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3 あらあやし どこを向いても化けもの屋敷
3-6 事後処理
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八咫と功巳にしたがって歩く廊下は長く、周囲の気配を濃密になる一方だ。
百合には見えていないが、そこにはたくさんの視線の主たちが存在しているのかもしれない。
そんなことを思ってしまうのは、視線がすべて集まっているような圧力を百合が感じはじめているからだ。
オフィスを移ることになり、案内されるのは代わり映えのない廊下だ――案内がなければ、それこそ迷うだろう。
「八咫くん、ちゃんと見ててくれないと」
「悪かった、あれが放電するとは思わなかった」
急な停電に遭い、小動物をねえやさんに連れていかれ、おろおろしていた百合の前に現れたのは功巳と八咫だった。
小動物は鵺という種類のもので、帯電し放電するという――珍しい種類の動物なので、放電自体を功巳は見たことがないと笑った。
「あいつのしっぽがパソコンに当たったの? その後で停電かぁ。外とオフィスをつないでた電気関係が全部おシャカらしいから、工事が終わるまでは我慢してね。僕のオフィス、玄関からちょっと距離があるんだよね」
功巳に会うのはひさしぶりだ。
功巳は背広でもなんでもなく、野外フェスのTシャツとジーンズという出で立ちだった。裸足で廊下を歩くので、ペタペタとしまりのない音がする。
百合は異動前とおなじく仕事着を意識していたが、似たような格好をしてみようかと考えはじめていた。
「明日からは、これまでみたいに部屋の前に衝立用意させるから」
そういって功巳は、いくつも通り過ぎたものとおなじ、真っ白で模様のない襖に手をかけた。
開いたそこは広い部屋だった。
ぱっと見ると洋室の体裁が整っているが、元々は和室をふたつつなげて利用しているものらしい。天井や鴨居の様子からそれがわかる。
手前の部屋には家族で食事を取るような、大きなテーブルが設置されていた。
壁にはみっしりと棚が並び、奥の部屋には大きな机が見えた。そこに物々しい大きさのパソコンが鎮座している。片付いた部屋のなか、そこだけやたらと散らかっていた。
部屋に入った正面に、またべつの襖がある。
ちょうどそれが開かれた。
そこにねえやさんが頭を下げていた。
湯気の立つお茶の乗ったお盆を、中腰の姿勢でいつものように運んでくる。
「ねえや、ありがとう。でも僕は冷たいお茶のほうが……いやなんでもないや。なんかお菓子ある? あとあのちいさいやつ、連れてきてくれるかな」
「……はい、お待ちくださいませ」
顔を伏せたままのねえやさんは、廊下へ下がっていく。どうあっても彼女の顔は見えない。のぞきこんだら気分を害するだろうか。いつか対面で挨拶したかった。
席に着きお茶を口に含むと、緑の芳香が鼻から抜けていく。
「おいしい!」
思わず声に出ていた。襖を閉めようとしていたねえやさんの動きが、ピタリと止まる。
口に含んだお茶は、ただひたすらかおりがいい。二口三口と飲みこむと、身体のなかから芳香に満たされてうれしくなってくる。
「このお茶って、ねえやさんが煎れたんですか? すごくおいしいです」
百合のとなりにすわった八咫にはお茶はなく、目が会うと彼は首を振った。飲みものはいらないのか。
「僕はさ、冷たいのがいいんだよね……どうせお茶っ葉一緒なんだしさ」
確か功巳は猫舌なのだ、と清巳から教わっている。
「これ冷茶のとおなじ茶葉なんですか? こっちのほうがいいにおいじゃないですか、うわぁもったいないことしてた……冷やすときにかおりが飛んじゃうんですね。煎れ方でこんなに味って変わるんだ……」
「恐縮でございます」
さらりと襖が閉まり、そちらを一瞥して功巳がため息をつく。
「なんだ、急にねえやの機嫌直ったな」
「ねえやさん、機嫌悪かったんですか?」
「ここ最近ちょっとね。そうそう、お茶だよ、お茶。身体が冷えるからって、ねえやは冷茶は煎れてくれないんだ。でも如月さんが異動してきて冷茶煎れてくれるから、僕としては助かってたんだよね。あとほら、やっぱ鵺が配電関係駄目にしたでしょ、そこのとこ怒ってる」
ふと、自分が冷茶を用意したことで、ねえやさんの仕事をひとつ奪っているのか、と考える――が、湯飲みに残ったお茶を口にすると、考えは芳香に流れて消えた。
「それにしても、ずいぶん見事な放電だったみたいだねぇ」
「あのちいさい子、無事なんですか? 放電するって、ほんとうにあの子が……?」
そんな動物を見たことはないが、目の合った八咫の姿に、百合の声は尻すぼみになっていった。
――このひとも、人間ではない。
――ここはおかしなことが起きても、おかしくない場所だ。
「もしかして、この先も放電してパソコンを壊すことはあるんでしょうか」
「どうだろうな、百合、躾けてみるか?」
「あの子、八咫さんが……保護者なんですか?」
飼い主、という言葉は使いたくなかった。
「わからん。あれはどういう位置づけだ、功巳」
「僕にいわれてもなぁ。如月さんになついてるし、もう如月さんの同僚ってことで書類つくる? 慰安担当ってことで」
なにをそんな冗談を、と百合が息を吸いこむと、先に八咫が口を開いた。
「それはいいな。契約すれば、あるていどは縛れる。だがかまわないのか? 会社経営上それは」
「かまわないよ、たぶん。試用期間五年とか、そんな感じにしとこうか、とりあえず」
トントン拍子に話が進み、席を立った功巳は壁にある棚を探っていく。
「八咫さん、本気であの子を働かせるんですか?」
「働くというのとは違う。契約で縛る」
「縛る」
あまり楽しい単語ではない。百合もまた、社員として契約を結んでいるのだから。
八咫と功巳にしたがって歩く廊下は長く、周囲の気配を濃密になる一方だ。
百合には見えていないが、そこにはたくさんの視線の主たちが存在しているのかもしれない。
そんなことを思ってしまうのは、視線がすべて集まっているような圧力を百合が感じはじめているからだ。
オフィスを移ることになり、案内されるのは代わり映えのない廊下だ――案内がなければ、それこそ迷うだろう。
「八咫くん、ちゃんと見ててくれないと」
「悪かった、あれが放電するとは思わなかった」
急な停電に遭い、小動物をねえやさんに連れていかれ、おろおろしていた百合の前に現れたのは功巳と八咫だった。
小動物は鵺という種類のもので、帯電し放電するという――珍しい種類の動物なので、放電自体を功巳は見たことがないと笑った。
「あいつのしっぽがパソコンに当たったの? その後で停電かぁ。外とオフィスをつないでた電気関係が全部おシャカらしいから、工事が終わるまでは我慢してね。僕のオフィス、玄関からちょっと距離があるんだよね」
功巳に会うのはひさしぶりだ。
功巳は背広でもなんでもなく、野外フェスのTシャツとジーンズという出で立ちだった。裸足で廊下を歩くので、ペタペタとしまりのない音がする。
百合は異動前とおなじく仕事着を意識していたが、似たような格好をしてみようかと考えはじめていた。
「明日からは、これまでみたいに部屋の前に衝立用意させるから」
そういって功巳は、いくつも通り過ぎたものとおなじ、真っ白で模様のない襖に手をかけた。
開いたそこは広い部屋だった。
ぱっと見ると洋室の体裁が整っているが、元々は和室をふたつつなげて利用しているものらしい。天井や鴨居の様子からそれがわかる。
手前の部屋には家族で食事を取るような、大きなテーブルが設置されていた。
壁にはみっしりと棚が並び、奥の部屋には大きな机が見えた。そこに物々しい大きさのパソコンが鎮座している。片付いた部屋のなか、そこだけやたらと散らかっていた。
部屋に入った正面に、またべつの襖がある。
ちょうどそれが開かれた。
そこにねえやさんが頭を下げていた。
湯気の立つお茶の乗ったお盆を、中腰の姿勢でいつものように運んでくる。
「ねえや、ありがとう。でも僕は冷たいお茶のほうが……いやなんでもないや。なんかお菓子ある? あとあのちいさいやつ、連れてきてくれるかな」
「……はい、お待ちくださいませ」
顔を伏せたままのねえやさんは、廊下へ下がっていく。どうあっても彼女の顔は見えない。のぞきこんだら気分を害するだろうか。いつか対面で挨拶したかった。
席に着きお茶を口に含むと、緑の芳香が鼻から抜けていく。
「おいしい!」
思わず声に出ていた。襖を閉めようとしていたねえやさんの動きが、ピタリと止まる。
口に含んだお茶は、ただひたすらかおりがいい。二口三口と飲みこむと、身体のなかから芳香に満たされてうれしくなってくる。
「このお茶って、ねえやさんが煎れたんですか? すごくおいしいです」
百合のとなりにすわった八咫にはお茶はなく、目が会うと彼は首を振った。飲みものはいらないのか。
「僕はさ、冷たいのがいいんだよね……どうせお茶っ葉一緒なんだしさ」
確か功巳は猫舌なのだ、と清巳から教わっている。
「これ冷茶のとおなじ茶葉なんですか? こっちのほうがいいにおいじゃないですか、うわぁもったいないことしてた……冷やすときにかおりが飛んじゃうんですね。煎れ方でこんなに味って変わるんだ……」
「恐縮でございます」
さらりと襖が閉まり、そちらを一瞥して功巳がため息をつく。
「なんだ、急にねえやの機嫌直ったな」
「ねえやさん、機嫌悪かったんですか?」
「ここ最近ちょっとね。そうそう、お茶だよ、お茶。身体が冷えるからって、ねえやは冷茶は煎れてくれないんだ。でも如月さんが異動してきて冷茶煎れてくれるから、僕としては助かってたんだよね。あとほら、やっぱ鵺が配電関係駄目にしたでしょ、そこのとこ怒ってる」
ふと、自分が冷茶を用意したことで、ねえやさんの仕事をひとつ奪っているのか、と考える――が、湯飲みに残ったお茶を口にすると、考えは芳香に流れて消えた。
「それにしても、ずいぶん見事な放電だったみたいだねぇ」
「あのちいさい子、無事なんですか? 放電するって、ほんとうにあの子が……?」
そんな動物を見たことはないが、目の合った八咫の姿に、百合の声は尻すぼみになっていった。
――このひとも、人間ではない。
――ここはおかしなことが起きても、おかしくない場所だ。
「もしかして、この先も放電してパソコンを壊すことはあるんでしょうか」
「どうだろうな、百合、躾けてみるか?」
「あの子、八咫さんが……保護者なんですか?」
飼い主、という言葉は使いたくなかった。
「わからん。あれはどういう位置づけだ、功巳」
「僕にいわれてもなぁ。如月さんになついてるし、もう如月さんの同僚ってことで書類つくる? 慰安担当ってことで」
なにをそんな冗談を、と百合が息を吸いこむと、先に八咫が口を開いた。
「それはいいな。契約すれば、あるていどは縛れる。だがかまわないのか? 会社経営上それは」
「かまわないよ、たぶん。試用期間五年とか、そんな感じにしとこうか、とりあえず」
トントン拍子に話が進み、席を立った功巳は壁にある棚を探っていく。
「八咫さん、本気であの子を働かせるんですか?」
「働くというのとは違う。契約で縛る」
「縛る」
あまり楽しい単語ではない。百合もまた、社員として契約を結んでいるのだから。
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