【完結】改稿版 ベビー・アレルギー

キツナ月。

文字の大きさ
57 / 130
第三章 十一月の受難

窮地4

しおりを挟む
 ドアを細く開けると、冷えた夜気が流れ込んでくる。
 蛍光灯が照らす玄関ポーチには誰もいない。

 思い切って身体を外に押し出すも、足がすくんだ。

 部屋に戻っているならそれで良い。
 震える指で103号室のインターホンを押す。

 応答がない。

 まだ二階にいるのだろうか。
 しかし、それにしては時間が経ち過ぎではないのか。
 階段からは誰も降りてくる気配がない。

 嫌な予感が現実味を帯びてきた。
 いやだ。そんなの。

 階段へ一歩踏み出そうとした時だった。
 突然の人の気配に心臓が飛び上がる。


 「さ、佐山さんっ!」


 何故か、先程と同じく外から玄関ポーチに入ってきた人物。
 佐山は、「あ」と短く発してポカンと口を開けた。

 すくんでいた足が勝手に動いた。
 動いたどころか、とんでもない行動に出てしまった。



 「どうされました」

 斜め上から佐山の声が降ってくる。

 こんな時でも冷静なんだな。
 私、佐山にしがみついてるのに。

 きっと顔も、いつもの仏頂面なんだろう。
 それでいい。

 「怖かったんです」

 「大丈夫ですよ、もう」

 いつもの声が振動になって全身に伝わった。
 大きな掌が頭に乗っかってくる。
 佐山の胸に顔を埋めていたら泣けてきた。

 あなたが無事で良かった、と言うのはやめておいた。

 

 「大丈夫じゃない」

 「はい?」

 いつもの、飄々として間延びした声。
 急に腹が立って、広い肩に自分の額を押しつけた。

 「助けてくれたと思ったら急にいなくなって……。
 何してたんですか、もおぉ!」

 「ああ。そのことですか」

 「あ、あのねえっ!」

 人の気も知らずに──!

 「女は……ああいうことがあって助かったからって、“はい、終わり”って片付けることなんてできないんです!
 すごい不安だったんだから!
 こんな時に何で放っとくんですかっ!」

 二階に行ったきりだと思えば外から帰ってきて。
 呑気に散歩でもしていたというのか。
 やっぱりズレてる。

 ヨレヨレの綿のシャツから、温もりが伝わる。
 長袖とはいえこんな薄手のシャツ、十一月初旬に着る服じゃない。

 全部がズレてる。
 ほんと変。
 
 佐山が何か言いかけた時、ルナの泣き声が外まで流れ出てきた。

 「中で話しますか」

 そう言い直して、佐山が私の肩に手を掛ける。

 また一声、大きな泣き声が扉を通して聞こえてきた。
 よく響く。

 ルナが、一人にするなと呼んでいる。


 ***


 「初めにお伝えしておきますが、彼はもう上階うえにはいませんよ」

 佐山が淡々と告げる。

 ハッと顔を上げると、佐山はいつもの調子でローテーブルに片肘をついていた。

 佐山が言う“彼”とは、もちろん木田のことだろう。
 ルナが私の腕の中で微かに身をよじった。

 「引越し先が決まるまで、どこかで宿を取ってもらうことにしました。
 戻る時にはこちらに」

 佐山はジャージのポケットを探ってスマホを取り出す。

 「連絡が入ることになっています。
 あなたとは接触させないよう配慮しますので」

 ああ、そうだったんだ。
 あの男はここにいない。

 全身から力が抜けた。
 佐山は、私が抱くであろう不安を最初から予測してくれていたのだ。

 木田に話をつけて、荷物をまとめさせてアパートを出るところを確認して。
 だから外から帰ってきた。

 「あ……ありがとう、ございます」

 私の口からはそれ以上の言葉が出なかった。
 凄くきめ細かな対応をしてもらったのに。

 「いえ」

 淡々とした声音に、この時初めて僅かな柔らかさが混じったように思えた。

 「それから、ああいった出来事が起こった理由なのですが」

 やや逡巡するように天井を仰いだ後、佐山は再び口を開いた。
 目元にかかる前髪の間から、真っ直ぐな視線を確かに感じる。

 「聞きますか?
 不快な話になると思いますが──」
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ユニークアイテムな女子(絶対的替えの効かない、唯一無二の彼女)「ゆにかの」

masuta
キャラ文芸
恋と友情、そして命を懸けた決断。青春は止まらない。 世界を股にかける財閥の御曹司・嘉位は、U-15日本代表として世界一を経験した天才投手。 しかし、ある理由で野球を捨て、超エリート進学校・和井田学園へ進学する。 入学式の日、偶然ぶつかった少女・香織。 彼女は、嘉位にとって“絶対的替えの効かない、唯一無二の存在”だった。 香織は、八重の親友。 そして八重は、時に未来を暗示する不思議な夢を見る少女。 その夢が、やがて物語を大きく動かしていく。 ゴールデンウィーク、八重の見た夢は、未曾有の大災害を告げていた。 偶然か、必然か……命を守るために立ち上がる。 「誰も欠けさせない」という信念を胸に走り続ける。 やがて災害を未然に防ぎ、再びグラウンドへと導く。 その中で、恋もまた静かに進んでいく。 「ずっと、君が好きだった」告白の言葉が、災害と勝負を越えた心を震わせる。 それぞれの想いが交錯し、群像劇は加速する。 一人ひとりが主人公。人生に脇役はいない。 現代ファンタジーとリアルが交錯する青春群像劇。 本作は小説家になろう、オリジナル作品のフルリメイク版です。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...