〜豊後切支丹王国奇譚〜

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炎の竜と清流の巫女

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 まだサルベエが幼名の蓑吉と呼ばれていた頃、近所に力自慢の百姓の子がいた。その子は力が強ければ偉いものだと思い込んでおり、周囲の子どもたちを拳骨で従わせては悦に浸っていた。
 なにせ子どものやることなので、侍も百姓も関係ない。サルベエこと蓑吉にもその拳骨は及んでいた。いや、むしろ他の子どもらを庇うために、蓑吉は自ら率先して矢面に立っていた。
 来る日も来る日も降ってくる拳骨の雨。それを受け続けているうちに、蓑吉はこんなことを考えるようになっていた。
 そうか、殴られても殴られなければいいのだな、と。

(こいつを見ていると、あの時のことを思い出すな)
 三太の体躯に懐かしいものを感じつつ、サルベエは構えを取る。
 手のひらを相手に向けて握りこまず、両手とも腹の前にかざす。明らかに攻撃を意識した構えではない。
「なんかやる気ない格好やな」
 サルベエの構えを見て三太は物足りなそうに言った。
「いいからかかってこい」
「そんなんでケガしても知らんよ」
 三太の左腕がうなり、サルベエの横っ腹をなぎ払いにかかる。
 サルベエは動じない。
 迫りくる豪腕に右手のひらを添えると、

 トン

 と、軽く叩いて左に受け流す。サルベエの眼前を、三太の左腕が勢いよく通り過ぎていく。
「おっと、いかんいかん」
 三太は狙いが狂っただけと思い込んだようだ。
「こっからが本番や!」
 続けて力任せに右腕を振り下ろす。
 サルベエはそれを軽く後ろに下がって躱す。と同時に自慢の長い腕で、振り下ろされた右腕を絡めとる。
「片腕もらおうか」
「なんち?」
 三太はサルベエを振りほどこうとするが、どうしたことか腕がピクリとも動かない。サルベエはさほど力を入れていないように見えるのに。
「うん? 動かん。妖術か?」
「ちがうな。柔術だ」
しちくじいめんどくさいな。力で勝負せんか」
「なら望み通り力で勝負してやろう」
 サルベエが腕に力を込めると、

  ボゴリ

 と、三太の肩から鈍い音がした。
「いいいいてぇ!」
 三太が悲痛な叫びを上げる。
「もう一度行くぞ」

  ボゴリ

 もう一度、音が鳴ったことを確認すると、サルベエは腕を離した。
「いてえ! いてえよ!」
 のたうちまわる三太は完全に戦意を失っていた。
「骨は戻っている。お前なら半日もすれば治るだろう」
 刀を拾いながらサルベエが告げた。
「どうだ? これで認めてもらえたか?」
「わかったわかった。あんたは本物や」
 三太は右腕を押さえながら敗北を認めた。
「やっぱ本物のお侍はすげぇや。今日はうちに泊まって休んでくんな。明日には巫女に会わせちゃりますけん」
 腕を押さえながらも、三太は楽しそうに言った。
「何をそんなに笑うておるのだ?」
「酒飲み相手ができて嬉しいんじゃろ」
 脇で手合わせを見物していた与平が口を挟んだ。
「おうとも。お侍さんも疲れちょるやろうけん、喉の渇きをうるわさにゃ」
 そういいながら三太は柵に手をかける。見た目に反して、柵は簡単に後ろに下がった。部分的に開閉できるようになっているようだ。
「こっちや。馬も連れてきい」
 馬の手綱をとると、サルベエは三太の後について里の中へのと入った。
(里にも入れたし宿も得られた。上々だな)
 だが、やがてたどり着いた三太の家は、
(道中に立ち寄った猟師の小屋のほうがましかもしれぬな……)
 と、思うほど粗末な家だった。もちろん口にはしない。
「ささ、お侍さん座らんね。こんな山奥までお役目ご苦労やねぇ」
 三太は床にに転がっていた徳利と猪口を拾ってサルベエに差し出す。
「飲まんね」
「いただこう」
 サルベエが猪口を受け取り、三太が酒を注ぐ。にごり酒が出てくるかと思えば、予想に反して透き通った清酒が注がれた。
「うまそうだな」
「この里の自慢やけんな」
 チビチビと飲むと喉元に温かな甘味が広がっていく。
「うまい……」
「やろ?」
 三太は嬉しそうに酒を注ぎ足した。
「お侍さん、ええと名前はなんやったかな」
「吉兼甚八だ。サルベエでいい。親しいものは皆そう呼ぶ」
「サル……ベエ様。ようこそ清流の里へ。この里のことならこの三太になーんでも聞いちょくれ」
 三太も自分用に腕に酒を注ぐと、一息で飲み干した。
「いい飲みっぷりだな。酔いが回る前に聞かせてくれ。清流の巫女とは何者だ?」
「おっと、いくらサルベエ様でも、うちらの大事な巫女さまを嫁にやるわけにはいかんよ」
「そういう意味ではない」
「がはは、わかっちょりますよ。この里に伝わるお話を教えましょ」
 酒も手伝ってか三太はよく喋る。神代から伝わる巫女の系譜、この里の成り立ち、不思議な力を持つ宝の話。サルベエも酒を飲みながら、三太が嬉々として語る昔話に耳を傾ける。
(なんとも愉快な御伽話じゃな)
 と、サルベエは微笑んだ。
「里に伝わるお宝は、もう一つあって……なあ……」
 そう言いながら三太が船を漕ぎ出した。どうやら限界らしい。
「お開きとするか、三太」
 言い終わるが早いか、三太はそのまま前のめりに倒れてぐうぐういびきをかきだした。
「これではどちらが客か分からんな」
 部屋の隅に放置されていた布団をかけてやると、サルベエも床の上に寝転んだ。

「お侍さん、起きいや」
 気がつくと、夜が明けていた。昨晩あれだけ酔っ払っていた三太は、けろっとした顔で朝餉の支度をしている。右腕を普通に使っているところを見ると、痛みはもうないらしい。
「三太。お前、女房はおらんのか?」
 サルベエは思わず尋ねた。
「女房になるような女なんち、この里にはおらん。若い女といえば巫女さまくらいや……」
 言いながら三太の体がもぞもぞしだした。
「やけど、いやいやいやいや。恐れ多い」
「巫女のことを好いとるのか」
「そんなんとはちごうて、憧れっちゅうやつやなぁ」
 照れたように答えながら、三太はサルベエに碗を差し出した。麦と稗を味噌と大根と一緒に炊き込んだものだ。
「粗末なもんでわりいなぁ」
「いやかたじけない。馳走になる」
 ずるずると腕の中身をかきこむ。
「食ったら巫女さまんとこ行くけんな。たんまりくっちょくれ」
 朝餉を終えて身嗜みを整えると、三太はサルベエを連れて家を出た。里の真ん中を流れる清流沿いを川上へと登っていく。
 緩やかな登り坂を歩くにつれて、ドウドウという音が大きく聴こえてくる。
「滝が近いようだな」
「そうや。ほれ、もう見えてきよるよ。巫女さまはあの滝の向こうにおる」
 十尺ほどの高さから流れ落ちる立派な滝が見えてきた。目を凝らすと滝壺の裏には鳥居が建てられているのが見える。そして鳥居の後ろには、不気味な洞窟が口を開けている。
「巫女はあの中におるのか」
 三太がうなずく。
「そうや。中は明るいけん、灯りはいらんよ」
「なんだと?」
「入っちみれば分かりますけん」
 ニヤっと笑いながら三太が言う。
 濡れないよう滝をかわして岩沿いを伝い鳥居の前に出る。鳥居の外から洞窟を覗くと、奥から青い光が漏れ出ているのがわかった。
 三太のほうを見ると、ニヤニヤ笑っているばかり。何の光か教えてくれる気は無さそうだ。
「まあいい。行ってみるか」
 洞窟に足を踏み入れながら、サルベエは昨晩の御伽話を思い出していた。
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