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圏ガクの夏休み
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「ぼくは響総合病院の院長を務めてます、響直弥です。君が夷川くんだね?」
小吉さんは顔見知りらしく、響先生はオレをジッと見ると、目尻の皺を深くし、何故かペコリと頭を下げた。
「いつも父によくしてくれて、ありがとう」
初対面の大人、しかも医者の先生に頭を下げられ、オレは訳が分からず一人オロオロしてしまう。別に誰にもよくしてないし、だいたいこの先生くらいの人の父親って完全にジジイじゃねーか……そう胸中で毒づいていると、一人思い当たる人物が見つかった。
「……じいちゃん?」
頭に浮かんだ答えを自然と呟いてしまい、慌てて「すいません」と謝った。けれど、響先生は嬉しそうに笑って「それそれ」と更に訳の分からない事を言う。
「君さえよければ、そのままで呼んでやって欲しいんだ。お恥ずかしい話、ぼくと父はどうも合わなくてね。この病院を引き継ぐと同時に、父は逃げるように圏ガクの仕事を始めてしまって、一人寂しく暮らしているんじゃないかと、気になっていたんだよ」
響先生の話に気の抜けたような返事をしながら、腹の底ではどうしてか苛立ちが募っていった。気になっているなら声をかければいい! 口に出そうになった言葉を飲み込む。
「そしたら、今年は帰って来るなり上機嫌でね。君や色々な生徒さんの話を沢山聞かせてくれたんだ。君が卒業するまでは現役で働きたいって、いつもなら朝からでも飲んでる人が、晩酌だけで済ませるようになって……」
響先生はそこで言葉を詰まらせ、眼鏡を外したと思ったら、白衣の袖で目元を拭いだした。鼻を啜り、照れ臭そうに笑う、真っ赤な目をした姿を見ると、オレが感じた苛立ちはスッと消えていった。それに代わって、この人たちがじいちゃんの本当の家族なんだなと思うと、どうしてか少しだけ寂しくなってしまった。
その理由が分からず、村主さんに「しっかりして」と励まされている響先生から視線を逸らすように、足下へ顔を向けるとスルリと何かがオレの足に纏わり付いてきた。いきなり出て来たので驚いてしまったが、それは色々な模様を小洒落た感じで生やした一匹の猫だった。
「あ、小太郎だ!」
猫に気付いた小吉さんが、猫の名前だろう、そう叫ぶと、そいつはピンと耳を立たせ、ちょっと低めの声で返事するみたいにニャアと鳴いたかと思うと、軽々とオレの膝の上に飛び乗って来やがった。軽そうな身のこなしの割にズッシリと重い猫を睨んでやると「やんのか?」と言いたげな目で睨み返される。猫に張り合い睨んでいると、ふいと奴が視線を逸らせた。オレの勝利だと、猫が見せた後頭部をなんとなく撫でようと指先が触れた途端、シャーッとそいつは牙を剥いた。目と鼻の先で威嚇され、思わず声を上げて立ち上がると、ピョイと猫は響先生の机の上に飛び移る。
「ごめんね。小太郎は人懐こいんだけど、人に撫でられるのが苦手な子なんだ。噛みついたり、引っ掻いたりはしないんだけどね」
チラリとこちらを振り返った猫は、フンと笑うように鼻息を吐いた後、我が物顔で机に寝そべり毛繕いを始めた。かわいくない猫だ。猫の顔に違いがあるなんて思わなかったが、よく見ればこの小太郎とか言う猫の顔はなんか性格が悪そうだ。
「小太郎は野生を失わない猫なんだ」
小吉さんがどこか誇らしげにそう言うと、その通りだと言うつもりか、ニャウとちょっと低めの鳴き声が聞こえた。
猫の闖入で響先生も立ち直り、仕切り直しとばかりに机の上から小太郎を追い出すと、オレと小吉さんの治療に取りかかってくれた。じいちゃんの息子さんと聞いて、あのグルグル巻きの包帯を思い出してしまったのだが、響先生の腕は確かなようで、手際もよくアッと言う間に処置を施してくれた。
先に治療を済ませた小吉さんは、ジッとしているのが苦手なのか、断りを入れてから外に飛び出し、何をしているのかと思えば、中断してしまった花壇の水やりを引き継いでいた。来院した患者さんをショック死させかねない大声での出迎えを阻止すべく、苦笑しながら村主さんも診察室を出て行くと、さっきまでの賑やかさが嘘のような静けさが残った。
響先生の顔も、気のせいか少し険しい。いや、少なくとも小吉さんを診ていた時は、こんな難しい顔はしていなかった。
「夷川くん、この怪我、どうしたの?」
背中の打撲を診てもらっている最中、響先生は待っていたかのように口を開いた。怪我の理由を聞かれるなんて思いもしなかったので妙に焦ってしまったが、素直に「ケンカです」と答えた。背中に一通り湿布を貼り終えると、響先生はオレの両腕を掴み、クルリと椅子を回転させた。
「こんなのはケンカとは言わないよ」
椅子が回転して響先生へ向き直ると、怒ったような真剣な目と、目が合ってしまい少し動揺する。オレの腕を取ると、まだ赤々と残るベルトの痕に視線をやり、
「これは一方的な暴行だ。それをケンカだと軽々しく思うのは止めなさい。取り返しがつかなくなった後では遅いんだ」
言い訳出来ない雰囲気で、ちょっと目の覚めるような事を言われてしまった。
圏ガクの常識は世間一般の非常識……それをようやく実感する。
「……すいません」
たった数ヶ月の間で書き換えられた、自分の中の常識を恥ずかしく思った。いや、それだけじゃないか……香月たちに好き勝手やられた自分が情けなくて恥ずかしかったのだ。腹の底から沸き上がる怒りが、羞恥に乗っかり顔が熱くなる。
「このことは、先生に報告させて貰うよ」
どう報告されるのか不安もあったが、止めろとは言えずオレは小さく頷いた。まあ担任も圏ガクの教師だ。生徒間の小競り合いには一切関与しないはずなので、問題無いだろう。
あの人数を一度に相手するのは不可能でも、少人数ならやりようもある。やられた分は絶対にやり返す! オレが静かにリベンジを決意していると、
「ここへ避難してくれても構わない。学校のような広い場所では、先生の目が届かない所も多いだろうから」
真剣な顔をした響先生が、思いもしない角度で妙な提案をしてきた。村主さんと担任も交えて、今後の事を相談していこうと、親身になってくれているのだが、これには適当に頷く訳にはいかず、オレは少し動揺しながらも大丈夫だと説明する。
小吉さんたち上級生の元に身を寄せているので、差し迫った危険はない事を必死に説明したのだが、動揺のせいか言い訳にしか聞こえず、響先生に困った顔をさせてしまった。
「いきなり避難なんて言葉を使ってしまったせいで驚かせたね。でも、先生たちと一緒に君のことを本気で考えさせて欲しい。たった数年だけどね、ぼくはここに運び込まれる生徒さんたちを診てきたんだ……君をあんな姿にさせたくないんだよ」
穏やかな口調なのに、どうしてかそれ以上、オレの事は構わないでくれとは言えなかった。実際問題、小吉さんたちに助けて貰わなければ、夏休み初日からオレは悲惨な目に遭っていた訳で、一人で先輩が帰ってくるまで、逃げ回るだけにせよ、残留一年相手に奮闘するなんて甘すぎる認識だった。最悪、教師に泣きつくというプランも頭の片隅には用意済みだ。オレは無駄な抵抗は止めて、素直に響先生の提案に従う事にした。
「あの、聞いてもいいですか?」
了承の意思を伝えるついでに、オレは図々しくも消化不良の案件を引っぱり出す。喫茶店で聞いた村主さんの話では、流されていた部分について、直接聞いてやろうと思いついたのだ。
少し表情を柔らかくしてくれた響先生は、オレの頼みを一も二もなく許してくれる。優しさが滲み出る顔を見ていると、今からする不躾な質問を引っ込めるべきかと悩みたくなったが、オレのなけなしのプライドを投げ渡した直後だったせいか、躊躇無く口を開く事が出来た。
「二年前、ここに運び込まれた生徒は、どんな状態でしたか?」
村主さんの話では、二年前の事件で、響先生は被害者だ。病院で暴れられ、あまつさえ娘にまで危害を加えられそうになっている。思い出したくない事柄だったとしても不思議ではない。
けれど、響先生の表情はケロッとしたもので、少し小首を傾げた。
「二年前と言われてもなぁ……もう少し具体的に言ってくれるかい?」
年間で一体何人の生徒が病院送りになっているのか。呆れつつも開き直り、オレは気付かれるはずのない意図をそれでも十分に隠せるよう適当な言葉を探す。
「今朝、村主さんに聞きました。二年前に三十人近くの生徒が一度に病院送りになった事があったって。その……学校で派手な抗争でもあったんでしょうか。マンガみたいな話だから、ちょっと気になってしまって」
オレのバカっぽい質問に、響先生は困ったように笑って「あの時のことか」と軽く口を開いてくれた。
「不良マンガみたいな抗争かぁ。男の子って感じがするね」
そんなしみじみ言われると、なんかすげぇ恥ずかしくなってきた。思わず呻きそうになったオレに、響先生は肩を少し竦めて「でも、残念」とオレの疑問をバッサリ切り捨てる。
「夷川くんが言っている『二年前』の時は、そんな派手な原因ではなかったと思うよ。あの時は、正直それどころじゃなかったから、原因については何も聞けていないんだけどね」
笑いながら話してくれてはいるが、『それどころじゃなかった』という言葉に、やっぱり少しだけ申し訳なく思っていると、響先生は同じ調子で「まあ、本当にマンガみたいな状況もあったけど」と冗談のようなノリで付け加えた。
それから、響先生は少し考えるみたいに目を瞑り、当時の事を想いだしてくれているのか、ぽつりぽつりと続きを話してくれた。
病院に運ばれた生徒の状況から見るに、多人数入り乱れての乱闘ではないと響先生は言い切った。三十人以上いた全ての生徒に共通する怪我は、利き腕の脱臼と利き足の捻挫だったらしい。
「誰一人として、殴られたり蹴られたりした様子はなかったんだ……血を流していなかった。中には両腕だったり、指までおかしな方向を向いている子もいたけどね。ケンカと言うより、体育の授業で間違った指導をして集団で怪我をさせてしまった、みたいな……いや……」
一呼吸置いた後、響先生は嫌悪感を隠さず、険しい声でその本質を、現実感のない言葉で表した。
「まるで、人を物のように壊した……そんな有様だったよ」
小吉さんは顔見知りらしく、響先生はオレをジッと見ると、目尻の皺を深くし、何故かペコリと頭を下げた。
「いつも父によくしてくれて、ありがとう」
初対面の大人、しかも医者の先生に頭を下げられ、オレは訳が分からず一人オロオロしてしまう。別に誰にもよくしてないし、だいたいこの先生くらいの人の父親って完全にジジイじゃねーか……そう胸中で毒づいていると、一人思い当たる人物が見つかった。
「……じいちゃん?」
頭に浮かんだ答えを自然と呟いてしまい、慌てて「すいません」と謝った。けれど、響先生は嬉しそうに笑って「それそれ」と更に訳の分からない事を言う。
「君さえよければ、そのままで呼んでやって欲しいんだ。お恥ずかしい話、ぼくと父はどうも合わなくてね。この病院を引き継ぐと同時に、父は逃げるように圏ガクの仕事を始めてしまって、一人寂しく暮らしているんじゃないかと、気になっていたんだよ」
響先生の話に気の抜けたような返事をしながら、腹の底ではどうしてか苛立ちが募っていった。気になっているなら声をかければいい! 口に出そうになった言葉を飲み込む。
「そしたら、今年は帰って来るなり上機嫌でね。君や色々な生徒さんの話を沢山聞かせてくれたんだ。君が卒業するまでは現役で働きたいって、いつもなら朝からでも飲んでる人が、晩酌だけで済ませるようになって……」
響先生はそこで言葉を詰まらせ、眼鏡を外したと思ったら、白衣の袖で目元を拭いだした。鼻を啜り、照れ臭そうに笑う、真っ赤な目をした姿を見ると、オレが感じた苛立ちはスッと消えていった。それに代わって、この人たちがじいちゃんの本当の家族なんだなと思うと、どうしてか少しだけ寂しくなってしまった。
その理由が分からず、村主さんに「しっかりして」と励まされている響先生から視線を逸らすように、足下へ顔を向けるとスルリと何かがオレの足に纏わり付いてきた。いきなり出て来たので驚いてしまったが、それは色々な模様を小洒落た感じで生やした一匹の猫だった。
「あ、小太郎だ!」
猫に気付いた小吉さんが、猫の名前だろう、そう叫ぶと、そいつはピンと耳を立たせ、ちょっと低めの声で返事するみたいにニャアと鳴いたかと思うと、軽々とオレの膝の上に飛び乗って来やがった。軽そうな身のこなしの割にズッシリと重い猫を睨んでやると「やんのか?」と言いたげな目で睨み返される。猫に張り合い睨んでいると、ふいと奴が視線を逸らせた。オレの勝利だと、猫が見せた後頭部をなんとなく撫でようと指先が触れた途端、シャーッとそいつは牙を剥いた。目と鼻の先で威嚇され、思わず声を上げて立ち上がると、ピョイと猫は響先生の机の上に飛び移る。
「ごめんね。小太郎は人懐こいんだけど、人に撫でられるのが苦手な子なんだ。噛みついたり、引っ掻いたりはしないんだけどね」
チラリとこちらを振り返った猫は、フンと笑うように鼻息を吐いた後、我が物顔で机に寝そべり毛繕いを始めた。かわいくない猫だ。猫の顔に違いがあるなんて思わなかったが、よく見ればこの小太郎とか言う猫の顔はなんか性格が悪そうだ。
「小太郎は野生を失わない猫なんだ」
小吉さんがどこか誇らしげにそう言うと、その通りだと言うつもりか、ニャウとちょっと低めの鳴き声が聞こえた。
猫の闖入で響先生も立ち直り、仕切り直しとばかりに机の上から小太郎を追い出すと、オレと小吉さんの治療に取りかかってくれた。じいちゃんの息子さんと聞いて、あのグルグル巻きの包帯を思い出してしまったのだが、響先生の腕は確かなようで、手際もよくアッと言う間に処置を施してくれた。
先に治療を済ませた小吉さんは、ジッとしているのが苦手なのか、断りを入れてから外に飛び出し、何をしているのかと思えば、中断してしまった花壇の水やりを引き継いでいた。来院した患者さんをショック死させかねない大声での出迎えを阻止すべく、苦笑しながら村主さんも診察室を出て行くと、さっきまでの賑やかさが嘘のような静けさが残った。
響先生の顔も、気のせいか少し険しい。いや、少なくとも小吉さんを診ていた時は、こんな難しい顔はしていなかった。
「夷川くん、この怪我、どうしたの?」
背中の打撲を診てもらっている最中、響先生は待っていたかのように口を開いた。怪我の理由を聞かれるなんて思いもしなかったので妙に焦ってしまったが、素直に「ケンカです」と答えた。背中に一通り湿布を貼り終えると、響先生はオレの両腕を掴み、クルリと椅子を回転させた。
「こんなのはケンカとは言わないよ」
椅子が回転して響先生へ向き直ると、怒ったような真剣な目と、目が合ってしまい少し動揺する。オレの腕を取ると、まだ赤々と残るベルトの痕に視線をやり、
「これは一方的な暴行だ。それをケンカだと軽々しく思うのは止めなさい。取り返しがつかなくなった後では遅いんだ」
言い訳出来ない雰囲気で、ちょっと目の覚めるような事を言われてしまった。
圏ガクの常識は世間一般の非常識……それをようやく実感する。
「……すいません」
たった数ヶ月の間で書き換えられた、自分の中の常識を恥ずかしく思った。いや、それだけじゃないか……香月たちに好き勝手やられた自分が情けなくて恥ずかしかったのだ。腹の底から沸き上がる怒りが、羞恥に乗っかり顔が熱くなる。
「このことは、先生に報告させて貰うよ」
どう報告されるのか不安もあったが、止めろとは言えずオレは小さく頷いた。まあ担任も圏ガクの教師だ。生徒間の小競り合いには一切関与しないはずなので、問題無いだろう。
あの人数を一度に相手するのは不可能でも、少人数ならやりようもある。やられた分は絶対にやり返す! オレが静かにリベンジを決意していると、
「ここへ避難してくれても構わない。学校のような広い場所では、先生の目が届かない所も多いだろうから」
真剣な顔をした響先生が、思いもしない角度で妙な提案をしてきた。村主さんと担任も交えて、今後の事を相談していこうと、親身になってくれているのだが、これには適当に頷く訳にはいかず、オレは少し動揺しながらも大丈夫だと説明する。
小吉さんたち上級生の元に身を寄せているので、差し迫った危険はない事を必死に説明したのだが、動揺のせいか言い訳にしか聞こえず、響先生に困った顔をさせてしまった。
「いきなり避難なんて言葉を使ってしまったせいで驚かせたね。でも、先生たちと一緒に君のことを本気で考えさせて欲しい。たった数年だけどね、ぼくはここに運び込まれる生徒さんたちを診てきたんだ……君をあんな姿にさせたくないんだよ」
穏やかな口調なのに、どうしてかそれ以上、オレの事は構わないでくれとは言えなかった。実際問題、小吉さんたちに助けて貰わなければ、夏休み初日からオレは悲惨な目に遭っていた訳で、一人で先輩が帰ってくるまで、逃げ回るだけにせよ、残留一年相手に奮闘するなんて甘すぎる認識だった。最悪、教師に泣きつくというプランも頭の片隅には用意済みだ。オレは無駄な抵抗は止めて、素直に響先生の提案に従う事にした。
「あの、聞いてもいいですか?」
了承の意思を伝えるついでに、オレは図々しくも消化不良の案件を引っぱり出す。喫茶店で聞いた村主さんの話では、流されていた部分について、直接聞いてやろうと思いついたのだ。
少し表情を柔らかくしてくれた響先生は、オレの頼みを一も二もなく許してくれる。優しさが滲み出る顔を見ていると、今からする不躾な質問を引っ込めるべきかと悩みたくなったが、オレのなけなしのプライドを投げ渡した直後だったせいか、躊躇無く口を開く事が出来た。
「二年前、ここに運び込まれた生徒は、どんな状態でしたか?」
村主さんの話では、二年前の事件で、響先生は被害者だ。病院で暴れられ、あまつさえ娘にまで危害を加えられそうになっている。思い出したくない事柄だったとしても不思議ではない。
けれど、響先生の表情はケロッとしたもので、少し小首を傾げた。
「二年前と言われてもなぁ……もう少し具体的に言ってくれるかい?」
年間で一体何人の生徒が病院送りになっているのか。呆れつつも開き直り、オレは気付かれるはずのない意図をそれでも十分に隠せるよう適当な言葉を探す。
「今朝、村主さんに聞きました。二年前に三十人近くの生徒が一度に病院送りになった事があったって。その……学校で派手な抗争でもあったんでしょうか。マンガみたいな話だから、ちょっと気になってしまって」
オレのバカっぽい質問に、響先生は困ったように笑って「あの時のことか」と軽く口を開いてくれた。
「不良マンガみたいな抗争かぁ。男の子って感じがするね」
そんなしみじみ言われると、なんかすげぇ恥ずかしくなってきた。思わず呻きそうになったオレに、響先生は肩を少し竦めて「でも、残念」とオレの疑問をバッサリ切り捨てる。
「夷川くんが言っている『二年前』の時は、そんな派手な原因ではなかったと思うよ。あの時は、正直それどころじゃなかったから、原因については何も聞けていないんだけどね」
笑いながら話してくれてはいるが、『それどころじゃなかった』という言葉に、やっぱり少しだけ申し訳なく思っていると、響先生は同じ調子で「まあ、本当にマンガみたいな状況もあったけど」と冗談のようなノリで付け加えた。
それから、響先生は少し考えるみたいに目を瞑り、当時の事を想いだしてくれているのか、ぽつりぽつりと続きを話してくれた。
病院に運ばれた生徒の状況から見るに、多人数入り乱れての乱闘ではないと響先生は言い切った。三十人以上いた全ての生徒に共通する怪我は、利き腕の脱臼と利き足の捻挫だったらしい。
「誰一人として、殴られたり蹴られたりした様子はなかったんだ……血を流していなかった。中には両腕だったり、指までおかしな方向を向いている子もいたけどね。ケンカと言うより、体育の授業で間違った指導をして集団で怪我をさせてしまった、みたいな……いや……」
一呼吸置いた後、響先生は嫌悪感を隠さず、険しい声でその本質を、現実感のない言葉で表した。
「まるで、人を物のように壊した……そんな有様だったよ」
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