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5 ほろ酔いゆらゆら 牛車に揺られて冥府いき
5-4 あそこにいた
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「けっこう下のほうになってたそうです。上半身は圧されずにすんで、即死は免れたそうですよ。真夏でしたから、虫はわくし周囲の遺体はにおってくるしで大変だったと。そのせいですかねぇ、におい関連は敏感みたいです」
唸る――しかない。
比べるものではないとわかりながらも、鵺の香料とどちらがましか、それを考えてしまった。
「事情はわかってましたので、もしにおいに耐えられなかったら、事務所を出るようにお願いしてたんです。お使いなんかも、彼女に頼むようにして」
襖が開き、ねえやさんが風呂敷包みを持ってくる。百合は小声で、お冷やの追加を、と居酒屋にいるようなことをお願いした。
空のグラスを両手に掲げ、功巳はあくびをひとつする。
「……いまは事務所にいる子たち、落ち着いてるんでしょ?」
「ええ、九泉香料のこちらの事業は知らないですし、如月さんに対しては、ずっと申しわけないと思っているところが大きいみたいですね。芝田さんが時々落ちこんでます」
「え、まあ、もう終わったことですし……鹿野さんの香料じゃしょうがないですし……おふたりだって、迷惑をこうむっていたわけですから」
「私だったらとっくに手が出ていますねぇ」
微笑んだ清巳の言葉の真偽をはかれない。まだ清巳の目元は赤く、酔いが残っているのか、百合は曖昧に笑い返した。
「ああ、それともなにか習い事でも」
「習い事ですか?」
急に話の風向きが変わった。
「武道のような……発散にはちょうどいいでしょう」
こぶしをにぎり、清巳は両手をスパーリングをするように動かす。
やけにブレのないしっかりした清巳の動きに、百合はあわてて首を振っていた。
「な、習い事はしてないです、なにも」
「そうなんですか? よろしければ、サンドバックでも融通しましょうか。殴り心地のいいメーカーがありますよ、その上頑丈です」
話が脱線してしまっている。飲み屋でならかまわないが、百合の身体がかかっているのでそれは困る。
助け船を出したのは八咫だ。功巳の手からグラスをひとつ取り上げてテーブルに置き、襖のほうを見た。
「ねえやがくるから、おまえたちはもっと水を飲め。それで――これから百合はどうするんだ?」
「まだなんにも影響出てないんでしょ? ねえやに手土産は用意させたけど、どうしようかねぇ」
八咫の言葉のとおり、襖が開いてねえやさんが水差しを運んでくる。
「影響っておっしゃいますけど、どんな影響が考えられるんですか? なにが起こりますか? 前例ってどうだったんですか?」
「影響もなにも、そのうち如月さんだって死んだらあっちにいくんだ、そんなに焦らなくてもいいんじゃない」
功巳は笑うが、百合は激しく首を振った。
「そういうことじゃないですよね! それなら功巳さんもいまから駄菓子食べてください、私とおなじ立場になってください!」
ねえやさんに水をもらい、功巳はグラスを手にまだ笑っている。
「逆にさぁ、如月さんはどうしたいの?」
尋ねる功巳を尻目に、清巳が椅子から立ち上がる。
清巳はねえやさんに乾きものと酒を要求し、たしなめられていた。そのまま功巳のパソコンデスクに近づき、周囲を漁りはじめている。
「……清巳に飲ませ過ぎちゃったかなぁ」
「功巳さん、どうしたいって……どういうことですか?」
「うん、人間でいたいかどうかってことだよね。べつに冥府で暮らすのもいいものじゃない? しつこいようだけど、いずれあっちにいくんだし」
めまいがした。
軽口に聞こえるが、彼は本気なのだ。
人間でなくなる、というのがどういうことかわからない。
静かにうつむいているねえやさんも、難しい顔をしている八咫も、どちらも人間ではない。彼らのことは怖くないが、自分が人間以外のものになるということが想像できない――受け入れられるかも、考えられそうになかった。
「頭がついていかないです……」
「それじゃ、あっちいくしかないか……ねえや、やっぱりこれから国刺さんとこいくから、先に連絡入れておいてくれる?」
「うけたまわりました」
ねえやさんが出ていく音と、功巳が立ち上がる音が重なった。
「ちょっと清巳、それ駄目! 取って置きのやつなんだから止めて止めて! 戻して!」
必死な声に清巳のほうを見れば、机のどこかから酒瓶を取り出していた。功巳が私物入れに使っているあたりだ。
「私はこれ飲みながらここで待ってます。みなさんいってらっしゃい」
酔った相手の面倒などみたくない百合としては、清巳に残ってもらってもかまわなかった。
そしてそれ以前に、これからどこに向かおうというのか、それを明らかにしてほしい。
あっちというのがおそらく廊下の先――あやかしの住む冥府なのだろうが、得体の知れなさから、微に入り細に入りくり返しの説明がほしかった。
「なんでそんなこというの。如月さんのこと助けてやんなさいよ、あんたずっとくさいくさいいわれてる如月さん、黙って見てるだけだったんでしょ! そのまんまじゃ最低だよ!」
百合は物流部の事務所での日々が脳裏を横切りはじめ、こめかみを揉んだ。
唸る――しかない。
比べるものではないとわかりながらも、鵺の香料とどちらがましか、それを考えてしまった。
「事情はわかってましたので、もしにおいに耐えられなかったら、事務所を出るようにお願いしてたんです。お使いなんかも、彼女に頼むようにして」
襖が開き、ねえやさんが風呂敷包みを持ってくる。百合は小声で、お冷やの追加を、と居酒屋にいるようなことをお願いした。
空のグラスを両手に掲げ、功巳はあくびをひとつする。
「……いまは事務所にいる子たち、落ち着いてるんでしょ?」
「ええ、九泉香料のこちらの事業は知らないですし、如月さんに対しては、ずっと申しわけないと思っているところが大きいみたいですね。芝田さんが時々落ちこんでます」
「え、まあ、もう終わったことですし……鹿野さんの香料じゃしょうがないですし……おふたりだって、迷惑をこうむっていたわけですから」
「私だったらとっくに手が出ていますねぇ」
微笑んだ清巳の言葉の真偽をはかれない。まだ清巳の目元は赤く、酔いが残っているのか、百合は曖昧に笑い返した。
「ああ、それともなにか習い事でも」
「習い事ですか?」
急に話の風向きが変わった。
「武道のような……発散にはちょうどいいでしょう」
こぶしをにぎり、清巳は両手をスパーリングをするように動かす。
やけにブレのないしっかりした清巳の動きに、百合はあわてて首を振っていた。
「な、習い事はしてないです、なにも」
「そうなんですか? よろしければ、サンドバックでも融通しましょうか。殴り心地のいいメーカーがありますよ、その上頑丈です」
話が脱線してしまっている。飲み屋でならかまわないが、百合の身体がかかっているのでそれは困る。
助け船を出したのは八咫だ。功巳の手からグラスをひとつ取り上げてテーブルに置き、襖のほうを見た。
「ねえやがくるから、おまえたちはもっと水を飲め。それで――これから百合はどうするんだ?」
「まだなんにも影響出てないんでしょ? ねえやに手土産は用意させたけど、どうしようかねぇ」
八咫の言葉のとおり、襖が開いてねえやさんが水差しを運んでくる。
「影響っておっしゃいますけど、どんな影響が考えられるんですか? なにが起こりますか? 前例ってどうだったんですか?」
「影響もなにも、そのうち如月さんだって死んだらあっちにいくんだ、そんなに焦らなくてもいいんじゃない」
功巳は笑うが、百合は激しく首を振った。
「そういうことじゃないですよね! それなら功巳さんもいまから駄菓子食べてください、私とおなじ立場になってください!」
ねえやさんに水をもらい、功巳はグラスを手にまだ笑っている。
「逆にさぁ、如月さんはどうしたいの?」
尋ねる功巳を尻目に、清巳が椅子から立ち上がる。
清巳はねえやさんに乾きものと酒を要求し、たしなめられていた。そのまま功巳のパソコンデスクに近づき、周囲を漁りはじめている。
「……清巳に飲ませ過ぎちゃったかなぁ」
「功巳さん、どうしたいって……どういうことですか?」
「うん、人間でいたいかどうかってことだよね。べつに冥府で暮らすのもいいものじゃない? しつこいようだけど、いずれあっちにいくんだし」
めまいがした。
軽口に聞こえるが、彼は本気なのだ。
人間でなくなる、というのがどういうことかわからない。
静かにうつむいているねえやさんも、難しい顔をしている八咫も、どちらも人間ではない。彼らのことは怖くないが、自分が人間以外のものになるということが想像できない――受け入れられるかも、考えられそうになかった。
「頭がついていかないです……」
「それじゃ、あっちいくしかないか……ねえや、やっぱりこれから国刺さんとこいくから、先に連絡入れておいてくれる?」
「うけたまわりました」
ねえやさんが出ていく音と、功巳が立ち上がる音が重なった。
「ちょっと清巳、それ駄目! 取って置きのやつなんだから止めて止めて! 戻して!」
必死な声に清巳のほうを見れば、机のどこかから酒瓶を取り出していた。功巳が私物入れに使っているあたりだ。
「私はこれ飲みながらここで待ってます。みなさんいってらっしゃい」
酔った相手の面倒などみたくない百合としては、清巳に残ってもらってもかまわなかった。
そしてそれ以前に、これからどこに向かおうというのか、それを明らかにしてほしい。
あっちというのがおそらく廊下の先――あやかしの住む冥府なのだろうが、得体の知れなさから、微に入り細に入りくり返しの説明がほしかった。
「なんでそんなこというの。如月さんのこと助けてやんなさいよ、あんたずっとくさいくさいいわれてる如月さん、黙って見てるだけだったんでしょ! そのまんまじゃ最低だよ!」
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