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2.御者リック
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貴族の待つタヴァン、ホワイトローズは、バッカスからさほど離れてはいなかった。
リックは、内心、とっとと話を済ませて、バッカスに帰ろうと思っていた。
狭い階段を上って二階に上がると、フランクが、ドアをノックした。
中から、どうぞ、という声が聞こえて、リックはフランクと一緒に部屋に入った。
聞いてはいたが、中にいたのは貴族だった。
そう、リックの大嫌いな人種、貴族だった。
「お待ちしていました」
端正な顔立ちの青年が、まず挨拶をして、居合わせた者の名前、フィリップ、アンジェラ、アンヌ、レティシア、ピエールを、紹介した。
アンジェラは、ベッドに横になっていた。
「こちらが、先ほど話した、リック。皆さんのお役に立てるといいのですが」
フランクは、そう言って、心配そうな表情で、憮然としたままのリックを見つめた。
「我々を、ウッドフィールドまで、連れて行ってくれるのですね」
「俺は、一言もそんなことを言った覚えはない」
期待が籠もった表情のフィリップに、リックは言い放った。
驚いた表情で、フィリップは、フランクを見る。
フランクは、困り顔で、
「実は、まだ、連れて行くと約束してくれたわけじゃないんです。とりあえず、話を聞きに行くということで、連れてきました」
「ああ、それで・・・」
フィリップの顔に、明らかに落胆の色が走った。
「あんたら、ウッドフィールドの親戚の家に行くんだろ?行き方は教えてやる。ミルフェアストリートから、とりあえず、ずっとまっすぐ上へ行けばいい」
「リック」
取り付く島もない物言いに、フランクの方が気を使う始末だった。
「それが、何分外国のせいで、思うように進めなくて・・・」
「それだけ、フォルティスの言葉がしゃべれたら、十分だ。街道をまっすぐ行けば、どれだけのんびり行こうが、十日もすれば、ウッドフィールドだ」
フィリップは、押し黙った。
そのフィリップに、畳みかけるように、
「俺が、解せないのは、何で貴族様ご一行が、こんな裏通りの小汚いタヴァンに泊っているのか、ってことだ」
明らかにフィリップの顔が、強張った。
微動だにせず壁際に立つアンヌと、言葉のわからないピエール以外は、アンジェラも、レティシアも、表情が変わった。
「図星だな」
フィリップは、リックの刺すような黒い瞳を、黙ったまま見返していたが、しばらくして、
「隠していて、申し訳なかった」
観念したかのように、頭を下げた。
「フィリップ様」
傍から、気遣わしげな、柔らかな女の声が差し挟まれた。
レティシアだった。
何気なく、レティシアの顔を見て、リックは一瞬息を呑んだ。
先ほど、フランクから、話には聞いていたが、確かに不思議なほど美しい女だった。
着ているものは地味で粗末だったが、その容貌、佇まいは、とても召使いに見えなかった。
「お話します」
そう言って、フィリップが話したのは、思いもよらぬもので、フィリップが、ユースティティアの前国王、ギヨーム王の庶子だということだった。
「つまり、ユースティティア現国王のジャン王とは・・・」
「恐れ多いことですが、異母兄弟になります」
フランクは言葉を失った。
「私は、士官学校の生徒で、アルカンスィエルを離れる直前まで、軍病院になった廃兵院で、負傷兵の手当てをしていたのですが、ある時、友人が私に言ったのです。フィリップ、アルカンスィエルが落ちたら、お前は、庶子とはいえ、国王の血をひく人間だから、グラディウスの王に狙われるんじゃないか、って」
「ただではすまないだろうな。だから、こういう目立たない、裏通りのタヴァンを選んで泊っているわけか」
リックは、ところどころはげ落ちた壁を、ぐるっと眺めた。
「そうです。それで、アルカンスィエルはうまく脱出したものの、心配になってきたのです。私ひとりが狙われるのなら、まだいい。でも、アンジェラや、みんなが一緒です。私以外の人間に被害が及ぶのは、困る。ウッドフィールドへ行けば、リヴィングストン伯爵の領地で、アンジェラもみんなも、落ち着いた暮らしができる。だから、私は何としてでも、みんなをウッドフィールドへ連れて行きたいのです」
「そんな話を黙ってて、ウッドフィールドまで連れて行けって?あんたが狙われるってことは、連れて行く俺だって、やばいんだぜ」
「それは・・・、本当に申し訳ない」
「ウッドフィールドの親戚には、連絡したのか?そっちへ向かってるって」
「フォルティスに入ってすぐ、手紙は出しました。でも当然、返事は受け取れません」
こちらからリヴィングストン伯爵に手紙は出せても、居所が定まらないのだから、向こうは手紙を出しようがない。
「じゃあ、無事に辿り着いたところで、門前払いの可能性もあるわけだ」
「それは・・・、そうです」
「もう一度手紙を書いて、伯爵にここまで迎えに来てもらえよ」
「それも考えたのですが、そうなると、一体ここで何日費やすことになるのか。その間に、グラディウスの手の者がやってきたら、どうなるのか・・・」
「フィリップ様、もうお引き取りいただきましょう」
それまで、黙っていたアンヌが、口を開いた。
「アンヌ」
「この御者は、最初からわたくしたちを、ウッドフィールドへ連れて行く気などないのです。これ以上話しても、無駄でしょう」
アンヌは、いつものように表情ひとつ変えずに、そして、まるで不潔なものは、見るのも汚らわしいというように、リックには眼もくれなかった。
「話が早くて助かるぜ、お姫様」
見下されているのが伝わったリックも、明らかに喧嘩腰になった。
「ひとつだけ、言っといてやる。あんたらに必要なのは、ウッドフィールドへ連れて行ってくれる御者じゃない。護衛だ。俺を雇う金があるんなら、銃を持った護衛をやとえよ。行くぜ、フランク」
「リック・・・」
「スティーブのばあさんがぼやいてたぜ。フランク先生は、時間通りに来てくれたことがないってよ。早く帰って、仕事しろよ」
往診に出るフランクは、患者の病気だけではなく、患者の抱える様々な問題を丁寧に聞いてやったので、中々、時間通りに次の患者の元に行くことが難しかった。
リックは、フランクを待たずに、部屋を出た。
慌てて、フランクもリックの後を追う。
その後から、ダークブロンドの髪を、きれいに結った召使いも、付いて出て来た。
「先生、ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
「いや・・・、こちらこそ」
フランクの方が、申し訳なさそうに頭を下げた。
リックは、レティシアに見向きもしないで、狭い階段を下りる。
「いいえ、本当のことを、隠していたんですもの。そちらの方が気分を悪くされても、仕方がないと思います」
レティシアも、ふたりの後から、階段を下りて行く。
二人の見送りに、出てきたようだった。
「こちらこそ、私が、リックにもう少しきちんと話していれば、みなさんに不快な思いをさせずに、すんだかもしれません」
「どうぞ、もうおっしゃらないで。先生が、力になって下さろうとしたお気持ちは、十分伝わりましたもの。有り難いことですわ」
リックは、背中で、その言葉遣いを聞きながら、間違いなく俺の周りにはいない人種だ、と思った。
「フィリップ様は、まだ十六歳ですの。失礼があったら、どうかお許しくださいね」
それは、リックに向けられた言葉だったのかもしれないが、リックは振り向かなかった。
「どうぞ、お気をつけて。ごきげんよう」
ホワイトローズの前で、レティシアは、別れ際にそう言った。
ここまで、言われると、嫌味かと思って、リックは、ちらりとレティシアの顔を見たが、リックたちを責めるような素振りは少しもなく、ヘーゼルの瞳に穏やかな微笑みを浮かべて、美しい顔をしていた。
レティシアが、ホワイトローズに戻ろうとすると、ピエールが降りて来た。
「帰ったか」
「ええ。どうかして?」
「いや、なに、なんだか、フィリップ様を見ていられなくなってなあ」
「ピエール・・・」
フィリップが小さいころから、デュヴィラール家に仕えるピエールは、フィリップの気持ちを思うと、いたたまれなくなって、部屋に居づらくなったのだった。
「わしがもう少し若かったら、フィリップ様の力になれたんだが。これじゃ、足手まといにしかならん」
ピエールは、腰をとんとん、と叩いた。
アルカンスィエルからの逃避行は、若いレティシアにとっても、大変なものだった。
年老いたピエールにとっては、身体にこたえるものだったに違いない。
深いしわが刻まれた顔には、疲労の色が濃くにじみ出ていた。
「戻りましょう、ピエール。温かいお茶を淹れましょうか」
レティシアは、労わるように、そっとその背中を支えた。
ピエールは、少し似ていた。
レティシアの恩人に。
ずたずたになったレティシアを、温かく、優しく受け入れてくれた、ある人に。
何の恩返しもできないまま、逝ってしまったその人の代わりに、ピエールを労わってあげたかった。
リックは、内心、とっとと話を済ませて、バッカスに帰ろうと思っていた。
狭い階段を上って二階に上がると、フランクが、ドアをノックした。
中から、どうぞ、という声が聞こえて、リックはフランクと一緒に部屋に入った。
聞いてはいたが、中にいたのは貴族だった。
そう、リックの大嫌いな人種、貴族だった。
「お待ちしていました」
端正な顔立ちの青年が、まず挨拶をして、居合わせた者の名前、フィリップ、アンジェラ、アンヌ、レティシア、ピエールを、紹介した。
アンジェラは、ベッドに横になっていた。
「こちらが、先ほど話した、リック。皆さんのお役に立てるといいのですが」
フランクは、そう言って、心配そうな表情で、憮然としたままのリックを見つめた。
「我々を、ウッドフィールドまで、連れて行ってくれるのですね」
「俺は、一言もそんなことを言った覚えはない」
期待が籠もった表情のフィリップに、リックは言い放った。
驚いた表情で、フィリップは、フランクを見る。
フランクは、困り顔で、
「実は、まだ、連れて行くと約束してくれたわけじゃないんです。とりあえず、話を聞きに行くということで、連れてきました」
「ああ、それで・・・」
フィリップの顔に、明らかに落胆の色が走った。
「あんたら、ウッドフィールドの親戚の家に行くんだろ?行き方は教えてやる。ミルフェアストリートから、とりあえず、ずっとまっすぐ上へ行けばいい」
「リック」
取り付く島もない物言いに、フランクの方が気を使う始末だった。
「それが、何分外国のせいで、思うように進めなくて・・・」
「それだけ、フォルティスの言葉がしゃべれたら、十分だ。街道をまっすぐ行けば、どれだけのんびり行こうが、十日もすれば、ウッドフィールドだ」
フィリップは、押し黙った。
そのフィリップに、畳みかけるように、
「俺が、解せないのは、何で貴族様ご一行が、こんな裏通りの小汚いタヴァンに泊っているのか、ってことだ」
明らかにフィリップの顔が、強張った。
微動だにせず壁際に立つアンヌと、言葉のわからないピエール以外は、アンジェラも、レティシアも、表情が変わった。
「図星だな」
フィリップは、リックの刺すような黒い瞳を、黙ったまま見返していたが、しばらくして、
「隠していて、申し訳なかった」
観念したかのように、頭を下げた。
「フィリップ様」
傍から、気遣わしげな、柔らかな女の声が差し挟まれた。
レティシアだった。
何気なく、レティシアの顔を見て、リックは一瞬息を呑んだ。
先ほど、フランクから、話には聞いていたが、確かに不思議なほど美しい女だった。
着ているものは地味で粗末だったが、その容貌、佇まいは、とても召使いに見えなかった。
「お話します」
そう言って、フィリップが話したのは、思いもよらぬもので、フィリップが、ユースティティアの前国王、ギヨーム王の庶子だということだった。
「つまり、ユースティティア現国王のジャン王とは・・・」
「恐れ多いことですが、異母兄弟になります」
フランクは言葉を失った。
「私は、士官学校の生徒で、アルカンスィエルを離れる直前まで、軍病院になった廃兵院で、負傷兵の手当てをしていたのですが、ある時、友人が私に言ったのです。フィリップ、アルカンスィエルが落ちたら、お前は、庶子とはいえ、国王の血をひく人間だから、グラディウスの王に狙われるんじゃないか、って」
「ただではすまないだろうな。だから、こういう目立たない、裏通りのタヴァンを選んで泊っているわけか」
リックは、ところどころはげ落ちた壁を、ぐるっと眺めた。
「そうです。それで、アルカンスィエルはうまく脱出したものの、心配になってきたのです。私ひとりが狙われるのなら、まだいい。でも、アンジェラや、みんなが一緒です。私以外の人間に被害が及ぶのは、困る。ウッドフィールドへ行けば、リヴィングストン伯爵の領地で、アンジェラもみんなも、落ち着いた暮らしができる。だから、私は何としてでも、みんなをウッドフィールドへ連れて行きたいのです」
「そんな話を黙ってて、ウッドフィールドまで連れて行けって?あんたが狙われるってことは、連れて行く俺だって、やばいんだぜ」
「それは・・・、本当に申し訳ない」
「ウッドフィールドの親戚には、連絡したのか?そっちへ向かってるって」
「フォルティスに入ってすぐ、手紙は出しました。でも当然、返事は受け取れません」
こちらからリヴィングストン伯爵に手紙は出せても、居所が定まらないのだから、向こうは手紙を出しようがない。
「じゃあ、無事に辿り着いたところで、門前払いの可能性もあるわけだ」
「それは・・・、そうです」
「もう一度手紙を書いて、伯爵にここまで迎えに来てもらえよ」
「それも考えたのですが、そうなると、一体ここで何日費やすことになるのか。その間に、グラディウスの手の者がやってきたら、どうなるのか・・・」
「フィリップ様、もうお引き取りいただきましょう」
それまで、黙っていたアンヌが、口を開いた。
「アンヌ」
「この御者は、最初からわたくしたちを、ウッドフィールドへ連れて行く気などないのです。これ以上話しても、無駄でしょう」
アンヌは、いつものように表情ひとつ変えずに、そして、まるで不潔なものは、見るのも汚らわしいというように、リックには眼もくれなかった。
「話が早くて助かるぜ、お姫様」
見下されているのが伝わったリックも、明らかに喧嘩腰になった。
「ひとつだけ、言っといてやる。あんたらに必要なのは、ウッドフィールドへ連れて行ってくれる御者じゃない。護衛だ。俺を雇う金があるんなら、銃を持った護衛をやとえよ。行くぜ、フランク」
「リック・・・」
「スティーブのばあさんがぼやいてたぜ。フランク先生は、時間通りに来てくれたことがないってよ。早く帰って、仕事しろよ」
往診に出るフランクは、患者の病気だけではなく、患者の抱える様々な問題を丁寧に聞いてやったので、中々、時間通りに次の患者の元に行くことが難しかった。
リックは、フランクを待たずに、部屋を出た。
慌てて、フランクもリックの後を追う。
その後から、ダークブロンドの髪を、きれいに結った召使いも、付いて出て来た。
「先生、ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
「いや・・・、こちらこそ」
フランクの方が、申し訳なさそうに頭を下げた。
リックは、レティシアに見向きもしないで、狭い階段を下りる。
「いいえ、本当のことを、隠していたんですもの。そちらの方が気分を悪くされても、仕方がないと思います」
レティシアも、ふたりの後から、階段を下りて行く。
二人の見送りに、出てきたようだった。
「こちらこそ、私が、リックにもう少しきちんと話していれば、みなさんに不快な思いをさせずに、すんだかもしれません」
「どうぞ、もうおっしゃらないで。先生が、力になって下さろうとしたお気持ちは、十分伝わりましたもの。有り難いことですわ」
リックは、背中で、その言葉遣いを聞きながら、間違いなく俺の周りにはいない人種だ、と思った。
「フィリップ様は、まだ十六歳ですの。失礼があったら、どうかお許しくださいね」
それは、リックに向けられた言葉だったのかもしれないが、リックは振り向かなかった。
「どうぞ、お気をつけて。ごきげんよう」
ホワイトローズの前で、レティシアは、別れ際にそう言った。
ここまで、言われると、嫌味かと思って、リックは、ちらりとレティシアの顔を見たが、リックたちを責めるような素振りは少しもなく、ヘーゼルの瞳に穏やかな微笑みを浮かべて、美しい顔をしていた。
レティシアが、ホワイトローズに戻ろうとすると、ピエールが降りて来た。
「帰ったか」
「ええ。どうかして?」
「いや、なに、なんだか、フィリップ様を見ていられなくなってなあ」
「ピエール・・・」
フィリップが小さいころから、デュヴィラール家に仕えるピエールは、フィリップの気持ちを思うと、いたたまれなくなって、部屋に居づらくなったのだった。
「わしがもう少し若かったら、フィリップ様の力になれたんだが。これじゃ、足手まといにしかならん」
ピエールは、腰をとんとん、と叩いた。
アルカンスィエルからの逃避行は、若いレティシアにとっても、大変なものだった。
年老いたピエールにとっては、身体にこたえるものだったに違いない。
深いしわが刻まれた顔には、疲労の色が濃くにじみ出ていた。
「戻りましょう、ピエール。温かいお茶を淹れましょうか」
レティシアは、労わるように、そっとその背中を支えた。
ピエールは、少し似ていた。
レティシアの恩人に。
ずたずたになったレティシアを、温かく、優しく受け入れてくれた、ある人に。
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