幻獣カフェのまんちこさん

高倉宝

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ともに修羅場を越えた仲

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 律儀にクッキーを残らず配布したメルシャは、やはり律儀に言われたとおり店の裏へ回る。
 裏口のドアをノックすると、また鬼みたいな顔の征矢が出てきた。
 こわごわと、メルシャは空になったバスケットを差し出す。
「ぜ、全部配った」
「ご苦労。次はそこの坂を下ったところにあるスーパーでタマゴを三パックと牛乳を十本買ってこい。わからなければ店員にこのメモ見せて金渡せ」
 征矢はバスケットの中にメモ用紙と五千円札を放り込んだ。
「いや、あの、オレは貴様を暗殺……」
「五分で帰ってこい。遅れたら殺す」
「はひっ! すぐ行きますっ!」
 背中の黒い翼を開き、メルシャは真っ直ぐスーパーへと飛び立つ。
 もはや完璧にメンタルで完敗してしまっているマンティコアである。
 マンティコアは持ち前の超人的スピードで、本当に五分かからず買い物をすませて戻ってきた。
 裏口を開けて、タマゴと牛乳と釣り銭が入った段ボール箱を突き出す。
「行ってきた!」
「早いな!」
 征矢はざっと箱の中をあらため、遺漏がないことを確認する。
「よしでかした。これはごほうびだ。そこの庭で食っていいぞ」
 メルシャの手に、小さなトレイが渡された。きれいに切り揃えたサンドイッチと、フルーツケーキがひとつ、カップ一杯のココアが乗っていた。
「あの……暗殺……」
 メルシャの言葉を待たず、裏口のドアはバタンと閉じられた。
「ううむ」
 マンティコアはトレイの上のものに鼻を近づける。くんくん。
 すこぶるうまそうな匂い。大量のヨダレが「たぱあ」と口からあふれる。
 さっきカラスを食べ損なって、空腹は限界まで来ていた。
「ま、まあいいだろう。今日のところは勘弁してやる。命拾いしたなサカシマセイヤ! ふははは!」
 閉ざされたドアに向かってメルシャは高笑い。
 ガチャリとドアが開いて、征矢がおっかない顔を出す。
「なんか言ったか殺すぞ」
 メルシャはびゅんびゅんと首を横に振る。
「んーん! なんにも! なんにも言ってない!」
 再びドアが閉じる。ああこわかった。ほっとしたメルシャはトレイを持って、言われた「庭」へ足を踏み入れる。
 店と母屋がL字型につながっていて、その二棟に囲まれるように可愛らしい中庭が作られている。
 一面に芝が敷かれ、日当たりもよく実に快適だ。
 屋外用のテーブルセットがあったので、そこにトレイを置く。
 さっきからお腹がぐぎゅーぐぎゅーと激しく鳴っている。思えばこの世界へ来てからほとんどなにも食べていない。さっきはカラスも食べ損なったし。
 メルシャは自分がどれだけ腹ぺこだったのか、ようやく思い至った。
 サンドイッチをひとつ、口に放り込む。
 途端に、大きな目がさらに大きくなる。
「なんだこれ! うまっ!」
 少し厚めに切られたハムの旨味と塩味をクリームチーズのまろやかさが包み込む。ひとつまみのコショウの刺激に、新鮮なレタスと極薄スライスされたタマネギの絶妙なシャキシャキ感。
 ガマンできず、残りをまとめて口に押し込む。
 美味の洪水がマンティコアの脳髄を襲う。体がぷるるっ、と震え、しばらく目の焦点が定まらずうっとりと中空を見つめてしまう。
 強健な牙とアゴで大量のサンドイッチをあっという間に咀嚼し呑み込む。
 カップの中の液体も一気に半分飲み干す。
「ほわあああ……」
 ココアの濃密な糖分とカフェインがどっと脳に届き、メルシャはまたしても夢見心地。
 残ったフルーツケーキも手づかみし、一口でぺろり。
 こってりしたクリームの甘さと甘酸っぱいフルーツのハーモニーに、とうとう下半身が弛緩し、しっぽから毒液がじょろじょろと洩れてしまう。
「……こっちの世界の食い物うまっ! うますぎる!」
 感動しすぎてじんわり涙まで出てきた。
「こんなにうまいものをくれるなんて、もしかしてあいつ、いいヤツなのか……?」
 ふとそんなつぶやきもこぼれる。
 思い返せばあの男、なかなか見栄えもイイ。
 背が高くて、クールで、俊敏で。いざというとき武力行使をまったくためらわない果断さも男っぽくて好みだ。
 這いつくばった自分を冷たく見下ろす視線など、今思い出してもゾクゾクする。
 今だって、自分をいいように利用したと思ったら、こんな美味しい食事をさりげなく差し出して、なにこの絶妙なアメとムチ!
『褒美だ。食べていいぞ』
 脳内で、さらにイケメンキラキラ補正を加えられた妄想の征矢が、メルシャの髪をぽんぽんする。
 きゅうんっ。
 胸の奥が、なんだかせつなくなる。
(坂嶋征矢……かっこいいじゃないか、あいつ……)
 ここでメルシャはハッと我に返り、大きくかぶりを振る。
「ダメだダメだ、惑わされるなメルシャ・マンティコーラ! ヤツは魔王様に破滅をもたらす予言の男! オレは栄光ある魔王軍将校として断固使命をまっとうするのだ!」
 皿の上のものをすっかり片付けると、メルシャはキッと空を見上げるのだった。
 オレ、キュンとなんかしてないからな!


「疲れたあ……」
 夜八時。
 幻獣カフェ〈クリプティアム〉の一日がようやく終わった。
 灯りを落とし、掃除をし、レジを締めた幻獣娘たちは、一つのテーブルを囲んでぐったりと突っ伏していた。
「お疲れさん、みんな」
 カウンターから征矢が出てくる。トレイには湯気の立つ人数分のカップがある。中身は生クリームをたっぷりと落としたココアだ。
 幻獣娘たちは甘い刺激性の液体を口に含んで、揃って「ぷはあ」と吐息。
 ユニカが口を開く。
「最初はどうなるかと思ったけど、どうにか乗り切ったわねえ」
 落ち着いた調子でアルルが引き継ぐ。活性剤の効力はもう切れたようだ。
「征矢さんの的確な仕切りのおかげなのです」
 立ったまま、征矢もココアをすすって苦笑する。
「実は前働いてた店でもこういうことがあってさ。まあ慣れの問題だな」
 ミノンが腰を浮かせて、征矢の腕を引っ張る。
「征矢さんも座ってくださいだなも。いちばんお疲れなんだなも」
 半ば強引に着席させられた征矢に、隣の席のポエニッサが照れ隠しのようにことさら気取った口調で言った。
「ま、まあ、新入りにしてはよく働いてくださいましたわね」
「ポーちゃん……」
 ミノンにやんわりたしなめられて、ポエニッサはしぶしぶ素直になる。
「わかりました! 征矢さんがいてくれたおかげでなんとかなりました! あ、ありがとうございましたっ!」
「礼はいいよ。鳥子もえらかったぞ。一度も怒らなかったろ」
「と、鳥子って、言わないでくださいな……」
 言い返すポエニッサだが、どんどん熱くなってくるほっぺたを慌てて両手で隠す。
 ほめられるとやっぱり嬉しいらしい。
 征矢は幻獣娘たちをぐるっと見渡した。
「みんなもがんばったよな。牛子はこぼさなかったし、花子は寝なかったし、馬子はお客さんに……あー、ちょっとしかちょっかい出さなかったしな」
 ミノンは「ひゃー」と真っ赤になってうつむき、ユニカは口をとがらせた。
「だって忙しすぎてそんな余裕なかったもん」
 カップを見つめながら、アルルがぽつりと言う。
「大変だったけど……お客さまが皆さん喜んでくださっていたのでがんばれたのです」
 幻獣娘たちは顔をほころばせ、お互いの目を見交わす。
「だなも」
「同感」
「ですわね」
 征矢は目を細め、ココアを口に含む。
 いい子たちだな。
 大きな修羅場を乗り切って、ひとつだけ、はっきりわかったことがある。
 ここは、いい店だ。
「あー、おなかすいちゃった」
 ユニカがうめく。征矢もうなずく。
「おれもだー。みんなでなんか食いに行くか! と言いたいけど、おれカラッケツなんだよな。だれかお金持ってるひとー?」
 幻獣娘たちは揃って肩をすくめる。
「だろうな……」
「お金ならあそこにしこたま」
 ユニカがレジを指差す。征矢は首を横に振る。
「それはバイトとして絶対やっちゃダメ。それじゃ、料理できるひとー?」
 幻獣娘は揃って顔を伏せる。
 あきらめ顔の征矢が立ち上がる。
「あーあーわかったよ。キッチンにパスタとベーコンがあったから、それでなんか作ってやる。それでいいか?」
「アルル、手伝うのです!」
 すぐにアルルも征矢にとととっ、とついていく。征矢は機嫌よくアルルの小さな緑色の髪をぽんぽん撫でる。
「おっ、感心だぞ花子」
 急いでミノンが続く。
「あっ、うちも手伝うんだなも。征矢さん、お料理教えてほしいんだなも」
 ユニカまで便乗してくる。
「それじゃ、わたしサラダ作るねぇ。それくらいならできるぅ」
 ポエニッサもぷりぷりして椅子を蹴る。
「もう、なんですのみんなして! それじゃわたくしだけ座っているわけにはいかないじゃありませんの!」
 キッチンに入った征矢は、周りで押し合いへし合いを始めた幻獣娘たちに怒鳴る。
「なんで全員入ってくるんだ! 狭いから! あぶないから! いいからあっちで座ってろ! こらくっつくなって!」
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