4 / 10
第4話
しおりを挟む
暦では芒種が過ぎ、梅雨入りして外ではシトシトと静かに雨が降り続いている。
午後の雨音を聞きながら、文机の前で千尋はウトウトとうたた寝をしていた。
紙を広げたまま、筆を持ったまま、コクリコクリと舟をこいでいる。
千尋は夢を見ていた。
山の中で迷っている…
心細くなったころ、男の童子が現れて、一緒に寄り添って、何やら話をしていた。
『なんだろう、この童子といると、温かな温もりを感じる』
そこで目が覚めた。
手から筆が転げ落ちる。
『何だったんだろう? あの夢は? 過去の記憶?』
思い出したくても思い出せないような…ちょっとモヤッとしてしまう。
「あとで保憲様に夢解きしていただこうかしら」
その前に、と。
自分なりに夢を思い出しながら解釈してみる。
今の今まで忘れていた記憶なのかもしれない。
千尋は朝に保憲が置いていった書物を横にずらして、
忘れないうちに紙に書き込んでいった。
思いつくまま夢の解釈を書付けして、再び書物を開く。
ここ賀茂家には、陰陽道の名門というだけあって、最新の陰陽道の書物が揃っている。
ただ、それを借りて読むには、千尋はちょっと難しい立ち場なので、こうやって保憲が持ち出して、忘れていったフリをしてくれている。
そういうちょっとした気づかいが嬉しくもあり、ありがたかった。
千尋には見鬼の才があり、知識もある。
しかし、実践だけは足りないと思っている。
実は、今千尋がやっているのは、式神を操る練習だった。
先日の呪詛返しの一件以来、できるだけ保憲の手を煩わせたくないと感じていた。
ただでさえ、陰陽道の研究に忙しい人なのだし、自分にできるのなら、式神を使って人の恨みなどは撃退したい。
そう考えて、この練習を始めたのだ。
「上手くいかないなぁ」
ため息をつきながら、今の自分の立ち場を考える。
保憲が北の方から離縁を言い渡された後、千尋は正室という立ち位置になった。
だからと言って、私などが北の方になるなんておこがましいと思ってしまうのだ。
『肝心の保憲様の出世にも繋がらない…』
ため息をついて、再び筆をとった。
夜になり、部屋に戻って来た保憲に、千尋はそれとなく聞いてみた。
「どこかにお通いにはならないのですか?」
驚いて目を丸くする保憲。
「私に言わせたいのですか?」
千尋は自信がなさそうに目を伏せた。
「いえ、私には何にも無いから…あなたの利益にはなり得ないから…」
口ごもりながら、千尋はポツリポツリと話す。
そんな千尋を見て保憲は二コリと微笑む。
「私は妻の実家なぞ頼らずに、私の実力を認めさせてのし上がってみせますよ」
賀茂保憲という人は、そういう人なのだ。
千尋はそういえばと思い出した顔をした。
「保憲様、ちょっと夢解きして欲しいのですけど」
「いいですよ」
そして、先刻見た夢の事を話し、自分なりに夢の解釈をした書付を見せた。
「何かを忘れている気がするんです…」
話を聞いた保憲は、口元だけで微笑んで目は笑っていなかった。
夢についても千尋の解釈についても何も言わなかった。
「保憲様?」
何故だか怒らせてしまった気がして、千尋は問うた。
「……」
それでも保憲は何も言わず千尋を引き寄せて抱き締め、そっと口づけると、
「あなたは誰にも渡さない…」
千尋に聞こえるかどうか分からないような、小さな声で呟いた。
「あら、千の君様、愛されておいでで何よりですね」
翌朝、山吹が二コリと微笑んで首筋に手をやる。
千尋も釣られて自分の首筋に手をやり、ハッとして鏡を見やった。
千尋の首筋には、ほんのりと赤い印のようなものがついている。
それは、昨夜の睦言で保憲がつけたもの。
まるで所有印のよう…
千尋は恥ずかしくなり、耳まで真っ赤になってしまった。
その頃、保憲は陰陽寮に向かう牛車の中にいた。
少し考え事をしたくて、早めに屋敷を出たのだ。
牛車も気持ちゆっくりと進ませている。
そして、昨夜の千尋の事を思い浮かべてフッと笑みを浮かべる。
『何の取り柄も無いし、何の価値も無いと言ってはいたけれど…』
いつも自分の事よりも相手の事を考えて、大切にする心。
「気が付いていらっしゃらないのかな?」
保憲は、陰陽師として、怨霊や鬼と向き合うこともある。
仕事柄、人の心の闇とも対峙することが多い。
「占いというものは、人の欲と直に向き合う生業だから、な」
自然とため息が出る。
生きている人間のそれは決して無くならないだろう。
鬼という存在は、生前の人間の恨みつらみが原因となるから。
見鬼の才があるものにとっては、人の心の欲望がドロドロとした黒い闇に見えてしまう時もある。
幼少の頃からそういう目に見えぬもの達に接してきた保憲にとって、千尋との時間は、ホッと心が和らぐ。
そんな癒されるひと時なのだ。
『しかし…昨日の千尋の夢…』
夢解きを頼まれた保憲にも思い当たる事があって、答えることが出来なかったのだ。
「忘れてしまっている記憶か…」
千尋の解釈を読んだ時、不思議と保憲にも十年前の記憶が思い浮かんだ。
「あれは、父上と共に、貴船で修行をしていた時だった…」
一緒に修行していた弟弟子のやる気の無さに頭にきて、嫌味を言った。
その後、弟弟子は行方不明になった。
探すために闇雲に山の奥に入る訳にはいかず、ひたすら修行しながら待ち続けていたのだが、戻って来た弟弟子は、あのやる気の無さが嘘のように、その後、陰陽道の修行に勤しんでいた。
何があったのか?と聞くと、山鳥のヒナを助けたと言っていた。
「山鳥のヒナ? その山鳥とは…もしかして、なあ…晴明よ…」
午後の雨音を聞きながら、文机の前で千尋はウトウトとうたた寝をしていた。
紙を広げたまま、筆を持ったまま、コクリコクリと舟をこいでいる。
千尋は夢を見ていた。
山の中で迷っている…
心細くなったころ、男の童子が現れて、一緒に寄り添って、何やら話をしていた。
『なんだろう、この童子といると、温かな温もりを感じる』
そこで目が覚めた。
手から筆が転げ落ちる。
『何だったんだろう? あの夢は? 過去の記憶?』
思い出したくても思い出せないような…ちょっとモヤッとしてしまう。
「あとで保憲様に夢解きしていただこうかしら」
その前に、と。
自分なりに夢を思い出しながら解釈してみる。
今の今まで忘れていた記憶なのかもしれない。
千尋は朝に保憲が置いていった書物を横にずらして、
忘れないうちに紙に書き込んでいった。
思いつくまま夢の解釈を書付けして、再び書物を開く。
ここ賀茂家には、陰陽道の名門というだけあって、最新の陰陽道の書物が揃っている。
ただ、それを借りて読むには、千尋はちょっと難しい立ち場なので、こうやって保憲が持ち出して、忘れていったフリをしてくれている。
そういうちょっとした気づかいが嬉しくもあり、ありがたかった。
千尋には見鬼の才があり、知識もある。
しかし、実践だけは足りないと思っている。
実は、今千尋がやっているのは、式神を操る練習だった。
先日の呪詛返しの一件以来、できるだけ保憲の手を煩わせたくないと感じていた。
ただでさえ、陰陽道の研究に忙しい人なのだし、自分にできるのなら、式神を使って人の恨みなどは撃退したい。
そう考えて、この練習を始めたのだ。
「上手くいかないなぁ」
ため息をつきながら、今の自分の立ち場を考える。
保憲が北の方から離縁を言い渡された後、千尋は正室という立ち位置になった。
だからと言って、私などが北の方になるなんておこがましいと思ってしまうのだ。
『肝心の保憲様の出世にも繋がらない…』
ため息をついて、再び筆をとった。
夜になり、部屋に戻って来た保憲に、千尋はそれとなく聞いてみた。
「どこかにお通いにはならないのですか?」
驚いて目を丸くする保憲。
「私に言わせたいのですか?」
千尋は自信がなさそうに目を伏せた。
「いえ、私には何にも無いから…あなたの利益にはなり得ないから…」
口ごもりながら、千尋はポツリポツリと話す。
そんな千尋を見て保憲は二コリと微笑む。
「私は妻の実家なぞ頼らずに、私の実力を認めさせてのし上がってみせますよ」
賀茂保憲という人は、そういう人なのだ。
千尋はそういえばと思い出した顔をした。
「保憲様、ちょっと夢解きして欲しいのですけど」
「いいですよ」
そして、先刻見た夢の事を話し、自分なりに夢の解釈をした書付を見せた。
「何かを忘れている気がするんです…」
話を聞いた保憲は、口元だけで微笑んで目は笑っていなかった。
夢についても千尋の解釈についても何も言わなかった。
「保憲様?」
何故だか怒らせてしまった気がして、千尋は問うた。
「……」
それでも保憲は何も言わず千尋を引き寄せて抱き締め、そっと口づけると、
「あなたは誰にも渡さない…」
千尋に聞こえるかどうか分からないような、小さな声で呟いた。
「あら、千の君様、愛されておいでで何よりですね」
翌朝、山吹が二コリと微笑んで首筋に手をやる。
千尋も釣られて自分の首筋に手をやり、ハッとして鏡を見やった。
千尋の首筋には、ほんのりと赤い印のようなものがついている。
それは、昨夜の睦言で保憲がつけたもの。
まるで所有印のよう…
千尋は恥ずかしくなり、耳まで真っ赤になってしまった。
その頃、保憲は陰陽寮に向かう牛車の中にいた。
少し考え事をしたくて、早めに屋敷を出たのだ。
牛車も気持ちゆっくりと進ませている。
そして、昨夜の千尋の事を思い浮かべてフッと笑みを浮かべる。
『何の取り柄も無いし、何の価値も無いと言ってはいたけれど…』
いつも自分の事よりも相手の事を考えて、大切にする心。
「気が付いていらっしゃらないのかな?」
保憲は、陰陽師として、怨霊や鬼と向き合うこともある。
仕事柄、人の心の闇とも対峙することが多い。
「占いというものは、人の欲と直に向き合う生業だから、な」
自然とため息が出る。
生きている人間のそれは決して無くならないだろう。
鬼という存在は、生前の人間の恨みつらみが原因となるから。
見鬼の才があるものにとっては、人の心の欲望がドロドロとした黒い闇に見えてしまう時もある。
幼少の頃からそういう目に見えぬもの達に接してきた保憲にとって、千尋との時間は、ホッと心が和らぐ。
そんな癒されるひと時なのだ。
『しかし…昨日の千尋の夢…』
夢解きを頼まれた保憲にも思い当たる事があって、答えることが出来なかったのだ。
「忘れてしまっている記憶か…」
千尋の解釈を読んだ時、不思議と保憲にも十年前の記憶が思い浮かんだ。
「あれは、父上と共に、貴船で修行をしていた時だった…」
一緒に修行していた弟弟子のやる気の無さに頭にきて、嫌味を言った。
その後、弟弟子は行方不明になった。
探すために闇雲に山の奥に入る訳にはいかず、ひたすら修行しながら待ち続けていたのだが、戻って来た弟弟子は、あのやる気の無さが嘘のように、その後、陰陽道の修行に勤しんでいた。
何があったのか?と聞くと、山鳥のヒナを助けたと言っていた。
「山鳥のヒナ? その山鳥とは…もしかして、なあ…晴明よ…」
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる