22 / 49
第二章 二人の果て
2-6 子供たちとの出会い
しおりを挟む
微かな吐息が夏風に流れては消えていく。
照りつける陽射しの下、果てない草原を二騎が進む。先頭、二人と荷物を背に乗せてなお壮健な足取りの黒馬が道を先導する。一方、その後ろで手綱を引かれる白馬の足取りは弱っており力ない。
黒馬のゲーフェンバウアーに跨るミッコは、エミリーの体を抱えながら、道なき道を進んだ。
街道ともいえぬ獣道が北東へと続く。北の空、北限の峰の白い稜線沿いには、無数の塔の影が居並んでいる。
現在、ミッコとエミリーは〈嵐の旅団〉の勢力圏の北端、二百年前の災厄により滅んだ〈塔の国〉の南部国境沿いに位置する集落を目指している。ただ、風の声は聞こえない。アンナリーゼが地図に示してくれた印まであとどのくらいの行程なのか、そもそも現在地はどこなのか、今は何もかもが曖昧な状態である。
ミッコの胸元で、エミリーの微かな吐息が息づき、消えていく。
エミリーは死ぬのではないか──痩せ細り、しかしあまりに穏やかなその横顔を見るたび、ミッコはそう思った。戦いの中、ミッコは多くの死を見てきたが、しかし今は不思議なほどに現実感がなかった。
エミリーは衰弱しきっていた。再会から数日が経過したが、状態は日を追うごとに悪化の一途を辿っている。独りで馬に乗ることはもちろん、食事もほとんど喉を通らず、言葉を発することもない。辛うじて息はしているが、生きているのが不思議なほどの状態である。
生きることを諦めたとき、人は死ぬ。もちろん、ミッコは生きることを諦めていない。しかし、エミリーはどうなのか……。
今は抱きかかえることしかできなかった。ミッコはエミリーの名を呼び続けた。しかし、返答はなかった。
太陽が真上に昇り、草原に吹く風が熱波に燃える。
「エミリー。狩りに出るから、ここで休んでいてくれ。アルバレス、見張りを頼むぞ」
ミッコは雑木林の木陰にエミリーを隠すと、水筒の水を飲ませた。ほとんどは口元から漏れてしまったが、乾いた唇は一瞬だけ艶を取り戻した。
狩りに出る。果てなき草原で獲物を探る。
単騎になるたび、焦燥感に嫌な汗が滲んだ。すでに酒瓶の中身も手持ちの食糧も尽きている。エミリーを守るためには、まずミッコ自身が生きなければならない。
幸い、食料となる生き物はいた。ただ、汗が滲むたび、矢の狙いはぶれた。しかしそこは経験で補正した。
放った矢がウサギに突き刺さる。ミッコは馬を降り、ウサギの首を切って血を抜き、皮を剥ぎ、内臓を取り出し、肉を切り分けた。
わずかな収穫を手に、ミッコはエミリーのもとへ戻った。
草原を駆ける馬蹄は、久しぶりに軽やかだった。しかし雑木林の木陰にアルバレスの白い背中が見えたそのとき、風に異音が混じった──聞き慣れた、しかし最近では一切耳にしなかった人の声──ミッコは即座に弓を手に取り、矢を引き絞った。
エミリーのそばに、エミリー以外の人影が見えた。
「そこから離れろ! さもなくば殺す!」
ミッコは狙いを定め、吼えた。
横たわるエミリーのそばには子供が二人いた。兄と妹だろうか、顔つきは似ていた。年齢はお互い十歳前後であり、赤い刺繍が特徴的な民族衣装を着ている。
追い剥ぎには見えなかったが、油断はできなかった。木の実や果物を抱える妹が怯え震える一方で、妹を庇う兄は木を削って作った短槍を持っている。背嚢の中にも何が入っているかわからない。
「離れろって言ってんだろ! 言葉がわかんねぇのか!?」
ミッコは大陸共通語に東の古語を交え、再び子供たちを怒鳴りつけた。
子供とはいえ、容赦する気はなかった。出方次第では、二人とも一度で射殺すつもりだった。ただ、アルバレスは警戒を解いているし、ゲーフェンバウアーも戸惑っている。
後ずさる子供たちに狙いを定めたまま、距離を詰める。馬を降り、エミリーのもとに駆け寄る。
しかしそのとき、震える手がミッコに触れた。
「ミッコ……、あの子たちは助けてくれたの……。だから、武器を下ろして……」
その声を聞いたのは、いつぶりだろうか──エミリーの手が、ミッコの体を抑えようとする。
ミッコは驚き、なされるがまま武器を下ろした。
「おいで、二人とも……。心配しなくても大丈夫……。この人は私の大切な人だから……」
エミリーの震える手が、子供たちを手招く。ミッコとエミリーの間に、二人の間に子供たちが割り込んでくる。子供たちは聞いたことのない言葉を喋りながら、水や果物を差し出してエミリーを介抱しようとする。
「助けてくれてありがとう……」
それは誰に向けての言葉なのか──ミッコは気になったが、しかし問うことはできなかった。
照りつける陽射しの下、果てない草原を二騎が進む。先頭、二人と荷物を背に乗せてなお壮健な足取りの黒馬が道を先導する。一方、その後ろで手綱を引かれる白馬の足取りは弱っており力ない。
黒馬のゲーフェンバウアーに跨るミッコは、エミリーの体を抱えながら、道なき道を進んだ。
街道ともいえぬ獣道が北東へと続く。北の空、北限の峰の白い稜線沿いには、無数の塔の影が居並んでいる。
現在、ミッコとエミリーは〈嵐の旅団〉の勢力圏の北端、二百年前の災厄により滅んだ〈塔の国〉の南部国境沿いに位置する集落を目指している。ただ、風の声は聞こえない。アンナリーゼが地図に示してくれた印まであとどのくらいの行程なのか、そもそも現在地はどこなのか、今は何もかもが曖昧な状態である。
ミッコの胸元で、エミリーの微かな吐息が息づき、消えていく。
エミリーは死ぬのではないか──痩せ細り、しかしあまりに穏やかなその横顔を見るたび、ミッコはそう思った。戦いの中、ミッコは多くの死を見てきたが、しかし今は不思議なほどに現実感がなかった。
エミリーは衰弱しきっていた。再会から数日が経過したが、状態は日を追うごとに悪化の一途を辿っている。独りで馬に乗ることはもちろん、食事もほとんど喉を通らず、言葉を発することもない。辛うじて息はしているが、生きているのが不思議なほどの状態である。
生きることを諦めたとき、人は死ぬ。もちろん、ミッコは生きることを諦めていない。しかし、エミリーはどうなのか……。
今は抱きかかえることしかできなかった。ミッコはエミリーの名を呼び続けた。しかし、返答はなかった。
太陽が真上に昇り、草原に吹く風が熱波に燃える。
「エミリー。狩りに出るから、ここで休んでいてくれ。アルバレス、見張りを頼むぞ」
ミッコは雑木林の木陰にエミリーを隠すと、水筒の水を飲ませた。ほとんどは口元から漏れてしまったが、乾いた唇は一瞬だけ艶を取り戻した。
狩りに出る。果てなき草原で獲物を探る。
単騎になるたび、焦燥感に嫌な汗が滲んだ。すでに酒瓶の中身も手持ちの食糧も尽きている。エミリーを守るためには、まずミッコ自身が生きなければならない。
幸い、食料となる生き物はいた。ただ、汗が滲むたび、矢の狙いはぶれた。しかしそこは経験で補正した。
放った矢がウサギに突き刺さる。ミッコは馬を降り、ウサギの首を切って血を抜き、皮を剥ぎ、内臓を取り出し、肉を切り分けた。
わずかな収穫を手に、ミッコはエミリーのもとへ戻った。
草原を駆ける馬蹄は、久しぶりに軽やかだった。しかし雑木林の木陰にアルバレスの白い背中が見えたそのとき、風に異音が混じった──聞き慣れた、しかし最近では一切耳にしなかった人の声──ミッコは即座に弓を手に取り、矢を引き絞った。
エミリーのそばに、エミリー以外の人影が見えた。
「そこから離れろ! さもなくば殺す!」
ミッコは狙いを定め、吼えた。
横たわるエミリーのそばには子供が二人いた。兄と妹だろうか、顔つきは似ていた。年齢はお互い十歳前後であり、赤い刺繍が特徴的な民族衣装を着ている。
追い剥ぎには見えなかったが、油断はできなかった。木の実や果物を抱える妹が怯え震える一方で、妹を庇う兄は木を削って作った短槍を持っている。背嚢の中にも何が入っているかわからない。
「離れろって言ってんだろ! 言葉がわかんねぇのか!?」
ミッコは大陸共通語に東の古語を交え、再び子供たちを怒鳴りつけた。
子供とはいえ、容赦する気はなかった。出方次第では、二人とも一度で射殺すつもりだった。ただ、アルバレスは警戒を解いているし、ゲーフェンバウアーも戸惑っている。
後ずさる子供たちに狙いを定めたまま、距離を詰める。馬を降り、エミリーのもとに駆け寄る。
しかしそのとき、震える手がミッコに触れた。
「ミッコ……、あの子たちは助けてくれたの……。だから、武器を下ろして……」
その声を聞いたのは、いつぶりだろうか──エミリーの手が、ミッコの体を抑えようとする。
ミッコは驚き、なされるがまま武器を下ろした。
「おいで、二人とも……。心配しなくても大丈夫……。この人は私の大切な人だから……」
エミリーの震える手が、子供たちを手招く。ミッコとエミリーの間に、二人の間に子供たちが割り込んでくる。子供たちは聞いたことのない言葉を喋りながら、水や果物を差し出してエミリーを介抱しようとする。
「助けてくれてありがとう……」
それは誰に向けての言葉なのか──ミッコは気になったが、しかし問うことはできなかった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
診察室の午後<菜の花の丘編>その1
スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。
そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。
「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。
時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。
多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。
この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。
※医学描写と他もすべて架空です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる