21 / 49
第二章 二人の果て
2-5 繋がれた手
しおりを挟む
夜明け。闇が薄れると同時にミッコは目覚め、そして追跡を再開した。
再び痕跡を辿る。焦りはない。緊張感は一定に保たれているし、集中力も切れていない。独りの夜を過ごし、覚悟は決まった。今はどれだけ地平線が広くても、迷いはない。
夜の闇が溶けていく。雨雲は消え、夏晴れが色褪せた原野に照りつける。
なぜエミリーは離れていってしまったのか──道中、考えることといえばそれだった。
住人と呼ばれる存在との接触を境に、その精神は明らかに異常をきたしていた。
異変の全てをその住人のせいにしてしまえば気持ちは楽になった。しかしそれでは何の解決にもならないことは、ミッコ自身が痛切に理解していた。
住人と呼ばれる存在はただのきっかけに過ぎない。旅の始まり、いやそれ以前から続く目まぐるしい環境の変化──オジアスとの政略結婚、ミッコとの駆け落ち、戦狼たちとの殺し合い、酒場の親父との口喧嘩、赤の親父アンナリーゼの存在、奴隷商人たちとの旅路、狼王の遺児フーの疾駆……──それら積もりに積もったものが爆発した結果が、この現状であろう。
これまで、ミッコは真にエミリーの心に寄り添ってこなかった。上辺だけは甘い言葉を囁き、自己の優位と正統性を論い、不都合には目を瞑ってきた。彼女の感情の発露に、うんざりさえしていた。そして愛想を尽かされた。
情けない話だった。鼻で笑うような痴情の縺れに、ミッコは今陥っていた。
エミリーと再び巡り逢えたとしても、きっと、何の屈託もなく笑い合っていたあの頃には戻れない。それでも許されるのであれば、再び手を繋ぎたかった。抱き締めたかった。独り善がりな思いだとしても、今は彼女と再び歩みたかった。
たった一日、しかしそれはあまりにも大きな別離だった。そしてそれを埋めるべく、ミッコは後を追った。
水の音。川の音が夏風に流れてくる。
川の手前ほどから、痕跡は右往左往を繰り返していた。そしてそれは川岸で途切れていた。
川は増水し、荒れていた。対岸には、白馬が倒れ込んでいた。すぐそばの木陰には、人影が蹲っていた。
見間違うはずもなかった。白馬はアルバレスであり、人影はエミリーだった。
「エミリー! エミリー!! 俺だ! ミッコだ!!」
ミッコは声を上げた。まず、アルバレスが顔を上げ反応した。しばらくして、エミリーもピクリと動いた。
木陰に蹲っていたエミリーが立ち上がろうとする。しかし体は動かないのか、辛うじて這うことしかできていない。
「動くなエミリー! そこで待ってろ!」
見ていられず、ミッコは制止した。
「アルバレス! 俺たちが行くまで、エミリーのそばにいてやってくれ!」
エミリーは泳げない。にも関わらず荒れた川に突っ込むなど、やはりその精神はおかしくなっているとしか思えなかった。
一刻も早く合流しなければならない。ミッコは左右を見渡し、渡河できる場所がないか確認した。しかし渡れそうな場所は近くにはなかった。アルバレスが踏み込んだ川岸が、最も川幅が狭い場所ではあった。
エミリー同様、ミッコも泳げない。しかし戦場では必要とあれば川を渡った。追い詰められれば、命懸けで泳ぎもした。
ミッコとゲーフェンバウアーの意志が一つとなる──今がそのときだ──ミッコは川岸から離れ、助走距離を取った。
迷えば敗れる──共に駆け抜けた幾多の戦場に思いを重ね、ミッコはゲーフェンバウアーの馬腹を蹴った。
人馬の呼吸を合わせ、駆ける。風を読み、アルバレスの馬蹄を辿り、そして勢いのままに川岸で踏み切る。
風に乗り、ミッコは跳んだ。
濡れることはなかった。体は川を跳び越え、馬蹄はしっかりと地を踏みしめていた。
ミッコは馬から飛び降りると、エミリーに駆け寄った。
「エミリー……!」
倒れている体を起こし、震える手を取る。濡れた金糸の髪をかきあげ、その顔を窺う。
目蓋の奥に、弱々しい深緑の瞳が覗く。
ミッコはエミリーの体を抱き締めた。服は濡れ、体は震えていた。夏だというのに、その体は凍りのように冷たかった。たった一日の別離なのに、その体は老人のように瘦せ細っていた。
か細い声が、ミッコの名を呼ぶ。
もう二度とこの手を離さない──ミッコはエミリーの手を握り、そして自らの思いを打ち明けた。
再び痕跡を辿る。焦りはない。緊張感は一定に保たれているし、集中力も切れていない。独りの夜を過ごし、覚悟は決まった。今はどれだけ地平線が広くても、迷いはない。
夜の闇が溶けていく。雨雲は消え、夏晴れが色褪せた原野に照りつける。
なぜエミリーは離れていってしまったのか──道中、考えることといえばそれだった。
住人と呼ばれる存在との接触を境に、その精神は明らかに異常をきたしていた。
異変の全てをその住人のせいにしてしまえば気持ちは楽になった。しかしそれでは何の解決にもならないことは、ミッコ自身が痛切に理解していた。
住人と呼ばれる存在はただのきっかけに過ぎない。旅の始まり、いやそれ以前から続く目まぐるしい環境の変化──オジアスとの政略結婚、ミッコとの駆け落ち、戦狼たちとの殺し合い、酒場の親父との口喧嘩、赤の親父アンナリーゼの存在、奴隷商人たちとの旅路、狼王の遺児フーの疾駆……──それら積もりに積もったものが爆発した結果が、この現状であろう。
これまで、ミッコは真にエミリーの心に寄り添ってこなかった。上辺だけは甘い言葉を囁き、自己の優位と正統性を論い、不都合には目を瞑ってきた。彼女の感情の発露に、うんざりさえしていた。そして愛想を尽かされた。
情けない話だった。鼻で笑うような痴情の縺れに、ミッコは今陥っていた。
エミリーと再び巡り逢えたとしても、きっと、何の屈託もなく笑い合っていたあの頃には戻れない。それでも許されるのであれば、再び手を繋ぎたかった。抱き締めたかった。独り善がりな思いだとしても、今は彼女と再び歩みたかった。
たった一日、しかしそれはあまりにも大きな別離だった。そしてそれを埋めるべく、ミッコは後を追った。
水の音。川の音が夏風に流れてくる。
川の手前ほどから、痕跡は右往左往を繰り返していた。そしてそれは川岸で途切れていた。
川は増水し、荒れていた。対岸には、白馬が倒れ込んでいた。すぐそばの木陰には、人影が蹲っていた。
見間違うはずもなかった。白馬はアルバレスであり、人影はエミリーだった。
「エミリー! エミリー!! 俺だ! ミッコだ!!」
ミッコは声を上げた。まず、アルバレスが顔を上げ反応した。しばらくして、エミリーもピクリと動いた。
木陰に蹲っていたエミリーが立ち上がろうとする。しかし体は動かないのか、辛うじて這うことしかできていない。
「動くなエミリー! そこで待ってろ!」
見ていられず、ミッコは制止した。
「アルバレス! 俺たちが行くまで、エミリーのそばにいてやってくれ!」
エミリーは泳げない。にも関わらず荒れた川に突っ込むなど、やはりその精神はおかしくなっているとしか思えなかった。
一刻も早く合流しなければならない。ミッコは左右を見渡し、渡河できる場所がないか確認した。しかし渡れそうな場所は近くにはなかった。アルバレスが踏み込んだ川岸が、最も川幅が狭い場所ではあった。
エミリー同様、ミッコも泳げない。しかし戦場では必要とあれば川を渡った。追い詰められれば、命懸けで泳ぎもした。
ミッコとゲーフェンバウアーの意志が一つとなる──今がそのときだ──ミッコは川岸から離れ、助走距離を取った。
迷えば敗れる──共に駆け抜けた幾多の戦場に思いを重ね、ミッコはゲーフェンバウアーの馬腹を蹴った。
人馬の呼吸を合わせ、駆ける。風を読み、アルバレスの馬蹄を辿り、そして勢いのままに川岸で踏み切る。
風に乗り、ミッコは跳んだ。
濡れることはなかった。体は川を跳び越え、馬蹄はしっかりと地を踏みしめていた。
ミッコは馬から飛び降りると、エミリーに駆け寄った。
「エミリー……!」
倒れている体を起こし、震える手を取る。濡れた金糸の髪をかきあげ、その顔を窺う。
目蓋の奥に、弱々しい深緑の瞳が覗く。
ミッコはエミリーの体を抱き締めた。服は濡れ、体は震えていた。夏だというのに、その体は凍りのように冷たかった。たった一日の別離なのに、その体は老人のように瘦せ細っていた。
か細い声が、ミッコの名を呼ぶ。
もう二度とこの手を離さない──ミッコはエミリーの手を握り、そして自らの思いを打ち明けた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
診察室の午後<菜の花の丘編>その1
スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。
そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。
「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。
時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。
多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。
この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。
※医学描写と他もすべて架空です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる