トラに花々

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日誌・75 夢の中(R15)

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下着や浴衣が汚れることなど、こうなればもうどうでもいい。
(…こんなだから)

ふと、雪虎は眉間にしわを寄せた。


昔言われた言葉が小さな泡のように、脳裏で弾けたからだ。




―――――お兄ちゃんって、ほんっと…。

それは、美鶴の声をしていた。死んだ、妹の。




呆れた口調で何か言いさし、思わせぶりに途中で言葉を止めるのは、妹の癖だった。
諦めているから、その先を言わないのよ、と言っていたが、本気でそう思うなら、はなから言わなければよかったのだ。

なんにしろ、美鶴は雪虎と同じで語彙力が乏しかった。
結局、気持ちを口にしたところで同じ言葉になるから、言わなかっただけだろう。
彼女が言いたかった言葉など知れている。


サイテー。


これだ。
…正直、美鶴のことは、思い出すのもキツい。しかし、だからこそ、あえて。
今、わざと彼女に関するあれこれを思い浮かべた。
それには、理由がある。

胸にずしりと突き立つ錘があれば、逆に正気を保っていられる。そう思ってのことだ。

―――――雪虎は、秀にはかなわない。
それを、雪虎自身が受け入れ、完全に屈服した、…いま、この時。



感じる快感は、天国のようだと言うより、地獄の業火めいている。溺れるのは危険だ。


うっかりすれば、心を見失って、本格的に発狂するだろう。帰り道も忘れて。



美鶴を考えれば、その炎が、わずかに収まった。本当に、ほんの一部だけれど。


気付けば、雪虎の身体から、ぐったりと力が抜けていた。それを、秀の身体が支えてくれている。だが。

甘えることは、雪虎の苦手の一つだ。
気付いたなら、雪虎は即座に離れる。

いつも通り、すぐ身を離そうとした、刹那。





秀のランタンが足元に落ちる。その時にはもう、雪虎は抱き竦められていた。





一瞬、何が起こったのか、分からなかった。
息が詰まってから、状況を理解する。驚きに、目を瞠る間もない。

次第に強まる拘束に力に、本気で背骨が折れそうになった。雪虎は顔をしかめる。


「…っ、会長…」


無理に顔を上げた雪虎が、秀の表情を確認する、寸前。
―――――唇に噛みつかれた。
いや違う。これは、口付けだ。キス。

ただし、可愛いらしいものではない。


暴力めいた勢いで、雪虎の口の中を、秀の舌が蹂躙する。

根こそぎにされるように吸い上げられた。

果実から何かを押し出すような強さで、舌や唇を甘噛みされる。

ぬるつく舌先で粘膜を隅々まで舐めつくされた。


その間にも。
雪虎の背を、掻き抱く両腕が、肉に食い込んでくるようだ。


動きのすべてが物語っている。



秀が―――――雪虎に、本当に飢えていたのだ、と。



ただ、こうして求められることに、雪虎が命の危機を覚えたのは初めてだ。
(た、食べられ)
る、と半ば恐怖に近い心地を覚える。気分的には逃げたい。なのに。

抵抗できない。する気が起きない。


その間にも、さらに腰が立たなくなった。足から力が抜ける。


震える指先を必死に伸ばし、秀の背にしがみつくので精いっぱいだ。
ぴったり重なった胸が、早鐘のような鼓動を伝える。

これは雪虎のものか、秀のものか、それとも双方のものなのか。間近で溶け合って、区別がつかない。

雪虎の手が、秀の羽織の背をぎゅっと掴んだ、とたん。
秀の背が、震えて。

「…ぇ」
双方、息を弾ませる中、雪虎の浴衣の裾が割られた。
力が抜けた雪虎の足の間へ、秀の両足が強引に割り入る。

一方で、雪虎の背を撫で下ろすように、秀の手が動いた。
そうして、伝い降りた手が、雪虎の尻を掴んだ。浴衣越し、肉が左右に割り開かれる。

びくり、微かに雪虎の身体が跳ねた。だが、秀の手はまだ進んだ。下へ。



「ちょ、会長…っ」



雪虎は、上ずった声を上げた。
突如、後ろの窄まりに屹立した秀のモノを押し当てられたからだ。

―――――これから二人がしようとしていることは、ひとつだ。ただし、それは。


男女の間の行為ではない。

男同士の間のコトだ。同性だ。


真正面から繋がろうとすれば、それなりの態勢にならざるを得ない。


畳から、雪虎のつま先が浮いた。
つまりは、秀に足を抱え上げられた格好だ。

背中から倒れそうになり、慌てて、力の入りにくい腕を伸ばし、秀の浴衣の襟にしがみつく。
「待ったっ」
ぐっと力任せに押し入られそうになり、雪虎は首を横に振った。


「いきなりは、挿入らない、から…!」


言って、気付く。
雪虎はまだ下着を脱いでいない。秀もだ。
ただ、秀に、そんなものはものともしない気迫があったから、焦って妙なことを口走ってしまった。

二人の目が合う。

とたん、秀は射殺しそうな視線になった。


足元から立ち上る薄いランタンの明かりの中見えたのは、まるで雪虎を憎むかのような表情。そして。



恫喝に似た、声。





「この期に及んで、…焦らすか」





叩きのめしてしまいたい、と言いたげな目を、秀は強く閉ざした。できるわけがない、と苦悶の表情で。
雪虎は面食らう。秀のこんな顔は、珍しい。

だが、いつもの取り澄ました表情より、よっぽどよかった。

そうだ、もっと正直に感情を出せばいい。その方が、雪虎は安心する。


―――――上っ面だけの、よくできたおキレイな対応より、素をぶつけてくれた方が。


ただ、秀がそんなことをすれば、大型の野生動物に吠え掛かられたような迫力がある。にもかかわらず、雪虎は怖いというより、嬉しくなった。
素直な気持ちのままに、弾む息の中、微笑んで。


「焦らしてなんか、いません」


応じた雪虎の声が、思わぬほど穏やかだったから、だろうか。
秀が、目を開けた。

本当だろうか、と疑う気持ちを隠しもしない視線に、雪虎は微笑を深める。

そのとき。



不意に、秀が目を瞠った。雪虎の表情に釘付けになる。
秀は、雪虎が時折見せる、この微笑みに弱かった。

寛ぎ切った。自然体の。…穏やかな寛容に満ちた、少しからかうような、笑みに。


―――――その表情には、見惚れるほどの艶があった。


雪虎は滅多に、こういった表情を見せない。いつも、…張り詰めて、いて。
向けられる対象は、幼い頃から、主に、さやかだ。


昔、偶然、それを垣間見た瞬間に、秀は。








落ちたのだ。








あの時から、秀は。

夢の中だ。

もし本当に夢ならば。
覚めなくていい。一生。

正直、この衝撃に比べれば、月杜の伝承の重みなど、二の次だ。



ただ、今この時、余裕がないのは、秀だけではない。雪虎もだ。

だから、雪虎が秀の視線に気付くこともなく、それ以上に、自身がどんな表情を浮かべているかなど、自覚もなかった。
ただ、掠れた声で真剣に呟く。





「…俺だって早くほしい」






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