闇がしたたる ~三千世界に怪異は嗤う

日野

文字の大きさ
49 / 56
9 道連れということ

第49話

しおりを挟む
「あなたは地獄の刑場で、黙って燃えていた。悲鳴も上げず、ただひたすら歯を食いしばって。見事でしたよ。どれほど燃やされても、あなたはなにひとつ悔いなかった」
「それなんですが……悔いるようなこと、なにかありましたか」

 よみがえってから、ここ最近以外のことはあまりに記憶が曖昧だ。それ以前のことなど、夢だといわれたら信じてしまいそうだ。

「あなたは夫を殺した」
「逆に私が殺された、気がするんですが」

 言葉にした途端に、胸の奥が煮え立っていく。
 組み敷かれ、首を絞められた。
 呼吸さえうまくできなかったあそこから、どうやって相手を仕留められるのだろうか。

「手近にあったものを投げたの覚えてます?」
「どうだったかな」
「おめでとう、お相手の頭に当たりました。それで亡くなって……その後に、あなたが亡くなった」

 紅緒は残っていた緑茶を全部飲み干した。

「僅差で絶命したようですよ」
「それ、私のせい?」
「残念ながら。まあ自覚できていなければ、反省のしようもないですねぇ」

 風が吹けば桶屋が儲かるようなものか。

「まだあなたは燃えている。なにが足りませんか?」

 そう尋ねた口で、如月は新たなビールを店員に注文する。

「生きてみたいのかも、しれません」

 未練の自覚はない。後悔も恨みも。
 すでに紅緒は現在を楽しんでいる。
 解放や許しとはほど遠いものかもしれなかった。
 まだ過去を自分のものとして受け止められていないのかもしれない――あまりにも遠くに感じる。
 遠いそれを、いずれは素手でつかみ取るようなことができるだろうか。

 ――それまで生きてみたい。

「だったら俺の補佐になってください。それで建前が立つ」

 運ばれてきたビールのジョッキを掲げた如月は、たぶん微笑んでいるのだろう。

「この先俺と働くなら、言い訳が立ちますから」
「なんの言い訳ですか?」
「よみがえったこと」

 ジョッキの中身が飲み下される。盛り上がったべつのテーブルから、湧くような歓声が広がった。

「言い訳が必要なんですか?」
「当たり前でしょう。でもまあ俺と三嶋さんでチームみたいなものですから、なんとかできる」

 紅緒は思い切り顔をしかめていた。

「手伝う理由、ほかにもいりますかね……じゃあ、三嶋さんをひっくり返したんですから、そのお代と思えばいいんじゃないですか? 俺の手伝いをしてたら、そのうち返し終わりますよ」
「ひどい押し売りですね」

 返事をしない如月に、味噌漬けチーズ小鉢を押し出す。

「けっこう大変だったんですよ、器の用意も引っくり返すのも」
「お疲れさまです」
「ほんとですからね、軽くあしらいますけど」
「簡単なことだなんて思ってませんよ。こちらに戻ったりひっくり返ったり、そんなの頻繁に起こることじゃないでしょう?」
「聞いたことないですね」
「……けっこうすごいじゃないですか、如月さん」
「有能なので」

 しゃあしゃあと言って退けるが、きっとそうなのだろう。

「まあ補佐といっても、いままでとおなじように働いて生活していてもらえれば」

 現在の一灯電社の給与は、仕事内容と照らし合わせても文句はなかった。
 生活もある、無職になるつもりはない。これから職探しをするつもりも。

 ――なにより、如月の誘いを断ることはできないのだろう。

「どうします?」
「そうします」
「わかりました。これからよろしくお願いします」
「……こちらこそ」

 紅緒は頭を下げた。

 これから紅緒は、釣り竿の先につけられた自覚のある生き餌だ。
 怪異が寄ってきて、あるいは紅緒が怪異を見つけ、それから――どうするのだろう。

「難しいことは全部如月さんがやってくれるんですよね?」
「最初から丸投げする気ですか」
「ど素人の初心者ですし、私がなにかするわけじゃないんですよね? 要は如月さんが責任者なんですよね?」

 あー、と空々しい声を如月は漏らした。

「どっちかっていうと、補佐というより共同体と思っていただければ」
「如月さんが上役ですよね?」

 これからは如月を壁にして隠れ、わからないことはすべて投げていこう。

「それはそうですけど、補佐をやるって約束したんですから」
「まだ書面にもしてないですから」

 いつの間にか、味噌漬けチーズの器は空になっていた。

「なにいってんですか、言霊が一番強いですよ」

 言霊――言葉に宿る力が働き、言った通りのことが起こる。
 そんなようなものだった気がする。

「ほころびとやらを見たことないんです。私になにかさせるのは無理がありますよ」

 だから如月にできる限りがんばってほしい。

「応援してますね」

 上機嫌な声の如月は、熱燗を店員に頼んでいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

背徳のミラールージュ(母と子 それぞれが年の差恋愛にのめり込んでいく鏡写し)

MisakiNonagase
恋愛
24歳の市役所職員・中村洋平には、自慢の恋人がいた。2歳年上の小学校教師、夏海。誰もが羨む「正解」の幸せの中にいたはずだった。 しかし、50歳になる母・美鈴が21歳の青年・翔吾と恋に落ちたとき、歯車は狂い出す。 ​母の恋路を「不潔だ」と蔑んでいた洋平だったが、気づけば自分もまた、抗えない引力に引き寄せられていた。  その相手は、母の恋人の母親であり、二回りも年上の柳田悦子。 ​純愛か、背徳か。4年付き合った恋人を捨ててまで、なぜ僕は「彼女」を求めてしまうのか。 交差する二組の親子。歪な四角関係の果てに、彼らが見つける愛の形とは――。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

近づいてはならぬ、敬して去るべし

句ノ休(くのやすめ)
ホラー
山中、もしあなたがそれに出会ったら…… 近づいてはいけない。 敬して去るべし。   山を降りろ。   六年勤めた会社を辞めた。お荷物だとはわかっていたし、むしろ清々しくもあった。 28歳のコウイチには、仕事より大切なものがあった。 田舎歩きだ。そこ大事なのが学生のときにかじった民俗学だ。廃集落、古い祠、忘れられた神々——それを訪ねることは、彼のたった一つの愉しみだった。   大学時代、民俗学の講義で准教授はこう言った。「神々は神ではない」。人が畏れ、従い、忖度したものがかみになる。その言葉がコウイチを変えた。 会社の営業で関東のあちこちを歩きまわった。コウイチは仕事よりも土地の古老の話に耳を傾けることに熱中したほどだった。   失業後、ふと見つけた資料にコウイチは目を奪われた。 「名付け得ぬ神」。 東京の西、檜原村の奥深く、コボレザワという場所にその祭祀を担った一族がいたという。山奥には祠があるらしい。だがもう六十年も前に無人になってしまっているようだ。   コウイチは訪ねてみることにする。 道中、奇妙な老人に出会う。一人目は気のいい古書店主。二人目は何かを知りながら口を閉ざす資料館の老人。そして三人目は——   深い山中でコウイチはついに祠を見つけた。巨大な岩を背にした祠は古び、壊れていたが、まだ人が来ている痕跡があった。 不穏な気配にコウイチは振り向くが、なにもない。 日本の中心地・東京。そこからわずかにはずれた山の中に潜む秘密をめぐる奇譚。

処理中です...