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第6話 祭り前夜の焦燥⑤

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「宇迦さん、なんですか……?」
 何も確証はない。けれど、確信のようなものはあった。
 問いを受けて、眉をハの字にした牛尾くんの見た目をした彼は暗い室内でキラリと瞳に緋色を宿す。
「さすが、勘がいいね。最初から気付いてた?」
 くすくすと口元に手を当てて笑う仕草は、まさしく宇迦さんそのものだった。狐憑き、なんて言葉がふっと閃いてしまう。
「どうして、こんなことするんですか? 牛尾くんは、大丈夫なんですか?」
「じゃあ、ひとつずつ答えていこうか。まず、牛尾くんは大丈夫どころか、自分から僕に身体を貸してくれたよ」
「え?」
「この演劇が和泉の話を元にしていることは、もう気付いてるよね?」
 小さく頷き返すと、話が早いとばかりに宇迦さんはまたにっこりと微笑んだ。
「牛尾くんは和泉の伝承にひどく関心があったから、当時を間近で見てた僕が懇切丁寧に教えてあげたんだよ。でも、教えてあげる代わりにひとつ条件を出した」
「それが、牛尾くんの身体を借りる、ってことですか?」
「そう。ついでに劇の内容を変えることの許可ももらったよ。代償としては……しばらく身体の所有権は僕にあるのと、僕が抜けてすぐは倦怠感が残るかもしれないけど、それくらいだから」
「あの三人に納得させた時も、何かしましたよね……?」
「わぁ、鋭いね。まぁ少しだけ、こちらに都合のいいようには術を使ったかな」
 許可を得た、という事実を信じたい。それでも、多少のリスクを牛尾くんに背負わせながら身体を乗っ取り、他の仲間にも心を惑わすような術をかけた。
 私は宇迦さんのことは、和泉さん以上に知らないことばかりだけれど、そこまで強引なことをする人とは思えなかった。
「どうしてそこまでして……」
 言葉を待つ私に、宇迦さんは重々しく口を開く。
「償い、かな」
「つぐ、ない……?」
「僕は元々、みすずさまの式神だったんだよ」
「え……」
 薄っすらと、和泉さんとの会話が蘇ってくる。巫女だったみすずさんが、ご立派な式神を連れて退治にきたのだと、和泉さんが言っていた。
「式神って、宇迦さんのことだったんですか?」
「最初はそう。和泉を祓うためにみすずさまのお傍にいたんだ。でも、途中から僕の役割は変わった。ずっと厳しい修行ばかりでろくに自由のなかったあの人が、和泉の前でだけは笑うようになったからね。この笑顔を守ってみせよう、とただの式神ながらに願ってたんだ……雷神が来るあの日までは」
 表情に出すことはなかったけれど、雷神と口にした瞬間、宇迦さんの周りの空気がぶわりと毛羽立った気がした。一瞬、怯みそうになりながら、確認するようにその疑問を口にする。
「……あの劇の中には、本当は宇迦さんもいるってことですか?」
「本当はね。でも、事実は一緒だよ。僕は彼女を守れなかった。だから、劇に僕が出ようが出まいが大きな問題じゃない。それよりも大事なのは、和泉の龍神として祀られた正しい伝承を伝えることだ。このままじゃ、生き残った和泉でさえも、僕は守れない……」
「そんな言い方、まるで和泉さんがもうすぐ死んじゃうみたいな……」
「時間の問題だよ」
「!」
 ぴしゃりと言い放たれた言葉に肩が震える。今まで口調だけは穏やかだった彼から放たれた怜悧な言葉は、その場の空気をより固く、息苦しくした。
「熱心に探していた牛尾くんですら、あの小さな社を見つけられなかったんだ。和泉を和泉たらしめるのは人の信仰、人の想いだよ。それが途絶えれば、いくら小銭集めしようと意味はない!」
 一音一音が肌に突き刺さる。初めて声を荒げた宇迦さんを、ただただ見つめることしかできなかった。
「これは千載一遇の機会なんだよ。正しく和泉とみすずさまの話を後世に伝えられる。じゃないと、もう時間がないんだ。もしかしたら最後の……」
「最後……? 時間がないって、どういうことですか?」
「僕は、元はただの式神なんだよ。今はまだ、みすずさまが残してくれた霊力と、みすずさまの家族が作ってくれた祠への信仰で身体を保てているけど。それも風前の灯火だよ」
「そんな……」
「これが成功したら、和泉の元に信仰が戻ってくるかもしれない。だからお願いだよ、和泉のお友達。あと一週間だけ、見逃してくれないかな」
 何も答えられず、引き留めることもできない私の横を、宇迦さんはすり抜けて部室を出て行ってしまう。
 ……どう答えるのが正解だっただろう。私だって、和泉さんに消えてほしいわけではない。
 それに、宇迦さんがひどく無理をしているようで、それが私の胸を搔き乱すのだった。
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