好感度教育

蝸牛まいまい

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第一章

近衛乙月

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部屋に戻るとテレビを見ている女生徒の後ろ姿があった。入ってきたことに気づいてこちらを向くと一言。
「どうも…」
少し短めのセミロングと25度くらいの傾きの釣り目と無表情な顔が特徴的だった。一言そっけなく挨拶のようなことをした後、点いていたバラエティを見始めた。バラエティでは人気のお笑い芸人が馬鹿している。
「似合ってない…」
お笑い芸人が沢山出てくるような番組には冷たい眼差しの女生徒は合わない。
「星乃侑輝さんでしたっけ?」
「あ…はい」
「人を見かけで判断するのはよくないと思います」
淡々と批判とする女生徒の意見は正論である。どこの誰ともわからない人間にいきなり似合ってないなんて言われていい気分になるやつはいない。
「すいません…」
「宇田陽子と言います。と言ってもパートナーはもう変わると思うので関わることはないかもしれませんが」
冷たく言い放った宇田陽子に対して口には出さないものの侑輝は名前が似合ってないと心底思った。加えて先程から侑輝の片腕という事実に何一つ驚きを見せないのが不思議な印象であった。
「そう…ですか…では…」
しかし宇田陽子の言う通り今は仮のパートナーみたいなもので、ランダム申請で偶々一緒になっただけである。加えて今日が初めての顔合わせというのに一週間後には何の関係もない赤の他人でしかない。宇田陽子は興味のなさそうに侑樹から目をそらすと再びテレビへと目を向け、熱心に見始めた。


朝6時、近衛さんには7時に起こしてもらう予定ではあるものの悪夢のように再現されるブラックな近衛さんを夢に見て目が覚めてしまった。基本的には常時優しい笑顔をしているし、人当たりもよさそうである人間が本当は怒ると怖いなんてことはよくある。寧ろ温厚な人間は多少のことでは怒りを見せないだけで、それが爆発すると周囲を驚かせるほどに怖いなんてのは珍しくはない。近衛さんも基本的には温厚そうではあるためにある程度は気を付ける必要があるかもしれない。加えて新しいパートナーになるんだからある程度心持は前向きにならないと学力テストの順位が下がってしまうというものである。
身支度を済ませ、時計の長針が天辺に来ないうちにインターフォンが鳴った。
「近衛乙月です」
「あ、はいはい」
「星乃君、起きていたんですね」
「まあ、偶々です」
授業のない朝の約7時というからなのか廊下はシンとしていた。最も部屋は1つ1つプライバシーの関係で防音になっているために煩いということは決してないことであるが朝特有の落ち着いた静けさが漂っていた。
近衛さんは少し微笑むと、行きましょうかと言った。
学食に行ってみると休日の早朝だからだろうか、生徒はいつもより7割減くらいだった。パートナー同士で仲良く食事するものもいれば、友達同士で食事するものも、一人で食事するものも散らばるようにいた。

「星乃君は何食べるんですか?」
食堂のメニューは基本的には朝昼夜大体同じメニューであるが、ラーメンは昼夜限定、となっている。また期間限定で珍しい定食やおかずが出ることもあるに加えてデザートも充実している。因みに今の期間限定のおかずにはゴーヤチャンプルーがあった。といっても侑輝は苦い食べ物がそんなに好きでもなく、朝ご飯はパンよりライス派であった。から揚げ定食やカレーライスも好きなほうではあるが、朝から油の強いものを食べるのは好ましくないと思った侑輝は魚系の定食を見た。
「んー鯖味噌定食で…」
自動販売機のような機器の中にある鯖味噌定食ライス中のボタンを押した後、サラダのボタンとデザートの中のグレープゼリーを押す。あとは終了を押すと番号が示された紙が印刷され出てくる。それを受け取った後にモニターに印字された数字が出てくれば料理を受け取る場所にて受け取ることができる。
侑輝は適当に場所取りをしようと思ったが近衛乙月が何を頼むのかが気になり横にづれて様子を見た。
近衛乙月は手際よく、鯖味噌定食ライス小、サラダ、グレープゼリーのボタンを押すと数字の印字された紙を受け取った。
「…」
あっけにとられた侑輝をよそに近衛乙月は自然に言った。
「どこで食べますか?」




男女二人を向かいに食堂のテーブルの上にはほとんど同じ料理が並べられていた。違いがあるとすれば白米の量くらいであろう。同じものを食べているということで普通は親近感が湧いてしまうものであるが、少なくとも男性のほうは少しの不信感のようなものが心に詰まっていた。
「近衛さんはどんな食べ物が好きなんですか?」
目の前の美女はとても美味しそうに朝食を食べているのであるが、その料理は決して彼女の好みであるかどうかと言われるとわからない。それを少しでも確認すべく侑輝は尋ねた。
「私は特にはこだわりはありません、好き嫌いもありませんし」
「そうなんですか」
侑輝には嫌いな食べ物がないというよりは食事に興味が無いと答えられたような気がした。しかしそう答える近衛乙月の姿は侑輝からすると、どこか大人びている。
「星乃君はどうですか?」
侑輝は近衛乙月の姿を見て、子供のような自分に恥ずかしがりつつ答えた。
「そうですね、肉と魚は基本的に大体好きですが…トマトが苦手です」
「ふふふ、そうなんですか」
近衛乙月は何故か嬉しそうに笑った。侑輝を子供っぽいと馬鹿にするようにというよりも、どこかの世界の勇者が洞窟でお宝を見つけたような、そんな笑顔であった。

…しかし
先程から一見近衛乙月は普通に食事をしているようであるが、侑輝のことをちらちら、いやがっつり凝視しながら箸を進めている。そんな視線を感じる侑輝の箸は少し不安を掴みながら進んでいる。
「あの…何か用でもありましたか?」
「…良ければですけれど私が食べさせてあげましょうか?」
「…」
…そういうことか
確かに片腕でのご飯は食べにくい。ライスを食べるときは固まりがしっかり離れるまで待たないといけないし、みそ汁は具を食べてから汁をすする必要がある。幸いサラダや魚は少し食べにくいくらいの問題なので気にする必要はない。入院生活では最初は食べることに時間はかかったがそれでも今は幾分かマシになったはずである。それでも両腕にある人と比べると遅いのは仕方がないことであった。朝食がパン派であればもっと早く食べられるのであるが、これから一生片腕の以上、ライスの主食とした食事にも慣れないといけない。
「…いえ、気にしなくてもいいですよ」
食堂で堂々と近衛乙月に食べさせられている自分の想像をした侑輝は少し顔が熱くなった。思春期真っ盛りの高校一年生には少し恥ずかしいのである。
「でも…」
近衛乙月はまるで納得していないらしく眉をひそめた。なくなった左腕を見て悲しそうに目を伏せた。そんな美女の姿を見て侑輝は焦る。
「結構慣れてきましたし…」
「…」
「その………流石に恥ずかしいですし…」
「…恥ずかしいですか?」
顔を上げた美女の頭が傾いた。
「…まあ、他の人もいるので…ちょっと恥ずかしいです…」
まあ実際は他人がいようといなかろうと侑輝は恥ずかしいのである。美しい女の子にご飯を食べさせてもらうという姿が恥ずかしく、少し情けなく思ってしまうのである。片腕のくせに変なプライドが働いてしまうのである。
「………わかりました」
近衛乙月は何か考えるように物思いに机の下へと目をやると、すぐに顔を上げて納得したように答えた。そんな近衛乙月を見て侑輝は安堵して鯖味噌をつついた。


「そういえば星乃君」
「は、はい」
「トップ10位の組の特別部屋にはキッチンもあるみたいですよ?」
「へえ、それは知りませんでした」
料理なんてするやつがいるのだろうか…
キッチンがあったとしても料理には時間がかかるのみならず食材が必要になる。学園の敷地にあるデパートには勿論、野菜や肉、魚などの食材もそこそこあるが、それらは学園から配布される月のお小遣いを使用して買う必要があるわけで、無料で飲食ができる食堂があるのにわざわざ自分のお小遣いを使って野菜や肉などの食材を買ってまで料理をしようと思う人がいるのであろうか。料理をしたところで成績に関わることは全くなく、勉強時間も奪われる。コストを払ってもリスクしかなくはっきり言って無駄なことなのである。
「近衛さんは料理はできるんですか?」
「少しはできます。10位以内に入った時は星乃さんのために作りますよ?」
さも当然のように近衛乙月は言ったが、侑輝にはまだ冗談半分のように聞こえた。勿論それは近衛乙月が料理をすることの不毛さを理解しているはずだという前提からである。しかし近衛乙月が本気で言っているということをすぐに理解した。
「はは、ありがとうございます」
薄っぺらい笑いを返す。
「星乃君の好きな料理はなんですか?」
その質問が近衛乙月が決して冗談で言ってはいないことを示している。侑輝はすぐに薄っぺらい気持ちに複雑な気持ちを重ねた。
「え、いや」
決して料理が食べたくないというわけではないが、食堂があるのにわざわざ作ってもらう必要までないのである。
「なんでもリクエストしてください」
「いえ、わざわざいいですよ、そんな」
「リクエストしてください」
真剣で純粋な近衛乙月の眼が侑輝の目に映った。それは前に見た黒い暗いものとは別物で、眼球すら違うような気がしてしまうほどに綺麗でまっすぐであった。
「…」
「なんでもいいですよ?」
侑輝はそんな近衛乙月に気圧されて自身の一番好きな料理を白状することにした。
「…じゃ、じゃあロールキャベツ」
「ふふふ、わかりました」
嬉しそうに笑う近衛乙月は母性に溢れたような目で侑輝を見つめた。侑輝は顔が少し熱くなるのを感じた。






「じゃあ、勉強しますか」
「はい」

食事をした後は予定通り図書館で2人して勉強をした。近衛乙月の説明はそこらの新米先生よりも効率的でうまかった。ありがたいことに選択科目も全く一緒であったために全ての教科を教えてもらうことになった。勉強会と言うか星乃生徒と近衛先生の授業に等しい。
「近衛さんって本当に頭いいんですね。」
「いいえ、星乃君の理解力が高いからですよ。」
嬉しそうに微笑む近衛さんを見ては一生追いつけないだろうなと悟ってしまう。侑輝は勉強しないわけではないし、どちらかと言えば真面目なほうであったために中学の定期テストでは20位以内には入っていた。勿論ある程度の勉強あってであるが。しかし近衛乙月に追いつくためには100%の努力だけでは足りないと理解してしまうくらいに脳の差がある。記憶力、思考力、その他もろもろどれをとっても勝てない気がするのであった。

「…ふう」
休憩をはさんだ4時間ほどの勉強の後、昼食を食べ、更に3時間の勉強。すでに午後の4時。近衛乙月という先生と長時間の勉強の御陰で他の生徒にもかなり追いついてきた気がする。
「ふふ、お疲れですか?」
「あ、はい、疲れました。」
「少し休みますか?」
侑輝の隣に控える近衛乙月からは一切の疲労の表情もない。寧ろ朝よりも元気なくらいな気がしなくもない。綺麗な姿勢を保ったままずっと座り、自身の勉強と侑輝の勉強を見ていたはずであるのに疲労の色を知らない、そんなタフさに侑輝は驚くと共に感心した。やはり天才は勉強が好きであり、苦痛を感じることがないのだろうかと…
「近衛さんはいつもどんな勉強をしてるんですか?」
「勉強ですか?あまり気にしたことはありませんね。こんなに勉強したのも初めてですし…勿論課題とかはしていますが…」
「へ、へえ…」
…これが天才か。
どれだけ勉強をしてもできない人間は沢山いるが、大した勉強をしなくてもこれだけできる人はそうはいない。少し近衛乙月の才能を羨ましく思ってしまった侑輝であるが、差がありすぎて妬みすらしなかった。なぜならアインシュタインやエジソンに向かって侑輝はその才能が欲しいなんて思わないからだった。
「今日は楽しかったですね、星乃君」
「はは、そうですか」
侑輝は近衛乙月の楽しいという言葉に若干の疑問を感じながら、その一方で理解できない天才の領域に対しての微々たる納得を感じた。
「はい。二人でお勉強というのは楽しいですね。」
「はあ…そうですか。まあでも一人で勉強するよりは時間が早く感じる気はしますね。それに近衛さんも教えてくれましたし。ありがとうございます」
「いえ、星乃君に協力するのは当然のことです。パートナーなんですから」
「そう…ですか」
「では明日もしましょうか」
「…え?」
では、と言われても話の脈が続いていただろうか。近衛乙月はさも当然のように言っているが、それは侑輝がまだまだ他の生徒に追いついていないことを意味しているのか。しかし、侑輝からしてみるとそこそこ理解はできているつもりではあったし、そもそも今日のような一日は疲労が溜まる。侑輝はちらりと近衛乙月の目の奥を覗いた。その目には失望したような色もなく、特に怒りのような色もなく、ただ純粋な、そう、いうなれば…男友達が「明日も遊ぼうぜ!」と言わんばかりであった。しかし、加えてその目の中から鎖のようなものが今にもでて腕から身体中を締め上げるような感じが秘めている。
「…」
「明日もしましょうか」
にこりと微笑む近衛乙月…
「…はい」
美しい笑顔を見せられた侑輝は断ることはできなかった。



 それから部屋替えまでの一週間、なんやかんやで毎日勉強会が行われた。そのお陰かパートナーの近衛さんのこともある程度知ることができた。
まず一つ目に…食事の時、近衛乙月はいつも侑輝と同じものを選ぶ。ジュースを買うにしても同じものを買う。食事をしているときはずっと侑輝の食事を見ている。「何か用ですか?」と問うと「美味しいですね」と嬉しそうに微笑むだけであるので理由はわからない。
二つ目…一緒に居るときはとにかくずっと傍にいる。偶々かとも思ったがトイレに行こうと立ち上がると「どこに行くんですか?」と言いながら自分も立ち上がり「お手洗いに」と答え向かうと一緒に行こうとし着いてきてはお手洗いの前でずっと待っている。
三つ目…偶に出るゾッとするほどに積極的な側面があるのと裏腹に意外と消極的なのか偶々手が触れあった時は顔を赤らめてすぐにお手洗いに行ったことがあった。
近衛さんはしっかり者で細かいところにも気が付くし、世話好きと言う類の人間なのだろう…勿論侑輝自身が片腕だという理由も大きいが…。紙で切ったほんの少しの指の傷さえもすぐに気が付いて過剰に心配したりする。
 問題とするなら近衛乙月のダークサイドである。偶に出るあれはどうも侑輝にとっては苦手でできるだけ穏便な日常を続けたいと思った。というのも図書館で一緒に勉強をしていた時、他の生徒が俺の片腕を見てこそこそと話していたのを睨みつけた近衛さんの目は殺人鬼のそれと同様だった。言い方は悪いが本当に人を殺しそうな暗く鋭い目をしていた。そのためか生徒と俺の顔が青くなり、小刻みに震えた生徒の様子をよく覚えている。そのようなことがある度に腫物を触る如くフォローすることがストレスだ。
「あ、近衛さん、こ、この問題わからないなー」
という手を何度使っただろうか…。
勿論、侑輝のために怒ってくれているということを理解していたため少し嬉しくもあったが、ダークサイドに落ちる近衛乙月を見るのは自身の身さへ危ない気がしてたまらなかったために極力避けたいことであった。


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