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1 親しくなりたくない同僚
第2話
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エレベーターが振動した――動きはじめたようだ。
「動いた!」
紅緒は心底よろこんでいた。
ボタンをやたらに押したことが功を奏したのかどうかわからないが、とにかく出られるならそれでいい。
エレベーターが到着したのは十階だった。
「十階?」
資料保管室があり、紅緒は足を踏み入れたことのない階だ。
「とにかく動いてよかったですね、三嶋さん」
適当にボタンを連打していたとき、多分十階のボタンも押していたのだろう。
「そうですね。残業したくないですから、はやく戻りましょう」
電灯のついていない暗い廊下を、紅緒はすばやく左右に見回した。利用者がいないからだろう、暗い廊下は冷え冷えとしている。
ここを訪れるものは、保管資料の詰まった段ボール抱えているものだけだ。いまは部の男性社員が請け負ってくれており、紅緒は未経験の雑務である。
ボタンをむやみやたらに連打していたことを思い出し、気を取り直すように紅緒は総務部のある六階のボタンに指を向けた。
「あっ」
間違えて、ひとつ下の五階のボタンを押してしまった。
「うわ、恥ずかしい……」
ごぅん、と低い音がした。
これまでに聞いたことがない音だ。
一時的とはいえ、エレベーターは動作しなくなっていたのだ。これがなにかの不具合をしめす音だったりしないか――紅緒はその場で耳をかたむけた。
すぐにエレベーターは五階に到着し、紅緒はほっと息を吐く。
「じゃあ、六階にいきましょうか」
肩越しに如月を一瞥していると、エレベーターの扉が開いた。
――女性が乗りこんできた。
落ち着いた色味のワンピースの女性だ。
十月に入ったいまの時期、上着もないと寒いだろう――そう思った紅緒のとなりに如月が進み出てきて、女性に向け頭をかたむけている。
知っている相手だろうか。彼の顔は闇濡れだし、女性は紅緒に背中を向けているのでどんな雰囲気なのかもわからない。少なくとも女性を社内で見かけたことがなかった。外部の人間で、五階の応接室を訪れていたのだろうか。
如月の指が一階へのボタンを押す。
エレベーターは動くようになっている。来客を帰すのを先にしてもかまわなかった。
紅緒はエレベーターの壁に背中を預けた。
なぜかエレベーターは下降しなかった。
――上へ。
声もなく、ぽかんと口を開けた紅緒たちを乗せ、エレベーターはあっという間に十階に着いた。
開いた扉の向こう、十階の表示がある。
女性はそこで降りていった。
扉が閉まるより先に、如月がボタンを押す。
今度も一階のボタンだ。
なんとなく、紅緒は無言でいた。
閉じた扉を見つめるうちに、エレベーターが止まる。
下降していた。
息を詰めていた紅緒の前で扉は開き、そこには見慣れた風景があった。
「降りましょうか」
如月にうながされるまま、エレベーターから降りる。
入れ替わりに乗りこんでいくのは、たくさんの社員たちだ。
見知った顔がエレベーターに吸いこまれ、扉が閉じた後のロビーは静かなものだ。
「……如月さん」
受付には案内の社員がすわっている。如月と紅緒を見るともなしに見ているのがわかった。如月の足が社外に向かう。紅緒はそれについて歩き、ビルを出るとふたりで近くのコンビニに向かっていった。
通りかかった飲食店の軒先にある時計の時間に、紅緒は驚いて足を止める。
まだ午後一時になっていない。
「えっ、うそっ」
制服のポケットに入れていたスマホを引っ張り出す。操作しようとした紅緒は、スマホの電源が落ちていることに気がついた。
「き、切ってたっけ……?」
如月が顔を近づけてくる。
「三嶋さん、食べたいデザートありますか?」
「……は?」
電源ボタンを長押しする。じれったいほど反応がない。確かエレベーターで如月が電源を落としたとき、午後二時になっていたはずだった。
「俺、コンビニいってきます。リクエストないなら、適当に選びますね」
なにをいってるんだこいつ、と思うのに、相手の表情がまったく読めない。闇濡れした顔からぼとぼととなにかが滴っていくだけだ。
「じゃ」
立ち去っていく背中を見送り、紅緒は道のはじにふらふらと寄っていく。
「……なにが?」
じわり、といやな汗をかいていた。
がっしりとスマホをにぎりしめ、紅緒は起きたことを反芻する。
――エレベーターの不調に巻きこまれた。
ひとに説明するなら、ただそれだけだ。
下の階にいくボタンを押したのに上にいったり、ボタンの操作を受けつけなかったり。
それだけのこと。
だが飲みこめない、引っかかるものを紅緒は感じていた。
「なにが」
時間の流れがおかしかったことなど、どうひとに説明したらいいのか。
――説明など、する必要はあるのだろうか。
紅緒は手元を見つめる。
ずっと電源ボタンを押しているのに、スマホはまったく反応しないままだった。
「動いた!」
紅緒は心底よろこんでいた。
ボタンをやたらに押したことが功を奏したのかどうかわからないが、とにかく出られるならそれでいい。
エレベーターが到着したのは十階だった。
「十階?」
資料保管室があり、紅緒は足を踏み入れたことのない階だ。
「とにかく動いてよかったですね、三嶋さん」
適当にボタンを連打していたとき、多分十階のボタンも押していたのだろう。
「そうですね。残業したくないですから、はやく戻りましょう」
電灯のついていない暗い廊下を、紅緒はすばやく左右に見回した。利用者がいないからだろう、暗い廊下は冷え冷えとしている。
ここを訪れるものは、保管資料の詰まった段ボール抱えているものだけだ。いまは部の男性社員が請け負ってくれており、紅緒は未経験の雑務である。
ボタンをむやみやたらに連打していたことを思い出し、気を取り直すように紅緒は総務部のある六階のボタンに指を向けた。
「あっ」
間違えて、ひとつ下の五階のボタンを押してしまった。
「うわ、恥ずかしい……」
ごぅん、と低い音がした。
これまでに聞いたことがない音だ。
一時的とはいえ、エレベーターは動作しなくなっていたのだ。これがなにかの不具合をしめす音だったりしないか――紅緒はその場で耳をかたむけた。
すぐにエレベーターは五階に到着し、紅緒はほっと息を吐く。
「じゃあ、六階にいきましょうか」
肩越しに如月を一瞥していると、エレベーターの扉が開いた。
――女性が乗りこんできた。
落ち着いた色味のワンピースの女性だ。
十月に入ったいまの時期、上着もないと寒いだろう――そう思った紅緒のとなりに如月が進み出てきて、女性に向け頭をかたむけている。
知っている相手だろうか。彼の顔は闇濡れだし、女性は紅緒に背中を向けているのでどんな雰囲気なのかもわからない。少なくとも女性を社内で見かけたことがなかった。外部の人間で、五階の応接室を訪れていたのだろうか。
如月の指が一階へのボタンを押す。
エレベーターは動くようになっている。来客を帰すのを先にしてもかまわなかった。
紅緒はエレベーターの壁に背中を預けた。
なぜかエレベーターは下降しなかった。
――上へ。
声もなく、ぽかんと口を開けた紅緒たちを乗せ、エレベーターはあっという間に十階に着いた。
開いた扉の向こう、十階の表示がある。
女性はそこで降りていった。
扉が閉まるより先に、如月がボタンを押す。
今度も一階のボタンだ。
なんとなく、紅緒は無言でいた。
閉じた扉を見つめるうちに、エレベーターが止まる。
下降していた。
息を詰めていた紅緒の前で扉は開き、そこには見慣れた風景があった。
「降りましょうか」
如月にうながされるまま、エレベーターから降りる。
入れ替わりに乗りこんでいくのは、たくさんの社員たちだ。
見知った顔がエレベーターに吸いこまれ、扉が閉じた後のロビーは静かなものだ。
「……如月さん」
受付には案内の社員がすわっている。如月と紅緒を見るともなしに見ているのがわかった。如月の足が社外に向かう。紅緒はそれについて歩き、ビルを出るとふたりで近くのコンビニに向かっていった。
通りかかった飲食店の軒先にある時計の時間に、紅緒は驚いて足を止める。
まだ午後一時になっていない。
「えっ、うそっ」
制服のポケットに入れていたスマホを引っ張り出す。操作しようとした紅緒は、スマホの電源が落ちていることに気がついた。
「き、切ってたっけ……?」
如月が顔を近づけてくる。
「三嶋さん、食べたいデザートありますか?」
「……は?」
電源ボタンを長押しする。じれったいほど反応がない。確かエレベーターで如月が電源を落としたとき、午後二時になっていたはずだった。
「俺、コンビニいってきます。リクエストないなら、適当に選びますね」
なにをいってるんだこいつ、と思うのに、相手の表情がまったく読めない。闇濡れした顔からぼとぼととなにかが滴っていくだけだ。
「じゃ」
立ち去っていく背中を見送り、紅緒は道のはじにふらふらと寄っていく。
「……なにが?」
じわり、といやな汗をかいていた。
がっしりとスマホをにぎりしめ、紅緒は起きたことを反芻する。
――エレベーターの不調に巻きこまれた。
ひとに説明するなら、ただそれだけだ。
下の階にいくボタンを押したのに上にいったり、ボタンの操作を受けつけなかったり。
それだけのこと。
だが飲みこめない、引っかかるものを紅緒は感じていた。
「なにが」
時間の流れがおかしかったことなど、どうひとに説明したらいいのか。
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紅緒は手元を見つめる。
ずっと電源ボタンを押しているのに、スマホはまったく反応しないままだった。
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