島を出る日

おまつり

文字の大きさ
3 / 7

第三章 都会行きのチケット

しおりを挟む

​ 台風で壊れた職員寮の修理は、樹の驚くべき手際の良さで、あっという間に完了した。
​「樹くん、本当に手際がいいから、早かったわね」
 ​蒼井先生は、美月が荷物をまとめるのを手伝いながら、感心したように言った。美月は「そうですね、感謝しなきゃ」と返す。確かに、作業着姿で無口に働く樹の姿には、言いようのない逞しさがあり、美月は毎日、彼に惹かれていくのを自覚していた。

 蒼井先生は、美月が引っ越す直前、カバンから白い封筒を取り出した。
​「これよ。この間、同窓会のビンゴ大会で当てちゃったの。アタシのくじ運すごいでしょ?」
​ 中には、東京の有名テーマパークのペアチケット。都会の、きらびやかな刺激の象徴だ。美月は、それを眺めるだけで、島生活で乾ききっていた心が、潤うような錯覚を覚えた。
​「樹くんを誘って一緒に行きなよ。あの子はきっと、こんな場所に行ったことないはずだから」
​ 蒼井先生の提案は、美月の心に刺さった。あの、ネットもない、単調な島での生活に縛られている樹を、一度解放してあげたい。そして何より、美月自身が都会の空気、刺激、そして自由に動ける空間を恋しく思っていた。
 ​美月はチケットを握りしめたが、現実の壁にぶつかる。
「船は週に三日しかないし……仕事が……」
​「大丈夫、大丈夫! 私が代わりに一から三年のクラスを見てあげる。この学校は緩いんだから、校長も許してくれるわよ」
​実際、校長先生は「ぜひ行ってきなさい、若いうちに」と快諾してくれた。残る問題は、樹をどう誘うか、だった。

 その日の仕事終わり。美月は意を決し、水田農場へと向かった。夕暮れ時、畑には土の匂いが充満していた。
 ​樹がトラクターから降り、美月を見て驚いた顔をする。
​「どうしました、先生。まだ修理箇所が……?」
​ 美月は、緊張で少し声が上ずりながら、蒼井先生からもらったチケットを差し出した。
​「これ、蒼井先生からもらったの。寮の修理、本当にありがとう。その、お礼に、どうかなって」
​ 樹は、チケットをまじまじと見つめた。その目が、一瞬、美月が今まで見たことがないほど、好奇心と輝きに満ちたのを美月は見逃さなかった。
​「これを……俺と?」
​「ええ……。行こうよ、東京」
 ​美月は、チケットという「都会からの招待状」が、彼の運命の鎖を一時的にでも解いてくれることを願った。
 ​しかし、その輝きはすぐに、例の「諦め」の影に覆い隠された。
 ​樹は、チケットを美月に押し戻した。
​「ごめんなさい。俺は……仕事があるんで」
 ​彼は、美月の目を一切見ず、再びトラクターのエンジンをかけようと向き直った。
 ​美月は、その瞬間、胸が締めつけられるような痛みを覚えた。それは、単なる誘いを断られた痛みではない。あの台風の夜に感じた、一瞬の温もりを否定された痛みだった。
  
​(また、拒絶された。やっぱり私は、彼の「運命」の邪魔になる人間なんだ)

 ​美月は、諦念と共に、その場を立ち去るしかなかった。

 翌日、蒼井先生に樹を誘えたか聞かれた美月は、誘えなかったことを正直に話した。蒼井先生は少し考えるような​仕草をして、「わかったよ」と言った。せっかくチケットをくれたのに、申し訳なかった。

​ 翌週の月曜日。美月は、一人で港へと向かった。
 
​(分かっていたことじゃない。彼はあの島から離れられない。私は、一人で都会の刺激を楽しめばいい)

 そう自分に言い聞かせるが、美月の足取りは重かった。東京への高揚感よりも、樹に拒絶された孤独感の方が勝っていた。
 ​船の出航が迫った頃、港にけたたましい音を立てて軽トラックが止まった。
 ​見ると、運転席には、あの「おせっかいおばちゃん」。そして、助手席から半ば強引に引きずり出されたのは、農作業着姿の樹だった。
​「三枝先生!蒼井先生から聞いたよ!それで、やっと樹くん捕まえたよ! 連れてっちゃって、連れてっちゃって!」
 ​おばちゃんは、美月が拒絶されたことなど知らないとばかりに、樹の背中を強く押した。
​ 樹は、美月を見て、複雑な表情を浮かべた。恥ずかしさ、諦め、そして、ほんのわずかな解放感。
​「すみません、島民がうるさくて……」
​ 彼は、いつものように頭を下げるが、その言葉には、美月を突き放すような強さはなかった。
 ​美月は、胸の中に密かな喜びが広がっていくのを感じた。美月は、無言でチケットを樹に差し出し、樹はそれを受け取った。二人は、島民の視線を背中に受けながら、本州行きの船に乗り込んだ。

 ​船が微笑島を離れ、二人は甲板の風が心地よい場所に並んで座った。最初は沈黙が支配したが、美月は意を決して口を開く。
​「……来てくれて、ありがとう」
 美月がそう言うと、​樹は小さく頷いた後、話し始めた。それは、彼の内側に閉じ込めていた、外の世界への憧れを語る言葉だった。
​「高校は、静岡の農業高校だったんです。寮生活で、島から初めて出た。野菜の品種改良とか、熱心に勉強してました。夜は、仲間と屋上から星を見て……」
​ 美月は、樹の目が、星の話をするたびに、本当に輝いているのを見て取った。彼は「後継ぎ」という鎖に繋がれているが、その心は、広い世界と知識を求めているのだ。
 ​美月も、彼に都会の生活を教える。
​「私、前に働いていた東京の小学校じゃ、一クラスが三十五人もいたの。微笑島の四人クラスが、どれだけ新鮮か」
​ お互いの知らない世界、都会と田舎の極端な違い。その会話は、二人の間の壁を、少しずつ溶かしていった。樹の瞳は輝き、美月も自然に笑顔になった。彼といると、島での重圧や孤独を忘れられた。

​ 船が本州の港に着いた頃、樹は、美月に確認するように尋ねた。
​「今日は移動で、明日テーマパーク、明後日帰りの船ですよね」
​「そうだけど?」
​「この格好じゃ、東京は歩けませんから。服、買わなきゃ」
​ 樹は、農作業着姿で東京を歩くという異物になることを拒んだ。それは、彼が「後継ぎの運命」から一時的に解放され、個人として都会を歩きたいという、強い願望の現れだった。
 ​美月は頷き、彼を都心の商業施設へ連れて行った。
​都会のメンズショップ。美月は、彼のすらりとした体躯と整った顔立ちを思い浮かべ、似合いそうな白のシンプルなシャツとチノパンを選んだ。
​「これ、試着してみて」
 ​樹が更衣室から出てきた瞬間、美月は息を呑んだ。作業着の野暮ったさが消え、彼の内側に秘められていた清潔感と、均整の取れたスタイルが、一気に解放された。
 ​店員がすぐに駆け寄り、「お客様、お似合いですね! モデルさんですか?」と本心から褒めた。
​ 樹は、慣れない褒め言葉に少し照れながらも、初めて都会の空気と服を身に纏った自分自身に、自信のようなものが湧き上がってくるのを感じていた。
​ 美月は、「こんな素敵な人と、今から並んで歩くのか」という事実に、急に自分の服装や髪型が気になり始め、心の中で強く喜びが広がるのと同時に、どこか萎縮するような複雑な感情を覚えた。
 ​
 夕方になり、美月は予約していたホテルにチェックインした。
​「樹さん、私はここに泊まるけど……」
​ 美月が尋ねると、樹は少し離れた場所を指差した。
​「俺は、これから自分で探します」
 ​彼は、美月との間に、無意識のうちに線を引こうとしているようだった。美月は、その自主性を尊重し、見送った。
 ​部屋に入り、美月は、電波が満タンのスマホを手に取り、樹にメッセージを送った。
​「ホテル探せた?」
「夕食まだですよね? 一緒にどうですか」
 ​電波のいい都会だ。すぐに既読がついた。しかし、返信は来ない。
​ 美月は、島ではスマホをあまり使わない樹の生活習慣を思い出し、不安と心配にかられた。テーマパークでの高揚感と、樹の新しい姿が頭の中を巡る。
 
​(もしかして、都会の刺激に圧倒されて、私から離れてしまったんじゃないか……)
 
​ 美月は窓辺に立ち、都会の煌めく夜景を見下ろした。孤独と、彼の新しい姿への期待が混ざり合い、美月は返信を待つしかなかった。この広い都会で、彼は今、どこにいるのだろうか。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

ヤクザのお嬢は25人の婚約者に迫られてるけど若頭が好き!

タタミ
恋愛
関東最大の極道組織・大蛇組組長の一人娘である大蛇姫子は、18歳の誕生日に父から「今年中に必ず結婚しろ」と命じられる。 姫子の抵抗虚しく、次から次へと夫候補の婚約者(仮)が現れては姫子と見合いをしていくことに。 しかし、姫子には子どもの頃からお目付け役として世話をしてくれている組員・望月大和に淡い恋心を抱き続けていて──? 全25人の婚約者から真実の愛を見つけることはできるのか!?今、抗争より熱い戦いの幕が上がる……!!

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

幼馴染

ざっく
恋愛
私にはすごくよくできた幼馴染がいる。格好良くて優しくて。だけど、彼らはもう一人の幼馴染の女の子に夢中なのだ。私だって、もう彼らの世話をさせられるのはうんざりした。

大丈夫のその先は…

水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。 新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。 バレないように、バレないように。 「大丈夫だよ」 すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m

Lucia(ルシア)変容者たち

おまつり
恋愛
 人は、ときに自分の中に「もう一人の自分」を抱えて生きている。  それがもし、感情の揺らぎや、誰かとの触れ合いによって、男女の姿を入れ替える存在だったとしたら――。  カフェ『リベラ』を営むリアと、雑誌編集者の蓮。  二人は、特定の感情を抱くと性別が変わる「性別変容者」だった。  誰にも明かせない秘密を抱えながら生きてきた彼らは、互いの存在に出会い、初めて“同類”として心を通わせていく。  愛が深まるほど、境界は曖昧になる。  身体と心の輪郭は揺らぎ、「自分とは何者なのか」という問いが、静かに迫ってくる。  一方、過去に囚われ、自分自身を強く否定し続けてきたウェディングプランナー・景子と、まっすぐすぎるほど不器用な看護学生・ユウ。  彼らもまた、変容者として「変わること」と「失うこと」の狭間で、避けられない選択を迫られていく。  これは、誰の記憶にも残らないかもしれない“もう一人の自分”と共に生きながら、 それでも確かに残る愛を探し続けた人々の、静かなヒューマンドラマ。 ※毎日20時に1章ずつ更新していく予定です。

処理中です...