遥かなる地平線に血の雨を

寸陳ハウスのオカア・ハン

文字の大きさ
15 / 49
第一章 東に吹く風

1-12 狼王の遺児フー②

しおりを挟む
 視線が交わった瞬間、アンナリーゼの目の色が変わった。
「アデーラがやられた」
 そして状況を伝えた瞬間、アンナリーゼの顔から初めて微笑みが消えた。

 吹き荒ぶ風が凍りつく。硬直する赤兎旗に向かい、狼のトーテムが吼える。戦狼たちストレートエッジの戦士の一人が首級を掲げる。討ち取られたアデーラの生首から滴る流血が、狼のトーテムを赤く染める。

「お姉ちゃん? お姉ちゃん!? いやぁぁぁあ!」
 次姉アデーラの生首を目にした瞬間、アリアンナが錯乱状態に陥る。
 アンナリーゼはすぐに妹を抑えつけるよう部下に命じた。ただ、錯乱するアリアンナを真っ先に抑えたのはエミリーだった。
 泣き叫ぶアリアンナをエミリーが抱き締める。深緑の瞳には涙が滲んでいた。今までの諍いが嘘のように、その目は確かにアリアンナの思いに寄り添っていた。
 アンナリーゼは錯乱するアリアンナを馬車に押し込めると、疾駆の角笛ホーンを鳴らした。
「駆ける! イズマッシュはもうすぐだ! 敵に構わず突っ走れ!」
 疾駆の合図とともに全員が駆け出す。迫る騎馬、降り注ぐ矢雨に向かい、鞭が、拍車が、馬の足を駆り立てる。
「ミッコ、エミリー! 二人はこれより私の指揮下に入れ!」
 ミッコが承服すると、エミリーもマスケット銃に弾丸を装填し、燧石フリントを起こした。その姿を見てミッコはようやく安堵した。言葉こそなかったが、その目には戦う者の意志が燃えていた。
「マスケット銃でもクロスボウでもいい! 手が空いている者は全員射撃の準備をしろ! 狼王の遺児は必ず行く手に現れる! 私の合図とともに、ありったけの矢弾を浴びせるのだ!」
 駆けるアンナリーゼが弓に矢をつがえる。今は飛んでくる敵の矢は見ていないし、矢に当たる不運な味方も見ていない。その視線は奴隷商人を束ねる赤の親父のものではなく、獲物を探し待ち構える一人の狩人のものと化している。

 どこから来るか──ミッコも目を凝らして土煙の中を探った。今、狼王の遺児は完全に姿を消している。ミラーとイワレンコフも見当たらず、状況は風の声と血の色から想像するしかない。
 襲来する戦狼たちストレートエッジの敵影を視認するたび、ミッコは驚き、そして安堵した。みな、頭目のフーに勝るとも劣らぬ強者ばかりだったが、それでもまだ対処できる相手だった。ただし打ち合うことはできても、殺しきるまでの余裕はなかった。

 はち切れんばかりの緊張が続く──それがいつまで続くのか──そんな思いが頭を過ぎったとき、あの尋常でない風が三度みたび吹いた。 

 唸る矢が風となる。真正面から飛んできた一矢が、アンナリーゼの隊商を切り崩す。射抜かれた奴隷の馬車からは、悲鳴と断末魔が漏れ聞こえてくる。
 目の前、狼王の遺児フーが猛然と突っ込んでくる。
「フーだ! 殺せ!」
 アンナリーゼの一矢を皮切りに、馬上から、馬車から、あらゆる矢弾がフーただ一人目がけ発射される。
 フーは偃月刀を手に斬り込んでくる様相だったが、しかし圧倒的な弾幕を前にして横に逸れた。
 それでも追い撃つ矢弾は止まない。エミリーもマスケット銃の引き金を引く。馬上で火花が散り、弾丸が風を切る。そして確かな血とともに硝煙が風に流れ吹く。
 隣で激発する火はミッコの心を勇気付けてくれた。ミッコは矢を引き絞り、できる限りまで獲物を引きつけた。
(敵は強い。しかし恐れるな──)
 そして放つ。刹那、フーの馬は跳んだ。しかし、渾身の力を込めた矢は確かにフーの兜に突き刺さった。

 血の雨が降る。あらゆる弾幕を受けながら、フーは空を飛んでいた。それも自らの馬を庇うように、自身の体を盾としていた。

 地に落ちるフーの横を、赤兎旗が駆け抜ける。アンナリーゼを先頭に、隊商が群がる戦狼たちストレートエッジの襲撃をいなしながら戦場を突き破る。

 あれは確かに死の雨だった。しかし振り向き様、ミッコはその目で見た。背後、多数の矢弾を受け、血だるまになってなお、狼王の遺児は立っていた。そしてその目は、確かに生きていた。

「みな、東に駆けるのだ! 生きてイズマッシュで再会しよう!」
 部下を鼓舞するアンナリーゼもまた、ミッコと同じくフーを見ていた。その目に浮かんでいた微笑みは、今はどす黒い炎となって燃え盛っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

診察室の午後<菜の花の丘編>その1

スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。 そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。 「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。 時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。 多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。 この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。 ※医学描写と他もすべて架空です。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

処理中です...