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新学期!!
身内の助言
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担任の言葉に頷いてしまったオレは、下を向いて旧館へ戻った。
先輩の部屋へ様子を見に行く事も、おそらく担任の運転する車に同乗していただろう、さっきすれ違った三年を追いかける事もせず、自室に戻った……戻ってしまった。
「ただいま」
部屋には誰もおらず、出迎えは出しっ放しにしていたスポーツバッグだけだった。何もない部屋にスポーツバッグがポツンと一つ、それを見ていると何故かとてつもない寂しさに襲われ、オレの気力は底を突き、そいつに向かって倒れ込んだ。
「…………なんでこんなパンパンなんだ」
不貞寝してやろうと思ったのに、枕の具合が心地悪く顔を上げる。誰かに嫌がらせでゴミでも詰められたかと頭を過ぎり、危機感から身を起こして慎重に開けると、脱力する現実を目の当たりにした。
グチャグチャに詰め込まれた服が、無駄にかさばっていただけだった。人間にとって大切な何かが抜けるんじゃないかと思うような長い溜め息が出た。
「片付けるか」
再びスポーツバッグの中身を畳にぶちまける。ちょっと部屋が賑やかになった気がした。
「うわ、どうしたの?」
部屋を散らかし、したり顔を浮かべながら、オレは帰ってきた狭間にまず「おかえり」と言ってやった。
「ただいま。何か探し物?」
「……その後片付けの最中だ」
狭間は何も言わず当たり前みたいに、ぶちまけられた服の前に正座して、一つ一つ丁寧に畳み直していく。オレも向かい合って座り込んで服を畳む。特に何を話す訳でもなく、二人で黙々と作業しているだけなのに、さっきまであった寂しい感じはなくなっていた。
「なあ……狭間は、一人になりたい時ってあるか?」
自分と狭間の畳んだ服それぞれの仕上がりが歴然としていて、次の服に手が伸びなくなってしまったオレは、手持ち無沙汰なせいか口が動いた。明らかにサボっているオレを見て、狭間は少し笑って考えるように「そうだね」と相槌を打った。
「うん、あるよ」
明るい返答にちょっと戸惑ってしまう。ふーんと気のない返事をしたが、意外な答えにオレは動揺していた。
「夷川君は?」
「オレは……あんま、ないな」
オレの答えに狭間は楽しそうな声を出して笑う。そんなに面白い答えだったかと焦るが、すぐに狭間の答えの方が健全だと思い至る。
圏ガクの生活は、大袈裟に言えば朝から晩まで集団生活だ。特に一年は一人で過ごすとロクな事がないので、誰かと一緒という状況は必須になってくる。そんな中で全く『一人になりたい』と思わない奴はいないだろう。
「どんな時に一人になりたいって思うか、聞いてもいいか?」
当たり前みたいに答えてしまった自分が少し恥ずかしくなった。赤くなる顔を誤魔化したくて質問を重ねたが『帰って来たら一度畳んだ洗濯物を無茶苦茶にされてた時かな』と言われたらどうしよう。
「ふふ、改めてそう言われると、ぼくも最近は思わないかも。中学の頃はずっと一人になりたいって思ってたんだけどね」
「何か嫌な事でもあったのか?」
先輩がどんな気持ちでいるのか知りたくて、何も考えずそう返してしまった。狭間が驚いたような顔をしている。
「うん……そうだね、嫌な事ばっかりだったな」
オレは焦って謝ろうとしたが、その前に狭間が話し出してしまった。
「僕、こんなだから、小さい頃からずっといじめられてたんだ。だから僕にとっては当たり前だったんだけど、中学に上がってからは、それが、すごく酷くなって……」
狭間は手を止めずにオレの服を畳みながら、どこか遠くを見るような声で淡々と話し続けた。
「あ、でも、嫌だったけど、段々慣れて、僕は我慢できたんだ……でも、その姿を写真に撮られて、家の周りにばらまかれて……それをお母さんが見ちゃったんだ。僕がいじめられてる姿を」
相槌すら出来ず、オレは黙って狭間の話を聞いた。可笑しい事なんて一つもないのに、狭間は笑いを挟みながら独り言のように続けた。
「すごくショックだったみたいで……『気付いてあげられなくてごめんね』て、ずっと謝ってた。毎日毎日ずっとお母さんの謝り続ける声を聞いてると、頭の中が真っ白になって、ただひたすらに一人になりたいって思ってた」
お母さんは悪くないのに、そう小さく呟くと、すぐに狭間は元通りの顔で笑った。
「その後、お母さん新興宗教に入信しちゃって大変だったんだ。自分の罪を許して貰うんだーって。悪いのは全部僕なのにね」
とっておきの冗談のように言う狭間は、最後の一枚を畳み終えると、ポンとまとめてオレの前に置いてくれた。話は終わり、そう言うみたいに。
「ごめんね。変な事聞かせちゃった。忘れて欲しいな」
「……悪くない」
屈託なく笑う狭間に、ただ一言「分かった」と言うつもりが、違う言葉が出てしまった。不思議そうに狭間が小さく「え?」と声を漏らす。
「お前も、お前の母親も、悪くないだろ」
狭間は何とも言えない微妙な表情を浮かべる。それを見ていると、黙ろうという気が失せた。
「誰が何を言おうと悪いのは全部、お前をいじめてた奴らだ」
苛々する。胸糞悪い話に対してではなく、目の前に居る奴に苛々する。
「めんどくさいからって、簡単に片付けんなよ……自分一人が我慢すればいいなんて言うな! どう考えたって、お前が悪い事なんて一個もないだろ! それをわざわざ自分から引っ被るような真似するな」
俯いてしまった狭間は、小さく「ごめん」と呟いた。あぁ、違う、そうじゃない。そうじゃないんだ。オレは狭間の細い肩を掴む。
「謝る必要なんてない。お前は悪くない」
上手く言葉が出て来ず悔しい。なんで狭間を責めてるんだ。ああ、分かってる、オレは狭間を責めている。オレの大事な奴に無駄なモノいっぱい背負い込ませてるからな。
「卒業したら、そいつらぶっ飛ばしに行くぞ」
「えっ!?」
オレの提案に狭間が目を白黒させて驚いている。
「落とし前つけさせる。そいつらが手を出したのは、圏ガクの良心だって事を思い知らせてやる」
事情を知れば結構シャレにならない数の奴らが集まりそうだと、割と本気で考えていたのだが、そんなオレを見て狭間は軽く吹き出した。
「このままいけば、きっと夷川君は番長とかになっちゃうね」
「どんな嫌がらせだ! 絶対ならねぇよ!」
そんな肩書き死んでもいらない。とんでもないカウンターを食らわされ、ブイブイ文句を言っていると、狭間は吹けば飛んでしまうのではと思うような笑みを浮かべた。
「ぼく……圏ガクに入学する事が決まった時、嫌だなって思ったんだ。恐い人しかいない場所だって言われて、絶対に今まで以上に酷い目に遭うんだろうなって」
悪名名高い学校だからな。実際は色んな意味で『恐い人』が多い所だったけど。全裸の男が頭に浮かんだので、つい鼻先を何度も払ってしまった。
「でも、ぜんぜん、そんなこと、あんまりなくて……毎日、すごく楽しいんだ」
あんまりって、ちょっとはあるのか。
「あ、うん、でも、大丈夫。みんな助けてくれるし……そんなに悪い人でもないから」
少し上気した顔の狭間に、自虐的な表情は欠片も見えなくなった。肩を掴んでいた手を離す。
「仕返しは卒業するまで待てよ。オレ、卒業するまで自由に動けないからさ」
「あはは、仕返しはしなくていいかな。僕と同じくらい相手も大変な目に遭ってたから」
卒業パーティーの提案は、おかしそうに笑う狭間に却下されてしまった。写真をばらまいたのは、狭間をいじめていた相手ではなかったらしい。狭間曰わく、いじめが暴露され、相手もそれ相応の報いは受けていたとか。
「じゃあ、お礼参りだな」
とは言え、納得出来ないオレは更に提案を重ねてみた。その写真のせいで、狭間の母親は新興宗教に縋るほどのショックを受けた訳だしな。
「うーん、それは止めとこう。相手は女の子だから、可哀想だよ」
さすがに女は殴れないか、そう納得して一人「仕方ない」と頷く。すると、改まった顔で狭間がオレを見た。
「ぼくのことを心配してくれて、ありがとう」
真っ直ぐ目を見て言われると、なんか無性に恥ずかしくなる。オレは視線を逸らせて「別に」とそっけなく返す。
「友達を馬鹿にされて腹が立っただけだ」
「馬鹿にしたのも、されたのも、ぼくだよね」
意地悪そうに言う狭間は、オレの返事を聞くと、今度は盛大に吹き出して声を出して笑った。
「あのね」
ひとしきり笑うと、狭間は目尻を指先で拭い、真剣な顔を見せた。
「……なんだよ」
散々笑われた後だったので、すぐには切り替えられず、そっぽ向いていると、少し荒れた小さな手がオレの両頬に触れる。驚いて狭間に視線をやると、何故か少し寂しそうな顔がこちらを見つめていた。
小さくて華奢な、同じ男とは思えない顔や手が、普段見慣れたはずのそれらが、初めて見るような錯覚を呼ぶ。馬鹿にするつもりなんてないのに『女みたいだな』と思ってしまう。
「いじめられてた事が、周りの人に知られた時ね、色んな人が声をかけてくれたんだ」
痛みに耐えるような声だ。何を言おうとしているのか分からないが、辛い事なら思い出さなくていいと言ってやりたかった。でも、そんな思いをしてまで、伝えようとしてくれている狭間を止める事は出来なかった。
「みんな『大変だったね』とか『もう大丈夫だよ』とか、気遣うような事を言ってくれるんだけど、目を見るとね……単なる興味って言うのかな『酷い目に遭った可哀想な子』が、どんな人間なのか見たい知りたいって、言ってるようにしか見えなかった」
相槌も無用に思え、黙って狭間の言葉に耳を傾け続ける。
「お母さんは『酷い目に遭った可哀想なぼく』を見るのが辛かったんだろうね。そうなる前のぼくにずっと謝ってた」
頬に触れる指先が震えているような気がした。
「だから……周りにそんな人しかいなかったから、一人になりたいって、そう思うしかなかったんだ」
唇を軽く噛んだ後、狭間は再び真っ直ぐオレの目を見つめた。
「本当は、誰か、寄り添って、支えてくれる人が欲しかったんだなって、今気付いた」
グッと震えていた指先に力が込められる。ちゃんと聞けと、狭間の真剣な顔が訴えてくる。
「一人にしちゃ駄目だよ」
心臓を掴まれたような気がした。オレから漏れた間抜けな声を無視して、狭間は毅然と話し続ける。
「一人になりたいって言ってる人を一人にしちゃ駄目だよ。その人が大切なら、嫌われてもいいから側に居なきゃ」
胸が詰まる。胸の中がいっぱいで苦しい。狭間の手がふわっと離れて、次の瞬間パチンとオレの顔を叩いた。
「いってらっしゃい」
背中を押された気がした。小さくて華奢で女みたいな奴とは思えない強い力だった。
自分の感情が爆発する。先輩への気持ちが溢れかえって、オレは部屋を飛び出す。けれど思い止まり、すぐさま駆け出したい気持ちを必死で抑え、一度だけ振り返って「行ってくる」と返事をした。
「うん」
狭間が満足そうに頷くのを見届け、オレは迷いなく先輩の元へと走った。
先輩の部屋へ様子を見に行く事も、おそらく担任の運転する車に同乗していただろう、さっきすれ違った三年を追いかける事もせず、自室に戻った……戻ってしまった。
「ただいま」
部屋には誰もおらず、出迎えは出しっ放しにしていたスポーツバッグだけだった。何もない部屋にスポーツバッグがポツンと一つ、それを見ていると何故かとてつもない寂しさに襲われ、オレの気力は底を突き、そいつに向かって倒れ込んだ。
「…………なんでこんなパンパンなんだ」
不貞寝してやろうと思ったのに、枕の具合が心地悪く顔を上げる。誰かに嫌がらせでゴミでも詰められたかと頭を過ぎり、危機感から身を起こして慎重に開けると、脱力する現実を目の当たりにした。
グチャグチャに詰め込まれた服が、無駄にかさばっていただけだった。人間にとって大切な何かが抜けるんじゃないかと思うような長い溜め息が出た。
「片付けるか」
再びスポーツバッグの中身を畳にぶちまける。ちょっと部屋が賑やかになった気がした。
「うわ、どうしたの?」
部屋を散らかし、したり顔を浮かべながら、オレは帰ってきた狭間にまず「おかえり」と言ってやった。
「ただいま。何か探し物?」
「……その後片付けの最中だ」
狭間は何も言わず当たり前みたいに、ぶちまけられた服の前に正座して、一つ一つ丁寧に畳み直していく。オレも向かい合って座り込んで服を畳む。特に何を話す訳でもなく、二人で黙々と作業しているだけなのに、さっきまであった寂しい感じはなくなっていた。
「なあ……狭間は、一人になりたい時ってあるか?」
自分と狭間の畳んだ服それぞれの仕上がりが歴然としていて、次の服に手が伸びなくなってしまったオレは、手持ち無沙汰なせいか口が動いた。明らかにサボっているオレを見て、狭間は少し笑って考えるように「そうだね」と相槌を打った。
「うん、あるよ」
明るい返答にちょっと戸惑ってしまう。ふーんと気のない返事をしたが、意外な答えにオレは動揺していた。
「夷川君は?」
「オレは……あんま、ないな」
オレの答えに狭間は楽しそうな声を出して笑う。そんなに面白い答えだったかと焦るが、すぐに狭間の答えの方が健全だと思い至る。
圏ガクの生活は、大袈裟に言えば朝から晩まで集団生活だ。特に一年は一人で過ごすとロクな事がないので、誰かと一緒という状況は必須になってくる。そんな中で全く『一人になりたい』と思わない奴はいないだろう。
「どんな時に一人になりたいって思うか、聞いてもいいか?」
当たり前みたいに答えてしまった自分が少し恥ずかしくなった。赤くなる顔を誤魔化したくて質問を重ねたが『帰って来たら一度畳んだ洗濯物を無茶苦茶にされてた時かな』と言われたらどうしよう。
「ふふ、改めてそう言われると、ぼくも最近は思わないかも。中学の頃はずっと一人になりたいって思ってたんだけどね」
「何か嫌な事でもあったのか?」
先輩がどんな気持ちでいるのか知りたくて、何も考えずそう返してしまった。狭間が驚いたような顔をしている。
「うん……そうだね、嫌な事ばっかりだったな」
オレは焦って謝ろうとしたが、その前に狭間が話し出してしまった。
「僕、こんなだから、小さい頃からずっといじめられてたんだ。だから僕にとっては当たり前だったんだけど、中学に上がってからは、それが、すごく酷くなって……」
狭間は手を止めずにオレの服を畳みながら、どこか遠くを見るような声で淡々と話し続けた。
「あ、でも、嫌だったけど、段々慣れて、僕は我慢できたんだ……でも、その姿を写真に撮られて、家の周りにばらまかれて……それをお母さんが見ちゃったんだ。僕がいじめられてる姿を」
相槌すら出来ず、オレは黙って狭間の話を聞いた。可笑しい事なんて一つもないのに、狭間は笑いを挟みながら独り言のように続けた。
「すごくショックだったみたいで……『気付いてあげられなくてごめんね』て、ずっと謝ってた。毎日毎日ずっとお母さんの謝り続ける声を聞いてると、頭の中が真っ白になって、ただひたすらに一人になりたいって思ってた」
お母さんは悪くないのに、そう小さく呟くと、すぐに狭間は元通りの顔で笑った。
「その後、お母さん新興宗教に入信しちゃって大変だったんだ。自分の罪を許して貰うんだーって。悪いのは全部僕なのにね」
とっておきの冗談のように言う狭間は、最後の一枚を畳み終えると、ポンとまとめてオレの前に置いてくれた。話は終わり、そう言うみたいに。
「ごめんね。変な事聞かせちゃった。忘れて欲しいな」
「……悪くない」
屈託なく笑う狭間に、ただ一言「分かった」と言うつもりが、違う言葉が出てしまった。不思議そうに狭間が小さく「え?」と声を漏らす。
「お前も、お前の母親も、悪くないだろ」
狭間は何とも言えない微妙な表情を浮かべる。それを見ていると、黙ろうという気が失せた。
「誰が何を言おうと悪いのは全部、お前をいじめてた奴らだ」
苛々する。胸糞悪い話に対してではなく、目の前に居る奴に苛々する。
「めんどくさいからって、簡単に片付けんなよ……自分一人が我慢すればいいなんて言うな! どう考えたって、お前が悪い事なんて一個もないだろ! それをわざわざ自分から引っ被るような真似するな」
俯いてしまった狭間は、小さく「ごめん」と呟いた。あぁ、違う、そうじゃない。そうじゃないんだ。オレは狭間の細い肩を掴む。
「謝る必要なんてない。お前は悪くない」
上手く言葉が出て来ず悔しい。なんで狭間を責めてるんだ。ああ、分かってる、オレは狭間を責めている。オレの大事な奴に無駄なモノいっぱい背負い込ませてるからな。
「卒業したら、そいつらぶっ飛ばしに行くぞ」
「えっ!?」
オレの提案に狭間が目を白黒させて驚いている。
「落とし前つけさせる。そいつらが手を出したのは、圏ガクの良心だって事を思い知らせてやる」
事情を知れば結構シャレにならない数の奴らが集まりそうだと、割と本気で考えていたのだが、そんなオレを見て狭間は軽く吹き出した。
「このままいけば、きっと夷川君は番長とかになっちゃうね」
「どんな嫌がらせだ! 絶対ならねぇよ!」
そんな肩書き死んでもいらない。とんでもないカウンターを食らわされ、ブイブイ文句を言っていると、狭間は吹けば飛んでしまうのではと思うような笑みを浮かべた。
「ぼく……圏ガクに入学する事が決まった時、嫌だなって思ったんだ。恐い人しかいない場所だって言われて、絶対に今まで以上に酷い目に遭うんだろうなって」
悪名名高い学校だからな。実際は色んな意味で『恐い人』が多い所だったけど。全裸の男が頭に浮かんだので、つい鼻先を何度も払ってしまった。
「でも、ぜんぜん、そんなこと、あんまりなくて……毎日、すごく楽しいんだ」
あんまりって、ちょっとはあるのか。
「あ、うん、でも、大丈夫。みんな助けてくれるし……そんなに悪い人でもないから」
少し上気した顔の狭間に、自虐的な表情は欠片も見えなくなった。肩を掴んでいた手を離す。
「仕返しは卒業するまで待てよ。オレ、卒業するまで自由に動けないからさ」
「あはは、仕返しはしなくていいかな。僕と同じくらい相手も大変な目に遭ってたから」
卒業パーティーの提案は、おかしそうに笑う狭間に却下されてしまった。写真をばらまいたのは、狭間をいじめていた相手ではなかったらしい。狭間曰わく、いじめが暴露され、相手もそれ相応の報いは受けていたとか。
「じゃあ、お礼参りだな」
とは言え、納得出来ないオレは更に提案を重ねてみた。その写真のせいで、狭間の母親は新興宗教に縋るほどのショックを受けた訳だしな。
「うーん、それは止めとこう。相手は女の子だから、可哀想だよ」
さすがに女は殴れないか、そう納得して一人「仕方ない」と頷く。すると、改まった顔で狭間がオレを見た。
「ぼくのことを心配してくれて、ありがとう」
真っ直ぐ目を見て言われると、なんか無性に恥ずかしくなる。オレは視線を逸らせて「別に」とそっけなく返す。
「友達を馬鹿にされて腹が立っただけだ」
「馬鹿にしたのも、されたのも、ぼくだよね」
意地悪そうに言う狭間は、オレの返事を聞くと、今度は盛大に吹き出して声を出して笑った。
「あのね」
ひとしきり笑うと、狭間は目尻を指先で拭い、真剣な顔を見せた。
「……なんだよ」
散々笑われた後だったので、すぐには切り替えられず、そっぽ向いていると、少し荒れた小さな手がオレの両頬に触れる。驚いて狭間に視線をやると、何故か少し寂しそうな顔がこちらを見つめていた。
小さくて華奢な、同じ男とは思えない顔や手が、普段見慣れたはずのそれらが、初めて見るような錯覚を呼ぶ。馬鹿にするつもりなんてないのに『女みたいだな』と思ってしまう。
「いじめられてた事が、周りの人に知られた時ね、色んな人が声をかけてくれたんだ」
痛みに耐えるような声だ。何を言おうとしているのか分からないが、辛い事なら思い出さなくていいと言ってやりたかった。でも、そんな思いをしてまで、伝えようとしてくれている狭間を止める事は出来なかった。
「みんな『大変だったね』とか『もう大丈夫だよ』とか、気遣うような事を言ってくれるんだけど、目を見るとね……単なる興味って言うのかな『酷い目に遭った可哀想な子』が、どんな人間なのか見たい知りたいって、言ってるようにしか見えなかった」
相槌も無用に思え、黙って狭間の言葉に耳を傾け続ける。
「お母さんは『酷い目に遭った可哀想なぼく』を見るのが辛かったんだろうね。そうなる前のぼくにずっと謝ってた」
頬に触れる指先が震えているような気がした。
「だから……周りにそんな人しかいなかったから、一人になりたいって、そう思うしかなかったんだ」
唇を軽く噛んだ後、狭間は再び真っ直ぐオレの目を見つめた。
「本当は、誰か、寄り添って、支えてくれる人が欲しかったんだなって、今気付いた」
グッと震えていた指先に力が込められる。ちゃんと聞けと、狭間の真剣な顔が訴えてくる。
「一人にしちゃ駄目だよ」
心臓を掴まれたような気がした。オレから漏れた間抜けな声を無視して、狭間は毅然と話し続ける。
「一人になりたいって言ってる人を一人にしちゃ駄目だよ。その人が大切なら、嫌われてもいいから側に居なきゃ」
胸が詰まる。胸の中がいっぱいで苦しい。狭間の手がふわっと離れて、次の瞬間パチンとオレの顔を叩いた。
「いってらっしゃい」
背中を押された気がした。小さくて華奢で女みたいな奴とは思えない強い力だった。
自分の感情が爆発する。先輩への気持ちが溢れかえって、オレは部屋を飛び出す。けれど思い止まり、すぐさま駆け出したい気持ちを必死で抑え、一度だけ振り返って「行ってくる」と返事をした。
「うん」
狭間が満足そうに頷くのを見届け、オレは迷いなく先輩の元へと走った。
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