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第一章 東に吹く風
1-6 春の夜風
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〈帝国〉最東端の街サコーでの滞在中、ミッコとエミリーはサコーの街で最も格の高い宿に泊まった。安宿と比べて特別何があるわけでもなかったが、馬丁はしっかりしていたので安心して馬を預けることはできた。
部屋に入るなり唇を交わした。そして体を抱き合った。互いに体は熱かった。酒の酔いが血を燃やし、高鳴る鼓動を煽った。もつれるままベッドに倒れ、服を脱いだ。ミッコの手がエミリーの金糸を撫で、エミリーの指先がミッコの刺青を這った。久しぶりに周りを警戒しなくていい環境ということもあり、その夜は感情の赴くままに夜を過ごした。
ひとしきり事が終わる。窓辺の隙間から春の夜風が流れてくる。気づけば夜は更け、宿の喧噪も街路の雑踏も今は遠い。
ミッコはエミリーの胸元に潜り込んだ。肌に感じるエミリーの体温は心地よかった。
「ねぇ。これからどうやって東に進む?」
訊ねられたが、ミッコは曖昧な返事で濁した。心地よさのまま、ミッコはほとんど眠りかけていた。
「軍の哨戒部隊に同行して進めるだけ進んだら、あとは〈嵐の旅団〉の勢力圏を外れて東に行きましょう。奴らは騎馬民だから草原からは離れないはず。北限の峰か、南の乾いた海沿いに沿っていけばきっと安全よ」
エミリーは体を起こすと、ベッドの上に大陸の地図を広げ、廃墟の枯れ野を指でなぞり始めた。ミッコは隣からそれをぼんやりと見ていた。
サコー以東にもかつては都市があり、国家があった。大陸の中心部から見れば辺境には違いないが、かつては〈教会〉が布教した〈神の依り代たる十字架〉の信仰が広がり、文明が栄えていた。しかしそれらは二百年前の大いなる災厄により全て灰燼と帰した。
その後、人々の祈りにより顕在した〈神の奇跡〉は大いなる災厄こそ打ち払ったが、東を救いはしなかった。〈東の覇王〉の死後、騎馬民の一部は土着化し、〈教会〉が主導した再入植も失敗した。やがて人々は東を忘れた。見捨てられた地に生きる多種多様な人種──騎馬民、亡命貴族、東部入植者の生き残り、そして狂信者──は共同体となり、そして〈嵐の旅団〉は生まれた。
かつて大陸を二分する〈帝国〉と〈教会〉はその覇権を巡り争った。長引く戦火に両国が疲弊していく間、〈嵐の旅団〉は戦争で成長した。今や彼らは〈帝国〉と〈教会〉に並ぶ国家にさえ等しかった。
しかし彼らは決して国家ではない──今後の旅路で問題があるとすればその部分だったが、いくら考えても思索はぼんやりとしたままだった。正直なところ、ミッコは早く寝たかった。
「ねぇ、軍の巡回とかにはついていけそう? そっちの伝手があるなら、使えるに越したことはないし」
「俺はもう退役してんだから無理だよ。せっかくここまで二人で来たんだし、古巣に頼る気はないって……」
「でも東部軍にも知り合いはいるんでしょ? 一回話してみない?」
「言うほど知り合いでもないし、大したことは聞けないと思うけど……」
エミリーを納得させられる言葉が思いつかず、ミッコは言葉を濁した。そもそも、ミッコは個人的な感情で軍に関わりたくないだけなので、納得させられる説明などできるはずもなかった。
ただ、現実問題として道中の安全確保は最重要課題である。先の戦狼たちの襲撃を退けたことでエミリーは自信をつけていたが、あの単騎駆けは苦し紛れの一手がたまたまうまくいったに過ぎない。〈嵐の旅団〉の派閥争いにより治安が悪化し、戦狼たちの過激派が暴れ回っている以上、二人だけではいずれ力尽きる。話が通じるならば、一時的に力のある者の庇護下に入るのは有効な選択肢である。一応、エミリーもそれを踏まえたうえで話を進めている。
「もしかして酒場の店主が言ってた連中を当てにする気? 奴隷商人よ? しかも〈嵐の旅団〉の。安全かもしれないけど、そんな連中と一緒に旅するなんて嫌よ」
エミリーの言葉は酷く感情的だった。恐らく、ミッコがどれだけ理詰めで話しても、赤の親父が奴隷商人である限り受け入れることはないだろう。だからミッコはまた曖昧な返事で濁した。
「赤の親父だっけ? 戦争が長引いたのもあいつら奴隷商人のせいだし、戦後も残った奴隷のせいでどれだけ治安が悪くなったか知ってるでしょ? 奴隷商人なんて最悪のクズ人間よ」
赤の親父──〈嵐の旅団〉の最大派閥、地域社会の奴隷商人。彼は〈帝国〉と〈教会〉の両国とも取引があり、その商品は比較的信頼できると帝国軍内では評判だった。
「あいつらの商売に文句言ってもしょうがねぇよ。しばらくはここでゆっくりするんだし、赤の親父のことはまた考えればいいさ」
「ちょっと、くすぐらないでよ! さっきさんざんやったでしょ!」
ミッコはエミリーの体を弄ったが、にべもなく拒絶された。エミリーは呆れていたが、それでも春の夜風は暖かく心地よかった。
その後も二人の話しは平行線を辿るばかりだった。エミリーの小言は止まらなかったし、ミッコはもう会話を諦めていた。
「久々の宿なんだから今日はゆっくりしようぜ。とりあえず明日は市場に出て、物の準備をしよう」
「ねぇ、ゴロゴロしてないで真剣に考えてよ……! ここから先に進めなかったらどうするの? オジアスの追手が来たらどうするつもり? 今から西に行って、海外植民地行きの船にでも乗る?」
「二人とも泳げないだろ……。海に落ちたら溺れちゃうって……」
ぼやきながら、ミッコはエミリーの下腹部に潜り込んだ。そして柔らかな体温に身を任せた。
窓辺の隙間から春の夜風が流れてくる。生ぬるい夜風と同じように、これからの二人の旅路も曖昧模糊としていた。ただ、ミッコ自身はそれもいいのではないかと思っていた。そもそも、旅の終わりはまだ決まっていないのだから。
部屋に入るなり唇を交わした。そして体を抱き合った。互いに体は熱かった。酒の酔いが血を燃やし、高鳴る鼓動を煽った。もつれるままベッドに倒れ、服を脱いだ。ミッコの手がエミリーの金糸を撫で、エミリーの指先がミッコの刺青を這った。久しぶりに周りを警戒しなくていい環境ということもあり、その夜は感情の赴くままに夜を過ごした。
ひとしきり事が終わる。窓辺の隙間から春の夜風が流れてくる。気づけば夜は更け、宿の喧噪も街路の雑踏も今は遠い。
ミッコはエミリーの胸元に潜り込んだ。肌に感じるエミリーの体温は心地よかった。
「ねぇ。これからどうやって東に進む?」
訊ねられたが、ミッコは曖昧な返事で濁した。心地よさのまま、ミッコはほとんど眠りかけていた。
「軍の哨戒部隊に同行して進めるだけ進んだら、あとは〈嵐の旅団〉の勢力圏を外れて東に行きましょう。奴らは騎馬民だから草原からは離れないはず。北限の峰か、南の乾いた海沿いに沿っていけばきっと安全よ」
エミリーは体を起こすと、ベッドの上に大陸の地図を広げ、廃墟の枯れ野を指でなぞり始めた。ミッコは隣からそれをぼんやりと見ていた。
サコー以東にもかつては都市があり、国家があった。大陸の中心部から見れば辺境には違いないが、かつては〈教会〉が布教した〈神の依り代たる十字架〉の信仰が広がり、文明が栄えていた。しかしそれらは二百年前の大いなる災厄により全て灰燼と帰した。
その後、人々の祈りにより顕在した〈神の奇跡〉は大いなる災厄こそ打ち払ったが、東を救いはしなかった。〈東の覇王〉の死後、騎馬民の一部は土着化し、〈教会〉が主導した再入植も失敗した。やがて人々は東を忘れた。見捨てられた地に生きる多種多様な人種──騎馬民、亡命貴族、東部入植者の生き残り、そして狂信者──は共同体となり、そして〈嵐の旅団〉は生まれた。
かつて大陸を二分する〈帝国〉と〈教会〉はその覇権を巡り争った。長引く戦火に両国が疲弊していく間、〈嵐の旅団〉は戦争で成長した。今や彼らは〈帝国〉と〈教会〉に並ぶ国家にさえ等しかった。
しかし彼らは決して国家ではない──今後の旅路で問題があるとすればその部分だったが、いくら考えても思索はぼんやりとしたままだった。正直なところ、ミッコは早く寝たかった。
「ねぇ、軍の巡回とかにはついていけそう? そっちの伝手があるなら、使えるに越したことはないし」
「俺はもう退役してんだから無理だよ。せっかくここまで二人で来たんだし、古巣に頼る気はないって……」
「でも東部軍にも知り合いはいるんでしょ? 一回話してみない?」
「言うほど知り合いでもないし、大したことは聞けないと思うけど……」
エミリーを納得させられる言葉が思いつかず、ミッコは言葉を濁した。そもそも、ミッコは個人的な感情で軍に関わりたくないだけなので、納得させられる説明などできるはずもなかった。
ただ、現実問題として道中の安全確保は最重要課題である。先の戦狼たちの襲撃を退けたことでエミリーは自信をつけていたが、あの単騎駆けは苦し紛れの一手がたまたまうまくいったに過ぎない。〈嵐の旅団〉の派閥争いにより治安が悪化し、戦狼たちの過激派が暴れ回っている以上、二人だけではいずれ力尽きる。話が通じるならば、一時的に力のある者の庇護下に入るのは有効な選択肢である。一応、エミリーもそれを踏まえたうえで話を進めている。
「もしかして酒場の店主が言ってた連中を当てにする気? 奴隷商人よ? しかも〈嵐の旅団〉の。安全かもしれないけど、そんな連中と一緒に旅するなんて嫌よ」
エミリーの言葉は酷く感情的だった。恐らく、ミッコがどれだけ理詰めで話しても、赤の親父が奴隷商人である限り受け入れることはないだろう。だからミッコはまた曖昧な返事で濁した。
「赤の親父だっけ? 戦争が長引いたのもあいつら奴隷商人のせいだし、戦後も残った奴隷のせいでどれだけ治安が悪くなったか知ってるでしょ? 奴隷商人なんて最悪のクズ人間よ」
赤の親父──〈嵐の旅団〉の最大派閥、地域社会の奴隷商人。彼は〈帝国〉と〈教会〉の両国とも取引があり、その商品は比較的信頼できると帝国軍内では評判だった。
「あいつらの商売に文句言ってもしょうがねぇよ。しばらくはここでゆっくりするんだし、赤の親父のことはまた考えればいいさ」
「ちょっと、くすぐらないでよ! さっきさんざんやったでしょ!」
ミッコはエミリーの体を弄ったが、にべもなく拒絶された。エミリーは呆れていたが、それでも春の夜風は暖かく心地よかった。
その後も二人の話しは平行線を辿るばかりだった。エミリーの小言は止まらなかったし、ミッコはもう会話を諦めていた。
「久々の宿なんだから今日はゆっくりしようぜ。とりあえず明日は市場に出て、物の準備をしよう」
「ねぇ、ゴロゴロしてないで真剣に考えてよ……! ここから先に進めなかったらどうするの? オジアスの追手が来たらどうするつもり? 今から西に行って、海外植民地行きの船にでも乗る?」
「二人とも泳げないだろ……。海に落ちたら溺れちゃうって……」
ぼやきながら、ミッコはエミリーの下腹部に潜り込んだ。そして柔らかな体温に身を任せた。
窓辺の隙間から春の夜風が流れてくる。生ぬるい夜風と同じように、これからの二人の旅路も曖昧模糊としていた。ただ、ミッコ自身はそれもいいのではないかと思っていた。そもそも、旅の終わりはまだ決まっていないのだから。
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