一方通行の恋

天海みつき

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 散々、来るな止めろ、と言っていたにも関わず。いざいないとなると、大きな違和感と小さな寂しさが顔をのぞかせる。

 「センターの結果がでた」
 「さて、普通科の癖にトップを独走するウチの秀才二人はどうだった?」

 年明け早々にある重要な本番試験の一つ。この結果で生徒たちの進路は決まるともなれば、教師たちの熱も入る。早速提出させた自己採点結果を覗き込む担任たち。その周囲の教師陣も興味津々のようだ。もっとも、奈緒も表面上は興味なしを装っていても、そちらへ意識が集中する。もっとも、教え子たちの成績も気にはなるが、それ以上に冴矢の結果が知りたかった。

 「うわ、羅山のヤツ9割越え。満点まで出してる」
 「それもそうだが、一番はやはり黒瀬だな。教室で羅山が自己採点が終わるや否や黒瀬に飛び掛かってな。そのまま様子見てたら羅山が大荒れしてた」
 「どれどれ。……結局黒瀬の勝ち逃げか。殆ど満点状態じゃないか。これじゃあ特進科を抜いてウチのトップだな」

 満足そうな教員たちが褒めるのを聞いて、奈緒は自分の事の様に嬉しくなった。古典、古典はどうだったのだろうか。やはり満点?だったらいいな、と思いつつ、そっと席を立った。

 そのままいれば教員たちの話で冴矢の成績は筒抜けだろう。しかし、古典の成績だけは、本人の口からききたかった。今日来るだろうか。最近見ていない顔を思い浮かべて足早に職員室を出た。

 古典準備室に向かう途中、勢いよく角を曲がったその時だった。

 「うわ」
 「っ、大丈夫か」

 前から来た人とぶつかりそうになり、慌てて足を止めた。どうにか衝突を避け咄嗟に相手の様子を窺うと、まん丸に見開かれた目を見つけた。

 ここ最近来る来ないで一喜一憂したその人。一年かけて親しみを植え付けられたその双眸。

 「黒瀬」

 冴矢が立っていた。


 「座れよ」

 偶然にも廊下であった冴矢を連れて奈緒は古典準備室に戻って来た。冴矢がいるだけで、室内が心なしか明るくなった気がした。平静を装っていても足取り軽くコーヒーメーカーに近寄る自分に苦笑する。現金だな、と思いつつ、コーヒーを一つ差し出す。

 「ありがと」

 そう言って両手でカップを包み込む冴矢。何時もなら、好きなどと言った言葉を付け加えるのに、今日はそれがない。振り返ると、冴矢はうつむいたまま。胸騒ぎがして、奈緒は声を掛ける。

 「どうした?なにか用事でもあったか」
 「んーん。別に」

 そう呟いた冴矢は、黙ってコーヒーを啜る。椅子に座る気配もない。何かあったのかと、奈緒の顔が青ざめる。

 「センター。国語、満点取ったよ」
 「え、ああ、うん。まぁお前の成績ならそうだろうな」

 予想もしない言葉に、あっけに取られる。いつもと違うテンポに調子が狂う。年下の癖に、奈緒に合わせていたのだな、と今更ながらに実感して奈緒の目元が赤く染まる。おめでとう、と口にしようとして、冴矢に先を越された。

 「前、先生にストーカーかって言われたことがあったよね」

 急な話題転換。しかも、大人げなく取り乱した末の八つ当たり。奈緒の視線が泳ぐ。

 「あー、あの時は悪かった。取り乱していたとは言え、色々マズかった。ごめん」

 言い方が悪かった、と奈緒は謝ったつもりだった。しかし、冴矢は苦笑しただけだった。

 「別に。でもさ、確かにあり得ないよね。何千、何万、って人がいる中で、その瞬間を見るなんてさ」

 奈緒は眉をしかめた。話の流れに付いて行けず、何が言いたいと視線を向ける。

 「見たのは確かに偶然。でも、必然だったかも。俺、あの近くに住んでるから」

 学校に提出されている住所と違う。それは偶々事務処理で見たから間違いない。本来ならばそれを指摘するべきだろうが、奈緒はそれ以上に違う事に意識を取られた。みるみるうちに顔が強張る奈緒。ゆっくり顔を上げた冴矢は、鮮やかな笑みを浮かべた。

 「この前、先生があの男の人と会ってるの見た。よかった。やっと先生の心が通じた。これで俺は必要ないね」

 優しい声で、そう告げられた。



 「よかった、ってどういう」

 掠れた声で奈緒が呟く。見られていた、それにショックを受け、それ以上に欠けられた言葉に衝撃を受けた。しかし、奈緒の衝撃を男とあっていたのを見られたからだと勘違いした冴矢が苦笑する。

 「言ったじゃん。先生に迷惑かけないって。誰にも言うつもりはないよ」
 「そうじゃなくって!」

 ぱっと冴矢に駆け寄ってその腕を握りしめる。本当は肩を揺さぶりたかったが、この一年で背の伸びた冴矢の肩は掴んで揺するには上にありすぎて。仕方ないからその腕を掴んで揺さぶる。特に抵抗なくされるがままになっている冴矢は、怪訝そうな顔で。

 「よかったって、元に戻れたって、俺は必要ないって、どういうことだよ!」
 「え、だってそうでしょ?」

 きょとんとした冴矢が首を傾げる。冴矢には奈緒の泣きそうな顔の意味が分からなかったのだ。

 「先生、あの人が好きで。だからいなくなった時にボロボロになって。夏にあった時も、先生、あの人の事まだ好きなんだなって。だから、二人が話してるのを見て、復縁かなって思ったんだけど」
 「……確かに、奏、アイツに好きだって、より戻したいって言われた」

 だけど、と続けようとして、奈緒は愕然とした。冴矢が、満足そうな顔で笑っていたから。

 「良かった。凄い深刻そうな顔してたからまた何かあったのかと思った」
 「ど、いう」
 「だって、これで大団円じゃん。先生の想いが報われる日が来たって事。ホント、良かった」

 ばいばい、せんせい。今度こそ幸せになってね。そんな風に笑顔で言われてしまうと。奈緒には何をどう言ったらいいのか分からなくなった。

 「違う……」
 「先生?」
 「お前は俺が好きなんだろ?!」
 「うん。だから、先生が幸せになれるチャンスが来たのが嬉しい」
 「そうじゃなくって!」

 なんでそこで満足そうな顔するの。俺の事が好きってその程度なの。そんな思いがぐちゃぐちゃになって、でも、これまでの冴矢の顔は真剣に奈緒に恋をしていたものだったから尚更混乱して。本当はきちんと予定を組み立てていたのに、全てが頭から吹き飛んだ。

 「俺が好きなんだろ!なら、どうしてそんな事言うんだよ!俺が好きなのはお前だ!」
 「へ……?」

 いつの間にか、傷ついた心を癒して住み着いていたのは、いつでも笑顔の優しい大型犬だった。自分でもどうしようもないと思う過程を経て、好きにならない、もう恋愛なんてしないと決めていた奈緒を変えて、知らぬ間に恋に落としていたのは冴矢だったのだ。
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