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第二章
月に近い
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「星乃君、これからは一緒ですね」
部屋と荷物の移動を終え、ソファの端へと重い腰を落とすと数秒遅れて二つ目の腰が静かにソファに降ろされた。少し大きいソファの反対側の端に大きな隙間を作りながら近衛乙月は座る。甘く優しい匂いが鼻孔を突き抜ける。毎回そうであるが近衛乙月の匂いは頭の回転が鈍るくらいに優しく甘美であった。一体、シャンプーやリンスはたまたボディソープ、それとも体臭というものなのだろうか。侑輝は顔が赤くなると同時に心拍数が上がった。
侑輝は未だに近衛乙月が、これほどまでに自身に気を付かせているのは罪滅ぼしが半分であろうと感じていたが、近衛乙月の優しい目や侑輝に対する一挙手一投足が別の感情からくるものだということを気づきつつあった。加えて、美人で天才で高校一年生とは思えない身体つき、そんな女の子がゼロ距離で隣にいればどんな男子高校生であっても多少緊張してしまうのは当然である。
「こ、近衛さん?」
「どうしましたか?」
にっこりと笑う近衛さんは幸せを噛みしめるように、ゆっくりと目を閉じて侑輝に寄りかかる。近衛乙月の身体の重みが肩にかかり侑輝の鼓動は更に跳ね上がった。
「…この学校にあるソファ大きいですよね」
「そうですね」
「こ、近衛さん、近くないですか?」
「いやですか?」
「いや、そういうわけでは…」
侑輝は異様に落ち着いた声で答える近衛乙月を横目で見た。寄りかかった姿勢は整っていて、目を軽く閉じていた。それは決して悲しいものや辛いものではないことが緩んだ顔から窺えた。
「ではもう少しこのままで…」
「…うん」
侑輝には「無理」と言うことはできなかった。
「では一生このままで…」
「いや、それは少し無理です」
即答した。まだまだ近衛乙月との付き合いは短いものであったが、冗談を言い合える程度になった。それはやはり、一緒に居た時間が長かったのが大きい。好感度上昇のことを考えると学力テストを多少心配する侑輝にとってはある程度ありがたいことでもある。
約一週間のうちに縮まった距離は傍からみれば恋人そのものかもしれないが、そんな風なものではない。近衛さんのような美人との距離が縮まることはやぶさかではないが、しかしお互いまだ知らないことは沢山あるわけで、いくら物理的かつ精神的距離が縮まろうとも物理的距離に比べると精神的距離はまだ侑輝自身が追い付いていない。
ただ、近衛乙月からの想いは嫌でも届くわけでそれがどんだけ重かろうが悪い気分ではなかった。
「俺、少し疲れたのでちょっと横になってきます。」
そろそろ密着する身体に高揚する気持ちを抑えるのが限界だ。冷静を装いながら寝室に向かおうと立ち上がる。
「星乃さん…私もご一緒しますよ?」
「え、ああそうなんですか。じゃあ少しの間だけどお休みなさい」
自分の寝室の前に来るとすぐ後ろに付いてきた近衛さんへと振り返り「では」と言って寝室のドアを開いた。
「あの…近衛さん」
「はい?」
「あの…寝るんですけど…」
「わかってますよ、早く寝ましょう。」
「…うん、じゃなくて付いてこなくていいんですよ…」
「え?一緒に寝るんじゃないんですか?」
狭い寝室は一人に一部屋与えられるため一緒に寝ることはまずない。
「いや、流石に添い寝は必要ないですから…」
「…え…でも…パートナーですし、星乃さんのお世話しないと。それに何か危ない時は傍にいないと…」
片腕だとしても女性相手に心配された侑輝は少しだけ情けない気持ちになる。
「大丈夫だから、そ、それじゃ!」
侑輝は近衛乙月の次の言葉が出る前に素早く扉を閉めた。
ふう…
ようやく熱が冷めると急に身体の重さが感じられるようになった。そのまま身体をベッドへと放り込み、ゆっくりと目をつぶった。
起き上がったのは昼下がり、侑輝はむっくりとずいぶん軽くなった身体を起こした。身体からは疲れがとれ、気分もよい。ふわふわした感覚がまだ頭の中に残っている。夜に眠るよりも昼に眠る短時間の睡眠のほうが気分がよくなるのはなぜなのだろうか。心地よい気分の中でそんなことを思いながら、ふわふわ軽い身体で寝室から出たその時、一瞬にして身体と心が重くなった。
寝室の扉のすぐ隣で体育座りをして、下を向いている近衛さんがいた。
「…このえ…さん?」
近衛さんは声に気が付くと顔を上げた。ゾッとするような顔を…。目のハイライトは完全に消えて、体育座りをしている原因なのか、いやそうではないのかいつもより小さく感じる。目の下が少し赤くなっている。
「あ!おはようございます。」
つい1秒前までは絶望の番人のような雰囲気であった近衛さんは侑輝を見た瞬間に天使の笑顔を向けてきた。侑輝は身体が石になるようだった。火山の麓が一瞬にして南極になってしまったように身体が一瞬にして固まった。
「…こ、近衛さん…何してるんですか?」
「…?、何って…待っていました。」
「2時間ほど経ってるけど…まさか…ずっと座ってたんですか?」
「はい」
少し赤い目の中には悪意もなければ疑いもかけようもないほどの純粋な思いが見て取れた。侑輝は改めて近衛乙月という脅威を知りつつも、この短い間で知りえたことを思い出し自責の念を感じた。これは予想できたことではないのかと…。
近衛乙月のこういった奇行はお手洗いの時などのことを考えると予想できたはずだった。しかし流石にここまでスルとも思わなかった。もしも昼寝が6時間7時間と長くなってもずっと座っていただろうか。おかしくはない。
「近衛さん、待っていなくても自分の好きなことしていればいいんですよ?」
「…」
「いくら好感度を上げるために極力一緒に居ることを学校側が推奨しているとしても限度があるでしょうし、近衛さんも自分の好きなことしてください。」
「えっと…」
近衛さんは少し不思議そうに答えた。
「好きなことしましたよ?」
「…」
このとき侑輝は近衛乙月が危険であるということを確信した。それは侑輝に脅威を与えるだけでなく、近衛乙月自身がその性格ゆえに自分を破滅させてしまうかもしれないことも含んでいる。
…侑輝は近衛乙月と出会った、いや出会ったというよりは道路でぼーっとしていたあの後ろ姿を思い出していた。あの時近衛乙月は何を思っていたのか、何をしようとしていたのか。
部屋と荷物の移動を終え、ソファの端へと重い腰を落とすと数秒遅れて二つ目の腰が静かにソファに降ろされた。少し大きいソファの反対側の端に大きな隙間を作りながら近衛乙月は座る。甘く優しい匂いが鼻孔を突き抜ける。毎回そうであるが近衛乙月の匂いは頭の回転が鈍るくらいに優しく甘美であった。一体、シャンプーやリンスはたまたボディソープ、それとも体臭というものなのだろうか。侑輝は顔が赤くなると同時に心拍数が上がった。
侑輝は未だに近衛乙月が、これほどまでに自身に気を付かせているのは罪滅ぼしが半分であろうと感じていたが、近衛乙月の優しい目や侑輝に対する一挙手一投足が別の感情からくるものだということを気づきつつあった。加えて、美人で天才で高校一年生とは思えない身体つき、そんな女の子がゼロ距離で隣にいればどんな男子高校生であっても多少緊張してしまうのは当然である。
「こ、近衛さん?」
「どうしましたか?」
にっこりと笑う近衛さんは幸せを噛みしめるように、ゆっくりと目を閉じて侑輝に寄りかかる。近衛乙月の身体の重みが肩にかかり侑輝の鼓動は更に跳ね上がった。
「…この学校にあるソファ大きいですよね」
「そうですね」
「こ、近衛さん、近くないですか?」
「いやですか?」
「いや、そういうわけでは…」
侑輝は異様に落ち着いた声で答える近衛乙月を横目で見た。寄りかかった姿勢は整っていて、目を軽く閉じていた。それは決して悲しいものや辛いものではないことが緩んだ顔から窺えた。
「ではもう少しこのままで…」
「…うん」
侑輝には「無理」と言うことはできなかった。
「では一生このままで…」
「いや、それは少し無理です」
即答した。まだまだ近衛乙月との付き合いは短いものであったが、冗談を言い合える程度になった。それはやはり、一緒に居た時間が長かったのが大きい。好感度上昇のことを考えると学力テストを多少心配する侑輝にとってはある程度ありがたいことでもある。
約一週間のうちに縮まった距離は傍からみれば恋人そのものかもしれないが、そんな風なものではない。近衛さんのような美人との距離が縮まることはやぶさかではないが、しかしお互いまだ知らないことは沢山あるわけで、いくら物理的かつ精神的距離が縮まろうとも物理的距離に比べると精神的距離はまだ侑輝自身が追い付いていない。
ただ、近衛乙月からの想いは嫌でも届くわけでそれがどんだけ重かろうが悪い気分ではなかった。
「俺、少し疲れたのでちょっと横になってきます。」
そろそろ密着する身体に高揚する気持ちを抑えるのが限界だ。冷静を装いながら寝室に向かおうと立ち上がる。
「星乃さん…私もご一緒しますよ?」
「え、ああそうなんですか。じゃあ少しの間だけどお休みなさい」
自分の寝室の前に来るとすぐ後ろに付いてきた近衛さんへと振り返り「では」と言って寝室のドアを開いた。
「あの…近衛さん」
「はい?」
「あの…寝るんですけど…」
「わかってますよ、早く寝ましょう。」
「…うん、じゃなくて付いてこなくていいんですよ…」
「え?一緒に寝るんじゃないんですか?」
狭い寝室は一人に一部屋与えられるため一緒に寝ることはまずない。
「いや、流石に添い寝は必要ないですから…」
「…え…でも…パートナーですし、星乃さんのお世話しないと。それに何か危ない時は傍にいないと…」
片腕だとしても女性相手に心配された侑輝は少しだけ情けない気持ちになる。
「大丈夫だから、そ、それじゃ!」
侑輝は近衛乙月の次の言葉が出る前に素早く扉を閉めた。
ふう…
ようやく熱が冷めると急に身体の重さが感じられるようになった。そのまま身体をベッドへと放り込み、ゆっくりと目をつぶった。
起き上がったのは昼下がり、侑輝はむっくりとずいぶん軽くなった身体を起こした。身体からは疲れがとれ、気分もよい。ふわふわした感覚がまだ頭の中に残っている。夜に眠るよりも昼に眠る短時間の睡眠のほうが気分がよくなるのはなぜなのだろうか。心地よい気分の中でそんなことを思いながら、ふわふわ軽い身体で寝室から出たその時、一瞬にして身体と心が重くなった。
寝室の扉のすぐ隣で体育座りをして、下を向いている近衛さんがいた。
「…このえ…さん?」
近衛さんは声に気が付くと顔を上げた。ゾッとするような顔を…。目のハイライトは完全に消えて、体育座りをしている原因なのか、いやそうではないのかいつもより小さく感じる。目の下が少し赤くなっている。
「あ!おはようございます。」
つい1秒前までは絶望の番人のような雰囲気であった近衛さんは侑輝を見た瞬間に天使の笑顔を向けてきた。侑輝は身体が石になるようだった。火山の麓が一瞬にして南極になってしまったように身体が一瞬にして固まった。
「…こ、近衛さん…何してるんですか?」
「…?、何って…待っていました。」
「2時間ほど経ってるけど…まさか…ずっと座ってたんですか?」
「はい」
少し赤い目の中には悪意もなければ疑いもかけようもないほどの純粋な思いが見て取れた。侑輝は改めて近衛乙月という脅威を知りつつも、この短い間で知りえたことを思い出し自責の念を感じた。これは予想できたことではないのかと…。
近衛乙月のこういった奇行はお手洗いの時などのことを考えると予想できたはずだった。しかし流石にここまでスルとも思わなかった。もしも昼寝が6時間7時間と長くなってもずっと座っていただろうか。おかしくはない。
「近衛さん、待っていなくても自分の好きなことしていればいいんですよ?」
「…」
「いくら好感度を上げるために極力一緒に居ることを学校側が推奨しているとしても限度があるでしょうし、近衛さんも自分の好きなことしてください。」
「えっと…」
近衛さんは少し不思議そうに答えた。
「好きなことしましたよ?」
「…」
このとき侑輝は近衛乙月が危険であるということを確信した。それは侑輝に脅威を与えるだけでなく、近衛乙月自身がその性格ゆえに自分を破滅させてしまうかもしれないことも含んでいる。
…侑輝は近衛乙月と出会った、いや出会ったというよりは道路でぼーっとしていたあの後ろ姿を思い出していた。あの時近衛乙月は何を思っていたのか、何をしようとしていたのか。
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