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第4話
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暦では芒種が過ぎ、梅雨入りして外ではシトシトと静かに雨が降り続いている。
午後の雨音を聞きながら、文机の前で千尋はウトウトとうたた寝をしていた。
紙を広げたまま、筆を持ったまま、コクリコクリと舟をこいでいる。
千尋は夢を見ていた。
山の中で迷っている…
心細くなったころ、男の童子が現れて、一緒に寄り添って、何やら話をしていた。
『なんだろう、この童子といると、温かな温もりを感じる』
そこで目が覚めた。
手から筆が転げ落ちる。
『何だったんだろう? あの夢は? 過去の記憶?』
思い出したくても思い出せないような…ちょっとモヤッとしてしまう。
「あとで保憲様に夢解きしていただこうかしら」
その前に、と。
自分なりに夢を思い出しながら解釈してみる。
今の今まで忘れていた記憶なのかもしれない。
千尋は朝に保憲が置いていった書物を横にずらして、
忘れないうちに紙に書き込んでいった。
思いつくまま夢の解釈を書付けして、再び書物を開く。
ここ賀茂家には、陰陽道の名門というだけあって、最新の陰陽道の書物が揃っている。
ただ、それを借りて読むには、千尋はちょっと難しい立ち場なので、こうやって保憲が持ち出して、忘れていったフリをしてくれている。
そういうちょっとした気づかいが嬉しくもあり、ありがたかった。
千尋には見鬼の才があり、知識もある。
しかし、実践だけは足りないと思っている。
実は、今千尋がやっているのは、式神を操る練習だった。
先日の呪詛返しの一件以来、できるだけ保憲の手を煩わせたくないと感じていた。
ただでさえ、陰陽道の研究に忙しい人なのだし、自分にできるのなら、式神を使って人の恨みなどは撃退したい。
そう考えて、この練習を始めたのだ。
「上手くいかないなぁ」
ため息をつきながら、今の自分の立ち場を考える。
保憲が北の方から離縁を言い渡された後、千尋は正室という立ち位置になった。
だからと言って、私などが北の方になるなんておこがましいと思ってしまうのだ。
『肝心の保憲様の出世にも繋がらない…』
ため息をついて、再び筆をとった。
夜になり、部屋に戻って来た保憲に、千尋はそれとなく聞いてみた。
「どこかにお通いにはならないのですか?」
驚いて目を丸くする保憲。
「私に言わせたいのですか?」
千尋は自信がなさそうに目を伏せた。
「いえ、私には何にも無いから…あなたの利益にはなり得ないから…」
口ごもりながら、千尋はポツリポツリと話す。
そんな千尋を見て保憲は二コリと微笑む。
「私は妻の実家なぞ頼らずに、私の実力を認めさせてのし上がってみせますよ」
賀茂保憲という人は、そういう人なのだ。
千尋はそういえばと思い出した顔をした。
「保憲様、ちょっと夢解きして欲しいのですけど」
「いいですよ」
そして、先刻見た夢の事を話し、自分なりに夢の解釈をした書付を見せた。
「何かを忘れている気がするんです…」
話を聞いた保憲は、口元だけで微笑んで目は笑っていなかった。
夢についても千尋の解釈についても何も言わなかった。
「保憲様?」
何故だか怒らせてしまった気がして、千尋は問うた。
「……」
それでも保憲は何も言わず千尋を引き寄せて抱き締め、そっと口づけると、
「あなたは誰にも渡さない…」
千尋に聞こえるかどうか分からないような、小さな声で呟いた。
「あら、千の君様、愛されておいでで何よりですね」
翌朝、山吹が二コリと微笑んで首筋に手をやる。
千尋も釣られて自分の首筋に手をやり、ハッとして鏡を見やった。
千尋の首筋には、ほんのりと赤い印のようなものがついている。
それは、昨夜の睦言で保憲がつけたもの。
まるで所有印のよう…
千尋は恥ずかしくなり、耳まで真っ赤になってしまった。
その頃、保憲は陰陽寮に向かう牛車の中にいた。
少し考え事をしたくて、早めに屋敷を出たのだ。
牛車も気持ちゆっくりと進ませている。
そして、昨夜の千尋の事を思い浮かべてフッと笑みを浮かべる。
『何の取り柄も無いし、何の価値も無いと言ってはいたけれど…』
いつも自分の事よりも相手の事を考えて、大切にする心。
「気が付いていらっしゃらないのかな?」
保憲は、陰陽師として、怨霊や鬼と向き合うこともある。
仕事柄、人の心の闇とも対峙することが多い。
「占いというものは、人の欲と直に向き合う生業だから、な」
自然とため息が出る。
生きている人間のそれは決して無くならないだろう。
鬼という存在は、生前の人間の恨みつらみが原因となるから。
見鬼の才があるものにとっては、人の心の欲望がドロドロとした黒い闇に見えてしまう時もある。
幼少の頃からそういう目に見えぬもの達に接してきた保憲にとって、千尋との時間は、ホッと心が和らぐ。
そんな癒されるひと時なのだ。
『しかし…昨日の千尋の夢…』
夢解きを頼まれた保憲にも思い当たる事があって、答えることが出来なかったのだ。
「忘れてしまっている記憶か…」
千尋の解釈を読んだ時、不思議と保憲にも十年前の記憶が思い浮かんだ。
「あれは、父上と共に、貴船で修行をしていた時だった…」
一緒に修行していた弟弟子のやる気の無さに頭にきて、嫌味を言った。
その後、弟弟子は行方不明になった。
探すために闇雲に山の奥に入る訳にはいかず、ひたすら修行しながら待ち続けていたのだが、戻って来た弟弟子は、あのやる気の無さが嘘のように、その後、陰陽道の修行に勤しんでいた。
何があったのか?と聞くと、山鳥のヒナを助けたと言っていた。
「山鳥のヒナ? その山鳥とは…もしかして、なあ…晴明よ…」
午後の雨音を聞きながら、文机の前で千尋はウトウトとうたた寝をしていた。
紙を広げたまま、筆を持ったまま、コクリコクリと舟をこいでいる。
千尋は夢を見ていた。
山の中で迷っている…
心細くなったころ、男の童子が現れて、一緒に寄り添って、何やら話をしていた。
『なんだろう、この童子といると、温かな温もりを感じる』
そこで目が覚めた。
手から筆が転げ落ちる。
『何だったんだろう? あの夢は? 過去の記憶?』
思い出したくても思い出せないような…ちょっとモヤッとしてしまう。
「あとで保憲様に夢解きしていただこうかしら」
その前に、と。
自分なりに夢を思い出しながら解釈してみる。
今の今まで忘れていた記憶なのかもしれない。
千尋は朝に保憲が置いていった書物を横にずらして、
忘れないうちに紙に書き込んでいった。
思いつくまま夢の解釈を書付けして、再び書物を開く。
ここ賀茂家には、陰陽道の名門というだけあって、最新の陰陽道の書物が揃っている。
ただ、それを借りて読むには、千尋はちょっと難しい立ち場なので、こうやって保憲が持ち出して、忘れていったフリをしてくれている。
そういうちょっとした気づかいが嬉しくもあり、ありがたかった。
千尋には見鬼の才があり、知識もある。
しかし、実践だけは足りないと思っている。
実は、今千尋がやっているのは、式神を操る練習だった。
先日の呪詛返しの一件以来、できるだけ保憲の手を煩わせたくないと感じていた。
ただでさえ、陰陽道の研究に忙しい人なのだし、自分にできるのなら、式神を使って人の恨みなどは撃退したい。
そう考えて、この練習を始めたのだ。
「上手くいかないなぁ」
ため息をつきながら、今の自分の立ち場を考える。
保憲が北の方から離縁を言い渡された後、千尋は正室という立ち位置になった。
だからと言って、私などが北の方になるなんておこがましいと思ってしまうのだ。
『肝心の保憲様の出世にも繋がらない…』
ため息をついて、再び筆をとった。
夜になり、部屋に戻って来た保憲に、千尋はそれとなく聞いてみた。
「どこかにお通いにはならないのですか?」
驚いて目を丸くする保憲。
「私に言わせたいのですか?」
千尋は自信がなさそうに目を伏せた。
「いえ、私には何にも無いから…あなたの利益にはなり得ないから…」
口ごもりながら、千尋はポツリポツリと話す。
そんな千尋を見て保憲は二コリと微笑む。
「私は妻の実家なぞ頼らずに、私の実力を認めさせてのし上がってみせますよ」
賀茂保憲という人は、そういう人なのだ。
千尋はそういえばと思い出した顔をした。
「保憲様、ちょっと夢解きして欲しいのですけど」
「いいですよ」
そして、先刻見た夢の事を話し、自分なりに夢の解釈をした書付を見せた。
「何かを忘れている気がするんです…」
話を聞いた保憲は、口元だけで微笑んで目は笑っていなかった。
夢についても千尋の解釈についても何も言わなかった。
「保憲様?」
何故だか怒らせてしまった気がして、千尋は問うた。
「……」
それでも保憲は何も言わず千尋を引き寄せて抱き締め、そっと口づけると、
「あなたは誰にも渡さない…」
千尋に聞こえるかどうか分からないような、小さな声で呟いた。
「あら、千の君様、愛されておいでで何よりですね」
翌朝、山吹が二コリと微笑んで首筋に手をやる。
千尋も釣られて自分の首筋に手をやり、ハッとして鏡を見やった。
千尋の首筋には、ほんのりと赤い印のようなものがついている。
それは、昨夜の睦言で保憲がつけたもの。
まるで所有印のよう…
千尋は恥ずかしくなり、耳まで真っ赤になってしまった。
その頃、保憲は陰陽寮に向かう牛車の中にいた。
少し考え事をしたくて、早めに屋敷を出たのだ。
牛車も気持ちゆっくりと進ませている。
そして、昨夜の千尋の事を思い浮かべてフッと笑みを浮かべる。
『何の取り柄も無いし、何の価値も無いと言ってはいたけれど…』
いつも自分の事よりも相手の事を考えて、大切にする心。
「気が付いていらっしゃらないのかな?」
保憲は、陰陽師として、怨霊や鬼と向き合うこともある。
仕事柄、人の心の闇とも対峙することが多い。
「占いというものは、人の欲と直に向き合う生業だから、な」
自然とため息が出る。
生きている人間のそれは決して無くならないだろう。
鬼という存在は、生前の人間の恨みつらみが原因となるから。
見鬼の才があるものにとっては、人の心の欲望がドロドロとした黒い闇に見えてしまう時もある。
幼少の頃からそういう目に見えぬもの達に接してきた保憲にとって、千尋との時間は、ホッと心が和らぐ。
そんな癒されるひと時なのだ。
『しかし…昨日の千尋の夢…』
夢解きを頼まれた保憲にも思い当たる事があって、答えることが出来なかったのだ。
「忘れてしまっている記憶か…」
千尋の解釈を読んだ時、不思議と保憲にも十年前の記憶が思い浮かんだ。
「あれは、父上と共に、貴船で修行をしていた時だった…」
一緒に修行していた弟弟子のやる気の無さに頭にきて、嫌味を言った。
その後、弟弟子は行方不明になった。
探すために闇雲に山の奥に入る訳にはいかず、ひたすら修行しながら待ち続けていたのだが、戻って来た弟弟子は、あのやる気の無さが嘘のように、その後、陰陽道の修行に勤しんでいた。
何があったのか?と聞くと、山鳥のヒナを助けたと言っていた。
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