鬼伝・鈴姫夜行抄

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番外編

『言えぬ想い、消えない願い』 [前]

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『言えぬ想い、消えない願い』



「―――…ですか、センセイ……?」


 現像中の写真を見つめたまま硬直していた僕の様子に気付いたのか……背後から、助手である渡部わたべ俊明としあきクンが、呆れたように…深々としたタメ息と共に、それを訊いた。
「今度はたんです?」
 そして肩越しにヒョイっと僕の手の中を覗き込む。
 自分の目の高さに摘まみ上げていたは、何のヘンテツも無い、只の風景写真だ。――― 一応は。
 なのに、それを“只の風景写真”では無くしている“モノ”が、ナゼかは知らないが、堂々と写り込んでしまっている。
 そろりそろりと渡部クンを振り返りつつ……手を更に上に上げて、その写真を、彼の目線の先にまで、近付けた。
 近付いたそれを覗き込んで、彼が微かに眉をひそめると同時……小さくヒトコト、僕は呟く。


「―――どうしよう…? 轢き逃げ犯の車、バッチリ映っちゃってるんだけど………」







「ホント、もう、何なんだかなあ……」
 長椅子へドサッと身体を投げ出して座り込みながら、大きく深くタメ息を吐く。
 手の中には、今しがた現像して出来上がったばかりの写真。
 目の上の高さにそれを掲げて……再び深いタメ息ひとつ。
「こりゃあ、もう……マジで肩書き〈写真家〉にした方が、いいかもしんないぞぅ……」


 見上げた手の中の写真は、全く只の風景写真。
 ついこの間、僕が撮ってきたものだ。
 だが、そこには、あからさまに“風景では無いモノ”が、しまっている。―――明らかに“過去の出来事”が。


 ぐにゃりとひしゃげたガードレールに車体を擦り付けるようにして、一台の乗用車が停車している。
 その車体の下、後部タイヤの影から伸びているのは……、―――人間の腕。しかも、まだ小さい子供の手。


 ―――明らかに……人間が轢かれたと判る、“現場”の………。


 僕は……ただ“”を撮りたかっただけだ。
 その場所で、過去に“轢き逃げ事件”があったことは、僕も知っていた。――というより、“場所”が教えてくれた。
 道路の脇の歩道…既に補修されたガードレールのたもとそなえられた小さな花瓶と。そこに活けられていた、供えられた弔花の束が。それを雄弁に物語っていた。―――“犯人”がまだ捕まっていないことを知ったのは、しばらく後のことだったけど。
 少し離れた場所に在る街路樹の中の一本のもとに立った時……そこから、その花瓶と花が、小さく鮮やかに、まるで射るように、僕の視界の中に映えた。
 と同時に、思った。――この樹は、ここから全てを見ていたのだな、と。
 思ってしまったら、すべてを知っているこの樹が、まるで供えられた花を眺めては亡くなった子供を悼んでいるようだと……そんな気がして。
 ――だから、その樹の“目線”を撮りたくなった。
 樹の目線から、そこに映る花瓶の花を、撮りたくなった。
 ただ、それだけのことだった。


 なのに撮った写真には、樹の“目線”どころか……“記憶”までもが、写り込んでいた……―――。


 現実の風景に被さるようにして写っているは……明らかに、樹が見ていた“現場”だった。
 実際、その樹が在る場所からなら、事故は、この写真に写ったように見えていたに違いなかった。――それほどのリアル。
 だって、こちらに後ろを向けた乗用車のナンバープレートの番号まで、くっきりと鮮明に写っているのだ。
 何食わぬカオで“証拠写真”としてコレを警察へ提出してみれば、この“迷宮入り”になりかけの事件にも解決へ向けて一筋の光明が差し込むだろう。
 ――車体の下の子供の手と、供えられた花が、重なって写ったりなどしていなければ………。
 拉げたガードレールが、真っ直ぐな現実のそれと並行して並んでいるのは……多分、補修の際にでも位置がずらされたからだろう。事故当時よりも、歩道が幾分か広くなっているから。
 こんな、“現在”と“過去”が共存している写真、なんて……、―――“証拠”として提出できるハズも無い。


「ホントに……どうしたっていうんだろう、突然……」


 こうやって……僕の写真の中に“異物”が混じり込んでしまうことは、もはや“初めて”では無かった。
 別に“事故現場”を写した写真に限ったことではない。
 どんな場所を撮っても……その場所の“残留思念”とでもいうべきモノが写り込んでしまうようになったのだ。まあ…その場に“残留”してしまうホドの強さの“おもい”に、限られるんだろうが。――それこそ、事故の映像ばかりじゃない。おそらく自然の木々やら生物やらが持つ“思念”らしきものが写ることも、間々あった。
 渡部クンが呆れて「またですか?」と言うくらいだ。一回や二回、なんてモンじゃない。…既に“何度も”の域に達している。放っといたら“日常”になってしまうんじゃないかなーレベルで、それは頻繁に起こっている。ここ三ヶ月ずっと。
 そう、僕の写真に突然こんな“異物”が写り込むようになったのは、―――だいたい三ヶ月ほど前からのことだ。


 ―――そうか……そろそろ三ヶ月が、経ってしまうんだ………。


 僕が不可思議な体験をしてから。
 に、出逢ってから……―――。







 まだ駆け出しだがプロの写真家カメラマンである僕は、ちょうど三ヶ月ほど前、出版する写真集のための写真を撮りに、旅へと出ていた。
 その旅先で……僕は“再会”をした。―――ずっと捜し求めていた…十年前に出逢っただけの、名も知らぬ少女と。


 彼女は、連れの“兄”である少年と共に、人を…『半身とも言える大事な人』を捜しているのだと、言った。
 そのために、これから何処どこに行くのかもわからない、当ても無い旅の中を彷徨い歩き続けているのだと……自身の時間ときまでをもとどめて………。


 ―――“再会”した彼女の時間ときは……十年前から、全く進んではいなかったのだから………!!


 いまだ少女のままの姿を留める彼女は、自分を『妖魔ようまを狩る者』だと言った。
“妖魔”とは、人間ひとの心の闇に棲まう、実体を持たぬ“影”だと……だから、人間ひと肉体からだを“うつわ”として纏うのだと……それを教えてくれた。
 僕は実際、いたらしい。
 彼女が追っていた妖魔が、その追尾の手から逃れる際に、たまたま近場で写真を撮っていた僕を見つけて苦し紛れに次の“器”としようとした。…というのが、事の顛末らしかった。
 手にしていたカメラを“媒介”にし、眼から通じて僕を我がものとせんと働きかけたのだと……彼女は、後から説明してくれた。
 事実、僕はファインダーを覗き込んでいた眼に突然なんの前触れも無く“刺し貫かれるような痛み”を感じたし、そして、自分のカラダが思うように動かせなくなる…正に何者かに“肉体カラダを乗っ取られる”という感覚までも、味わった。――何らかのものにいたことは、確実だった。
 しかし、どうやら僕には、妖魔が寄生できるだけの“内に秘めた闇”というものが、少なすぎたらしい。
 だから結局、僕を“器”にしようと目論んだ妖魔とやらは、それを為せず、よって媒介にしたカメラを通してムリヤリ僕の心の内に自身が寄り付けるだけの“闇”を作ろうとした。
 ―――そのエサにされたのが雛子ひなこだった。
 雛子は、僕の恋人なのだが……その時は、些細なイザコザが原因で僕たちの仲は上手くいっておらず、撮影を名目にして彼女から逃れるために旅に出ていた、…そう言っても過言では無い状況にあった。
 そんな僕には……目に見えない彼女の“想い”とやらが、絡み付いていたらしい。
 それを利用されて、心の中に入り込まれた。――僕自身が、そのことにすら気付けなかったほどに。悟る隙さえ無かったほどに。
 今にして思うと、それは完璧な精神操作マインド・コントロールだった。こんなのを平気でやられちゃあ、心に“闇”なんてモノを抱え込んでいる人間には、とてもじゃないけど逆らえるすべなんて無いだろう。――そういうことを簡単にやってくれちゃうモノだからこそ、妖魔…“あやかし”と、人間ひとは呼ぶのだろうけれど。
 そうして、妖魔の意のままに心を手放しかけてしまった、そんな僕を……救ってくれたのが彼女だった。
 僕の内側に巣食っていたそれを、彼女は消し去ってくれた。
 自分は妖魔を狩り、そして宿命さだめ”だから、と……そう、言って……―――。







 フと人の気配を感じ、振り返ると……いつの間に来ていたのか、背後に渡部クンが立っていた。
「昼メシ買ってきましたよ」
「…ああ、ありがとう」
「――まだ見てるんですか、それ?」
 言いながら、座った僕の正面に回りこんでくると……まだ手にしたままだった例の写真に視線を落とし、ポツリと、それを呟いた。


「やっぱり……先生のは、…なんでしょうか………」







 僕は、その時に撮っていた彼女の写真を、…十年前に初めて出逢った時の写真と共に、写真集へ載せた。
 それが、ひょっとしたら何処かでこの本を見ることがあるかもしれない彼女へのメッセージにもなると思ったからだ。


 ―――まさか……それが、“もうひとつの出会い”を呼び込むことになるなんて、思わなかったのだ………!


 彼女を捜し求めていたのは……僕だけじゃ、なかった。


『教えて下さい。この女の子に、先生は旅行先で会ったんじゃありませんか……?』


 僕の写真集が発売された、その翌日の日曜日のことだ。
 載せられていた例の写真を見て、そう僕を問い詰めたのは、―――渡部クンだった。
 僕のもとに、“ただの幼馴染”だか“婚約者”だか何だかんだ言いつつ紹介してくれた同い年の可愛い“カノジョ”を連れて、その事実を問い質しに来た。


『――これを、見て頂けますか……?』


 その“カノジョ”――菜々子ななこちゃんが差し出したのは……彼ら二人が、くだんの彼女との深い関わりがあることを示す、明らかな“証拠”だったのだ。


『私たちが中学生の時の、卒業式の写真です』
『へえ…? 君たち同級生だったんだー……』


 なぜなら、差し出されたその中には……中学生の渡部クンと菜々子ちゃんと、――そして例の彼女にが、共に微笑んで写っていたのだから……!!


『でも……彼女はもういないんです』
『行方不明なんだ。――生きてるのか死んでるのかすら、わからない……』


 彼らの、その言葉で……二人は僕の写真に“一縷の望み”を懸けてここに来たのだと……それが解った。
 中学時代の友人が、という“望み”……―――。
 だが、即座に“有り得ない”と思った。
 きっと“他人の空似”というヤツに違いない。――中学を卒業した彼らが現在に至るまで等しくとしを重ねてきたように……その少女にも間違いなく、同じだけの歳月が流れているのだから。中学生の時の写真の姿と全く変わっていないことなどは、あり得ないのだから。


 ―――僕が出逢った“彼女”ならば、それも有り得ることだけれども………。


 だが、僕は口を噤んだ。
 可哀想だとは思いはしたが……だが、だからこそ、無駄な期待を持たせることは、もっとこくだと思った。
 だから答えた。


『僕が撮ったのは……十年前に出会った、名前も知らない女の子だよ』


 それでも、菜々子ちゃんは食い下がった。
 渡部クンに怒鳴られても諭されても、どうしても認めようとはしなかった。


『あの子は…は必ず生きてる!! すずきのそばには、いつだってつづきセンパイがついているんだもの!! 続センパイが傍に居る限り、すずきは必ず生きてる!! 絶対二人で、今もどこかで元気に生きてるわよッ!!』


 ―――結局は、そう叫んだ彼女の言葉の方が“真実”であったのだ………!!



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