口さんも、真澄が回復するまでそばを離れないから」

 俺は全然真澄の役に立てないけどな、と笑う稜。いてくれるだけで良い、と喉まで出かかって、真澄は唾を飲み込む。声の代わりに、ぐっ、と喉の奥で潰れたような音がした。

「真澄」

 稜が手を伸ばして、手の甲で真澄の頬に触れる。それからそっと手のひらでそこを撫でられた。

「嫌なら【嫌だ】って言って?」

 優しく甘い声。けれどどこか懇願のような感情をその声から感じて、真澄は俯く。
 ――ずるい。真澄が【嫌だ】と言えないのをわかっているくせに。真澄は熱だけのせいじゃなく顔が熱くなって、耳まで赤くなっているのを自覚する。
 けれど真澄は首を振った。認めるのが怖い、元同級生のように相手を求めてしまいそうで怖い。この関係を壊したくない。だからいっそ、なかったことにした方がマシだ。
 けど、だけど……それでも稜は柔らかく手を広げて、いつでも来いと待っていてくれるだろう。稜はそういう人だ。自分は彼のそういうところに憧れたのではなかったか。
 外見で人を判断せず――物理的にできないだけでなく――否定せずそばにいてくれる。それは真澄にとって、貴重な存在だと何度も思ったのに。
 そんな稜を、どうして手放すことができる?

「……嫌だ……」

 小さな声で呟くと、稜はふはっと噴き出す。

「全ッ然説得力ないな?」

 頬を撫でていた手でそのままそこをつねられた。力は弱いけれど、真澄の胸を締めつけるには十分な強さだ。

「稜……っ」

 締めつけられた胸から感情が溢れ出し、涙もついでに溢れる。もうこの想いは止められない。

「稜が好き……。だから重くなりたくない……稜の負担になりたくない……っ」
「ん……」

 よく言えました、と稜は頭を撫でてくれる。
 本音を話す時涙が出てしまうのは、そうまでして訴えないと聞いてもらえなかったからかな、と彼は苦笑した。思えば自分の気持ちを素直に言葉にしたのも久しぶりで、どこまで彼はわかっているのだろう、と不思議に思う。

「真澄、隣に来てくれるか?」

 ここに、正座で、と示された場所に真澄は座ると、太ももの上に手を置くよう言われた。稜は真澄の両手を探って握り、指先を重ねる。この体勢は……指点字だ。そして稜は五文字、タップした。真澄がわかるように、ゆっくりと。

(……お、れ、も……。え? おれも、す、き……?)

 無音の空間、重なった指先は確かにそう【言った】。思わず稜を見ると、彼は嬉しそうにこちらを見ている。

「伝わったか?」
「え、……え? 本当に?」

 もしかしたら、真澄の訳が間違っているのかもしれない。そう戸惑っていると、稜は再び指をタップした。今度は訳付きで。

「お、れ、も、す、き。……真澄が好きだよ」
「……っ」

 言葉の後半にはギュッと手を握られる。途端にまた溢れてきた涙を隠そうと俯くと、稜の手が真澄の背中を辿ってきて頭を引き寄せられた。親密な距離感にドキドキしたけれど、同時に彼の体温に酷く安心して、涙が止まらなくなる。すると稜は、慰めるように頭や背中を撫でてくれた。

「どうして? 僕、めんどくさいよ……?」

 ポロポロと泣きながらそう聞くと、そうだな、と稜は笑う。

「どうしてって言われると困るけど。真澄の声は聞いてて心地良い。気持ちが優しくなる」

 それに胃袋掴まれてるしな、と彼は茶化した。真澄は小さく笑いながらも、涙は止まらない。
 そうだった。稜は自分の気持ちを真っ直ぐ伝えられる人で、そこも良いと思っていたはず。こんなふうに自分のことを伝えられたら、と思っていたのに、自分は稜から逃げようとした。両想いには絶対になれないと思っていたから。

「……ん? まって。じゃあ稜の片想いの人って……」
「……そこまで説明しないとだめか?」

 さすがに恥ずかしい、と言われ、真澄は慌ててごめん、と謝る。すると稜は声を出して笑った。

「もう……その謝る癖もかわいいと思っちまうから重症だよな」
「……」

 真澄は思わず稜を見上げた。涙もびっくりしたのか止まって、顎から一滴ポトリと落ちる。

「うーん……なんて言うか、小動物?」
「何それ」

 前言撤回、と真澄は思った。稜は思ったことをストレートに言うけれど、こういうところは少し慎んで欲しい。

「触るな、って毛を逆立ててるくせに、懐くとめちゃくちゃ甘えてくるみたいな?」
「――もう!」

 さらにからかう稜に、真澄は思わず声を上げて膝を叩いた。いてっ、と声を上げた稜はまだ笑っている。

「そのくせ甘えるの下手で、距離感掴めないから一人でグルグルしてる」
「もういいから!」

 どうしてわかるんだ、と稜を止めると身体がふらついた。ああほら、急に動くから、と稜は自分の身体に真澄を引き寄せる。嗅ぎなれたはずの稜の服の匂いに、安心してはあ、とため息が漏れた。

「……しんどそうだな。熱また上がったか?」
「だとしたら稜のせいだよ……」

 ごめん、と謝る稜の声は明るい。少し前の、稜と過ごす時間が楽しいと思っていたころに戻ったようで、真澄も笑う。

「……ほら、横になってな」

 背中を軽く叩かれ、促されるまま再び布団に横になった。自分が寝ていても稜は暇なのでは、と見ると、また手の甲で頬に触れられ、額に手のひらが当てられる。文字通り手探りだけれど、心配してくれているのがわかって、真澄は稜の手を取った。そして自らその手を頬に当てる。少し冷たくて気持ち良い。そう思ったらすぐに眠たくなってきた。

「稜……来てくれてありがとう……」

 霞む意識の中そう言うと、稜がくすりと笑う声が聞こえた気がした。
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