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9.One coin toy
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いるはずのレティシアがいない心細さもあって、アンジェラの体調は優れなかった。
レティシアが去ってから、何度か胸痛が起こり、思うように、先へ進めなかった。
フィリップが、一度、この旅を中断して、ゆっくり休もうと諭すものの、アンジェラは聞き入れなかった。
ウッドフィールドへ向かうのだと、刺客の手から早く逃れるのだと、耳を貸さなかった。
それは、フィリップを思う故だった。
本当なら、レティシアと落ち合う場所へは、フィリップたちの方が早く到着する予定だったが、予定が遅れがちだったせいで、タリスを出立した翌日の午前中、フィリップたちとレティシアが、落ち合う場所へ到着したのは、ほぼ同じ時間だった。
レティシアは、約束通り、戻って来た。
「勝手なことをして、申し訳ございませんでした」
レティシアは、そう言って、静かに頭を下げた。
戻って来たレティシアは、以前のレティシアとは、様子が変わっていた。
あの柔らかい微笑みはすっかり失われ、疲労の色が濃くにじんでいた。
「大丈夫、レティシア?」
具合の悪いアンジェラに、心配されるほど、レティシアの顔色は悪かった。
みんな一体何があったのか、不思議に思ったけれど、尋ねることはしなかった。
レティシアが答えるはずがない、ということが、分かっていたからだった。
それでもレティシアは、細やかにアンジェラの世話をしていた。
昼の休憩時には、木陰の、横になれそうな場所に、敷物を敷き、食べ物、飲み物の用意を整えたり、疲れのせいで痛みを覚える、背中や足をさすってやったり、いつも以上に行き届いた気配りだった。
アンジェラは、少し食べ物を口にした後、横になってうとうとと眠り始めたので、レティシアは、ブランケットをかけると、その髪をそっと優しく撫でて、傍を離れた。
リックは、少し離れた場所で、馬に餌を与え、アンヌは座って、静かに、聖書に眼を落としていた。
「レティシア、昼飯、まだ食っていないだろう。食べないと、もたないぞ」
ハリーが、近づいて来て、今朝、昨夜ハリーたちが泊ったタヴァンの食堂で作らせた、ベーコンを挟んだパンを、レティシアの手に乗せた。
「ありがとう、ハリー」
「アンジェラは、眠ってしまったみたいだな。ちょうど馬も餌の時間だ。せっかくだから、少し眠らせてやろう。随分、無理をして、可哀そうだ」
ハリーは、小声でレティシアの耳にそうささやくと、眠ったアンジェラをそっと見つめた。
アンジェラから少し離れた場所では、そのアンジェラの様子を、心配そうに、フィリップが見守っている。
「お前さんも、少し休憩するといい。昨夜は、ちゃんと眠れたのか?いや、いい、詮索するつもりはないんだ。ただ、とても疲れた顔をしているから、心配になっただけだ。お前さんまで倒れないでくれよ」
「ごめんなさい、心配をかけて・・・」
眼を伏せるレティシアの肩を、ハリーは、ぽんと叩いた。
レティシアは、ひとり、木陰で休んでいた。
涼しくなってもいい季節なのに、汗ばむような陽気だった。
レティシアは、額に滲む汗を拭った。
食欲は、なかった。
ハリーに渡されたパンを、食べる気分には、なれなかった。
レティシアは、眼を閉じた。
昨夜の出来事が、甦って来る。
レティシアは、最初から、わかっていた。
ダニエルが、自分の命を狙っていたことを。
ダニエルは、これが最後の仕事だと言った。
この仕事が終われば、永遠に自由だと言った。
レティシアは、その言葉を信じることは出来なかった。
六年前のダニエルの裏切りを、どうしても忘れることはできなかった。
もう二度と、ダニエルのことを、信頼するつもりはなかった。
もう二度と、言いなりになるつもりもなかった。
だから、ダニエルから、ウイスキーに毒を入れるという、オズワルドの殺害方法を提案された時、レティシアは受け入れなかった。
それでは、事切れるまでに抵抗されて、物音が響くかもしれないと。
異変を、聞きつけられるかもしれない、と言って。
レティシアは、最初からオズワルドを、殺すつもりはなかった。
殺さずに、ダニエルの手から逃れる方法を考えた。
タリスのタヴァンで、ティムから、翌朝、豚が屠殺されることを聞いていた。
だから、豚が屠殺されたその朝、タヴァンの女将に教えてもらった、ティムの家を訪ねて、豚の血をもらった。
その豚の血を生地にたっぷりと染み込ませ、ポーチに隠し持っていた。
夕刻、ダニエルの部屋で支度をし、タリスの高級娼館で、オズワルドに引き合わされ、部屋に行った。
ダニエルは、油断させるため、オズワルドとベッドに入る様に言った。
そして、その後、レティシアの提案によって、眠り薬をウイスキーに入れ、ぐっすり眠ったところを刺すことになっていた。
けれども、レティシアは、部屋に入ってすぐ、オズワルドに眠り薬の入ったウイスキーを飲ませた。
中々、眠り薬は効かなかった。
レティシアの身体を求めて、どうかすれば、襲いかかろうとするオズワルドを、必死で、何とか引き延ばした。
オズワルドが、ようやく眠りに落ちて、レティシアは、髪を乱し、ドレスを一度脱いだ。
そしてわざと、雑な着方をして、女主人レベッカの前に現れた。
レティシアとオズワルドの間に、情事があったと思わせるために。
その後、ダニエルの言う通り、適当な理由をつけて、娼館の外に出て、ダニエルの待つ馬車に乗り込んだ。
馬車に乗り込んだ後、思った通り、ダニエルはレティシアを疑ってきた。
本当は、オズワルドを殺っていないのではないか、と。
豚の血を吸わせた生地は、有効だった。
血のついた生地を詳細に確認されれば、怪しまれたかもしれないが、思った通り、ダニエルは、ちらりと目を遣っただけだった。
以前から、自分の手は汚さない男だった。
ダニエルの不審を、逸らすことに成功した。
ダニエルが、少し歩こうと言った時、レティシアは、やはり、と思った。
ダニエルが、自分を殺そうとしていると、確信した。
だから、馬車から降りる時、あらかじめ隠し持っていたナイフを、ダニエルから決して見えないように、ドレスの後で構えていた。
橋の上で、立ち止まった時、レティシアの腰にまわされていたダニエルの手が、一瞬、離れた。
突き落とされる。
そう予感したレティシアは、すぐさま身をかわした。
空を切ったダニエルの身体は、勢い余って、自らが欄干を越えて、川へ落ちそうになっていた。
ナイフを使うまでもなかった。
気がつけば、レティシアは、その背中を押していた。
ダニエルは叫び声をあげて、落ちて行った。
ダニエルが死んだことに、何の哀しみもなかった。
といって、安堵もしなかった。
ダニエルは、これが最後の仕事だと言ったけれど、レティシアは、今回の件で、よくわかった。
ミラージュは、私の居場所を、把握しているのだと。
そして、いつまた接触してくるかもしれないということが。
レティシアは、リックたちに追いつくために、馬を走らせている間、考えていた。
もう、みんなと、一緒に行くことはできない、と。
一緒にいれば、またいつどんな迷惑をかけるかもしれなかった。
今回のように、アンヌやアンジェラの命を盾にして、レティシアに仕事をさせるかもしれなかった。
そんなことは、できない、と思った。
みんなの命を危険にさらすことなど、できないと思った。
もし、きっと戻っておいでという、ハリーとの約束がなかったら、レティシアは戻ってはこなかった。
けれども、やはり今夜、レティシアは黙って去ろうと思った。
それは、とても胸の痛むことだった。
体調のすぐれないアンジェラを残して行くことは、心残りだった。
けれども、みんなの顔を・・・、アンジェラの、アンヌの、フィリップの、ハリーの、リックの、ひとりひとりの顔を見て、思った。
みんな、苦労はあっても、明るい日の光の下を歩いて、生きていける人たち。
暗闇の中でしか、生きられない自分とは違う。
一生懸命生きれば、朗らかに前を向いて生きれば、辛いことがあっても、私もみんなのように、明るい日差しの中で、暮らして行けるのかもしれないと信じて来た。
でも、違った。
地中でしか生きられない者は、どうあがいても、日の光を浴びることはできない。
右手が、しびれるように痛かった。
ダニエルを、突き落とした手。
汚れた手。
切り落としてしまいたい、この腕。
そして、穢れた、この身体。
落ちて行くダニエルの・・・、恐怖に怯えた、あの眼。
醜い、醜い、醜い!
ダニエルも、左肩の烙印も、私も!
「レティシア!」
はっと、レティシアは、眼を覚ました。
頬には、涙の筋がいくつも伝っていた。
眼の前に、驚いたようなリックの顔があった。
「私、眠って・・・」
身体から、吹き出すような汗が流れていた。
アンジェラが眼を覚まし、馬の餌の時間も終えて、みんな、出発の準備を始めていたせいか、レティシアの様子には、リック以外、誰も気付いていなかった。
「大丈夫か?」
「ごめんなさい・・・、大丈夫、平気です」
レティシアは、慌てて、涙を両手でぬぐった。
「もう少し、休むか?」
「ごめんなさい、心配させてしまって。もう大丈夫です、本当にごめんなさい」
レティシアは、何度も謝った。
そして、出発の準備を手伝いに、向かった。
そのレティシアの後ろ姿を眺める、リックの心中は、複雑だった。
ケヴィンからの手紙を読んで、にわかには信じられなかったが、レティシアの左肩には、確かに、百合の烙印があった。
ケヴィンの手紙が、事実だと認めるしかなかった。
ブロンディーヌと言う名の少女が、ミラージュという組織に貪られ、利用されていたとして、レティシアが今もまだ、ミラージュの一員なのか、それがリックは気にかかった。
だとすれば、ケヴィンの言う通り、関われば命にかかわる。
けれども、リックは、そう思えなかった。
そんな、闇の組織に加担する女が、あのように身を粉にして働くだろうか。
身を呈して、フィリップを守ろうとするだろうか。
花のように、柔らかな笑顔を浮かべるのだろうか。
けれども、タリスで別れて、戻って来たレティシアは、随分違って見えた。
表情は暗く、明るさを失っていた。
詳細はわからなかったが、おそらくミラージュと接触したのだろう。
そう考えれば、これ以上、レティシアに深入りしない方が賢明だと分かっていた。
放っておけば、済む話だった。
リックは、遅かれ早かれ、レティシアは、黙って去るような気がしていた。
だから、これまで以上に、今、アンジェラに尽くそうとしているようにも、見えた。
そうだ、放っておけ。
放っておけば、近いうちにいなくなる。
リックの冷めた頭は、そう言っていた。
けれども一方で、もう一度、あの花のように柔らかな笑顔を見たいのだと、俺に優しく微笑んでほしいのだと思う気持ちが、どうしてもぬぐえなかった。
タリスのタヴァンの前で、つまずいたレティシアをおもいがけず抱き寄せた時、リックは自分がレティシアに惹かれていることを、思い知った。
レティシアの白いうなじに、唇をあてて、華奢な身体を強く抱きしめたいという欲求は、もう押さえようがなかった。
レティシアが去ってから、何度か胸痛が起こり、思うように、先へ進めなかった。
フィリップが、一度、この旅を中断して、ゆっくり休もうと諭すものの、アンジェラは聞き入れなかった。
ウッドフィールドへ向かうのだと、刺客の手から早く逃れるのだと、耳を貸さなかった。
それは、フィリップを思う故だった。
本当なら、レティシアと落ち合う場所へは、フィリップたちの方が早く到着する予定だったが、予定が遅れがちだったせいで、タリスを出立した翌日の午前中、フィリップたちとレティシアが、落ち合う場所へ到着したのは、ほぼ同じ時間だった。
レティシアは、約束通り、戻って来た。
「勝手なことをして、申し訳ございませんでした」
レティシアは、そう言って、静かに頭を下げた。
戻って来たレティシアは、以前のレティシアとは、様子が変わっていた。
あの柔らかい微笑みはすっかり失われ、疲労の色が濃くにじんでいた。
「大丈夫、レティシア?」
具合の悪いアンジェラに、心配されるほど、レティシアの顔色は悪かった。
みんな一体何があったのか、不思議に思ったけれど、尋ねることはしなかった。
レティシアが答えるはずがない、ということが、分かっていたからだった。
それでもレティシアは、細やかにアンジェラの世話をしていた。
昼の休憩時には、木陰の、横になれそうな場所に、敷物を敷き、食べ物、飲み物の用意を整えたり、疲れのせいで痛みを覚える、背中や足をさすってやったり、いつも以上に行き届いた気配りだった。
アンジェラは、少し食べ物を口にした後、横になってうとうとと眠り始めたので、レティシアは、ブランケットをかけると、その髪をそっと優しく撫でて、傍を離れた。
リックは、少し離れた場所で、馬に餌を与え、アンヌは座って、静かに、聖書に眼を落としていた。
「レティシア、昼飯、まだ食っていないだろう。食べないと、もたないぞ」
ハリーが、近づいて来て、今朝、昨夜ハリーたちが泊ったタヴァンの食堂で作らせた、ベーコンを挟んだパンを、レティシアの手に乗せた。
「ありがとう、ハリー」
「アンジェラは、眠ってしまったみたいだな。ちょうど馬も餌の時間だ。せっかくだから、少し眠らせてやろう。随分、無理をして、可哀そうだ」
ハリーは、小声でレティシアの耳にそうささやくと、眠ったアンジェラをそっと見つめた。
アンジェラから少し離れた場所では、そのアンジェラの様子を、心配そうに、フィリップが見守っている。
「お前さんも、少し休憩するといい。昨夜は、ちゃんと眠れたのか?いや、いい、詮索するつもりはないんだ。ただ、とても疲れた顔をしているから、心配になっただけだ。お前さんまで倒れないでくれよ」
「ごめんなさい、心配をかけて・・・」
眼を伏せるレティシアの肩を、ハリーは、ぽんと叩いた。
レティシアは、ひとり、木陰で休んでいた。
涼しくなってもいい季節なのに、汗ばむような陽気だった。
レティシアは、額に滲む汗を拭った。
食欲は、なかった。
ハリーに渡されたパンを、食べる気分には、なれなかった。
レティシアは、眼を閉じた。
昨夜の出来事が、甦って来る。
レティシアは、最初から、わかっていた。
ダニエルが、自分の命を狙っていたことを。
ダニエルは、これが最後の仕事だと言った。
この仕事が終われば、永遠に自由だと言った。
レティシアは、その言葉を信じることは出来なかった。
六年前のダニエルの裏切りを、どうしても忘れることはできなかった。
もう二度と、ダニエルのことを、信頼するつもりはなかった。
もう二度と、言いなりになるつもりもなかった。
だから、ダニエルから、ウイスキーに毒を入れるという、オズワルドの殺害方法を提案された時、レティシアは受け入れなかった。
それでは、事切れるまでに抵抗されて、物音が響くかもしれないと。
異変を、聞きつけられるかもしれない、と言って。
レティシアは、最初からオズワルドを、殺すつもりはなかった。
殺さずに、ダニエルの手から逃れる方法を考えた。
タリスのタヴァンで、ティムから、翌朝、豚が屠殺されることを聞いていた。
だから、豚が屠殺されたその朝、タヴァンの女将に教えてもらった、ティムの家を訪ねて、豚の血をもらった。
その豚の血を生地にたっぷりと染み込ませ、ポーチに隠し持っていた。
夕刻、ダニエルの部屋で支度をし、タリスの高級娼館で、オズワルドに引き合わされ、部屋に行った。
ダニエルは、油断させるため、オズワルドとベッドに入る様に言った。
そして、その後、レティシアの提案によって、眠り薬をウイスキーに入れ、ぐっすり眠ったところを刺すことになっていた。
けれども、レティシアは、部屋に入ってすぐ、オズワルドに眠り薬の入ったウイスキーを飲ませた。
中々、眠り薬は効かなかった。
レティシアの身体を求めて、どうかすれば、襲いかかろうとするオズワルドを、必死で、何とか引き延ばした。
オズワルドが、ようやく眠りに落ちて、レティシアは、髪を乱し、ドレスを一度脱いだ。
そしてわざと、雑な着方をして、女主人レベッカの前に現れた。
レティシアとオズワルドの間に、情事があったと思わせるために。
その後、ダニエルの言う通り、適当な理由をつけて、娼館の外に出て、ダニエルの待つ馬車に乗り込んだ。
馬車に乗り込んだ後、思った通り、ダニエルはレティシアを疑ってきた。
本当は、オズワルドを殺っていないのではないか、と。
豚の血を吸わせた生地は、有効だった。
血のついた生地を詳細に確認されれば、怪しまれたかもしれないが、思った通り、ダニエルは、ちらりと目を遣っただけだった。
以前から、自分の手は汚さない男だった。
ダニエルの不審を、逸らすことに成功した。
ダニエルが、少し歩こうと言った時、レティシアは、やはり、と思った。
ダニエルが、自分を殺そうとしていると、確信した。
だから、馬車から降りる時、あらかじめ隠し持っていたナイフを、ダニエルから決して見えないように、ドレスの後で構えていた。
橋の上で、立ち止まった時、レティシアの腰にまわされていたダニエルの手が、一瞬、離れた。
突き落とされる。
そう予感したレティシアは、すぐさま身をかわした。
空を切ったダニエルの身体は、勢い余って、自らが欄干を越えて、川へ落ちそうになっていた。
ナイフを使うまでもなかった。
気がつけば、レティシアは、その背中を押していた。
ダニエルは叫び声をあげて、落ちて行った。
ダニエルが死んだことに、何の哀しみもなかった。
といって、安堵もしなかった。
ダニエルは、これが最後の仕事だと言ったけれど、レティシアは、今回の件で、よくわかった。
ミラージュは、私の居場所を、把握しているのだと。
そして、いつまた接触してくるかもしれないということが。
レティシアは、リックたちに追いつくために、馬を走らせている間、考えていた。
もう、みんなと、一緒に行くことはできない、と。
一緒にいれば、またいつどんな迷惑をかけるかもしれなかった。
今回のように、アンヌやアンジェラの命を盾にして、レティシアに仕事をさせるかもしれなかった。
そんなことは、できない、と思った。
みんなの命を危険にさらすことなど、できないと思った。
もし、きっと戻っておいでという、ハリーとの約束がなかったら、レティシアは戻ってはこなかった。
けれども、やはり今夜、レティシアは黙って去ろうと思った。
それは、とても胸の痛むことだった。
体調のすぐれないアンジェラを残して行くことは、心残りだった。
けれども、みんなの顔を・・・、アンジェラの、アンヌの、フィリップの、ハリーの、リックの、ひとりひとりの顔を見て、思った。
みんな、苦労はあっても、明るい日の光の下を歩いて、生きていける人たち。
暗闇の中でしか、生きられない自分とは違う。
一生懸命生きれば、朗らかに前を向いて生きれば、辛いことがあっても、私もみんなのように、明るい日差しの中で、暮らして行けるのかもしれないと信じて来た。
でも、違った。
地中でしか生きられない者は、どうあがいても、日の光を浴びることはできない。
右手が、しびれるように痛かった。
ダニエルを、突き落とした手。
汚れた手。
切り落としてしまいたい、この腕。
そして、穢れた、この身体。
落ちて行くダニエルの・・・、恐怖に怯えた、あの眼。
醜い、醜い、醜い!
ダニエルも、左肩の烙印も、私も!
「レティシア!」
はっと、レティシアは、眼を覚ました。
頬には、涙の筋がいくつも伝っていた。
眼の前に、驚いたようなリックの顔があった。
「私、眠って・・・」
身体から、吹き出すような汗が流れていた。
アンジェラが眼を覚まし、馬の餌の時間も終えて、みんな、出発の準備を始めていたせいか、レティシアの様子には、リック以外、誰も気付いていなかった。
「大丈夫か?」
「ごめんなさい・・・、大丈夫、平気です」
レティシアは、慌てて、涙を両手でぬぐった。
「もう少し、休むか?」
「ごめんなさい、心配させてしまって。もう大丈夫です、本当にごめんなさい」
レティシアは、何度も謝った。
そして、出発の準備を手伝いに、向かった。
そのレティシアの後ろ姿を眺める、リックの心中は、複雑だった。
ケヴィンからの手紙を読んで、にわかには信じられなかったが、レティシアの左肩には、確かに、百合の烙印があった。
ケヴィンの手紙が、事実だと認めるしかなかった。
ブロンディーヌと言う名の少女が、ミラージュという組織に貪られ、利用されていたとして、レティシアが今もまだ、ミラージュの一員なのか、それがリックは気にかかった。
だとすれば、ケヴィンの言う通り、関われば命にかかわる。
けれども、リックは、そう思えなかった。
そんな、闇の組織に加担する女が、あのように身を粉にして働くだろうか。
身を呈して、フィリップを守ろうとするだろうか。
花のように、柔らかな笑顔を浮かべるのだろうか。
けれども、タリスで別れて、戻って来たレティシアは、随分違って見えた。
表情は暗く、明るさを失っていた。
詳細はわからなかったが、おそらくミラージュと接触したのだろう。
そう考えれば、これ以上、レティシアに深入りしない方が賢明だと分かっていた。
放っておけば、済む話だった。
リックは、遅かれ早かれ、レティシアは、黙って去るような気がしていた。
だから、これまで以上に、今、アンジェラに尽くそうとしているようにも、見えた。
そうだ、放っておけ。
放っておけば、近いうちにいなくなる。
リックの冷めた頭は、そう言っていた。
けれども一方で、もう一度、あの花のように柔らかな笑顔を見たいのだと、俺に優しく微笑んでほしいのだと思う気持ちが、どうしてもぬぐえなかった。
タリスのタヴァンの前で、つまずいたレティシアをおもいがけず抱き寄せた時、リックは自分がレティシアに惹かれていることを、思い知った。
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