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第二章 十月の修羅場
修羅場1
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気づかれた。
盗み見なんてするんじゃなかった。
さっさと帰ってこれば良かった。
アパートまであと少し。
ルナが、乳母車の中から疑うような目つきでこちらを見ている。
反射的に目を逸らした。
あれから、一心不乱に歩き続けている。
何も考えないように。
ただ、乳母車の車輪がたてる、単調な音を聞きながら。
でも、瞼の裏から、あの映像だけ消えない。
強張った昌也の顔と、不思議そうなユイカさん。
別れる前から、昌也に新しい女の影がチラついているのは分かっていた。
それが、たまたまユイカさんだっただけ。
それだけのことなのに。未練……あったのだろうか。
あの時。何も見なかったことにして、さっさと公園を出れば良かった。
昌也とはもう他人なのだ。彼
がどんな生活をしていようと、私が何かを思うことはない。
なのに、どうして。
昌也の姿を見た瞬間、全てが止まった。
呼吸も何もかも。
どれくらいの間、そうしていただろう。
自分の意思と無関係に、酸素を欲した身体が勝手に口を開けた。
やけに冷たい空気が、気道から肺へと流れ込んでくる。
ようやく頭が働き始めた。もう見ていられない。こんな場面。
でも、間に合わなかった。
足が地面に吸い付いたみたいに動けなくて。
何となく視線を感じたのか、昌也がふっとこちらを向いた。
その時の昌也の形相。
まるで、鬼でも見つけたような。
あの顔を見てしまったから。
気づかれてしまったから。
だからもう、何も無かったことにはできなくなった。
後のことは、よく覚えていない。
気がついたら乳母車を押して歩いていた。
あのとき肺に流れ込んだ冷たい空気は、今もモヤモヤと胸の中で広がり続けている。
偶然、元彼と遭遇しただけのこと。どうってことない。
でも。今までと確実に違う事実が、ひとつだけある。
ベビーの存在だ。
昌也は父親になる。
彼は手に入れたのだ。私と一緒にいても叶うことのない夢を。
若さ、美貌、ベビー。
ユイカさんは、全てを持っている。
私には手が届かない物も、他の物も全部。
昌也はそっちを選んだ。
それでいい。
カップルが別れる理由なんて山ほどある。
心変わりも性格の不一致も。
ベビーに対する考え方も。
でも、心のどこかで真っ黒な自分が叫んでいる。
違うんだ。
昌也を否定するつもりはなかった。
怖かっただけだ。ベビー・アレルギーだから。
聞いてほしかった。彼が大丈夫だと言ってくれたら、もしかしたら私は……。
指が白くなるくらい、乳母車の持ち手を握り締めた。
体質とか責任とか。私がぐちゃぐちゃ思い悩んでいる間に、ユイカさんはあっさり妊娠した。
私、明日からどんな顔して生きて行ったらいいんだろう。
「なんて顔してんのよ」
ルナが唐突に声をかけてきた。
「絵美は今、試用期間中なの。雑念は捨てなさい」
ルナは、短い腕を上げて万歳する。
それこそ雑念を捨てるみたいに。
大きなため息が漏れた。
「おい」
不意に背中に声が掛かった。
その声の鋭さに、思わず肩がビクッとなる。
少し後ろに、息を切らした様子の昌也が立っていた。
盗み見なんてするんじゃなかった。
さっさと帰ってこれば良かった。
アパートまであと少し。
ルナが、乳母車の中から疑うような目つきでこちらを見ている。
反射的に目を逸らした。
あれから、一心不乱に歩き続けている。
何も考えないように。
ただ、乳母車の車輪がたてる、単調な音を聞きながら。
でも、瞼の裏から、あの映像だけ消えない。
強張った昌也の顔と、不思議そうなユイカさん。
別れる前から、昌也に新しい女の影がチラついているのは分かっていた。
それが、たまたまユイカさんだっただけ。
それだけのことなのに。未練……あったのだろうか。
あの時。何も見なかったことにして、さっさと公園を出れば良かった。
昌也とはもう他人なのだ。彼
がどんな生活をしていようと、私が何かを思うことはない。
なのに、どうして。
昌也の姿を見た瞬間、全てが止まった。
呼吸も何もかも。
どれくらいの間、そうしていただろう。
自分の意思と無関係に、酸素を欲した身体が勝手に口を開けた。
やけに冷たい空気が、気道から肺へと流れ込んでくる。
ようやく頭が働き始めた。もう見ていられない。こんな場面。
でも、間に合わなかった。
足が地面に吸い付いたみたいに動けなくて。
何となく視線を感じたのか、昌也がふっとこちらを向いた。
その時の昌也の形相。
まるで、鬼でも見つけたような。
あの顔を見てしまったから。
気づかれてしまったから。
だからもう、何も無かったことにはできなくなった。
後のことは、よく覚えていない。
気がついたら乳母車を押して歩いていた。
あのとき肺に流れ込んだ冷たい空気は、今もモヤモヤと胸の中で広がり続けている。
偶然、元彼と遭遇しただけのこと。どうってことない。
でも。今までと確実に違う事実が、ひとつだけある。
ベビーの存在だ。
昌也は父親になる。
彼は手に入れたのだ。私と一緒にいても叶うことのない夢を。
若さ、美貌、ベビー。
ユイカさんは、全てを持っている。
私には手が届かない物も、他の物も全部。
昌也はそっちを選んだ。
それでいい。
カップルが別れる理由なんて山ほどある。
心変わりも性格の不一致も。
ベビーに対する考え方も。
でも、心のどこかで真っ黒な自分が叫んでいる。
違うんだ。
昌也を否定するつもりはなかった。
怖かっただけだ。ベビー・アレルギーだから。
聞いてほしかった。彼が大丈夫だと言ってくれたら、もしかしたら私は……。
指が白くなるくらい、乳母車の持ち手を握り締めた。
体質とか責任とか。私がぐちゃぐちゃ思い悩んでいる間に、ユイカさんはあっさり妊娠した。
私、明日からどんな顔して生きて行ったらいいんだろう。
「なんて顔してんのよ」
ルナが唐突に声をかけてきた。
「絵美は今、試用期間中なの。雑念は捨てなさい」
ルナは、短い腕を上げて万歳する。
それこそ雑念を捨てるみたいに。
大きなため息が漏れた。
「おい」
不意に背中に声が掛かった。
その声の鋭さに、思わず肩がビクッとなる。
少し後ろに、息を切らした様子の昌也が立っていた。
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