『逆行。』

第59話。

　　　　　５９
　ジミーと亜季はその日、確かにシドニー空港で航空券を買った。しかし、その便には乗らなかった。いや、正確には乗れなかったのだ。
　離陸直前の飛行機が、原因不明のエンジントラブルで動けなくなり、その便の運休ばかりか、詳しい原因調査のため、滑走路が全面的に閉鎖されたのである。突発的なアクシデントが、思わぬところで二人を救った。もし成田に降り立っていたら、たちまち警察に嗅ぎ付けられて、即逮捕だったに違いないからだ。
　航空会社からのチケット代返金のため、料金カウンターを訪れた二人は、異様なまでにラッキーだった。しかし、日本に帰り着きたい二人は、全く予想外の方法を選ぶ。
　そう、船便だ。シドニー港発、坊津行きの船は、ガラガラだったのである。鹿児島県南端の町坊津。
　その船便に乗り込んだ二人は、日本まで、丸々二日の船旅を楽しむことにした。
　乗船前に薬局で買った酔い止めは、効能がかなり強い分、副作用も出る代物だった。ペットボトルの水で一息に薬を飲み込むと、すぐに眠気が襲ってくる。
　その夕、船がシドニーを出港した。船は途中、マレーシアと中国福建省の港に、燃料補給のため、立ち寄る予定だった。揺れるたびに、眠さが増す。
「薬、よく効いてるわね」
「ああ。このままずっと寝てようか？」
　二人は個室を取り、枕を並べて眠った。愛しい人の肩に、自分の肩を凭せ掛けて眠る。
　何も食べなかったし、何も飲まなかった。それでも二人は幸せだったし、幸せの絶頂にいる。
　順調に滑り出した船は、その晩マレーシアに着き、翌日遅く、福建省の港に到着した。船が燃料補給する間も、二人は眠り続ける。
　船は出港から二日後の夕方遅く、坊津に入った。夜の鹿児島はやはり、ネオンなどがない分、東京より田舎だった。
　船を降りた二人はその夜、地元の旅館に泊まり、そこで二回目の整形手術を計画した。そうだ、福岡がいいなと思う。二人の思惑が、難なく一致する。
　翌日、新幹線で博多に降りる心積もりの二人は、その夜、薄暗い田舎旅館の一番奥の部屋で、ゆっくりと眠った。
　亜季のお腹に新しい命が宿っていることで、愛が一層深まる。東の空から日が昇り始める頃、二人はやっと、寝息を立て出した。眠りに入り始めた証拠だ。