【完結】改稿版 ベビー・アレルギー

キツナ月。

文字の大きさ
89 / 130
第四章 続・十一月の受難

女の横顔2

しおりを挟む

 常識で考えれば、このままルナの母親になるなんて無茶だ。
 だが、ルナがいなくなった後の自分を想像できないのも正直なところである。

 ここ最近、“審判”のことを考えない日は無かった。

 実感は伴わない。
 ただ、例の夢をよく見る。
 霧の中でくぐもった声だけが聞こえる、あの夢だ。

 ルナがいなくなったら。
 麻由子との腐れ縁は続きそうだが、これまで通りには行かないだろう。
 冴子さんも同じ。
 皆、それぞれに生活があるのだ。そして。


 それは、佐山にも言えることだった。
 ルナがいなかったら、彼が私の部屋を訪れる理由はなくなる。


 試用期間は三ヶ月だと、ルナは言った。
 佐山は、ピーコのためにルナの世話を手伝うことにした。

 初めから期間限定だと決まっていた。

 思いがけずベビーを預かるなんてことになったから、終わりが近づいて少し感傷的になってるだけ。
 そんな風に自分に言い聞かせてみたりする。
 でも心の片隅には、捨てきれない未練のカケラが転がっている。


 本当に、これで終わってしまうの?


 佐山は覚えているだろうか。
 あの日、私の身体を温めてくれたことを。
 何事もなかったように振る舞う彼を見る度、不安と高揚に挟まれて胸がキリキリする。


 願わくば、“今”がいつまでも続いてほしいと──。


 ***


 十一月も後半に足を踏み入れた。
 空気は冷たく、天候は崩れやすい。
 今日も空を睨みながら買い出しへ出てきた。

 ララマート◯◯町店。
 誘拐事件の現場となったショッピングセンターである。

 ここなら食料品も調達できるし、ついでにルナの物も買ってやれる。
 冬物が必要な季節になったのだ。

 ここに来るのは事件以来。
 悪いことをした訳でもないのに、入り口で少し躊躇した。

 いつもの喧騒。
 前回訪れた時のハロウィンの飾りが取り払われ、クリスマス仕様に様変わりした店内は、土曜日のためか混み合っている。

 ベビー用品売り場へ直行した。

 思えばルナが来て以来、自分の物を全く買っていない。
 乳母車を押しながらそれに気づき、苦笑が漏れた。

 とはいえ、無職の身にはルナの分の出費だけでもかなり厳しい。
 経費は返すという話だったが、今考えれば怪しい話だ。
 この先ルナがいてもいなくても、まずは仕事のことを考えなければならない。

 売り場をゆるゆる回っていると、つい考え事をしてしまう。



 ところで。
 誘拐事件に対する世間の関心は未だ高い。
 女の供述は逐一報道され続けていた。

 犯行の動機は家族が欲しかったからという、身勝手ではあるが何となく予測のつくものである。
 梨奈ちゃんが大切に扱われていたことと女の生い立ちも相まってか、初めは同情的な意見も散見された。


 潮目が変わり始めたのは、この後だった。


 ──岩崎さんがしていたことは幸せの無駄づかいだ。

 ──運命だと思った。

 ──あの子は、神様からの贈り物だと思った。


 この供述に世間は震撼した。

 少しの間を置いて、それは憤りへと変化する。
 事件発生時の無関心とは比べものにならない熱をもって。
 
 インターネット上では、岩崎家へのバッシングが一転。
 あっという間に賞賛の対象として祀り上げられている。



 「ふああぁっ」

 ルナがむずかり始めた。
 早く終わらせろと言っている。
 ルナは買い物が嫌いだ。

 種類が豊富すぎて目移りしたが、サイズや値札を見つつ手頃な物を二着選んだ。
 せっかく買い物に来たというのに、ルナはサルと手を繋いで暇そうにあくびなどしている。

 「まったく!」

 呆れ返って思わず声を出してしまった時。

 「あ」

 と、声がした。



 直感的に、自分に向けられたものだと思った。
 男の声だ。
 嫌な気分になる。
 
 誤認逮捕の件は報道されているが、私個人が特定されている訳ではない。
 しかし、人の情報など簡単に手に入る世の中だ。

 さっきの「あ」には、驚きよりも知った者に対する感情が含まれているように思えた。

 気づかないフリをして通路を横切ると、足音がついてくる。
 乳母車を押し、売り場を縫うように歩き続けた。

やがて、足音は聞こえなくなった。
 逃げきれたか。

 さっと会計を済ませる。
 財布をバッグにしまって顔を上げ、ギョッとした。
 目の前に人が立ちはだかっていたのだ。


 「あッ」


 私の口からも驚きの声が漏れる。
 目の前に、よく知る男が立っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ユニークアイテムな女子(絶対的替えの効かない、唯一無二の彼女)「ゆにかの」

masuta
キャラ文芸
恋と友情、そして命を懸けた決断。青春は止まらない。 世界を股にかける財閥の御曹司・嘉位は、U-15日本代表として世界一を経験した天才投手。 しかし、ある理由で野球を捨て、超エリート進学校・和井田学園へ進学する。 入学式の日、偶然ぶつかった少女・香織。 彼女は、嘉位にとって“絶対的替えの効かない、唯一無二の存在”だった。 香織は、八重の親友。 そして八重は、時に未来を暗示する不思議な夢を見る少女。 その夢が、やがて物語を大きく動かしていく。 ゴールデンウィーク、八重の見た夢は、未曾有の大災害を告げていた。 偶然か、必然か……命を守るために立ち上がる。 「誰も欠けさせない」という信念を胸に走り続ける。 やがて災害を未然に防ぎ、再びグラウンドへと導く。 その中で、恋もまた静かに進んでいく。 「ずっと、君が好きだった」告白の言葉が、災害と勝負を越えた心を震わせる。 それぞれの想いが交錯し、群像劇は加速する。 一人ひとりが主人公。人生に脇役はいない。 現代ファンタジーとリアルが交錯する青春群像劇。 本作は小説家になろう、オリジナル作品のフルリメイク版です。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...