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5 いっしょにいたいか
第26話
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「あと、あちらをどうするか」
如月の頭が向いた方向――そこから重量を感じさせない物音がした。
「猫ちゃん」
新人氏の声が弾む。
目を向ければ、白猫が帰還したところだった。
口にくわえられていた人面犬が放り出され、床に叩きつけられ潰れた声を漏らした。
「おまえら、なかよしなの」
白猫の爛々と光る双眸が美しい。
「同僚同士って、仲良しなんでしょうか」
「私は……」
紅緒は如月と仲良しだと口が裂けてもいいたくないが、白猫の質問の真意を考え言い淀んだ。
のろのろと人面犬が身を起こす。
疲弊しきった顔で紅緒たちを見回し、それからまた床に崩れ落ちる。どこにも怪我はない。
そこには紅緒も安堵している――怪異が負傷するかどうか、定かではないが。
「猫さんと武藤さんは、仲良しなんですか?」
真意を予測し博打のような返事をするのではなく、紅緒は質問を質問で返すことにした。
「猫ちゃん、僕たちのこと訊いてるよ」
「俺とアラはなかよしだ」
「それはよかったです」
仲良しになったひとりと一匹だ。その一匹のほうは、離れ離れになって孤独になることを許容するだろうか。
「たむける?」
紅緒の鼻に自分の鼻先を近づけ、白猫が尋ねてくる。
「それはどういう……」
「たむけのにおい、これ」
がば、と白猫の巨大な口が開いていく。
ゆっくりと流れて見える光景に、紅緒は見事な造形だ、と感心していた。
白猫のかたちはすべて美しく、牙は鋭い。あれに噛まれたなら、たやすく致命傷になりそうだ。
「あ、ぁあ」
白猫の大きな口に、紅緒の腕が飲みこまれた。
食われる、と身を強張らせたのも束の間、白猫はしゃぶしゃぶと腕をしゃぶりはじめている。
「……な、んです」
ふふふん、と嬉しそうな、くぐもった声が白猫から聞こえた。
制服のブラウスが、ぐっしょりと白猫の唾液で濡れていく。
とくに悪臭がするわけではないが、濡れて重くなった布の感触に紅緒は眉を歪めた。
後ろに体重をかけていくと、ずるずると白猫の口から腕が抜け出ていく。
途中で牙に引っかかり、音を立てて袖が破けていった。
ぺ、と布を吐き出した白猫は、びしょびしょに濡れた袖の残骸に目を細める。
「んふふ」
楽しそうな声を耳に、紅緒は自分の腕を確かめる。肘から先が剥き出しになったものの、どこにも傷はついていない。
紅緒はふたたび安堵していた。
「あまぁい」
ご満悦の体の白猫は、まるで笑顔のような表情になっている。
「……あまい?」
あまくてたむける――紅緒ははやくも乾きつつある指先に目をやった。
「大福?」
すでに指先にはさらさらとした感触は残っていない。指先をかすめた餡子は気配もない。
「猫って餡子好きでしたよね、確か」
「そうなんですか?」
口をもごつかせた白猫は、うっとりした顔つきだ。
総務部で和菓子をつまんでいたが、指先に残っているものだけで、これだけ恍惚とした表情になるのか。
「……そうだ、持ってきてます」
フロアを出るとき、紅緒はポケットに和菓子を詰めこんでいる。
おはぎと大福を取り出し、紅緒は白猫の鼻先でおはぎの袋を開けていった。
「まわりだけ舐められますか? 内側は餅米ですから、身体に悪いかも」
そんな心配をよそに、べろり、と白猫の大きな舌はおはぎを丸呑みにしていった。
ビニールに入った大福を凝視しているため、紅緒はそちらも白猫に差し出す。
大福も一口に飲みこみ、咀嚼しながら白猫は新人氏のとなりに移動していった。
人面犬はだらりと床にのびている。
「アラ、いっしょにいる、なかよし」
白猫は新人氏に密着する。頬を肩に乗せたかと思うと、ゴリゴリとすり寄った。
これまでにもおなじ経験があるのだろう、新人氏は台車を支えにその重さを受け止めている。
白猫は新人氏の頭をがじがじと甘噛みし、その光景にどうしたものか紅緒は考える。
「……仲良しですね」
――仲良しは、一緒にいたくなるかどうか。
そういったのは紅緒だ。
白猫にとって新人氏は、そんな存在になっている。
この場所に引きこまれたのが先か、白猫が気に入ったのが先か。
どちらが先にせよ、新人氏が状況を悪く思っていないのはその顔つきからうかがえた。
これを引き離すのか。
ここに新人氏を残してはいけないのだろうか。
新人氏は白猫を好ましく思っている。異界にいることに関しても。
現実に戻ることだけが、最良ではないだろう。
迷って一言も発せなくなっている紅緒をよそに、新人氏は白猫のマズルを揉みしだきはじめていた。
「甘いのが好きなら、買ってきてあげるね。キャットフードはどうかな」
白猫に食べ物を――彼のその気持ちを現実への足がかりにして、すべてを決めるのは先送りにしてもいいかもしれない。
土産を持ってまた白猫に会うときに、新人氏が決めればいいのだ。
「じゃあ猫ちゃん、ここで待ってて」
「いっしょにいく」
白猫は両方の前脚で新人氏を抱える。爪が刺さらないように力の加減はしているようだ。
「いっしょ」
「またくるよ。どうやったら来られるか、なんとなくわかるから」
「いっしょ」
言い合いのようでいて、両者は顔を擦りつけ合ってなんだか楽しそうだ。
「三嶋さん、どうですか?」
如月が囁いてくる。なにを、なにが、と訊き返す気になれない。
「如月さんは、ここに出入りできるんですよね」
「そう思いますか?」
「もし武藤さんがこちらで、って決めたら、連れてきてあげてください」
「俺にそんなことができると思いますか?」
闇を頭から被っていてくれてよかった。声を聞いただけで予測できる。おそらく彼はにやにや笑っているだろうし、紅緒の癪に障るようなものだろう。
――この男に深入りしないほうがいい。
如月が人面犬を抱え上げた。
「猫さん、彼を待ってる間、いっちゃんと遊んでいてください」
声もなく、如月の腕のなかで人面犬がふるえ出した。
「……なかよしぃ?」
白猫の首に腕をまわし、新人氏がなにやら話しかけている。
内容は聞き取れないが、白猫は顔をくちゃくちゃにした。少しうらやましくなる。
「俺ぇ? 俺がぁ?」
「やることがあるので、その間だけですよ」
人面犬は如月の腕から逃れようと身体をひねりはじめた。
紅緒は人面犬の身体に手をのばし、脇腹を撫でた。
やわらかく温かい毛並みは、そこだけ取れば怪異など関係ない犬だ――涙で濡れた、疲れた中年男の顔がついているが。
「お願いします、ワンちゃん。あなたしか頼れないんです。私たちでは無理なんです」
「……そりゃあさ……うぅ……うえぇん……」
言葉尻はすすり泣きになっていたが、紅緒は聞こえないふりをする。
白猫とのお遊びで、人面犬がどんな体験をしたのか。知りたくないことは尋ねなければいい。
「迎えにくるよな!? 俺のこと……なあ、ちゃんと迎えに……!」
「あーそぼ」
人面犬と白猫が追いかけっこをはじめ、紅緒は迷わず階段に向かっていった。
如月の頭が向いた方向――そこから重量を感じさせない物音がした。
「猫ちゃん」
新人氏の声が弾む。
目を向ければ、白猫が帰還したところだった。
口にくわえられていた人面犬が放り出され、床に叩きつけられ潰れた声を漏らした。
「おまえら、なかよしなの」
白猫の爛々と光る双眸が美しい。
「同僚同士って、仲良しなんでしょうか」
「私は……」
紅緒は如月と仲良しだと口が裂けてもいいたくないが、白猫の質問の真意を考え言い淀んだ。
のろのろと人面犬が身を起こす。
疲弊しきった顔で紅緒たちを見回し、それからまた床に崩れ落ちる。どこにも怪我はない。
そこには紅緒も安堵している――怪異が負傷するかどうか、定かではないが。
「猫さんと武藤さんは、仲良しなんですか?」
真意を予測し博打のような返事をするのではなく、紅緒は質問を質問で返すことにした。
「猫ちゃん、僕たちのこと訊いてるよ」
「俺とアラはなかよしだ」
「それはよかったです」
仲良しになったひとりと一匹だ。その一匹のほうは、離れ離れになって孤独になることを許容するだろうか。
「たむける?」
紅緒の鼻に自分の鼻先を近づけ、白猫が尋ねてくる。
「それはどういう……」
「たむけのにおい、これ」
がば、と白猫の巨大な口が開いていく。
ゆっくりと流れて見える光景に、紅緒は見事な造形だ、と感心していた。
白猫のかたちはすべて美しく、牙は鋭い。あれに噛まれたなら、たやすく致命傷になりそうだ。
「あ、ぁあ」
白猫の大きな口に、紅緒の腕が飲みこまれた。
食われる、と身を強張らせたのも束の間、白猫はしゃぶしゃぶと腕をしゃぶりはじめている。
「……な、んです」
ふふふん、と嬉しそうな、くぐもった声が白猫から聞こえた。
制服のブラウスが、ぐっしょりと白猫の唾液で濡れていく。
とくに悪臭がするわけではないが、濡れて重くなった布の感触に紅緒は眉を歪めた。
後ろに体重をかけていくと、ずるずると白猫の口から腕が抜け出ていく。
途中で牙に引っかかり、音を立てて袖が破けていった。
ぺ、と布を吐き出した白猫は、びしょびしょに濡れた袖の残骸に目を細める。
「んふふ」
楽しそうな声を耳に、紅緒は自分の腕を確かめる。肘から先が剥き出しになったものの、どこにも傷はついていない。
紅緒はふたたび安堵していた。
「あまぁい」
ご満悦の体の白猫は、まるで笑顔のような表情になっている。
「……あまい?」
あまくてたむける――紅緒ははやくも乾きつつある指先に目をやった。
「大福?」
すでに指先にはさらさらとした感触は残っていない。指先をかすめた餡子は気配もない。
「猫って餡子好きでしたよね、確か」
「そうなんですか?」
口をもごつかせた白猫は、うっとりした顔つきだ。
総務部で和菓子をつまんでいたが、指先に残っているものだけで、これだけ恍惚とした表情になるのか。
「……そうだ、持ってきてます」
フロアを出るとき、紅緒はポケットに和菓子を詰めこんでいる。
おはぎと大福を取り出し、紅緒は白猫の鼻先でおはぎの袋を開けていった。
「まわりだけ舐められますか? 内側は餅米ですから、身体に悪いかも」
そんな心配をよそに、べろり、と白猫の大きな舌はおはぎを丸呑みにしていった。
ビニールに入った大福を凝視しているため、紅緒はそちらも白猫に差し出す。
大福も一口に飲みこみ、咀嚼しながら白猫は新人氏のとなりに移動していった。
人面犬はだらりと床にのびている。
「アラ、いっしょにいる、なかよし」
白猫は新人氏に密着する。頬を肩に乗せたかと思うと、ゴリゴリとすり寄った。
これまでにもおなじ経験があるのだろう、新人氏は台車を支えにその重さを受け止めている。
白猫は新人氏の頭をがじがじと甘噛みし、その光景にどうしたものか紅緒は考える。
「……仲良しですね」
――仲良しは、一緒にいたくなるかどうか。
そういったのは紅緒だ。
白猫にとって新人氏は、そんな存在になっている。
この場所に引きこまれたのが先か、白猫が気に入ったのが先か。
どちらが先にせよ、新人氏が状況を悪く思っていないのはその顔つきからうかがえた。
これを引き離すのか。
ここに新人氏を残してはいけないのだろうか。
新人氏は白猫を好ましく思っている。異界にいることに関しても。
現実に戻ることだけが、最良ではないだろう。
迷って一言も発せなくなっている紅緒をよそに、新人氏は白猫のマズルを揉みしだきはじめていた。
「甘いのが好きなら、買ってきてあげるね。キャットフードはどうかな」
白猫に食べ物を――彼のその気持ちを現実への足がかりにして、すべてを決めるのは先送りにしてもいいかもしれない。
土産を持ってまた白猫に会うときに、新人氏が決めればいいのだ。
「じゃあ猫ちゃん、ここで待ってて」
「いっしょにいく」
白猫は両方の前脚で新人氏を抱える。爪が刺さらないように力の加減はしているようだ。
「いっしょ」
「またくるよ。どうやったら来られるか、なんとなくわかるから」
「いっしょ」
言い合いのようでいて、両者は顔を擦りつけ合ってなんだか楽しそうだ。
「三嶋さん、どうですか?」
如月が囁いてくる。なにを、なにが、と訊き返す気になれない。
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「そう思いますか?」
「もし武藤さんがこちらで、って決めたら、連れてきてあげてください」
「俺にそんなことができると思いますか?」
闇を頭から被っていてくれてよかった。声を聞いただけで予測できる。おそらく彼はにやにや笑っているだろうし、紅緒の癪に障るようなものだろう。
――この男に深入りしないほうがいい。
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「猫さん、彼を待ってる間、いっちゃんと遊んでいてください」
声もなく、如月の腕のなかで人面犬がふるえ出した。
「……なかよしぃ?」
白猫の首に腕をまわし、新人氏がなにやら話しかけている。
内容は聞き取れないが、白猫は顔をくちゃくちゃにした。少しうらやましくなる。
「俺ぇ? 俺がぁ?」
「やることがあるので、その間だけですよ」
人面犬は如月の腕から逃れようと身体をひねりはじめた。
紅緒は人面犬の身体に手をのばし、脇腹を撫でた。
やわらかく温かい毛並みは、そこだけ取れば怪異など関係ない犬だ――涙で濡れた、疲れた中年男の顔がついているが。
「お願いします、ワンちゃん。あなたしか頼れないんです。私たちでは無理なんです」
「……そりゃあさ……うぅ……うえぇん……」
言葉尻はすすり泣きになっていたが、紅緒は聞こえないふりをする。
白猫とのお遊びで、人面犬がどんな体験をしたのか。知りたくないことは尋ねなければいい。
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