5 / 7
第五章 運命からの一時的な解放
しおりを挟む美月と樹は、フロントで追加料金を払い、ツインルームではなくダブルベッドの部屋に入った。
カードキーを差し込み、部屋の照明がついた瞬間、美月の心臓は飛び跳ねた。視界に入ったのは、中央に鎮座する大きなダブルベッド。この状況が、前章で交わした二人の意識と告白を、一気に現実のものへと引き戻した。
美月は、喉の奥がカラカラに乾いているのを感じた。年上として、何か気の利いた言葉を言わなければ、この重すぎる空気を変えなければと思うのに、言葉が出てこない。都会の喧騒の中で得たはずの大胆さは、今、極度の緊張によって、どこかへ消え失せていた。
樹は、そんな美月の様子を、じっと見つめていた。その瞳には、熱意と、それに抗おうとする理性が混在している。
やがて、樹は重い息を一つ吐き、椅子に腰掛けた。
「大丈夫です。先生が嫌なことは、何もしないようにします」
その言葉は、彼がどれほど真面目で、どれほど葛藤しているかを物語っていた。彼は、美月を女として強く求めながらも、その意思に反して、あくまで紳士であろうとしている。樹の緊張した、少し俯いた横顔を見て、美月は、彼の不器用な優しさと、島での抑圧された生活に対する切なさを改めて感じた。
美月は、樹のその優しさに甘えるのではなく、彼の中の枷を解いてあげたいと思った。
「樹さんから先にどうぞ」
交代で風呂に入り、美月がバスルームから出ると、樹はベッドの端に腰掛けていた。美月がベッドに入り、シーツの冷たさが肌に触れる。
美月が「おやすみなさい」と言って電気のスイッチを押すと、部屋は一気に暗くなった。残ったのは、枕元のライトがぼんやりと照らす、薄いオレンジ色の光だけ。その微かな光が、二人の顔の輪郭を曖昧にし、空間をさらに密室にした。
「……触れて、こないんですね」
その言葉が出た瞬間、美月は驚いた。自分でも予期しない声だった。
(私、本当にいいのかな。また傷つくかもしれないのに)
でも、樹の優しい眼差しを見ると、不安よりも信頼が勝った。この言葉は、樹に対する誘いであり、同時に、樹の抑圧を解放してあげたいという願いでもあった。
樹は、一瞬息を呑んだ。
「……触れて、いいんですか?」
彼の声は震えていた。美月は、その緊張が、彼にとってどれほど大きな一歩なのかを理解し、そっと答えた。
「うん」
美月は、自分の声が、自分自身のものではないように感じた。
樹は、美月の返事を聞くと、そっと美月の頬に触れた。樹の手が震えている。美月はそれに気づき、彼の手をそっと包んだ。
「緊張してる?」
「...…はい。こんなの、初めてで」
その正直さが、美月の心をさらに温かくした。
「……理性が効かないかもしれない」
彼の言葉は、彼自身の限界の宣言だった。美月は、その警告を受け入れ、目を閉じた。
「いいよ……」
その一言が、二人の間に張られていた見えない糸を断ち切った。
樹の唇が、美月の唇をそっと塞いだ。最初は、お互いの緊張を確かめ合うように優しく、触れるだけのキスだった。美月は、彼の唇から、彼の抱えていた不安と、それ以上の情熱を感じ取った。
次第に、キスは深く、熱を帯びたものに変わっていく。樹は美月を求め、美月も樹の逞しい体を求めた。
二人は、誰にも邪魔されない都会の密室で、お互いの運命から解放された。美月は、「金とキャリア」という冷たい打算から、樹は「後継ぎ」という重い鎖から。二人の影は、枕元ライトの光の中で一つになり、甘い吐息と、シーツの擦れる音だけが、部屋を満たした。
「島民のおせっかいが、本物の恋に変わっちゃったなんて……」
樹は、美月の髪を撫でながら、そう呟いた。美月は、その皮肉を、甘い声で笑い飛ばした。
「私たちは、島民に感謝しなきゃね」
あの狭い世間の重圧が、皮肉にも二人の距離を一気に縮めるきっかけとなった。
翌朝、美月は、体中の節々が心地よく痛むのを感じながら、薄っすらと目を覚ました。昨夜の出来事が一気に蘇り、美月は顔を赤らめる。
隣のベッドには、樹の姿はなかった。美月は、一瞬の寂しさと不安を覚えたが、バスルームから、水が流れる音と、樹の低い声が聞こえてきた。
「早く行かないと、テーマパーク、混みますよ」
美月は、その言葉に、昨夜の情熱とは違う、日常的な彼の一面を感じた。そして、この関係が、一夜限りのものではないことを確信した。
「……遅くてもいいんじゃない」
美月は、ベッドから起き上がり、バスルームのドアを開け、洗いかけの樹の背中に、そっと抱きついた。
樹は驚いた様子もなく、鏡越しに微笑んだ。
樹は美月の手を握り、振り返って深くキスを交わし、再び二人でベッドへと戻った。朝の光が差し込む中、彼らは、テーマパークの混雑よりも、今、目の前にある確かなぬくもりを選んだ。
昼頃、二人は待ち望んでいたテーマパークに着いた。アトラクションを楽しみ、美月は樹の素直な驚きや喜びの表情を見つめるのが、何よりも楽しかった。お土産を選び、手を繋いでゲートを出る頃には、二人はもう、誰もが認める恋人同士だった。島では決して許されなかった自由と、公然とした愛情表現が、美月を満たした。
その夜も、彼らは互いを求め合い、東京での最後の夜を過ごした。
微笑島へ向かう船の上。美月は、本州の賑わいが遠ざかるにつれ、再びあの閉塞的な島へ戻ることに、微かな寂しさと、現実への不安を覚えた。しかし、隣には、手を握ってくれる樹がいる。
樹は、美月の不安を察したように、真剣な顔で尋ねた。
「島民に、何て説明しますか」
美月は、握られた手をぎゅっと握り返した。
「付き合ってるのは、内緒にしたい。恥ずかしいし、三日間も一緒にいれば、察する人は察するでしょ」
美月の頭には、島民たちのあの口さがない「嫁候補」という言葉が蘇っていた。自分たちの純粋な関係を、島の古い価値観で穢されたくなかった。
樹も、同意した。
「それもそうですね。まずは、一緒にテーマパークに行っただけ、でいきましょう」
二人の間には、この秘密を共有する共犯者のような、強い絆が生まれた。
美月は、この秘密が、自分たちの「逃避行」の証拠だと感じ、心の中で大切に温めた。しかし、この甘い秘密が、狭い世間という舞台で、これから大きな波乱を呼ぶことを、二人はまだ知る由もなかった。
4
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ヤクザのお嬢は25人の婚約者に迫られてるけど若頭が好き!
タタミ
恋愛
関東最大の極道組織・大蛇組組長の一人娘である大蛇姫子は、18歳の誕生日に父から「今年中に必ず結婚しろ」と命じられる。
姫子の抵抗虚しく、次から次へと夫候補の婚約者(仮)が現れては姫子と見合いをしていくことに。
しかし、姫子には子どもの頃からお目付け役として世話をしてくれている組員・望月大和に淡い恋心を抱き続けていて──?
全25人の婚約者から真実の愛を見つけることはできるのか!?今、抗争より熱い戦いの幕が上がる……!!
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
Lucia(ルシア)変容者たち
おまつり
恋愛
人は、ときに自分の中に「もう一人の自分」を抱えて生きている。
それがもし、感情の揺らぎや、誰かとの触れ合いによって、男女の姿を入れ替える存在だったとしたら――。
カフェ『リベラ』を営むリアと、雑誌編集者の蓮。
二人は、特定の感情を抱くと性別が変わる「性別変容者」だった。
誰にも明かせない秘密を抱えながら生きてきた彼らは、互いの存在に出会い、初めて“同類”として心を通わせていく。
愛が深まるほど、境界は曖昧になる。
身体と心の輪郭は揺らぎ、「自分とは何者なのか」という問いが、静かに迫ってくる。
一方、過去に囚われ、自分自身を強く否定し続けてきたウェディングプランナー・景子と、まっすぐすぎるほど不器用な看護学生・ユウ。
彼らもまた、変容者として「変わること」と「失うこと」の狭間で、避けられない選択を迫られていく。
これは、誰の記憶にも残らないかもしれない“もう一人の自分”と共に生きながら、
それでも確かに残る愛を探し続けた人々の、静かなヒューマンドラマ。
※毎日20時に1章ずつ更新していく予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる