原初の魔女と雇われ閣下

野中

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第1章

1幕 平穏な日常

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× × ×





「あ、一平さん、お疲れ様です」

眼鏡に前髪を後ろになでつけたスタイルの一平が振り向けば、目が合った社員が軽く頭を下げた。
頭を下げ返せば、仕事中だろうに、席を立って近づいてくる。

確か入社三年目。名を、鈴木。下の名前はどうしても覚えられない。

全体的にチャラい印象だが、とにかく顔がいい。対話がうまい。
気配りもじょうずで、最初に思っていた通り、営業に配属されている。

いかにも女性にモテそうなのだが、女の子と付き合うより、ゲームで遊ぶほうが好きだと公言していた。
聞いた話によると、その筋では有名人らしい。
社会人になってからは自重しているようだが。

彼が入社したばかりの頃、一平とはちょっとした悶着があったが、今では顔を合わせば話をする仲だ。
「お疲れさま。君はまだ仕事かね」

用事があると定時ぴったりに上がった一平は、足を止めた。声をかける。
何やら疲れた顔で頭を左右に倒し、後頭部を掻きながら鈴木はぶつぶつ呟いた。

「期限が今日の書類があって…はー、今日イベントあるゲームがあったのにな」

鈴木はよく睡眠不足になっているが、根っこが真面目なのか、仕事に支障をきたすことはない。
今日も目をしょぼしょぼさせている。
「趣味を続けるためにも励むといい」
一平が言えば、鈴木は肩を落とした。
「あーそれ」

「気分転換したいなら、一服しろ」
給湯室に目を向け、建設的な提案をする。
「コーヒーでも淹れて来なさい」
「一平さんっておれの尻叩くのがじょうずですよね…もういいから一緒に帰ろうとか絶対言わないし」
言ってほしかったのか。唇を尖らせる姿はまるで子供だ。
そのまま立ち去ろうとして、


「そうだ、この間のゲームの話だが」


ふとあることを思い出し、一平が言い出すのに、
「この間って? いつのですか? もしかして一平さんもやりたくなりました?」

声を弾ませ、鈴木は身を乗り出した。
キラキラした目を向けてくるのに、一平はすげなく首を横に振る。

どうしてこいつは他人にも同じものをやらせたがるのか。きっぱり断る。


「チカチカする画面を見続けるのは、私の目には過酷でな」

「まだ老眼には早いっしょっ!?」


そう言われても、同じ姿勢でずっとい続けるのは、首やら肩やら腰やらがつらくなって画面に集中どころではない。
前を見ているだけなのに、身体に力が入りすぎてしまうのだろうか。

なんにせよ、人によるだろうが、一平は筋トレでもしていたほうが、身体も気持ちもすっきりする。


「とにかく、この間の話だよ」
話を元に戻したが、曖昧な言い方のため、鈴木にはすぐ通じない。

「いつですかね」
鈴木が眉をひそめた。
「大体、一平さんとの話の最後はゲーム関連で終わりますし」
「あれだ、あれあれ」

「どれです?」


あまり他人と会話する機会がないせいか、すぐに言葉が出てこない。
それでも気長に待つあたり、鈴木は人がいいのだろう。

「そう…、幽霊の親玉を倒すのに、古びた人形におびき寄せて、入ったところでこてんぱんにしたとかいうあの」

正しい単語を思い出せずに言えば、一拍置いて、鈴木が頷いた。
「そうそう、形がないなら与えて倒せって、ある意味お約束ですよね」

「お約束か。私は考えもしなかったよ」
目からうろこの態度で一平が言えば、

「そりゃ現実世界で幽霊対策なんて普通必要ないですから」
きょとんと、鈴木。だが特に気にせず、

「そのまんまでも倒す方法あったんですけど、なんにしたって、それが一番省エネで」
「省エネ…まさにその通りだ、それが一番だな」

実感を込めて深々頷く一平。


「その話が役に立った。ありがとう」



実際、鈴木の話のおかげで、今日の昼休み、数多の無念が浄化された。



…オズの世界の話だが。

ありがとうの一言では足りないくらいだ。
ただもちろん、あれほど巨大な力を封じるには、器にもそれなりの容量が必要なわけで、そこらの古びた人形では物の役に立たなかったわけだが。

(力ある魔族がちょうどいてよかった)

食い気味の感謝に、一瞬鈴木は引いた。
すぐ持ち直し、軽く応じる。

「どういたしまして、って、いつの話ですか?」

「今日の昼だ」

笑顔の、鈴木の顔に、はっきり浮かぶ「?」。
とはいえ、いつもの事ながら、彼なりにおおらかな解釈をしたようで、


「昼休みは例のワンちゃんに餌やりしに行ってますよね」
うん、狼だ。


「そこでゲームしてるんですか?」


どうあっても、やはりそこに話を戻すのか。
残念ながら、返す一平の言葉は決まっている。
「やりたいが、身体がつらくてな…」

「ゲームして身体がつらいって」
鈴木は呆れるが、一平にとっては深刻だ。

一時間だろうと集中してやれば、首やら腕やらがつらくなって、三日間は肩甲骨あたりが重く、最終的には腰まで痛くなる。
同年代でもそこまでなるのは滅多にいないだろうから一平の身体がポンコツなのだろう。

一平が苦渋を浮かべたところで、


「あら一平ちゃん、ちょうどよかった」


課の方で姿を見ないと思ったら、総務のお局さまが、豊かな全身を使って手を振ってきた。
身長が低いせいか、まるまるしたハムスターに似ている女性だ。名を、福丸さん。

「ちょっとこの棚、元に戻してくれない?」
手招きされて近寄れば、いつもは奥に押し込まれている書類入れの棚が、別の棚の前に出されたまま放置されている。

「これがあるせいで、奥の棚のものが取れないのよ。誰が出したのか、片付けておいてほしいものなんだけどね」
「これ、重いですからね。出したものの、戻せなかったんでしょう」

せめてキャスター付きだったらよかったのだろうが、これは女性が運ぶのは厳しい。

鞄を置いて、袖をまくり、持ち上げようとすれば、
「え、なんで一平さんに頼むんですか?」
鈴木がびっくりした顔で寄ってきた。
「おれのほうが近くにいたのに」

「だってあんたは」
ハムスター―――――もとい、お局さまの福丸さんは、腰に手を当て、ふんぞり返る。


「ヒョロいから」

「…そんなことないですし!」


ちょっとショックを受けた鈴木を尻目に、床に鞄を置いた一平はひょいと棚を持ち上げた。
引きずっては、床に傷をつけてしまう。
正直少し重いが、運べないことはなかった。

「助かるわー、一平ちゃん。ありがと」

福丸さんが、コロコロと笑う。



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