48 / 56
9 道連れということ
第48話
しおりを挟む
「三嶋さんはほころびから漏れていったクチで」
本来なら連れ戻され、ふたたび刑罰の縄に囚われるべきらしい。
「ダブルワークでほころび塞ぎをしてて、三嶋さんを見つけたときはおもしろいなぁ、って……だから用意しました」
ちょうどジョッキが空になり、如月は追加を注文する。
「用意して、そこに流れ着くように誘導したんです――容れ物の名前は、三嶋紅緒」
紅緒は自分の胸元を指差した。闇濡れの頭が上下する。
「ご年配の方の身体にしておきました。せっかくなので、享年に合わせて……体力が少ないほうが便利なこともありますから」
顔も身体つきも、記憶にある自分に近い。しかし身体にあった細かい傷跡などは消えていた。
「けっこう大変なんです、無いを在るにするので」
いないはずの顔が増える。
街中に現れるならともかく、戸籍をともなっては難しいだろう。
「戸籍は」
「それも用意しました。人間をひとり消すのと増やすの、どっちのほうが大変でしょうかねぇ。なんというか、そこにいるものは否定できないでしょう? でも消えたらそれはもう忘れられていくだけ」
再生させたように、消滅もお手の物か。
そこにビールが運ばれてきた。ジョッキが闇濡れした顔に突っこまれていく。
「いまの職場以前の記憶が、かなり曖昧なんです」
気がついたら紅緒は一灯電社で働き、暮らすアパートがあり、身のまわりはととのえられていた。
――その前は。
「自我と身体が馴染むまでは、そんなにかからなかったですよ。俺がフォローしてましたし、とんでもない失敗はなかったです」
「……ずっと一灯電社に?」
「あんまりまわりとか人事に、そのあたり突いたりしないでくださいね。みなさんの記憶とか認識とか、ばんやりさせてますので」
「認識をぼんやり」
「ええ。なんとなく同僚に三嶋さんがいるな、ってていどに」
かたむけられたジョッキから、ビールがぐいぐいと減っていく。
「ぼんやりさせる、ってことは……もしかして、銀行なんかでも預金額をうやむやにできたりできるんですか?」
「うまくいくと思いますか?」
「いかないと思うので訊いてるんです」
「もう三嶋さんのまわりで、俺がなにかをぼんやりさせることはないですよ」
――手出しをしない。
それを聞いて紅緒は安堵していた。
すっかり氷の溶けた緑茶を口に含む。
リリちゃん人形のときもそうだ、彼は紅緒が頼むまで手出しをしなかった。
「三嶋さん、いまでは立派に働いてるじゃないですか。俺に感謝していいですよ」
味噌漬けチーズを口に運び、まだほかの料理も食べられそうだ、と思う。
若返ったからだろうか。鶏南蛮を追加し、紅緒は如月に向き直る。
「そこまでして、どうして」
手間のかかることではないか。
ほころびから出てしまったものを、わざわざよみがえらせる。
挙げ句には年齢を変えてしまった。
いまの自分がなんなのか、紅緒は把握できないでいる。
なにか名前がつくのだろうか。
よみがえった死者につく名は、いったいなんだろう。
有り得ないはずの駅に到達することをきさらぎ駅と呼び、人頭犬身のそれを人面犬と呼ぶ。
それとおなじように、三嶋紅緒の名で舞い戻った死者の怪異が成立するのか。
「俺はほころびを塞ぎ、通ってしまった連中を消すなり潰すなり叩くなりして、あちらに返します。仕事なんで」
鶏南蛮はすぐに運ばれてきた。
しばらく無言で鶏をつつき、また如月はビールを追加注文する。
「水に浮かべた油が点々とあるとするじゃないですか。油と油がくっつくと、ひとつになって大きな油の円になるんです」
「油?」
「そのほうが見つけやすいんですよ」
急に腑に落ちる。
「大当たりでした。三嶋さんは、そういう意味で優秀です」
「私は……餌ってことですか」
怪異を引き寄せるための、怪異。
「かならずしも、油と油が寄っていくとは限らないですよね」
「そうでもないでしょう。三嶋さん、ほかのやつらを無視できなさそうですし。よほどのことがないと、逃げないんじゃないですか?」
そういって如月は自分の顔を指差した。
闇が雨垂れのように落ちていく。
「俺のことも、けっこう気にしてたでしょう? 転職どころか異動願いも出さず、席替えも断って。わかってるのに、わからない振りして……まあ、そういうの不得意そうですし、これからは俺を頼ってください」
紅緒は武藤の顔を思い起こしていた。鼻腔に苺の甘い香りがよみがえるようだ。
集まっていくもののこと。
資産と資産。
果物と果物。
油と油――怪異と怪異。
面倒な手間をかけたことは、急がば回れ、かもしれない。
餌の紅緒がいれば、ほころびから出たものを如月は片づけやすい。
すべて思惑通りに運ぶとは限らないだろう。
でも、とつぶやきそうになる。
相手が同類であったり、理解を示すとわかると、怪異は集まり寄り添ってしまうものかもしれない。
リリちゃん人形は買った服に喜び、練り切りを食べてはしゃいでいた。
彼女との時間を不気味だと考えなかった時点で、如月の狙い通りだ――紅緒という油は、リリちゃん人形という油とくっついていたのだから。
「個人的には、あなたがどうなるか見てみたい」
底の知れない闇から、優しげな声で彼はそういった。
本来なら連れ戻され、ふたたび刑罰の縄に囚われるべきらしい。
「ダブルワークでほころび塞ぎをしてて、三嶋さんを見つけたときはおもしろいなぁ、って……だから用意しました」
ちょうどジョッキが空になり、如月は追加を注文する。
「用意して、そこに流れ着くように誘導したんです――容れ物の名前は、三嶋紅緒」
紅緒は自分の胸元を指差した。闇濡れの頭が上下する。
「ご年配の方の身体にしておきました。せっかくなので、享年に合わせて……体力が少ないほうが便利なこともありますから」
顔も身体つきも、記憶にある自分に近い。しかし身体にあった細かい傷跡などは消えていた。
「けっこう大変なんです、無いを在るにするので」
いないはずの顔が増える。
街中に現れるならともかく、戸籍をともなっては難しいだろう。
「戸籍は」
「それも用意しました。人間をひとり消すのと増やすの、どっちのほうが大変でしょうかねぇ。なんというか、そこにいるものは否定できないでしょう? でも消えたらそれはもう忘れられていくだけ」
再生させたように、消滅もお手の物か。
そこにビールが運ばれてきた。ジョッキが闇濡れした顔に突っこまれていく。
「いまの職場以前の記憶が、かなり曖昧なんです」
気がついたら紅緒は一灯電社で働き、暮らすアパートがあり、身のまわりはととのえられていた。
――その前は。
「自我と身体が馴染むまでは、そんなにかからなかったですよ。俺がフォローしてましたし、とんでもない失敗はなかったです」
「……ずっと一灯電社に?」
「あんまりまわりとか人事に、そのあたり突いたりしないでくださいね。みなさんの記憶とか認識とか、ばんやりさせてますので」
「認識をぼんやり」
「ええ。なんとなく同僚に三嶋さんがいるな、ってていどに」
かたむけられたジョッキから、ビールがぐいぐいと減っていく。
「ぼんやりさせる、ってことは……もしかして、銀行なんかでも預金額をうやむやにできたりできるんですか?」
「うまくいくと思いますか?」
「いかないと思うので訊いてるんです」
「もう三嶋さんのまわりで、俺がなにかをぼんやりさせることはないですよ」
――手出しをしない。
それを聞いて紅緒は安堵していた。
すっかり氷の溶けた緑茶を口に含む。
リリちゃん人形のときもそうだ、彼は紅緒が頼むまで手出しをしなかった。
「三嶋さん、いまでは立派に働いてるじゃないですか。俺に感謝していいですよ」
味噌漬けチーズを口に運び、まだほかの料理も食べられそうだ、と思う。
若返ったからだろうか。鶏南蛮を追加し、紅緒は如月に向き直る。
「そこまでして、どうして」
手間のかかることではないか。
ほころびから出てしまったものを、わざわざよみがえらせる。
挙げ句には年齢を変えてしまった。
いまの自分がなんなのか、紅緒は把握できないでいる。
なにか名前がつくのだろうか。
よみがえった死者につく名は、いったいなんだろう。
有り得ないはずの駅に到達することをきさらぎ駅と呼び、人頭犬身のそれを人面犬と呼ぶ。
それとおなじように、三嶋紅緒の名で舞い戻った死者の怪異が成立するのか。
「俺はほころびを塞ぎ、通ってしまった連中を消すなり潰すなり叩くなりして、あちらに返します。仕事なんで」
鶏南蛮はすぐに運ばれてきた。
しばらく無言で鶏をつつき、また如月はビールを追加注文する。
「水に浮かべた油が点々とあるとするじゃないですか。油と油がくっつくと、ひとつになって大きな油の円になるんです」
「油?」
「そのほうが見つけやすいんですよ」
急に腑に落ちる。
「大当たりでした。三嶋さんは、そういう意味で優秀です」
「私は……餌ってことですか」
怪異を引き寄せるための、怪異。
「かならずしも、油と油が寄っていくとは限らないですよね」
「そうでもないでしょう。三嶋さん、ほかのやつらを無視できなさそうですし。よほどのことがないと、逃げないんじゃないですか?」
そういって如月は自分の顔を指差した。
闇が雨垂れのように落ちていく。
「俺のことも、けっこう気にしてたでしょう? 転職どころか異動願いも出さず、席替えも断って。わかってるのに、わからない振りして……まあ、そういうの不得意そうですし、これからは俺を頼ってください」
紅緒は武藤の顔を思い起こしていた。鼻腔に苺の甘い香りがよみがえるようだ。
集まっていくもののこと。
資産と資産。
果物と果物。
油と油――怪異と怪異。
面倒な手間をかけたことは、急がば回れ、かもしれない。
餌の紅緒がいれば、ほころびから出たものを如月は片づけやすい。
すべて思惑通りに運ぶとは限らないだろう。
でも、とつぶやきそうになる。
相手が同類であったり、理解を示すとわかると、怪異は集まり寄り添ってしまうものかもしれない。
リリちゃん人形は買った服に喜び、練り切りを食べてはしゃいでいた。
彼女との時間を不気味だと考えなかった時点で、如月の狙い通りだ――紅緒という油は、リリちゃん人形という油とくっついていたのだから。
「個人的には、あなたがどうなるか見てみたい」
底の知れない闇から、優しげな声で彼はそういった。
0
あなたにおすすめの小説
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
背徳のミラールージュ(母と子 それぞれが年の差恋愛にのめり込んでいく鏡写し)
MisakiNonagase
恋愛
24歳の市役所職員・中村洋平には、自慢の恋人がいた。2歳年上の小学校教師、夏海。誰もが羨む「正解」の幸せの中にいたはずだった。
しかし、50歳になる母・美鈴が21歳の青年・翔吾と恋に落ちたとき、歯車は狂い出す。
母の恋路を「不潔だ」と蔑んでいた洋平だったが、気づけば自分もまた、抗えない引力に引き寄せられていた。
その相手は、母の恋人の母親であり、二回りも年上の柳田悦子。
純愛か、背徳か。4年付き合った恋人を捨ててまで、なぜ僕は「彼女」を求めてしまうのか。
交差する二組の親子。歪な四角関係の果てに、彼らが見つける愛の形とは――。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
近づいてはならぬ、敬して去るべし
句ノ休(くのやすめ)
ホラー
山中、もしあなたがそれに出会ったら……
近づいてはいけない。
敬して去るべし。
山を降りろ。
六年勤めた会社を辞めた。お荷物だとはわかっていたし、むしろ清々しくもあった。
28歳のコウイチには、仕事より大切なものがあった。
田舎歩きだ。そこ大事なのが学生のときにかじった民俗学だ。廃集落、古い祠、忘れられた神々——それを訪ねることは、彼のたった一つの愉しみだった。
大学時代、民俗学の講義で准教授はこう言った。「神々は神ではない」。人が畏れ、従い、忖度したものがかみになる。その言葉がコウイチを変えた。
会社の営業で関東のあちこちを歩きまわった。コウイチは仕事よりも土地の古老の話に耳を傾けることに熱中したほどだった。
失業後、ふと見つけた資料にコウイチは目を奪われた。
「名付け得ぬ神」。
東京の西、檜原村の奥深く、コボレザワという場所にその祭祀を担った一族がいたという。山奥には祠があるらしい。だがもう六十年も前に無人になってしまっているようだ。
コウイチは訪ねてみることにする。
道中、奇妙な老人に出会う。一人目は気のいい古書店主。二人目は何かを知りながら口を閉ざす資料館の老人。そして三人目は——
深い山中でコウイチはついに祠を見つけた。巨大な岩を背にした祠は古び、壊れていたが、まだ人が来ている痕跡があった。
不穏な気配にコウイチは振り向くが、なにもない。
日本の中心地・東京。そこからわずかにはずれた山の中に潜む秘密をめぐる奇譚。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる