島を出る日

おまつり

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第七章 都会の男

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 夏休み最終日、微笑島に新たな波紋が届いた。久保先生の代替教員、黒崎翔也先生が港に到着し、美月の時と同様に公民館で歓迎祭が開かれた。
​「黒崎翔也と申します。久保先生が復帰されるまでの間、短い間ですが、どうぞよろしくお願いします」
 ​島の高齢者たちの前で深々と頭を下げる、その若い先生を、美月はまじまじと見つめた。都会の風をそのまま連れてきたような、清潔感のある爽やかな男性。身長は樹よりわずかに低いものの、手足が長く、仕立ての良いスーツがよく似合っていた。
​「おお! 若い男の先生なんて久しぶりじゃ! 美月先生と並ぶと絵になるのう!」
​ 島民たちは沸き立っていた。この島で二十代の若者といえば、美月と樹しかいない。彼らにとって、黒崎先生は、二人の恋路を諦めた後に現れた、新しい「おもちゃ」のようなものだった。
​ 美月は、島民たちの意識が黒崎先生に向けられていることを確認すると、隅の方で静かに様子を窺っている樹の隣にそっと座った。
​「黒崎先生って、樹くんと年齢そんなに変わらなさそうだけど」
 美月は、彼の隣にいる安心感から、少し和んだ声で話しかけた。
 ​樹は、グラスを見つめたまま、微かに声を絞り出す。
「そうだね。でも、都会の人って感じがする」
 ​その言葉には、美月の心臓をチクリと刺すような、疎外感と自己卑下が混じっていた。
​「え?  私も都会の人だよ?」
 美月は、あえて軽く返した。
​「あぁ、そうだった」
 樹は、美月の顔を見ずにそう答え、二人の間には一瞬、ぎこちない沈黙が流れた。
 ​その沈黙を破ったのは、当の黒崎先生だった。彼はグラスを手に、二人の前に笑顔で座り込んだ。
​「失礼ですが、二人はご夫婦なんですか?」
 ​美月と樹は、この突然の直球な質問に、一気に顔が赤くなった。
​「何言ってる!  二人はまだ始まってもいない!」   
 島民の一人が、興奮気味に割って入る。
「テーマパークでも別荘でも、二人きりにしてやったのに、何もなかったんだと!」
 ​黒崎先生は、島民たちの口の軽さに驚きつつも、状況を理解したように頭を下げた。
「ごめんなさい。誤解してしまいました」
​「いえいえ、お気になさらず。三枝美月です。一、二、三年生の担任をしています」
 美月は、教師としての冷静さを取り戻し、自己紹介した。
​「そうなんですか!  では学校でお会いすることになりますね。これからよろしくお願いします」
 ​黒崎先生は、美月に何の迷いもなく、堂々と手を差し出す。美月は、この都会的な仕草に少し照れながらも、その手を握り返した。
​「おお! もしかしたら、こっちがくっつく可能性もあるかもな!」
 ​島民たちの声が、再び沸き立つ。樹は、その歓声と、美月と黒崎先生が握り合う光景を見ていられなくなり、無言で席を立ち、お手洗いへと逃げ込んでいった。
​ 美月は、樹の焦燥と痛みが、その逃避行動に凝縮されているのを感じていた。彼は、都会の男に、嫉妬しているのだ。

 ​翌日、美月が職員室へ行くと、黒崎先生だけが、少し心細そうに座っていた。他の先生はまだ来ていない。
​「今日からよろしくお願いします」
 黒崎先生は、疲れを隠しながらも爽やかに笑った。
​「こちらこそよろしくお願いします。……あの、何か分からないことがあったらいつでも聞いてくださいね」
 美月は、年上として、そして島の先輩として優しく声をかけた。
​「ありがとうございます。そしたら、あの……。授業ってどうやってやるんですか?」
 ​美月は、耳を疑った。
「え?」
​「どうして?  授業したことあるんですよね?」
​「いえ、教育実習でしか……」
​「そ、そうなの!?」
 ​美月は、愕然とした。黒崎先生に詳しく聞いてみると、彼は大学を卒業したばかりの二十二歳。教員採用試験に落ち、四月から八月まではフリーターをしていたという。教育委員会は微笑島での代替教諭を探すのに苦労し、それで未経験で去年教員採用試験に落ちただけの黒崎先生に声がかかったらしい。教員採用試験に受かるまでの道として、学習支援員など小学校で経験を積む道もあったはずなのに、フリーターを選んだというところに、美月は彼のやる気や計画性への疑問を抱いた。
 
​(これからこの先生を指導しなければならないの……!)

 美月は、自分の仕事が増えることに、落胆を覚えた。
​「お忙しいはずなのにすみません。指導案とか、見てほしいんです。ちゃんとできるか不安で……」
 黒崎先生は、恥ずかしそうに美月を見つめた。
​「でも教育実習で指導案は作ったんですよね?」
​「作った、けど……。自信はないんです」
 ​美月は、彼の純粋すぎるほどの未熟さと、目の前の仕事への真面目さに、突き放すことができなかった。それから、美月は自分の仕事に加え、黒崎先生の指導案チェックに多くの時間を割かれることになった。

 ​ある夜。職員室で黒崎先生の指導案チェックをしていると、彼の腹の虫が鳴った。
​「あ、すみません……」
 黒崎先生は恥ずかしそうに顔を赤らめた。
​「あぁ、もう二十一時か。でもこれ、今日中に終わらないと明日の授業困りますよね」
 美月は時計を確認する。
​「そうなんです。すみません……」
 ​美月は、自分の部屋ならもう少し気が楽だと思った。隣同士の職員寮だ。樹との秘密の場所が、黒崎先生の存在によって、またもや公的な場所として利用される。
​「……残りはうちでやりますか? 隣だし」
​「いいんですか!?」
 黒崎先生は、子供のように目を輝かせた。美月は、彼が純粋に仕事を進められることに喜んでいるのだと、鈍感にもそう受け取った。
 ​美月は職員寮の部屋に黒崎先生をあげ、軽く夕食を作った。昨日の残り物の煮物と白ご飯だけの簡単な夕食だったが、黒崎先生はそれをとてもおいしそうに食べた。
​「こんな家庭的な料理……すごく美味しいです」
​ あまりにも美味しそうに食べてくれるので、美月は少し嬉しくなった。この島に来てから、誰かに作ってあげたのは初めてかもしれない。
​「普段は何食べてるの?」
​「コンビニがないんで、インスタントとかレトルトとか食べてます」
​「自炊しないんだ?」
​「しませんね」
「……そうだ、聞きたいことあるんだけど。この島ってインターネットなかなか繋がらないけど、不便じゃない?」
​「もちろん! めちゃくちゃ不便ですよ!」
 ​美月は、ついに共感してくれる若い人に出会えたと、素直に嬉しかった。彼と話すうちに、都会にいた頃の自分を思い出していく。
 ​指導案チェックは、深夜十一時まで続いた。彼の受け持つ四、五、六年生は三人しかいないのだから、ここまで詰めた指導案にする必要もないのだけれど、彼は真面目だからきっちりやりたいのだろう。
 
​「ここなんだけど、ここで教師が発問する意図は……あれ?」
 ​美月が気づくと、黒崎先生はテーブルに伏せて、眠ってしまっていた。美月は、彼の疲労困憊の姿を見て、そっと背中にブランケットをかけてやった。

(この人、すごく真面目だし、良い人なんだけど……やっぱりこの島の閉塞感や、ネットの不便さに困ってるんだろうね)

​「お疲れ様。頑張りすぎないでね」
 ​美月が彼の額に触れ、優しくそう呟いた、その瞬間――
 ​黒崎先生は、眠っているはずなのに、美月の手首をそっと掴んだ。
 ​美月は、その体温に驚いた。
​「起きた?  自分の部屋に戻る?」
​「いえ、ここにいます」
 ​黒崎先生は、目を開かないまま、つかんでいた美月の手を、そのまま握った。美月は、その手の握り方に、仕事への不安だけではない、この島での孤独を感じた。
​「……疲れてないんですか。この島、とても閉鎖的で古い価値観にとらわれている。ネットもつながらないし、楽しくない」
 ​彼の言葉は、美月がこの島に来た当初の心の叫びそのものだった。
​「私も最初はそうだった。でも、じきに慣れるよ」美月は、彼の手を優しく握り返した。
​「そうかな……」
​ 黒崎先生は、そうつぶやきながら、美月との手を繋いだまま、再び眠りに落ちた。美月は、彼の若さと、都会での夢と、この島での現実のギャップが生む孤独を、静かに受け止めていた。

 ​早朝。美月は、樹が毎日来るジョギングの時間になったことにも気づかず、そのまま深い眠りに落ちていた。
 ​樹は、いつものように職員寮の裏口へ向かったが、インターフォンを押しても美月は出てこない。不安に駆られた樹は、美月に渡されていた合鍵を使って、静かにドアを開けた。
 ​美月が寝坊したのかと、安堵と少しの怒りを感じながらリビングに入った樹の視界に飛び込んできたのは――
 ​テーブルに伏せて眠っている美月と、黒崎先生の姿だった。
 ​そして、その二人の手は、固く握り合わされたままだった。
 
 ​なぜ……?
 ​樹の頭の中は、一瞬で真っ白になった。先日、歓迎会で美月に手を差し出した、あの都会的な先生。そして、自分たちだけの密室だったはずの美月の部屋。
​「都会の人って感じがする」と自分が感じた不安が、今、最悪の形で現実となっていた。
 ​樹の心の中に、言葉にできない、激しい嫉妬と不安の炎が広がった。美月は、あの熱い夜を、もう忘れてしまったのだろうか。それとも、都会の男性に触れ、また都会へ戻ることを選び始めたのだろうか。
 ​樹は、二人の間に立ち尽くし、開かれたドアの向こうから差し込む朝の光の中で、何も言えずに美月と黒崎先生を見つめるしかなかった。
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