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不穏の色
5
とある美術大学の一角。不審者よろしく建物の影に隠れてコソコソと周囲を伺っている人影があった。
「右良ーし、左良ーし、前方良ーし……。今のうちにっと」
毛を逆立てた子猫が警戒心をあらわに辺りを見回すかの様に。こっそりこっそり辺りを確認して、恐る恐る移動する。近くに警戒対象がいない事を確認して、初めてほっと息をつく。
「ああもう。早く帰りたいのにぃ。なんだってこんな犯罪者的な行動を」
グスグスと鼻を鳴らす仕草をしつつ、小走りに通路を突っ切る。頭の中にはたった一つのことしかない。思い浮かぶのは、青藍の笑顔と顔も知れぬ青藍の幼馴染兼担当編集者。青藍の彼女(あるいは彼)に対する言動は非常に気安い物で。常盤は悶々としたものを抱えていた。
「しかも、幼馴染さんがまだ男なら良いけど、女の人だったら本格的にアウトじゃんかぁ」
やべ、本格的に泣けてきた。
ウソ泣きのはずが本当に視界が滲んできて、慌てて袖で目元をさすった。最初は単純に優しくしてもらえたことが嬉しかった。自分ではどうしようもない理不尽に押しつぶされそうな常盤を拾い、あまつさえ絵を描く事を肯定してくれた事が嬉しくて。純粋な思慕が、下心の混じる恋慕に変わるのには時間がかからなかった。
「ま、本人は言葉にして褒めないけどねぇ」
それでも、青藍が食い入るように自分の絵を見つめ、新しい物語を紡いでいく。そっと差し入れてくれた画材がある。それだけで、自分の絵を肯定されている事が伝わってきて。たったそれだけの事が、常盤と常盤の絵を支えていた。
「青藍さんだけだったもんなぁ。結局、柵なしに俺の絵を見つけてくれて受け入れてくれたのって」
足を止め、憎たらしい程に青い空を見上げる。常盤は何のかんの言いつつ、自分の絵について客観的に評価している。うぬぼれではなく、世に出せばそれなりに受け入れられるであろうと。しかし、そこには薄汚れた大人たちの、薄汚い思惑がべっとりとくっついている事に嫌悪してしまい、足が竦んでしまったのだ。
そうして悩んでいた自分に、声を掛けてくれた者も手を差し伸べてくれた者もいたが、常盤の望むモノを与えてくれたのは、青藍一人だけだったのだ。
「それで堕ちた自分もちょろいけど、ほとんど失恋決定の恋してるってホント救いようがないよねぇ」
自分で口にして落ち込む。ここ最近、青藍は頻繁に担当編集者――菫というらしい――にあっている。常盤は直接会った事は今だにないが、若干人嫌いの気がある青藍が何事も無いように側に置いているのだ。それだけで、彼女をどれだけ信頼し、気を許しているのかが分かる。
「ん?今気づいたけど、菫さんって事は、ほぼ女の人で確定じゃん!それとなく目をそらしていた事に見事に気づいてしまった自分馬鹿!」
つらつらと連なる考えにはたと突っ込みを入れた常盤。そのまま崩れ落ちたかと思うと、頭を抱えた。ノンケであろう青藍へのアピールにも困っているというのに、魅力的(常盤の想像)な女性が傍で献身的に支えてくれているのであれば、万に一つの可能性もない。絶望感に苛まれ、呻いていた常盤の後ろから、影が差した。
「ああ。やっと見つけたよ常盤君。相変わらず逃げ回るのが得意だねぇ」
呆れを多分に含んだ、穏やかな声が降って来て。常盤は音を立てて固まった。ぎぎぎ、と油の切れたブリキのおもちゃの様な動きで振り返ると、仕立ての良いスーツに身を包んだ青年がそこには立っていて。
「後ろ、確認してなかったぁ……」
「中々失礼な事を言われている気もするけど……?」
左右正面は安全確認したものの、背後の確認を忘れた、と項垂れる常盤に、青年は苦笑した。
常盤が異常なまでに周囲を警戒していたのは、他でもない、この青年を警戒していたためだ。じりじりと後ずさって逃げようとする常盤を見て、青年はニコリ笑って距離を詰めた。
「今日こそ話を聞いてもらうよ」
「……結構です、じゃなかった、お断りします」
「おやおや。ちょっと言葉遊びしすぎたかな?」
以前結構です、と答えてそれは良かったと笑顔で拉致られそうになった事を思いだし、常盤は慎重に返答する。爪を剥きだしにして、隙あらばひっかいて逃げ出そうとしている猫を相手にしているようだ、と青年は頭を掻いた。さて、どうしようかと思いつつも、すっと胸ポケットから名刺入れを取り出す。
「なにも取って食おうなんて考えてないんだから、そんなに警戒しないで」
「……」
嫌そうな顔で抵抗するも、笑顔で無理やり押し切られる。
「改めまして。画商の千歳です。言うまでもないけど、君に話したい内容は」
「言うまでもないですけど、お断りです。仲良くなるのも、以前いただいたお話も」
聞きたくないと言わんばかりに、千歳と名乗った青年の言葉を遮り、常盤はパッと駆け出した。その手から零れ落ちた名刺がひらひらと宙を舞い、かさりと地面に落ちる。
「まったく。話には聞いていたけど、本当に警戒心が強いね。どうしてくれようか」
やれやれと苦笑して、千歳は屈んで名刺を拾い上げる。大学の教授陣にも有名な常盤。他を圧倒するほどの才を持ちながらも、大学ではそれをひけらかすどころか、ある一時期を境に手を抜いた作品しか創らなくなったのだという。
実際、課題として提出されていた作品は、入学当初はまだまだ原石と言った感じでも、才能を感じさせるものであった。その一方、最近のは片手間に描いた適当な感じがする。もったいない、と千歳は考えていた。
「画商って聞いた瞬間のあの顔。まったく、どこの誰だかねぇ。天才をあそこまで画廊嫌いにして、作品を世に出すきっかけを完璧に摘んでくれた愚か者は」
常盤に一体何があったのか。それは誰にも分らない。常盤が話していないからだ。しかし、千歳にはすぐに分ってしまった。時折いるのだ。欲と権力によって愚かなふるまいをする画廊が、才ある若者を食い物にすることが。おそらく、常盤もそのような事があったのではないかと予測していた。
「さて。まずは彼のトラウマと不信感を払拭しないと。その為には話が聞きたいって言うのに、立ち話すら許してくれないんだもんなぁ」
より詳しい話を聞いて、自分はそうではないのだと真摯に向き合いたい。それが千歳のやり方だ。しかし、第一歩でつまずいている状況を打開しなければ話にならない。ため息をつくと、スマホを取り出した。
「奥の手だったけど、奥の手を取らせたのは君だよ、常盤君」
ある番号を呼び出し、コールする。
「ああ、千歳です。すみません、また逃げられちゃいました。なので、諦めて例の手を使います。お手数おかけしますがよろしくお願いします」
常盤の周囲もまた、大きく動き出そうとしていた。
「右良ーし、左良ーし、前方良ーし……。今のうちにっと」
毛を逆立てた子猫が警戒心をあらわに辺りを見回すかの様に。こっそりこっそり辺りを確認して、恐る恐る移動する。近くに警戒対象がいない事を確認して、初めてほっと息をつく。
「ああもう。早く帰りたいのにぃ。なんだってこんな犯罪者的な行動を」
グスグスと鼻を鳴らす仕草をしつつ、小走りに通路を突っ切る。頭の中にはたった一つのことしかない。思い浮かぶのは、青藍の笑顔と顔も知れぬ青藍の幼馴染兼担当編集者。青藍の彼女(あるいは彼)に対する言動は非常に気安い物で。常盤は悶々としたものを抱えていた。
「しかも、幼馴染さんがまだ男なら良いけど、女の人だったら本格的にアウトじゃんかぁ」
やべ、本格的に泣けてきた。
ウソ泣きのはずが本当に視界が滲んできて、慌てて袖で目元をさすった。最初は単純に優しくしてもらえたことが嬉しかった。自分ではどうしようもない理不尽に押しつぶされそうな常盤を拾い、あまつさえ絵を描く事を肯定してくれた事が嬉しくて。純粋な思慕が、下心の混じる恋慕に変わるのには時間がかからなかった。
「ま、本人は言葉にして褒めないけどねぇ」
それでも、青藍が食い入るように自分の絵を見つめ、新しい物語を紡いでいく。そっと差し入れてくれた画材がある。それだけで、自分の絵を肯定されている事が伝わってきて。たったそれだけの事が、常盤と常盤の絵を支えていた。
「青藍さんだけだったもんなぁ。結局、柵なしに俺の絵を見つけてくれて受け入れてくれたのって」
足を止め、憎たらしい程に青い空を見上げる。常盤は何のかんの言いつつ、自分の絵について客観的に評価している。うぬぼれではなく、世に出せばそれなりに受け入れられるであろうと。しかし、そこには薄汚れた大人たちの、薄汚い思惑がべっとりとくっついている事に嫌悪してしまい、足が竦んでしまったのだ。
そうして悩んでいた自分に、声を掛けてくれた者も手を差し伸べてくれた者もいたが、常盤の望むモノを与えてくれたのは、青藍一人だけだったのだ。
「それで堕ちた自分もちょろいけど、ほとんど失恋決定の恋してるってホント救いようがないよねぇ」
自分で口にして落ち込む。ここ最近、青藍は頻繁に担当編集者――菫というらしい――にあっている。常盤は直接会った事は今だにないが、若干人嫌いの気がある青藍が何事も無いように側に置いているのだ。それだけで、彼女をどれだけ信頼し、気を許しているのかが分かる。
「ん?今気づいたけど、菫さんって事は、ほぼ女の人で確定じゃん!それとなく目をそらしていた事に見事に気づいてしまった自分馬鹿!」
つらつらと連なる考えにはたと突っ込みを入れた常盤。そのまま崩れ落ちたかと思うと、頭を抱えた。ノンケであろう青藍へのアピールにも困っているというのに、魅力的(常盤の想像)な女性が傍で献身的に支えてくれているのであれば、万に一つの可能性もない。絶望感に苛まれ、呻いていた常盤の後ろから、影が差した。
「ああ。やっと見つけたよ常盤君。相変わらず逃げ回るのが得意だねぇ」
呆れを多分に含んだ、穏やかな声が降って来て。常盤は音を立てて固まった。ぎぎぎ、と油の切れたブリキのおもちゃの様な動きで振り返ると、仕立ての良いスーツに身を包んだ青年がそこには立っていて。
「後ろ、確認してなかったぁ……」
「中々失礼な事を言われている気もするけど……?」
左右正面は安全確認したものの、背後の確認を忘れた、と項垂れる常盤に、青年は苦笑した。
常盤が異常なまでに周囲を警戒していたのは、他でもない、この青年を警戒していたためだ。じりじりと後ずさって逃げようとする常盤を見て、青年はニコリ笑って距離を詰めた。
「今日こそ話を聞いてもらうよ」
「……結構です、じゃなかった、お断りします」
「おやおや。ちょっと言葉遊びしすぎたかな?」
以前結構です、と答えてそれは良かったと笑顔で拉致られそうになった事を思いだし、常盤は慎重に返答する。爪を剥きだしにして、隙あらばひっかいて逃げ出そうとしている猫を相手にしているようだ、と青年は頭を掻いた。さて、どうしようかと思いつつも、すっと胸ポケットから名刺入れを取り出す。
「なにも取って食おうなんて考えてないんだから、そんなに警戒しないで」
「……」
嫌そうな顔で抵抗するも、笑顔で無理やり押し切られる。
「改めまして。画商の千歳です。言うまでもないけど、君に話したい内容は」
「言うまでもないですけど、お断りです。仲良くなるのも、以前いただいたお話も」
聞きたくないと言わんばかりに、千歳と名乗った青年の言葉を遮り、常盤はパッと駆け出した。その手から零れ落ちた名刺がひらひらと宙を舞い、かさりと地面に落ちる。
「まったく。話には聞いていたけど、本当に警戒心が強いね。どうしてくれようか」
やれやれと苦笑して、千歳は屈んで名刺を拾い上げる。大学の教授陣にも有名な常盤。他を圧倒するほどの才を持ちながらも、大学ではそれをひけらかすどころか、ある一時期を境に手を抜いた作品しか創らなくなったのだという。
実際、課題として提出されていた作品は、入学当初はまだまだ原石と言った感じでも、才能を感じさせるものであった。その一方、最近のは片手間に描いた適当な感じがする。もったいない、と千歳は考えていた。
「画商って聞いた瞬間のあの顔。まったく、どこの誰だかねぇ。天才をあそこまで画廊嫌いにして、作品を世に出すきっかけを完璧に摘んでくれた愚か者は」
常盤に一体何があったのか。それは誰にも分らない。常盤が話していないからだ。しかし、千歳にはすぐに分ってしまった。時折いるのだ。欲と権力によって愚かなふるまいをする画廊が、才ある若者を食い物にすることが。おそらく、常盤もそのような事があったのではないかと予測していた。
「さて。まずは彼のトラウマと不信感を払拭しないと。その為には話が聞きたいって言うのに、立ち話すら許してくれないんだもんなぁ」
より詳しい話を聞いて、自分はそうではないのだと真摯に向き合いたい。それが千歳のやり方だ。しかし、第一歩でつまずいている状況を打開しなければ話にならない。ため息をつくと、スマホを取り出した。
「奥の手だったけど、奥の手を取らせたのは君だよ、常盤君」
ある番号を呼び出し、コールする。
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