闇がしたたる ~三千世界に怪異は嗤う

日野

文字の大きさ
50 / 56
9 道連れということ

第50話

しおりを挟む
「そんなにがんばらなくていいんじゃないか、って俺は考えてるんです」
「そういうタイプの仕事なんですか? 私はど素人の初心者ですよ、如月さん」

 運ばれた熱燗には、お猪口がふたつついてきた。
 紅緒の前にもお猪口が置かれたが、指先を温めるだけにしておく。

「いまはあっちとこっちは別世界としてカウントしてますが、混ざったらそれはそれですよ。たぶん。破綻したところで、そのうちどうにかなって、うまくいきます。たぶん」
「そういう事態を避けるための仕事じゃないんですか?」
「でもほころびはできちゃうんです、勝手に」

 そのせいで、異界から戻れない行方不明者が出たり、あちらから怪異が漏れ出てしまう。

「できちゃうなら、放っておいてもなんとかなると思うんですよね。でも上のほうがね、ほころびは直せって」
「上のほう」
「そう、上のほう」

 耳の奥に異界で耳にしたお囃子がよみがえる。

 ――神や仏、そういったものの判断か。

「ほころびを放置したら、どうなると思いますか? なんとかなる、っていう言い方じゃなくて」
「広がっていくんじゃないかなぁ。たぶんね、あっちとこっちがいっしょくたになる」

 怖い話の気がするが、如月の声は楽しげだ。

「それを滅びっていうんだと思うんですけどねぇ」

 如月は笑い、そこまで楽しそうな彼の笑い声をはじめて聞いた。

「三嶋さん、滅んだら駄目だと思いますか?」

 そう思えるほうが健全かもしれないが、残念なことに紅緒は駄目だと思わなかった。
 きっと怖いことだ。
 大きな変化があって、多くのことが変わる。

 怖い。
 だが悪いと思わなかった。

 ――そうなったとき、和菓子は食べられなくなるだろうか。

「滅びって、よくわからないです」
「誰もわからないですよ。ほら、死と一緒で」

 それなら、滅びのあとにもなにかしらあるのかもしれない。
 怖くも悪くもないなにか。
 ただ誰も保証してくれない。
 それが起こらないように、と如月曰く『上のほう』が止めさせようとしている。

「……滅んだ未来にも、和菓子ってありますかね」
「さすがにないんじゃないかな」

 徳利が空になり、如月は紅緒が指先を温めていたお猪口を引き取った。

「じゃあ滅びないほうがいいです、私は」
「和菓子、おいしいですもんね」
「そうなんですよ、おいしいんです」

 和菓子だけでなく、もっとほかにも気に入るものがあるかもしれない。
 それをまだ紅緒は知らないだけ――滅びとおなじように。

「それじゃ、滅びの阻止を目指して、ほころび潰しをがんばりましょうか。俺たちは共同体ですからね」

 やけにそこにこだわる如月は、手のひらを見せてきた。

「手相でも見ろ、と?」
「違います。三嶋さん、右利きですよね――左手を少々貸してください」

 呼吸十回分は迷い、そろそろと紅緒は如月の手のひらに自分の手を重ねた。

 如月の手のひらは冷たい。

 周囲の喧噪が消えたかと思うと、重なった左手から全身へと重く響く痛みが広がっていく。
 骨の芯をつらぬいていく。
 痛みの余韻の深さに、紅緒はまばたきさえ恐れていた。

「……あ」

 呻き声を出すのがやっとだ。
 どっと汗が噴き出し、周囲の音が戻ってくる。

 紅緒は目の前の闇濡れした顔を凝視する。
 如月が被っている闇に、ちらちらとノイズに似たものが走っている。
 時折彼の素顔がのぞき、目が合う。

「こ、れ」
「痛いのは引きます、大丈夫ですよ」
「なにを」

 確かに痛みは引いていった。
 身体を動かすのが怖くなっている。
 またどこか痛むのではないか、あの痛みがよみがえるのではないか。そんな警戒をしてしまう。

「骨に刻印したんです。まあ、お守りみたいなものですよ」

 闇を被った顔と、微笑んだ男の顔が交錯している。以前写真で見た顔だ。

「三嶋さんは俺の眷属になりました」
「それは」
「共同体ってことです」

 紅緒は左手を胸の前で開閉する。痛みは消え、痺れなどもない。じっとりと濡れた背中が不快なだけだ。

「もうあなたは燃えてませんよ……出ましょうか。おいしかった、ごちそうさまでした」

 左手で紅緒は頬にふれたが、やけに冷たいものだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

背徳のミラールージュ(母と子 それぞれが年の差恋愛にのめり込んでいく鏡写し)

MisakiNonagase
恋愛
24歳の市役所職員・中村洋平には、自慢の恋人がいた。2歳年上の小学校教師、夏海。誰もが羨む「正解」の幸せの中にいたはずだった。 しかし、50歳になる母・美鈴が21歳の青年・翔吾と恋に落ちたとき、歯車は狂い出す。 ​母の恋路を「不潔だ」と蔑んでいた洋平だったが、気づけば自分もまた、抗えない引力に引き寄せられていた。  その相手は、母の恋人の母親であり、二回りも年上の柳田悦子。 ​純愛か、背徳か。4年付き合った恋人を捨ててまで、なぜ僕は「彼女」を求めてしまうのか。 交差する二組の親子。歪な四角関係の果てに、彼らが見つける愛の形とは――。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

近づいてはならぬ、敬して去るべし

句ノ休(くのやすめ)
ホラー
山中、もしあなたがそれに出会ったら…… 近づいてはいけない。 敬して去るべし。   山を降りろ。   六年勤めた会社を辞めた。お荷物だとはわかっていたし、むしろ清々しくもあった。 28歳のコウイチには、仕事より大切なものがあった。 田舎歩きだ。そこ大事なのが学生のときにかじった民俗学だ。廃集落、古い祠、忘れられた神々——それを訪ねることは、彼のたった一つの愉しみだった。   大学時代、民俗学の講義で准教授はこう言った。「神々は神ではない」。人が畏れ、従い、忖度したものがかみになる。その言葉がコウイチを変えた。 会社の営業で関東のあちこちを歩きまわった。コウイチは仕事よりも土地の古老の話に耳を傾けることに熱中したほどだった。   失業後、ふと見つけた資料にコウイチは目を奪われた。 「名付け得ぬ神」。 東京の西、檜原村の奥深く、コボレザワという場所にその祭祀を担った一族がいたという。山奥には祠があるらしい。だがもう六十年も前に無人になってしまっているようだ。   コウイチは訪ねてみることにする。 道中、奇妙な老人に出会う。一人目は気のいい古書店主。二人目は何かを知りながら口を閉ざす資料館の老人。そして三人目は——   深い山中でコウイチはついに祠を見つけた。巨大な岩を背にした祠は古び、壊れていたが、まだ人が来ている痕跡があった。 不穏な気配にコウイチは振り向くが、なにもない。 日本の中心地・東京。そこからわずかにはずれた山の中に潜む秘密をめぐる奇譚。

処理中です...