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夢中になるもの
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アムラスのした説明は簡潔だった。
儀式で薬が使われたこと、後遺症の処置にアムラスが当たっていること。
その二点を説明しただけで、ドゥルザが納得するわけがない。
「薬!? なんだよそれ、そんなの聞いてない!」
「眠り薬を……クレスカの儀式で飲んでいて」
「後遺症って、眠り薬でそんなものあるわけないだろ!? 姉さん、医者はなんていってるんだ」
「お医者さまには……診ていただいてないの」
「なんだよそれ、アムラスなんて素人じゃないか! もう神殿に戻ろう、ちゃんと診てもらわないと」
食堂の丸椅子を蹴散らす勢いのドゥルザは、冷静さを欠いている。アムラスを前に呼び捨てにしていることに、本人はまだ気づいていない。
ドゥルザは姉の腕を引っ張る。
「支度なんていいから、いますぐここを発とう。いや、動いて大丈夫なのかな、医者を呼んできたほうが……」
「ドゥルザ、医者は必要ない。俺に任せてくれ」
「任せられるわけないだろう!?」
エルミアははらはらしていた。ドゥルザの口舌を、この場でまるくおさめることなどできないのではないか。なにより弟がアムラスに食ってかかる姿より、アムラスの中途半端な説明のほうが気にかかる。
「儀式にまつわることだから、いまは説明できないんだ」
ぐっ、とドゥルザが言葉を飲みこんだ。
「説明できるようだったら、とっくに話してるよ、さすがに。他言されても困る」
「でも……」
「お父上も知らないことだ。これは我がイトゥルサク家の管轄だ。うかつに口出しすれば、ウアリル家に累が及ぶことになりかねない。それだけは肝に銘じておいてほしい」
「そうなの? 姉さん」
ドゥルザの目が泳いでいる。
いまは弟を冷静にさせるのが一番だ。エルミアはうなずいた。
「でも、恋人になってるなんて……」
「それはそれ、だ」
「でもアムラス殿は家督から外されてますよね? 何故いま姉さんと」
「そのあたりの説明をしようとすると、儀式のことも話さなきゃいけなくなる。エルミアの後遺症や薬に関わることで……ちょっと面倒な状況になってるんだ」
「家督から外されたっていうのは……」
「エルミアにまつわることだ。色々思うところはあるだろうが、いまはこらえてくれないか」
説明するとなれば、エルミアの身体に起きている現象も話さなければいけなくなる。弟から目を逸らし、エルミアはため息をついた。その様子を見てか、ドゥルザもおなじようにため息をつく。
「僕にも、なにか手伝えることはありますか?」
「とりあえず、侯爵のことを頼みたい。どうもあの方は……口が軽いように見受けられる」
「……静かですけど、侯爵さまどちらに行かれたのかしら」
三人でそろって耳を澄ませる。
物音は聞こえない。
狩りの腕は確かなようだが、うかつに森に入って迷われても困る。それぞれ散って敷地内から探すことにした。
三人が呼んでもこたえなかったドリスティア侯爵は、エルミアが使っている家の書斎にいた。
夢中になって彼は書籍に目を落としていた。
「こちらにいらっしゃったんですね」
エルミアが肩を叩くと、やっと意識が現実に戻ったらしく、飛び上がって驚いた。
「本はお気に召しましたか? 何度かお呼びしたのですが……」
「そうなんですか? それは失礼。こちらの蔵書はすばらしいですな、薬学者が住んでおられたのでしょうか。いや、これはすばらしい」
「薬学の知識がおありなんですか?」
「妻が亡くなるまで、色々調べました。いや……ほんとうにすばらしい。管理はお嬢さんが?」
エルミアにすれば『やたらたくさんある本』だが、ドリスティア侯爵には宝の山にでも見えるらしい。彼の目が輝いている。
「これから目録をつくろうかと思っています」
「こちらで管理されるのですか? すべて? お嬢さんも読んでいらっしゃる?」
「いえ、そこまでは……まだあれもこれも、色々と手つかずですから」
貪欲なまなざしで、書架を舐めまわすように眺める。ドリスティア侯爵と会って以来はじめて、彼の素顔にふれた気がした。
「べつの部屋にも、まだ本はありますが……ごらんになりますか?」
「ほかにも!? そちらも薬学の文献ですか?」
「さあ……そちらは部屋にもほとんど入っていないので」
エルミアが侯爵を案内して半地下の書斎に案内すると、アムラスたちが話し声に気づいたのだろう、姿を現した。
燭台を用意して足を踏み入れた半地下の書斎は、ろくに清掃もしていないためほこりっぽかった。
「手つかずとおっしゃったが」
侯爵は部屋のほこりをぞろりと眺め、すこし不快そうにいう。
「ええ、上の本をなんとかしてから、こちらに手をつけようかと思って……」
「これでは本が傷む。運び出しましょう、さあ」
侯爵の声は熱心で、またはじめて見るような険しい顔をしていた。
エルミアたちに指図しながら、侯爵は率先して働き出した。重い書籍をおもてに運び、風にさらし、虫食いや背の状態を一冊ずつ確認していく。
半地下の書籍を四人がかりで運び終えたころには、昼をとうにまわっていた。侯爵は膝をつき、一冊の厚く古い書籍のページを熱心にめくっている。
「本がお好きなんですね」
感心して出たエルミアの言葉にも応じず、侯爵は脇目も振らず書籍に没頭している。
「食事にしよう、これだけ運ぶと、くたくただな」
「またこれを……下に戻すわけですよね」
「……考えたくないな」
アムラスもドゥルザもうんざりした様子だ。エルミアはほこりですっかりくすんでしまったエプロンの前をはたいた。
「侯爵さま、食事の支度ができたら、声をかけさせていただきますね」
上の空だが、ううむ、という返事があった。
簡単な昼食も、侯爵はおもてで取った。虫干しする書籍のそばを侯爵は離れようとしないのだ。
日が落ちる前に、虫干しの本には覆いが掛けられた。天候が崩れる気配はなく、侯爵もそこを離れようとしなかった。持ってきた燭台の灯りで文字を追い、誰がなにを話しかけてもうなるような返事だけ。
いつ彼が客室に戻ったのか、エルミアは知らなかった。起きていられず、先に休んだのだ。
朝起き出したときには、もう侯爵は書籍のページを繰っていた。
憔悴した顔つきとすっかり溶けた燭台のろうそくに、徹夜をしたのでは、とエルミアは彼を心配した。
饒舌なドリスティア侯爵と、書籍に夢中になっているドリスティア侯爵がうまく重ならない。
前日とおなじくドリスティア侯爵は書籍と向き合い、誰がなにを話しかけたところで取り合わなかった。軽食やお茶を届ければ、文字を拾いながら飲食はする。没頭する侯爵を邪魔立てするつもりはなかった。
騒音を立てては読書の邪魔になるだろうから、音の立つ修繕は見送った。
三人で食料庫に降り、冬を越すために必要なものを書き出していく。
ペンを走らせるエルミアの横で、床の掃除をしながらもドゥルザは神殿に帰る算段について口うるさい。
結局治療が必要なら、神殿あるいはもっと神殿に近い場所に住まいを持ったほうがいい、というのだ。
ドゥルザのやかましさのおかげで、エルミアは平静でいられた。
ちょっとした隙に、アムラスはエルミアに接触してきた。ドゥルザが視線を外すわずかな時間に、手をにぎり、腰を抱き、頬にふれ、脇をくすぐる。
たったそれだけのことに、身体のなかにくすぶる熾火が出現した。アムラスはやけに楽しそうな顔をしている。
しかし「姉さん姉さん」と話しかけてくるドゥルザのおかげで、熾火から意識を逸らすことができていたのだった。
(続)
儀式で薬が使われたこと、後遺症の処置にアムラスが当たっていること。
その二点を説明しただけで、ドゥルザが納得するわけがない。
「薬!? なんだよそれ、そんなの聞いてない!」
「眠り薬を……クレスカの儀式で飲んでいて」
「後遺症って、眠り薬でそんなものあるわけないだろ!? 姉さん、医者はなんていってるんだ」
「お医者さまには……診ていただいてないの」
「なんだよそれ、アムラスなんて素人じゃないか! もう神殿に戻ろう、ちゃんと診てもらわないと」
食堂の丸椅子を蹴散らす勢いのドゥルザは、冷静さを欠いている。アムラスを前に呼び捨てにしていることに、本人はまだ気づいていない。
ドゥルザは姉の腕を引っ張る。
「支度なんていいから、いますぐここを発とう。いや、動いて大丈夫なのかな、医者を呼んできたほうが……」
「ドゥルザ、医者は必要ない。俺に任せてくれ」
「任せられるわけないだろう!?」
エルミアははらはらしていた。ドゥルザの口舌を、この場でまるくおさめることなどできないのではないか。なにより弟がアムラスに食ってかかる姿より、アムラスの中途半端な説明のほうが気にかかる。
「儀式にまつわることだから、いまは説明できないんだ」
ぐっ、とドゥルザが言葉を飲みこんだ。
「説明できるようだったら、とっくに話してるよ、さすがに。他言されても困る」
「でも……」
「お父上も知らないことだ。これは我がイトゥルサク家の管轄だ。うかつに口出しすれば、ウアリル家に累が及ぶことになりかねない。それだけは肝に銘じておいてほしい」
「そうなの? 姉さん」
ドゥルザの目が泳いでいる。
いまは弟を冷静にさせるのが一番だ。エルミアはうなずいた。
「でも、恋人になってるなんて……」
「それはそれ、だ」
「でもアムラス殿は家督から外されてますよね? 何故いま姉さんと」
「そのあたりの説明をしようとすると、儀式のことも話さなきゃいけなくなる。エルミアの後遺症や薬に関わることで……ちょっと面倒な状況になってるんだ」
「家督から外されたっていうのは……」
「エルミアにまつわることだ。色々思うところはあるだろうが、いまはこらえてくれないか」
説明するとなれば、エルミアの身体に起きている現象も話さなければいけなくなる。弟から目を逸らし、エルミアはため息をついた。その様子を見てか、ドゥルザもおなじようにため息をつく。
「僕にも、なにか手伝えることはありますか?」
「とりあえず、侯爵のことを頼みたい。どうもあの方は……口が軽いように見受けられる」
「……静かですけど、侯爵さまどちらに行かれたのかしら」
三人でそろって耳を澄ませる。
物音は聞こえない。
狩りの腕は確かなようだが、うかつに森に入って迷われても困る。それぞれ散って敷地内から探すことにした。
三人が呼んでもこたえなかったドリスティア侯爵は、エルミアが使っている家の書斎にいた。
夢中になって彼は書籍に目を落としていた。
「こちらにいらっしゃったんですね」
エルミアが肩を叩くと、やっと意識が現実に戻ったらしく、飛び上がって驚いた。
「本はお気に召しましたか? 何度かお呼びしたのですが……」
「そうなんですか? それは失礼。こちらの蔵書はすばらしいですな、薬学者が住んでおられたのでしょうか。いや、これはすばらしい」
「薬学の知識がおありなんですか?」
「妻が亡くなるまで、色々調べました。いや……ほんとうにすばらしい。管理はお嬢さんが?」
エルミアにすれば『やたらたくさんある本』だが、ドリスティア侯爵には宝の山にでも見えるらしい。彼の目が輝いている。
「これから目録をつくろうかと思っています」
「こちらで管理されるのですか? すべて? お嬢さんも読んでいらっしゃる?」
「いえ、そこまでは……まだあれもこれも、色々と手つかずですから」
貪欲なまなざしで、書架を舐めまわすように眺める。ドリスティア侯爵と会って以来はじめて、彼の素顔にふれた気がした。
「べつの部屋にも、まだ本はありますが……ごらんになりますか?」
「ほかにも!? そちらも薬学の文献ですか?」
「さあ……そちらは部屋にもほとんど入っていないので」
エルミアが侯爵を案内して半地下の書斎に案内すると、アムラスたちが話し声に気づいたのだろう、姿を現した。
燭台を用意して足を踏み入れた半地下の書斎は、ろくに清掃もしていないためほこりっぽかった。
「手つかずとおっしゃったが」
侯爵は部屋のほこりをぞろりと眺め、すこし不快そうにいう。
「ええ、上の本をなんとかしてから、こちらに手をつけようかと思って……」
「これでは本が傷む。運び出しましょう、さあ」
侯爵の声は熱心で、またはじめて見るような険しい顔をしていた。
エルミアたちに指図しながら、侯爵は率先して働き出した。重い書籍をおもてに運び、風にさらし、虫食いや背の状態を一冊ずつ確認していく。
半地下の書籍を四人がかりで運び終えたころには、昼をとうにまわっていた。侯爵は膝をつき、一冊の厚く古い書籍のページを熱心にめくっている。
「本がお好きなんですね」
感心して出たエルミアの言葉にも応じず、侯爵は脇目も振らず書籍に没頭している。
「食事にしよう、これだけ運ぶと、くたくただな」
「またこれを……下に戻すわけですよね」
「……考えたくないな」
アムラスもドゥルザもうんざりした様子だ。エルミアはほこりですっかりくすんでしまったエプロンの前をはたいた。
「侯爵さま、食事の支度ができたら、声をかけさせていただきますね」
上の空だが、ううむ、という返事があった。
簡単な昼食も、侯爵はおもてで取った。虫干しする書籍のそばを侯爵は離れようとしないのだ。
日が落ちる前に、虫干しの本には覆いが掛けられた。天候が崩れる気配はなく、侯爵もそこを離れようとしなかった。持ってきた燭台の灯りで文字を追い、誰がなにを話しかけてもうなるような返事だけ。
いつ彼が客室に戻ったのか、エルミアは知らなかった。起きていられず、先に休んだのだ。
朝起き出したときには、もう侯爵は書籍のページを繰っていた。
憔悴した顔つきとすっかり溶けた燭台のろうそくに、徹夜をしたのでは、とエルミアは彼を心配した。
饒舌なドリスティア侯爵と、書籍に夢中になっているドリスティア侯爵がうまく重ならない。
前日とおなじくドリスティア侯爵は書籍と向き合い、誰がなにを話しかけたところで取り合わなかった。軽食やお茶を届ければ、文字を拾いながら飲食はする。没頭する侯爵を邪魔立てするつもりはなかった。
騒音を立てては読書の邪魔になるだろうから、音の立つ修繕は見送った。
三人で食料庫に降り、冬を越すために必要なものを書き出していく。
ペンを走らせるエルミアの横で、床の掃除をしながらもドゥルザは神殿に帰る算段について口うるさい。
結局治療が必要なら、神殿あるいはもっと神殿に近い場所に住まいを持ったほうがいい、というのだ。
ドゥルザのやかましさのおかげで、エルミアは平静でいられた。
ちょっとした隙に、アムラスはエルミアに接触してきた。ドゥルザが視線を外すわずかな時間に、手をにぎり、腰を抱き、頬にふれ、脇をくすぐる。
たったそれだけのことに、身体のなかにくすぶる熾火が出現した。アムラスはやけに楽しそうな顔をしている。
しかし「姉さん姉さん」と話しかけてくるドゥルザのおかげで、熾火から意識を逸らすことができていたのだった。
(続)
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