1 / 8
ある冬の日に
しおりを挟む
大きな街があった。
上から街を見下ろしたら、
大小の四角いビルが立ち並んでいて、
まるでモザイクがかかっているように見えるだろう。
そして、たまにモザイクがかかっていない場所があって、そこは広場や公園だったりする。
街の公園にはたくさんの人。
なぜか今日は男女の2人組が多い。
お互いに体を寄せ合っているのは、寒さのせいだろうか。
きっちりコートを着込んでいるのに。
公園の中心には高い高い一本の木がそびえている。
その木の根元で、一人の男がぼ~っとつっ立っていた。
ときどき腕時計を見ている。
人を待っているのかもしれない。
人待ち人は他にもいるけれど、彼の場合は格好が野暮ったい。
カーキ色の作業着。
胸には緑色の刺繍で
「照電 加賀谷」とある。
彼のすぐ横に小さな軽トラをがとまっており、黄色い文字で「照電」と書かれている。荷物台の上には工具箱と、妙な形の台車が置いてある。
男はもう一度腕時計を見ると、胸ポケットから黒い無線機を取り出して話しかけた。
「小田ぁ。まだ終わらんのか?」
3秒ほど間が空いて携帯みたいな無線機から
「もうちょっとです」
と、かわいらしい声が聞こえてきた。
「まだかよ・・・」
と漏らしながら、作業着の男、加賀谷太一は上を向いてため息をついた。
加賀谷の見上げた先には加賀谷と同じくカーキ色の作業着姿があった。
加賀谷の頭上の木の枝よりも、ずっとずっと上のほう。
てっぺん近い枝の上。
カーキ色の作業着と、腰に巻いた命綱。綱の先は足元の枝にくくり付けられている。
耳にかかるくらいあるはずの髪は、短く結ばれている。
右手にペンチ、左手に電線を手にしたその姿は、どうみても電気工だけど、赤い縁取りのメガネをかけた顔は、ハタチそこそこの女の子そのもの。
作業着の胸ポケットには「照電 小田」と、刺繍されており、無線機のアンテナが顔を出していた。
作業着の女の子、小田真理はペンチの先に挟んでいた小さな円筒状の金具を電線の先に差した。
今度はもっとでかいペンチに持ち替えて、金具を電線ごとしっかりとはさみつける。
これで金具が電線から外れなくなったことを確認し、真理はもう一本の電線を手に取り、同じように金具を取り付けた。
2つの金具をまた別の金具で留め、プラスチックのカバーをかぶせたところで
「あとは木に固定するだけです」
と、無線のボタンを抑えてしゃべった。
「はやくしてくれ。寒い」
と、雑音まじりに多賀谷の返事が聞こえた。
「こっちはもっと寒いんです」
と、言い捨てて、真理はプラスチックのバンドで、宙ぶらりんになっていた電線を枝にしっかりと固定した。
「終わりましたよ。降ります」
「おう」
多賀谷がリモコンを操作するとギュルギュルという音とともに台車の台がせりあがった。
真理はすぐ近くまで上がってきた台に飛び移ると、手早く命綱をはずす。
「OKです。降ろしてください」
多賀谷は「おう」と言って台を下げ始めた。
地上へ降りながら、真理は公園にいる男女を見下ろした。
そして、やがて彼らから目をそらすと、小さくため息を漏らすのだった。
真理が地上に降りたのを見届けると、加賀屋は木の幹にビス留めされた金属製の箱に近寄った。
かぱっと前面のカバーを開ける、と中には小さなブレーカーがあった。
加賀屋がブレーカーをパチリと上げた瞬間、
木がその葉を輝かせ始めた。
「オッケー。なんとか日が沈む前に終わったなぁ」
沈みかけた夕日を眺めながら加賀谷は言った。
「じゃ、報告書出してくるから片付けといて」
と言い残し、公園の隅のプレハブへ向かう。
身に着けていた工具くらいしか片付けるものもないので、真理はたった今自分が修理したばかりのイルミネーションを見上げながら、軽トラのドアにもたれかかった。
赤、白、青、緑と、さまざまなランプが木の葉を包むように取り巻いており、公園内に彩りを添えている。日が完全に落ちれば、輝きはもっと増すだろう。
とつぜん光を発しだした木に、公園内のカップルたちも注目しだした。
カップルの一組が。
「きれ~い。まじすごくね?」
とか話しているのが聞こえる。
「若いっていいねぇ」
12月24日、街のどまんなかで小田真理20歳はそうつぶやいた。
「加賀谷です。終了です。帰ります」
軽トラの運転席に乗り込みながら、加賀谷が携帯電話に向かってしゃべっている。
それを見て、真理も助手席に乗り込む。
助手席に乗ってシートベルトを締めたとき、
「はぁ?」
と、加賀谷が変な声を出した。
「そんな、逆方向じゃないですか。誰か別のやつ行かせてくださいよ」
加賀谷の声の調子に真理も顔をゆがめる。
『どーせ、また1本、余計な仕事がはいったんでしょ』
と、なかばあきらめながら、加賀谷の電話が終わるのを待った。
「客先に貸した照明回収して来いとさ」
「なんだ、そんなことですか。とっとと済ませて帰りましょう」
「場所が遠いんだよなぁ」
あからさまに嫌そうな顔を浮かべながら、加賀谷はキーを回した。ガガガガという音がしてディーゼルエンジンが回りだす。
通行人の途絶えた隙を見計らって、軽トラはゆっくりと公園を抜け出した。
「どこまで行くんです?」
「津崎のほうの、ほら、あのちっさいライブハウスみたいなとこ」
「ああ、私の家の近くですよね。それなら確かに遠いですね」
既に日は沈んでしまい、帰宅ラッシュのためか、車通りも多い。
信号でひっかかる度に、加賀谷はハンドルをコツコツ叩きながら時計をチラチラ気にしていた。
『なにか予定があるんだろうな』
と、勘繰らずにはいられない真理だった。
「でも回収作業なら明日でもいいんじゃないですか? 機材を受け取るだけでしょ?」
「客先の都合。今日中がいいんだとさ」
「なんだったら私一人で行きましょうか? どうせ家の近くだから、そのまま直帰させてもらったらいいですし」
ふと思いついたようなふりで、真理が言った。
「あ、なるほど。ならお願いしていいか?」
一瞬で多賀谷は飛びついた。
「一応会社に連絡しといてくれ」
機嫌よく運転しだした多賀谷を横目に見つつ、真理は自分の携帯を取り出して「照電」に電話をかけた。
「はい照電です」
と、中年の男が電話にでた。
「柴さんですか? 小田です。津崎の機材回収の件なんですけど・・・」
真理が事情を説明しはじめたとき、ふと、歩道を歩く一組のカップルが視界に入った。
ほどほどに気を使った服装をしており、大学生のように見える。カップルの片割れは、真理のよく知っている顔をしている。
「・・・ということにしたいんですけど・・・」
カップルから目を離すことなく、真理の口は平然と会社への説明を続けていた。
電話ごしで相談した結果、
「とりあえず一度会社に戻ってこい」
という話になった。
ライトアップされた街中を抜け出し、ちいさな住宅をいくつもくぐり抜けていった先に、「照電」のビルはある。
ビルといっても、1フロア1室しかない3階建ての小さなものだ。
「照電」と書かれた看板はぼろぼろになっており、窓から見える明りが消えていたら、廃墟のように見えるだろう。
「ただいま戻りました」
言いながら加賀谷と真理は事務所に入った。
応接スペースで新聞を読んでいた初老の男が、
「うん」
とだけ、言葉を返す。
事務所内を見まわしてみる。
部屋の中には机を8つ寄せ集めた「シマ」が2列。
ちょっ離れたところに課長の机がある。
「柴さん、課長は?」
課長の机はからっぽだった。
「先に帰ったよ。報告書とタイムカードだけ忘れずにとさ」
『人に用事を押し付けときながら・・・』
内心毒づく。
柴さんこと、柴田のほうをみると、何の感慨もなさそうに新聞をめくっていた。
柴田は「照電」の中でももっとも古株の作業員だ。顔にはくっきりと何本ものシワが刻まれており、その黒々とした顔は、いくつもの現場を渡り歩いた証明だろう。
会社のなかでもっとも技術力を持っているはずだが、今はもう現場に出ることはなく、静かに残りわずかの会社生活を営んでいる。
「もしかして柴さん、留守番してくれてるんですか?」
真理は聞いた。
「まあな。さすがに誰もいなくなるのはイカンだろうよ」
「でも留守番なら奈美がいるでしょう?」
「うん。でもさっきあがりますって言って出てったよ」
木島奈美は庶務をしている女性社員だ。
事務処理や電話対応などは基本的に奈美が引き受けることになっている。
なっているはずだが、
『どいつもこいつも無責任だ』
と、生真面目な真理は思う。
「それよりだ」
加賀谷を向いて柴田が言う。
「はやく帰りなよ、太一。なんか用事があるんだろ」
「すんません、柴さん。ちょっと家族サービスしないといけないもんで」
「ああ、そういうことか。家族は大切にしないとな」
柴田には家族がいないと真理は聞いたことがあった。
『家に帰ってもさみしいのかもしれないな』
加賀谷が帰り支度を始めると、柴田は新聞に目を戻す。
真理はそんな柴田の様子をしばらく観察してみる。
けれど、真理が予想したさみしさなど、のんびり新聞を読む柴田の姿からは、まったく感じられなかった。
「じゃあ、私、機材回収に行って直帰するので、タイムカード適当につけといてください。お疲れ様でした」
言いながら、真理は事務所をあとにする。
「気をつけて行っといで。おつかれさん」
ワンテンポ遅れて、柴田の声が聞こえてきた。
真理は少しだけ足を止めて振り向いたが、すぐに正面玄関へ向かって歩き出した。
「あ、真理先輩!」
玄関を出ようとしたときに甲高い声が聞こえてきた。
振り返ると事務の木島奈美の姿が目に入った。
「先輩、戻ってたんです!ちょうどよかったです」
甘えたような声を出しながら走り寄ってくる。
「奈美、先に帰ったんじゃなかったの?」
さっきまでの柴田との会話を思い出す。
「更衣室で着替えてたんですよぅ。時間かかっちゃって」
『そりゃ時間かかったでしょ~よ』
今の奈美の恰好は、普段事務所でみせているものとはまったく違う。
気合いの入りようが見て取れた。
奈美は白のダウンジャケットでに薄いピンクのマフラーを巻いており、黒のショートパンツからはやはり黒の柄入りストッキングに包まれた足がのぞている。
茶色の靴には、ふわふわとした飾りが付いていて暖かそうだ。
髪は後で小さく結んでおり、留め具にはキラキラした小さな蝶々が付いている。
前髪は眉の上くらいでキレイに切り揃えているから、ただでさえ若い顔が、なおのこと幼く見えてしまう。
「先輩、駅通りますよね?」
奈美が小首をかしげながら聞く。
「なに?乗せてけばいいの?」
「はい!よろしくお願いします!」
満面の笑みで奈美が答えた。
『厚かましい』
とは少々思うが、こうも無邪気な顔で言われると嫌とは言いづらい。
「汚い車だけど、我慢してよ」
「そんなことないですよ!ちょっと工具とかが載ってるだけじゃないですか」
奈美は奈美なりに気を使ってるのかそんなことを言った。
『でも、あんまりフォローになってないよね』
真理は顔には出さずにそう思った。
駐車場の一番奥のはしっこに真理は車を停めている。
ミニワゴンというのか、軽自動車の割に後部が大きく設計されており、荷物が積みやすくなっている。
真理の給料が上がったその日に買ったミニワゴンは、一年も経たぬうちに仕事の色に染められてしまっていた。
後部座席は倒されて完全に工具置場になっているし、無線機も搭載されている。
急な仕事が入ったときに一人でも動けるだけの準備はなされてあった。
真理が運転席に乗り込むと同時に、
「おじゃましま~す」
と言って、奈美が助手席に乗り込んだ。
そのとき奈美がちょっとだけためらったのに、真理は気付いてしまった。
「汚い車でごめんね」
「あ、いえ、そんなこと……」
「駅まででいいんだよね?」
「あ、はい。お願いします」
真理は、それだけ確認するとエンジンをかけて車を発進させた。
「先輩、このあと直帰でしたよね?」
「うん。ひと仕事すませたらね」
「じゃ、ようやく楽しいクリスマスですね!」
「お風呂入って寝るだけだけどね」
「え~? せっかくのクリスマスですよ~」
「オヒトリサマには普通の夜と一緒なの」
「私だって独り身ですよ?」
「そうなの?じゃあそんな恰好してどこ行くの?」
「この前知り合った友達とお食事です」
「でも、その友達って男でしょ?」
「そうですけど?」
「なら独りじゃないじゃない」
「彼氏はいませんから」
『自分とは感覚が違うんだろうな』
と、真理は思う。
「ならその友達に彼氏になってもらえば?」
「え~? でもそんな対象じゃないんですよね~」
「そんなこと言ってると婚期逃すよ?」
「もぉ先輩、何言ってるんですか~」
奈美はおかしそうに笑った。
『本気で心配したんだけどな……』
未来への不安などこれっぽっちもなさそうな奈美が、少しだけうらやましたかった。
『だからといって、あんな風になりたいとか思わないけどね』
上から街を見下ろしたら、
大小の四角いビルが立ち並んでいて、
まるでモザイクがかかっているように見えるだろう。
そして、たまにモザイクがかかっていない場所があって、そこは広場や公園だったりする。
街の公園にはたくさんの人。
なぜか今日は男女の2人組が多い。
お互いに体を寄せ合っているのは、寒さのせいだろうか。
きっちりコートを着込んでいるのに。
公園の中心には高い高い一本の木がそびえている。
その木の根元で、一人の男がぼ~っとつっ立っていた。
ときどき腕時計を見ている。
人を待っているのかもしれない。
人待ち人は他にもいるけれど、彼の場合は格好が野暮ったい。
カーキ色の作業着。
胸には緑色の刺繍で
「照電 加賀谷」とある。
彼のすぐ横に小さな軽トラをがとまっており、黄色い文字で「照電」と書かれている。荷物台の上には工具箱と、妙な形の台車が置いてある。
男はもう一度腕時計を見ると、胸ポケットから黒い無線機を取り出して話しかけた。
「小田ぁ。まだ終わらんのか?」
3秒ほど間が空いて携帯みたいな無線機から
「もうちょっとです」
と、かわいらしい声が聞こえてきた。
「まだかよ・・・」
と漏らしながら、作業着の男、加賀谷太一は上を向いてため息をついた。
加賀谷の見上げた先には加賀谷と同じくカーキ色の作業着姿があった。
加賀谷の頭上の木の枝よりも、ずっとずっと上のほう。
てっぺん近い枝の上。
カーキ色の作業着と、腰に巻いた命綱。綱の先は足元の枝にくくり付けられている。
耳にかかるくらいあるはずの髪は、短く結ばれている。
右手にペンチ、左手に電線を手にしたその姿は、どうみても電気工だけど、赤い縁取りのメガネをかけた顔は、ハタチそこそこの女の子そのもの。
作業着の胸ポケットには「照電 小田」と、刺繍されており、無線機のアンテナが顔を出していた。
作業着の女の子、小田真理はペンチの先に挟んでいた小さな円筒状の金具を電線の先に差した。
今度はもっとでかいペンチに持ち替えて、金具を電線ごとしっかりとはさみつける。
これで金具が電線から外れなくなったことを確認し、真理はもう一本の電線を手に取り、同じように金具を取り付けた。
2つの金具をまた別の金具で留め、プラスチックのカバーをかぶせたところで
「あとは木に固定するだけです」
と、無線のボタンを抑えてしゃべった。
「はやくしてくれ。寒い」
と、雑音まじりに多賀谷の返事が聞こえた。
「こっちはもっと寒いんです」
と、言い捨てて、真理はプラスチックのバンドで、宙ぶらりんになっていた電線を枝にしっかりと固定した。
「終わりましたよ。降ります」
「おう」
多賀谷がリモコンを操作するとギュルギュルという音とともに台車の台がせりあがった。
真理はすぐ近くまで上がってきた台に飛び移ると、手早く命綱をはずす。
「OKです。降ろしてください」
多賀谷は「おう」と言って台を下げ始めた。
地上へ降りながら、真理は公園にいる男女を見下ろした。
そして、やがて彼らから目をそらすと、小さくため息を漏らすのだった。
真理が地上に降りたのを見届けると、加賀屋は木の幹にビス留めされた金属製の箱に近寄った。
かぱっと前面のカバーを開ける、と中には小さなブレーカーがあった。
加賀屋がブレーカーをパチリと上げた瞬間、
木がその葉を輝かせ始めた。
「オッケー。なんとか日が沈む前に終わったなぁ」
沈みかけた夕日を眺めながら加賀谷は言った。
「じゃ、報告書出してくるから片付けといて」
と言い残し、公園の隅のプレハブへ向かう。
身に着けていた工具くらいしか片付けるものもないので、真理はたった今自分が修理したばかりのイルミネーションを見上げながら、軽トラのドアにもたれかかった。
赤、白、青、緑と、さまざまなランプが木の葉を包むように取り巻いており、公園内に彩りを添えている。日が完全に落ちれば、輝きはもっと増すだろう。
とつぜん光を発しだした木に、公園内のカップルたちも注目しだした。
カップルの一組が。
「きれ~い。まじすごくね?」
とか話しているのが聞こえる。
「若いっていいねぇ」
12月24日、街のどまんなかで小田真理20歳はそうつぶやいた。
「加賀谷です。終了です。帰ります」
軽トラの運転席に乗り込みながら、加賀谷が携帯電話に向かってしゃべっている。
それを見て、真理も助手席に乗り込む。
助手席に乗ってシートベルトを締めたとき、
「はぁ?」
と、加賀谷が変な声を出した。
「そんな、逆方向じゃないですか。誰か別のやつ行かせてくださいよ」
加賀谷の声の調子に真理も顔をゆがめる。
『どーせ、また1本、余計な仕事がはいったんでしょ』
と、なかばあきらめながら、加賀谷の電話が終わるのを待った。
「客先に貸した照明回収して来いとさ」
「なんだ、そんなことですか。とっとと済ませて帰りましょう」
「場所が遠いんだよなぁ」
あからさまに嫌そうな顔を浮かべながら、加賀谷はキーを回した。ガガガガという音がしてディーゼルエンジンが回りだす。
通行人の途絶えた隙を見計らって、軽トラはゆっくりと公園を抜け出した。
「どこまで行くんです?」
「津崎のほうの、ほら、あのちっさいライブハウスみたいなとこ」
「ああ、私の家の近くですよね。それなら確かに遠いですね」
既に日は沈んでしまい、帰宅ラッシュのためか、車通りも多い。
信号でひっかかる度に、加賀谷はハンドルをコツコツ叩きながら時計をチラチラ気にしていた。
『なにか予定があるんだろうな』
と、勘繰らずにはいられない真理だった。
「でも回収作業なら明日でもいいんじゃないですか? 機材を受け取るだけでしょ?」
「客先の都合。今日中がいいんだとさ」
「なんだったら私一人で行きましょうか? どうせ家の近くだから、そのまま直帰させてもらったらいいですし」
ふと思いついたようなふりで、真理が言った。
「あ、なるほど。ならお願いしていいか?」
一瞬で多賀谷は飛びついた。
「一応会社に連絡しといてくれ」
機嫌よく運転しだした多賀谷を横目に見つつ、真理は自分の携帯を取り出して「照電」に電話をかけた。
「はい照電です」
と、中年の男が電話にでた。
「柴さんですか? 小田です。津崎の機材回収の件なんですけど・・・」
真理が事情を説明しはじめたとき、ふと、歩道を歩く一組のカップルが視界に入った。
ほどほどに気を使った服装をしており、大学生のように見える。カップルの片割れは、真理のよく知っている顔をしている。
「・・・ということにしたいんですけど・・・」
カップルから目を離すことなく、真理の口は平然と会社への説明を続けていた。
電話ごしで相談した結果、
「とりあえず一度会社に戻ってこい」
という話になった。
ライトアップされた街中を抜け出し、ちいさな住宅をいくつもくぐり抜けていった先に、「照電」のビルはある。
ビルといっても、1フロア1室しかない3階建ての小さなものだ。
「照電」と書かれた看板はぼろぼろになっており、窓から見える明りが消えていたら、廃墟のように見えるだろう。
「ただいま戻りました」
言いながら加賀谷と真理は事務所に入った。
応接スペースで新聞を読んでいた初老の男が、
「うん」
とだけ、言葉を返す。
事務所内を見まわしてみる。
部屋の中には机を8つ寄せ集めた「シマ」が2列。
ちょっ離れたところに課長の机がある。
「柴さん、課長は?」
課長の机はからっぽだった。
「先に帰ったよ。報告書とタイムカードだけ忘れずにとさ」
『人に用事を押し付けときながら・・・』
内心毒づく。
柴さんこと、柴田のほうをみると、何の感慨もなさそうに新聞をめくっていた。
柴田は「照電」の中でももっとも古株の作業員だ。顔にはくっきりと何本ものシワが刻まれており、その黒々とした顔は、いくつもの現場を渡り歩いた証明だろう。
会社のなかでもっとも技術力を持っているはずだが、今はもう現場に出ることはなく、静かに残りわずかの会社生活を営んでいる。
「もしかして柴さん、留守番してくれてるんですか?」
真理は聞いた。
「まあな。さすがに誰もいなくなるのはイカンだろうよ」
「でも留守番なら奈美がいるでしょう?」
「うん。でもさっきあがりますって言って出てったよ」
木島奈美は庶務をしている女性社員だ。
事務処理や電話対応などは基本的に奈美が引き受けることになっている。
なっているはずだが、
『どいつもこいつも無責任だ』
と、生真面目な真理は思う。
「それよりだ」
加賀谷を向いて柴田が言う。
「はやく帰りなよ、太一。なんか用事があるんだろ」
「すんません、柴さん。ちょっと家族サービスしないといけないもんで」
「ああ、そういうことか。家族は大切にしないとな」
柴田には家族がいないと真理は聞いたことがあった。
『家に帰ってもさみしいのかもしれないな』
加賀谷が帰り支度を始めると、柴田は新聞に目を戻す。
真理はそんな柴田の様子をしばらく観察してみる。
けれど、真理が予想したさみしさなど、のんびり新聞を読む柴田の姿からは、まったく感じられなかった。
「じゃあ、私、機材回収に行って直帰するので、タイムカード適当につけといてください。お疲れ様でした」
言いながら、真理は事務所をあとにする。
「気をつけて行っといで。おつかれさん」
ワンテンポ遅れて、柴田の声が聞こえてきた。
真理は少しだけ足を止めて振り向いたが、すぐに正面玄関へ向かって歩き出した。
「あ、真理先輩!」
玄関を出ようとしたときに甲高い声が聞こえてきた。
振り返ると事務の木島奈美の姿が目に入った。
「先輩、戻ってたんです!ちょうどよかったです」
甘えたような声を出しながら走り寄ってくる。
「奈美、先に帰ったんじゃなかったの?」
さっきまでの柴田との会話を思い出す。
「更衣室で着替えてたんですよぅ。時間かかっちゃって」
『そりゃ時間かかったでしょ~よ』
今の奈美の恰好は、普段事務所でみせているものとはまったく違う。
気合いの入りようが見て取れた。
奈美は白のダウンジャケットでに薄いピンクのマフラーを巻いており、黒のショートパンツからはやはり黒の柄入りストッキングに包まれた足がのぞている。
茶色の靴には、ふわふわとした飾りが付いていて暖かそうだ。
髪は後で小さく結んでおり、留め具にはキラキラした小さな蝶々が付いている。
前髪は眉の上くらいでキレイに切り揃えているから、ただでさえ若い顔が、なおのこと幼く見えてしまう。
「先輩、駅通りますよね?」
奈美が小首をかしげながら聞く。
「なに?乗せてけばいいの?」
「はい!よろしくお願いします!」
満面の笑みで奈美が答えた。
『厚かましい』
とは少々思うが、こうも無邪気な顔で言われると嫌とは言いづらい。
「汚い車だけど、我慢してよ」
「そんなことないですよ!ちょっと工具とかが載ってるだけじゃないですか」
奈美は奈美なりに気を使ってるのかそんなことを言った。
『でも、あんまりフォローになってないよね』
真理は顔には出さずにそう思った。
駐車場の一番奥のはしっこに真理は車を停めている。
ミニワゴンというのか、軽自動車の割に後部が大きく設計されており、荷物が積みやすくなっている。
真理の給料が上がったその日に買ったミニワゴンは、一年も経たぬうちに仕事の色に染められてしまっていた。
後部座席は倒されて完全に工具置場になっているし、無線機も搭載されている。
急な仕事が入ったときに一人でも動けるだけの準備はなされてあった。
真理が運転席に乗り込むと同時に、
「おじゃましま~す」
と言って、奈美が助手席に乗り込んだ。
そのとき奈美がちょっとだけためらったのに、真理は気付いてしまった。
「汚い車でごめんね」
「あ、いえ、そんなこと……」
「駅まででいいんだよね?」
「あ、はい。お願いします」
真理は、それだけ確認するとエンジンをかけて車を発進させた。
「先輩、このあと直帰でしたよね?」
「うん。ひと仕事すませたらね」
「じゃ、ようやく楽しいクリスマスですね!」
「お風呂入って寝るだけだけどね」
「え~? せっかくのクリスマスですよ~」
「オヒトリサマには普通の夜と一緒なの」
「私だって独り身ですよ?」
「そうなの?じゃあそんな恰好してどこ行くの?」
「この前知り合った友達とお食事です」
「でも、その友達って男でしょ?」
「そうですけど?」
「なら独りじゃないじゃない」
「彼氏はいませんから」
『自分とは感覚が違うんだろうな』
と、真理は思う。
「ならその友達に彼氏になってもらえば?」
「え~? でもそんな対象じゃないんですよね~」
「そんなこと言ってると婚期逃すよ?」
「もぉ先輩、何言ってるんですか~」
奈美はおかしそうに笑った。
『本気で心配したんだけどな……』
未来への不安などこれっぽっちもなさそうな奈美が、少しだけうらやましたかった。
『だからといって、あんな風になりたいとか思わないけどね』
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる