『逆行。』

篠崎俊樹

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第10話。

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     10
 代々木南署の捜査会議は、その夜も徹夜で続けられた。深夜のフロアは、シーンと静まり返っている。警察官だけが着席して、ゆっくりと会議に臨席していた。言葉は、次々と出てくるが、大抵の意見は、君島次郎、つまり、ジミーを検挙すべきだという意見だった。
 八田も、冷徹に主張する。自説を。その冷徹な主張に、誰もが黙らざるを得ない。また、黙っているだろう。別に、臨席している誰もが思う。長年、刑事をやっている人間には、かなわないと。
 かねてより、八田と相性の悪い矢島が言い返した。キャリアは、それ相応のプライドと矜持を持っている。それが、次の言葉を吐かせた。
「君島次郎は、どう見てもシロだ。事件に関与している可能性は、極めて薄い。何度言ったら、分かるんだ、八田君?」
 強気だ。でも、それが強硬主張であることを、皆承知していた。でも、誰も言い返さない。また、キャリアである以上、言い返せない。
「しかし現に、次郎は、事件前夜から行方をくらましてます。渋谷の殺人現場となった自宅マンションからいなくなってるんです。普通に考えても、次郎が何か事情を知っていると見るのが妥当でしょう」
 だが、八田の極めて真っ当な意見は、孤立無援状態だった。誰もが矢島に睨まれることを思ってか、味方しようとしない。ヒラの警察官の弱みだ。皆、キャリア組に睨まれることを恐れている。これが、警察社会の実態だ。皆、上に対して、恐々としている。
 ただ一人、芳賀卓夫だけは、八田の意見に賛成という風に、頻りに頷いている。しかし芳賀とて、会議そのものをひっくり返すような有力な物証を得たわけではなく、弱い立場にいるのは依然として変わらなかった。所詮、ヒラはヒラで、意見の打診など、できないのだ。
 深夜の会議は、格好の居眠り場だった。さっきから、係長級の参加者がほとんど眠ってしまっている。彼らは、大事な捜査をヒラの警察官に丸投げして、自分たちは居眠りで誤魔化そうとしているのだ。これが、実態だった。警察の信頼が、地に堕ちてきているのも、頷ける。
 芳賀がコーヒーを飲みに、署のフロア出入口にある自販機の方へと向かった。どうやら、深夜の会議で、眠たいらしい。自然だろう。実際、刑事だって、徹夜すると、眠気を極度に催す。芳賀は会議室を出て行った。
 矢島が、眠くてたまらないといった風に、手で顔を擦りながら、
「捜査は付近の聞き込みと、鑑識の臨場による状況証拠調査の二点に的を絞る。いいか、君島次郎はシロだ。やつのことは相手するな!それよりも入念な聞き込みと、証拠の洗い出しを全力でやってくれ!以上。散会」
 と言って、捜査会議を〆た。だが、八田は納得がいかない。それもそうだろう。ヒラの警官にとって、キャリア組に逆らうことほど、恐ろしくて、怖いことはないからだ。実際、警官たちは皆、そう思っていた。矢島は、まかり間違っても、東大法学部卒のエリートだ。逆らえば、タダじゃすまない。
 八田が「上野署長に、例のICレコーダー渡します」と言って、楯突くと、矢島は平気で言い返した。怖くも何ともないといった感じでである。
「ほう。……で、何か反応があるとでも?」
 キャリア組の言い方は、上からの圧力だ。実際、上層部は、上から指示して、すべて、丸め込んでしまう。その場にいる警察官たちも、別にいいと思った。背いたところで、大して、何もないからだ。
 矢島は、言葉を重ねた。俺の方が正しいだろ?と言わんばかりに、である。
「証拠にはならんよ。君、身分というものを考えてから、モノを言いなさい。これ以上、楯突いたら、僕は本当に君を許さないからね」
 実力行使である。実際、キャリア組にとって、ヒラの警官を、一人か、二人、事情や言い訳を付けて、更迭するぐらい、わけないからだ。
 それでも、八田はしつこく意見しようとした。それに対し、矢島が、
「八田君、これ以上僕に意見すれば、君には捜査から外れてもらうよ。君は一警部補で、僕は課長なんだからね」
 と言って、ニヤリと笑った。これは、ある意味、ダメ押しだ。しつこいぐらい、念を押して、黙らせる。八田は、グーの音も出なかったし、仕方ないな、と思っているのだった。実際、そうだ。キャリア組にとって、警官を右や左に動かすぐらい、わけがない。また、あるわけもない。
 しかし、例のICレコーダーは貴重な物証で、いざという時、捜査において、決定打になる。絶対に署長には渡さないとな、と、思いながら、八田は、深夜の薄暗い会議室を出ていった。これが、警察社会の現実だ。また、現実でもあるし、難しい事実なのだ。
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