『逆行。』

第23話。

　　　　　２３
　代々木南署の署員が、その怪文書に気付いたのは、その日の午後十一時過ぎだった。時間的に遅い。また、気付くのが、遅すぎた。
「何だ、これ？」
　庶務課課員の佐々木浩次が、届いた文面に目を落とす。疲れ切っているようだった。どうやら、庶務課も、徹夜などが続いているのだろう。深夜まで仕事をして、朝だけ、自宅に寝に帰る程度なのだ。
「君島次郎？……どっかで聞いたことあるな」
　そう言った佐々木が、ゆっくりと言葉を継ぎ、
「これ、刑事課の八田さんに渡しといて。よろしく」
　と重ねて言って、部下の小岩武に、メールの文面を印字し、渡す。小岩が、メールの文面のコピーを、コピー機で二部取り、一部は、書面としての保管用、もう一部は控えとして、自分のデスクに入れる。これは、警察にとって、昔ながらのやり方だ。
　送られてきたメールの本文を八田に見せて、
「この文書に、何か意味があるんですか？」
　と問うてみた。何も、意味はないのかもしれないが……。
　すると、手渡された方の八田は、来たな、とばかりに喜び、
「これで、君島次郎を挙げられる」
　と漏らした。これは、チャンスだと踏んだらしい。実際、警察にとって、わずかな証拠でも、チャンスはチャンスだ。
“なぜ八田さんは、こんなにも、君島次郎に拘るのか？”
　小岩は、そう思った。実際、拘りというのは、恐ろしいと思う。
　以前から、署内の噂で聞いてはいたが、八田は次郎を、君島重三殺害と甘利健吾刺殺の二つの殺人事件のホンボシと睨んでいるらしい。それは、いい線を行っている。また、いい線と見て、間違いないだろう。
　しかし、よくよく考えれば、不自然だ。そう思えた。家から一歩も出ないような引きこもり青年が、果たして、こんな社会全体を巻き込んだ大舞台的殺人を犯せるだろうか？と思える。
　口にこそ出さないものの、小岩は、次郎はシロと踏んでいた。実際、それは、当たらずとも遠からずだ。
しかし、そんな風に考える小岩とは裏腹に、八田は意気込むばかりである。警察官の気質らしい。
「今度は、警察庁長官に直訴してでも、広域捜査網を張ってもらう」
　自信満々に断言した。よほど、自信があるらしい。毒を退治してしまうつもりだ。
　その夜、八田は当直で、仮眠も取らずに、パソコンに向かった。目が疲れるだろうが、ずっと、向かい続ける。作ったのは、何かと頭の固い上層部を説得するための、綿密な捜査計画書だった。別に、与えられたフォームに、必要事項を入力していくだけだったが……。