【完結】改稿版 ベビー・アレルギー

キツナ月。

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第四章 続・十一月の受難

女の横顔2

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 常識で考えれば、このままルナの母親になるなんて無茶だ。
 だが、ルナがいなくなった後の自分を想像できないのも正直なところである。

 ここ最近、“審判”のことを考えない日は無かった。

 実感は伴わない。
 ただ、例の夢をよく見る。
 霧の中でくぐもった声だけが聞こえる、あの夢だ。

 ルナがいなくなったら。
 麻由子との腐れ縁は続きそうだが、これまで通りには行かないだろう。
 冴子さんも同じ。
 皆、それぞれに生活があるのだ。そして。


 それは、佐山にも言えることだった。
 ルナがいなかったら、彼が私の部屋を訪れる理由はなくなる。


 試用期間は三ヶ月だと、ルナは言った。
 佐山は、ピーコのためにルナの世話を手伝うことにした。

 初めから期間限定だと決まっていた。

 思いがけずベビーを預かるなんてことになったから、終わりが近づいて少し感傷的になってるだけ。
 そんな風に自分に言い聞かせてみたりする。
 でも心の片隅には、捨てきれない未練のカケラが転がっている。


 本当に、これで終わってしまうの?


 佐山は覚えているだろうか。
 あの日、私の身体を温めてくれたことを。
 何事もなかったように振る舞う彼を見る度、不安と高揚に挟まれて胸がキリキリする。


 願わくば、“今”がいつまでも続いてほしいと──。


 ***


 十一月も後半に足を踏み入れた。
 空気は冷たく、天候は崩れやすい。
 今日も空を睨みながら買い出しへ出てきた。

 ララマート◯◯町店。
 誘拐事件の現場となったショッピングセンターである。

 ここなら食料品も調達できるし、ついでにルナの物も買ってやれる。
 冬物が必要な季節になったのだ。

 ここに来るのは事件以来。
 悪いことをした訳でもないのに、入り口で少し躊躇した。

 いつもの喧騒。
 前回訪れた時のハロウィンの飾りが取り払われ、クリスマス仕様に様変わりした店内は、土曜日のためか混み合っている。

 ベビー用品売り場へ直行した。

 思えばルナが来て以来、自分の物を全く買っていない。
 乳母車を押しながらそれに気づき、苦笑が漏れた。

 とはいえ、無職の身にはルナの分の出費だけでもかなり厳しい。
 経費は返すという話だったが、今考えれば怪しい話だ。
 この先ルナがいてもいなくても、まずは仕事のことを考えなければならない。

 売り場をゆるゆる回っていると、つい考え事をしてしまう。



 ところで。
 誘拐事件に対する世間の関心は未だ高い。
 女の供述は逐一報道され続けていた。

 犯行の動機は家族が欲しかったからという、身勝手ではあるが何となく予測のつくものである。
 梨奈ちゃんが大切に扱われていたことと女の生い立ちも相まってか、初めは同情的な意見も散見された。


 潮目が変わり始めたのは、この後だった。


 ──岩崎さんがしていたことは幸せの無駄づかいだ。

 ──運命だと思った。

 ──あの子は、神様からの贈り物だと思った。


 この供述に世間は震撼した。

 少しの間を置いて、それは憤りへと変化する。
 事件発生時の無関心とは比べものにならない熱をもって。
 
 インターネット上では、岩崎家へのバッシングが一転。
 あっという間に賞賛の対象として祀り上げられている。



 「ふああぁっ」

 ルナがむずかり始めた。
 早く終わらせろと言っている。
 ルナは買い物が嫌いだ。

 種類が豊富すぎて目移りしたが、サイズや値札を見つつ手頃な物を二着選んだ。
 せっかく買い物に来たというのに、ルナはサルと手を繋いで暇そうにあくびなどしている。

 「まったく!」

 呆れ返って思わず声を出してしまった時。

 「あ」

 と、声がした。



 直感的に、自分に向けられたものだと思った。
 男の声だ。
 嫌な気分になる。
 
 誤認逮捕の件は報道されているが、私個人が特定されている訳ではない。
 しかし、人の情報など簡単に手に入る世の中だ。

 さっきの「あ」には、驚きよりも知った者に対する感情が含まれているように思えた。

 気づかないフリをして通路を横切ると、足音がついてくる。
 乳母車を押し、売り場を縫うように歩き続けた。

やがて、足音は聞こえなくなった。
 逃げきれたか。

 さっと会計を済ませる。
 財布をバッグにしまって顔を上げ、ギョッとした。
 目の前に人が立ちはだかっていたのだ。


 「あッ」


 私の口からも驚きの声が漏れる。
 目の前に、よく知る男が立っていた。
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