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2.御者リック
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リックは、無造作に黒い短髪を掻くと、眼を開けた。
黒い瞳に、もう眠気はなかった。
一晩ぐっすり眠って、ブリストンまで十六時間走破した疲れも取れた。
そろそろ、下に行って、飯でも食うか。
そういや、ジェフリーが昨夜、ひどく興奮していたな。
何でも、馬車に変わる鉄の塊が、そう遠くない将来、ブリストンにも走るとか。
蒸気機関車、とかいったか。
あまり、現実味のない話のように聞こえたが、商魂たくましいジェフリーのことだ。
新たな事業に、うまいこと食いついて行くんだろう。
リックが、そんなことを考えていると、階段を上がって来る足音が聞こえた。
あの規則正しい足音は、フランクだ。
いつもより、少し足音が早い。
なにかあったな。
そう思っていたら、ドアがノックされて、入って来たのは、やはりフランクだった。
この暑いのに、コートに袖を通して、相変わらず、整った身なりをしている。
リックと同じように、背は高かったが、細身のせいか、さほど体つきが大きいようには感じられなかった。
少しくせのある茶色の髪もきちんと分けて、きれいに撫でつけられていた。
「めずらしいな。こんな時間に」
壁の時計は、昼を少し過ぎたところだった。
「リック、話があるんだ」
フランクは、堅い表情のままだった。
「何だ」
「アルカンスィエルの一件は、知っているな?」
「ああ、一応。馬車の運行にも、何か影響があるかもしれないと思って、今夜、ジェフリーに詳しく尋ねようと思っていたところだ。それが何か?」
「どこから、説明したらいいのかわからないが・・・」
フランクの話は、予想もしない意外なものだった。
今朝、フランクがいつも通り、ブリストンの貧困街に往診に出ていると、少年に呼び止められた。
裏道沿いにある、古い小さなタヴァン、ホワイトローズからの使いで、泊っている客の中に、具合の悪い客がいるから、診てもらえないかというものだった。
フランクは、あとひとりだけ、先に診ておきたい患者があったので、それが終わったら行くと伝えた。
約束通り、診察を一件終えて、ホワイトローズに向かった。
案内されて、患者がいるという二階の部屋に入ると、フランクは驚いた。
小さな部屋に、五人が集まっていたからだった。
恰好から想像すると、貴族と、その供の者と思えた。
年老いた使用人が、何気なくつぶやいた一言が、フォルティスの言葉ではなかった。
フランクは語学が出来ので、すぐに五人が、ユースティティアからやってきたということが、わかった。
そして、ユースティティアの首都、アルカンスィエルが、強国グラディウスの手に落ちたことは聞いていたので、もしかしたらこの人たちは、アルカンスィエルから逃げて来たのかもしれない、と思った。
「お忙しいところ、来ていただいて申し訳ない。妹を診てやってほしいのです」
まだ十代と思われる、茶色い髪の、青い瞳に憂いを含んだ、端正な顔立ちの青年が口を開いた。
ホワイトローズに到着して間が無いのか、地味な色の、簡素な外出着を身に着けていた。
ベッドには、小柄なまだ少女と言っていいような娘が、青白い顔で寝巻を着て、横になっていた。
ふらつきがひどいという症状だったが、確かに、具合が悪そうだった。
触れると、微熱があるようだった。
一通りの診察はしたが、脈も胸の音も正常で、特にこれといった症状はなかった。
聞けば、高熱の後、無理のある旅をしてきたというので、その疲れのせいではないか、という見立てをした。
「ごめんなさい、お兄様。迷惑をかけて」
ベッドに横になった娘は、青年のことをお兄様と、呼んだ。
「お前のせいじゃないよ、アンジェラ」
若者は、ベッド上の少女を、アンジェラと呼んだ。
それまで、アンジェラという娘の診察に気を取られていたフランクは、アンジェラの衣服を整える、召使いと思しき、女の横顔が眼に入って来て、はっ、とした。
それは、一瞬息をのむほどに、美しい横顔だった。
本当に、不思議な一行だ、と思った。
まだ十代の端正な顔立ちの青年、そしてその妹、美しさの際立つ召使い、年老いた供の男、そして、黒の外出着を身に着け、壁際に立ち、ベッドの上の少女に、深い緑色の瞳を向ける身分の高そうな女。
感情が堰を切ったのか、アンジェラと呼ばれた娘の灰色の瞳から、涙が溢れた。
「私がいけないのよ」
美しい召使いが、アンジェラの涙をハンカチでぬぐってやっていた。
「自分を責めてはいけない」
青年は、アンジェラの髪を撫でた。
「いいえ、私さえいなければ、もうウッドフィールドに向けて出発できたのに」
「ウッドフィールドに行かれるのですか?」
見かねて、フランクが間に入った。
はっとした表情で、青年が、フランクを見つめる。
「ええ・・・、そうです」
「失礼ですが、ユースティティアの方ですか?」
「そうです」
その問いかけにも、青年はこくりと頷いた。
「何か、お力になれることがありますか?」
フランクの問いに、しばらく青年はためらっていたが、意を決したように、実は・・・と、話し始めた。
青年の名前は、フィリップと言った。
美しい召使いは、レティシア。
年老いた使用人は、ピエール。
そして、壁際にたたずむ貴婦人は、アンヌ。
五人はグラディウスの侵攻によって、三日ほど前、王都アルカンスィエルを追われた。
そして、フィリップの叔母の嫁ぎ先である、フォルティスのウッドフィールドに住む、リヴィングストン伯爵の屋敷に向かうのだという。
ただ、外国で旅に不慣れなこともあって、中々、旅が思うように進まない、と。
フィリップは、アンジェラの手前、そうは言わなかったが、アンジェラの体調が芳しくないことも、旅が遅れる一因であることに間違いなかった。
その話を聞いて、フランクが真っ先に思いついたのが、リックの顔だった。
リックだったら、この五人を馬車で、ウッドフィールドまで、送り届けることができるんじゃないか、そう思ったのだった。
フランクは、自分に心当たりがあるから、と五人に告げると、そのままその足で、バッカスのリックの元へやってきたのだった。
「お人よしも度が過ぎるぜ」
フランクから話を聞いたリックは、あきれ顔だった。
「辛い思いをして、逃げて来ているんだ。助けてあげたいと思わないか?」
「俺には関係ない」
「リック」
「大体、ジェフリーに何て言うんだ。貴族の御者をやるから、しばらく仕事を休ませてくれって?そんな馬鹿な話があるか」
「リック」
「俺の言っていることは、間違ってないぜ。あんたもわかるだろう?」
「リック・・・」
フランクは、哀しそうな眼で、じっとリックを見た。
リックは、しばらくそのフランクの顔を苦い表情で見つめていたが、ため息をつくと、
「わかった。会えばいいんだろう、会えば」
諦めたように言った。
「リック、ありがとう」
「言っとくけど、俺は、ウッドフィールドに行くなんて、一言も言ってないからな。とりあえず、そいつらに会うだけだぜ」
「助かるよ」
フランクは、ほっとした微笑みを浮かべた。
これから、下で一杯やるつもりだったんだがな。
リックは、椅子の上に無造作に置いていたジャケットを、取った。
貴重な休日の午後が、潰されそうで、リックは一気に気分が重くなった。
黒い瞳に、もう眠気はなかった。
一晩ぐっすり眠って、ブリストンまで十六時間走破した疲れも取れた。
そろそろ、下に行って、飯でも食うか。
そういや、ジェフリーが昨夜、ひどく興奮していたな。
何でも、馬車に変わる鉄の塊が、そう遠くない将来、ブリストンにも走るとか。
蒸気機関車、とかいったか。
あまり、現実味のない話のように聞こえたが、商魂たくましいジェフリーのことだ。
新たな事業に、うまいこと食いついて行くんだろう。
リックが、そんなことを考えていると、階段を上がって来る足音が聞こえた。
あの規則正しい足音は、フランクだ。
いつもより、少し足音が早い。
なにかあったな。
そう思っていたら、ドアがノックされて、入って来たのは、やはりフランクだった。
この暑いのに、コートに袖を通して、相変わらず、整った身なりをしている。
リックと同じように、背は高かったが、細身のせいか、さほど体つきが大きいようには感じられなかった。
少しくせのある茶色の髪もきちんと分けて、きれいに撫でつけられていた。
「めずらしいな。こんな時間に」
壁の時計は、昼を少し過ぎたところだった。
「リック、話があるんだ」
フランクは、堅い表情のままだった。
「何だ」
「アルカンスィエルの一件は、知っているな?」
「ああ、一応。馬車の運行にも、何か影響があるかもしれないと思って、今夜、ジェフリーに詳しく尋ねようと思っていたところだ。それが何か?」
「どこから、説明したらいいのかわからないが・・・」
フランクの話は、予想もしない意外なものだった。
今朝、フランクがいつも通り、ブリストンの貧困街に往診に出ていると、少年に呼び止められた。
裏道沿いにある、古い小さなタヴァン、ホワイトローズからの使いで、泊っている客の中に、具合の悪い客がいるから、診てもらえないかというものだった。
フランクは、あとひとりだけ、先に診ておきたい患者があったので、それが終わったら行くと伝えた。
約束通り、診察を一件終えて、ホワイトローズに向かった。
案内されて、患者がいるという二階の部屋に入ると、フランクは驚いた。
小さな部屋に、五人が集まっていたからだった。
恰好から想像すると、貴族と、その供の者と思えた。
年老いた使用人が、何気なくつぶやいた一言が、フォルティスの言葉ではなかった。
フランクは語学が出来ので、すぐに五人が、ユースティティアからやってきたということが、わかった。
そして、ユースティティアの首都、アルカンスィエルが、強国グラディウスの手に落ちたことは聞いていたので、もしかしたらこの人たちは、アルカンスィエルから逃げて来たのかもしれない、と思った。
「お忙しいところ、来ていただいて申し訳ない。妹を診てやってほしいのです」
まだ十代と思われる、茶色い髪の、青い瞳に憂いを含んだ、端正な顔立ちの青年が口を開いた。
ホワイトローズに到着して間が無いのか、地味な色の、簡素な外出着を身に着けていた。
ベッドには、小柄なまだ少女と言っていいような娘が、青白い顔で寝巻を着て、横になっていた。
ふらつきがひどいという症状だったが、確かに、具合が悪そうだった。
触れると、微熱があるようだった。
一通りの診察はしたが、脈も胸の音も正常で、特にこれといった症状はなかった。
聞けば、高熱の後、無理のある旅をしてきたというので、その疲れのせいではないか、という見立てをした。
「ごめんなさい、お兄様。迷惑をかけて」
ベッドに横になった娘は、青年のことをお兄様と、呼んだ。
「お前のせいじゃないよ、アンジェラ」
若者は、ベッド上の少女を、アンジェラと呼んだ。
それまで、アンジェラという娘の診察に気を取られていたフランクは、アンジェラの衣服を整える、召使いと思しき、女の横顔が眼に入って来て、はっ、とした。
それは、一瞬息をのむほどに、美しい横顔だった。
本当に、不思議な一行だ、と思った。
まだ十代の端正な顔立ちの青年、そしてその妹、美しさの際立つ召使い、年老いた供の男、そして、黒の外出着を身に着け、壁際に立ち、ベッドの上の少女に、深い緑色の瞳を向ける身分の高そうな女。
感情が堰を切ったのか、アンジェラと呼ばれた娘の灰色の瞳から、涙が溢れた。
「私がいけないのよ」
美しい召使いが、アンジェラの涙をハンカチでぬぐってやっていた。
「自分を責めてはいけない」
青年は、アンジェラの髪を撫でた。
「いいえ、私さえいなければ、もうウッドフィールドに向けて出発できたのに」
「ウッドフィールドに行かれるのですか?」
見かねて、フランクが間に入った。
はっとした表情で、青年が、フランクを見つめる。
「ええ・・・、そうです」
「失礼ですが、ユースティティアの方ですか?」
「そうです」
その問いかけにも、青年はこくりと頷いた。
「何か、お力になれることがありますか?」
フランクの問いに、しばらく青年はためらっていたが、意を決したように、実は・・・と、話し始めた。
青年の名前は、フィリップと言った。
美しい召使いは、レティシア。
年老いた使用人は、ピエール。
そして、壁際にたたずむ貴婦人は、アンヌ。
五人はグラディウスの侵攻によって、三日ほど前、王都アルカンスィエルを追われた。
そして、フィリップの叔母の嫁ぎ先である、フォルティスのウッドフィールドに住む、リヴィングストン伯爵の屋敷に向かうのだという。
ただ、外国で旅に不慣れなこともあって、中々、旅が思うように進まない、と。
フィリップは、アンジェラの手前、そうは言わなかったが、アンジェラの体調が芳しくないことも、旅が遅れる一因であることに間違いなかった。
その話を聞いて、フランクが真っ先に思いついたのが、リックの顔だった。
リックだったら、この五人を馬車で、ウッドフィールドまで、送り届けることができるんじゃないか、そう思ったのだった。
フランクは、自分に心当たりがあるから、と五人に告げると、そのままその足で、バッカスのリックの元へやってきたのだった。
「お人よしも度が過ぎるぜ」
フランクから話を聞いたリックは、あきれ顔だった。
「辛い思いをして、逃げて来ているんだ。助けてあげたいと思わないか?」
「俺には関係ない」
「リック」
「大体、ジェフリーに何て言うんだ。貴族の御者をやるから、しばらく仕事を休ませてくれって?そんな馬鹿な話があるか」
「リック」
「俺の言っていることは、間違ってないぜ。あんたもわかるだろう?」
「リック・・・」
フランクは、哀しそうな眼で、じっとリックを見た。
リックは、しばらくそのフランクの顔を苦い表情で見つめていたが、ため息をつくと、
「わかった。会えばいいんだろう、会えば」
諦めたように言った。
「リック、ありがとう」
「言っとくけど、俺は、ウッドフィールドに行くなんて、一言も言ってないからな。とりあえず、そいつらに会うだけだぜ」
「助かるよ」
フランクは、ほっとした微笑みを浮かべた。
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