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第1-2話 フルム・フォンテイン

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「はぁ……。本当に自分でもどうかしているよ」

 自宅から一時間ほど歩いた場所で、1人後悔をしていた。

 こんな場所で何してんだ。
 今からでも帰った方がいいんじゃないか?
 頭の中に浮かぶ言葉たちが、僕を責める。

「本当にそうだ。何してるんだよ」

 願いを叶える祠なんて嘘に決まってる。考えるまでもなく当然だ。なのに、何故僕は数時間も歩いて目指しているのか。
 目的地までの距離は長い。
 まだ、あと半日ほど歩く必要がある。

「僕が【魔法】も使えてお金を稼げたらな」

 お金があれば馬だって借りられる。けど、僕の手持ちでは厳しかった。
 野菜を育てるだけでは、生活をするのがやっと。畑だって【魔法】を使って耕す農家が多い中、手作業で育てているのは僕と叔父だけ。
 叔父も【魔法】を使えるけど、僕に気を使ってか【魔法】を用いるのを辞めた。
 そのことが、僕の足を進ませる。

「……。でも、行ってみよう」

 例え本に記されていた事が嘘でも縋《すが》りたい。
 普通の人間として暮らすために。





「……着いた」

 半日ほど歩いた僕は【願いの祠】がある森にやってきていた。日は既に暮れ、森は人を拒絶するように漆黒を纏い、木々を揺らして不気味に威嚇する。
 森の広大な闇を借りた獣達が、自分の縄張りを主張するかのように吠える。

「……今日はここで夜が明けるのを待とう」

 夜の森に入るほど、流石の僕も馬鹿じゃない。
 夜は獣が活動する時間帯。
 何度、畑が夜の内に荒らされたことか。
 僕は森から離れた場所で、休息を取れるようなスペースがないか探そうと背を向けた。すると、「ぼやぁ」と、背中越しでも森が光ったのを感じた。

「なんだ……?」

 慌てて振り返ると、やはり、森の奥深くから眩い光が発せられてた。
 僕を誘うかのように淡く点滅する。

「まさか……本当に!」

 僕の願いが――【魔法】が使えるようになるかも知れない。
 そう考えると足が勝手に走り出す。
 光に向かって森の中を駆ける。
 森に入って数分。
 道しるべにしていた光が唐突に消えた。

「え……?」

 光を見失った僕は、ぐるりと周囲を見渡す。
 けど、そうすることで余計に方向が分からなくなってしまった。

「ど、どうしよう……」

 獣に襲われたら、力を持たない僕は直ぐに餌になることだろう。
 不安を押し殺してその場に座る。
 大人しく日が登るのを待とう。

 ――だが、野生はそこまで甘くない。
 僕の――餌の匂いを嗅ぎつけたのか、一匹の獣が草木を掻き分けて姿を見せた。

「オオカミ!?」

 獰猛な性格で、鋭い牙は人間の骨すらも砕く強度を誇る獣。
 一度、狙った獲物は決して逃さない脚力と嗅覚を持っている。

「どうしよう……」

 口から垂れる涎、「ハッハッ」と、荒い息で繰り返される呼吸は獣特有の臭さを含んでいた。
 僕は思わず数歩下がる。
 獣は一定の距離を保つように静かに動く。人間である僕のことを警戒しているのか。ならば、このまま、去ってくれと願うが、僕の祈りは届かない。

「ガアッ!」

 オオカミは大きな口を開いて僕の頭部に齧《かじ》り付こうとする。
 両手を頭の上で交差させて防御をするが、鋭い牙を前にすれば防御にもなりはしない。食べられる順番が頭から腕になるだけだ。

 目を瞑り、痛みを覚悟するが、オオカミの牙はいつまでたっても僕を貫くことはなかった。

「いつまでそうしているのかしら? 私の颯爽とした登場を見逃すなんて、罪深いわね。なんて助けがいのない子なの?」

 こんな夜中で森の中。
 聞こえるはずのない女性の声が耳に届いた。
 僕が目を開くと、そこには闇夜の中で、【火】に照らされた少女が、僕の前に立っていた。

 闇夜の中でも揺らめく美しい黒髪。
 手の平に浮かぶ炎の光を反射させる白い肌。
 知的の中に冷たさを感じる視線。

 この森に済むとされる【神】は、もしかしたら彼女なのかもしれない――。

「ありがとう――ございます」

 僕は彼女を敬うべく、両手を地面に付けて頭を垂れた。

 ムギュ。

 女神は僕の頭を迷うことなく踏みつけた。
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