Joker

海子

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23.凪

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 ――四年後。

 フォルティス有数の街、ブリストンは、今日も朝から盛況だった。
その中心部、ミルフェアストリートの両側に立ち並ぶ、数々の商店には、売り買いの人々が溢れ、賑わいと活気に満ちていた。 
また、その街道には、荷馬車、駅馬車が、数えきれない程に何台も行き交い、ブリストンの繁栄を、象徴するかのようだった。 
その混雑するミルフェアストリートの中でも、タヴァン、バッカスの前は、一際の混雑ぶりだった。
バッカスは、ブリストンで一、二を争うタヴァンだけあって、早朝から、旅人たちと荷を一杯に乗せた駅馬車が、あらゆる地方へ向かって、次々と出立して行った。 
また、宿としてだけではなく、一階が集会所、酒場、食堂、賭博場など、人の暮らしの様々な役割を兼ねるタヴァンには、旅人だけでなく、ブリストンの街の人々の出入りも、多かった。 
そういったわけで、バッカスの喧噪と雑踏は、今日も早朝から、夜遅くまで途切れることなく続くのだった。 



 穏やかな風の吹く、ある秋の朝、そのバッカスの喧噪を、通りの向かいから、しばし、じっと見つめる青年がいた。 
帽子を被り、シャツに、地味な色のジャケット、焦げ茶色のズボンに、脚絆という、労働者風の格好の者は、このミルフェアストリートに、数えきれないほどおり、そうやって、佇んでいたとしても、何の違和感もなかった。
けれども、どんな衣服に身を包もうが、青年の、その端正な顔立ちの中にある品位は、際立っていた。
その青年・・・、フィリップは、バッカスの喧噪をしばし眺めた後、何か覚悟を決めたように、ふうっ、と息を吐くと、行き交う馬車を掻い潜って、足早に通りを渡り、混雑をすり抜けて、タヴァン、バッカスの中へと、吸い込まれていった。



 聞き覚えのない足音だな。 
ベッドの中で、まだ、まどろみの中にいたリックは、バッカスの階段を上がって来るその足音が、自分の部屋の前で止まったのを耳にして、そう思った。
「開いてる」 
ノックの音に、リックはそう答えると、ベッドの上に半身を起こした。 
「リック、久しぶり」 
ドアを開けたフィリップは、帽子を取ると、リックに、穏やかな微笑みを向けた。 
ウッドフィールドへ向かった旅から、ちょうど四年の歳月が流れていた。 
ふたりが、こうして間近に会うのも、ウッドフィールドのリヴィングストン伯爵の屋敷以来のことで、四年ぶりのことだった。
「あんた・・・、何をしているんだ、こんなところで」 
リックは、驚きの表情で、フィリップの顔を、見つめた。 



 丸四年の歳月を経て、先日二十一歳の誕生日を迎えたばかりのフィリップは、すっかり大人の男へと、変貌を遂げていた。
四年前の、まだ大人になりきれない若者の繊細さと、十代特有の危うさはすっかり消え、その表情には、どこか余裕さえ感じられた。 
それは、この四年間、サヴァティエ公爵という、心強い参謀兼後見がありつつも、国王という立場で、ユースティティアを束ね、その再建に力を尽くし、推し進めて来た自信に、他ならなかった。
サヴァティエ公爵は、まだ歳若いフィリップを叱咤し、導き、新たなユースティティアの礎を見届けて、三か月前、病気のために永眠していた。
四年前より、いくらか上背も伸びたフィリップだったが、大柄で、引き締まった体躯のリックと違って、もともと細身のせいか、相変わらず、すらりとした姿をしていた。 
「ちょっと、リックに用があってね。王宮を抜け出して来た」
「抜け出して来たって?王様が、王宮から姿を消したら、大騒ぎだろう。俺たちが、家を留守にするのとは、訳が違う」 
「今、ユースティティアのフィリップ国王は、新種の奇病に侵されている」
フィリップは、努めて真顔で言った。 
「何だと?」 
「その奇病は、一週間ほど高熱が続き、特効薬がない。ただ、一週間ほどすれば、熱は嘘のように落ち着き、自然治癒する。けれども、極めて感染力が強いため、人との接触を避ける必要がある。だから、熱の続く一週間は、絶対安静。大臣だろうが、誰だろうが面会謝絶だ。今頃、侍医長が、僕の詳しい容体を、何とか探ろうとする侍従長や、大臣たちを前にして、僕の寝室の前で、孤軍奮闘していると思うよ」 
「気の毒に・・・」 
リックは、会ったことのないフィリップの主治医に、心から同情した。 
「リック、少し痩せた?」
フィリップは、ベッドの端に座り、床に脚を下ろしたリックの頬のあたりを見つめて、そう言った。
「そうか?自分では、わからないな」 
「馬車の仕事は、順調?」
「何だ、知らなかったのか。馬車には、もう乗ってない」 
「乗ってない?」
「ああ、乗ってない。四年前が最後だ」 
「それって・・・、僕たちを、ウッドフィールドへ連れて行ってくれた、あの時?」
リックは、答えなかった。 
答えずに、黙って前を向いていた。
「それじゃあ、今は、何を?」 
「マクファーレン商会は、駅馬車業や、宿泊業以外に、新たな運送事業に手を出している。つまり、蒸気機関車だ」 
それは、馬車という輸送に取って代わる、革命的な運送方式だった。
実現すれば、鉄の塊が、主要都市間に敷かれた線路の上を走り、今とは比べ物にならないほど大量の、人と荷を運ぶ。
けれども、その実用には、まだ様々な課題があった。 
ユースティティアよりも、工業の進んだフォルティスであるとはいえ、蒸気機関車の実現に向けて、越えなければならない壁は、いくつもあった。
「じゃあ、リックもその経営に?」 
「まさか。俺は、そんな柄じゃない。作る方だ。話せば長くなるから止めとくが、ひょんなことから、ある人の手伝いをするようになった。昨日も・・・、いや、今朝か、明け方まで、会社にいた。着替えて、飯を食ったら、また仕事に戻るが」 
そう言われて、改めてリックを見ると、ジャケットは脱いであるものの、シャツに、ズボンという普段着姿で、明け方、仕事から戻って、そのまま眠ってしまったようだった。
「素晴らしい仕事だと思うけど、大変だね。身体を壊さないようにしないと」
「王様に、心配されるとは」 
リックは、そう言って、おかしそうに笑った。
そのリックの横顔を見つめながら、 
「リック、結婚は?」 
フィリップは、何気ないふりを装って、そう尋ねた。
「何だ、唐突に」 
「仕事が大変そうだから、身体を気遣ってくれる人がいた方が、いいんじゃないかと思って。身の回りの世話も必要だろうし」 
「ここにいれば、腹が減ったら、下の食堂へ行けばいいし、洗濯女もいる。何の不自由もない。俺のことより、自分の心配しろよ。王様が二十一で、まだお妃がいないんじゃ、そろそろ周りが煩いだろう。グラディウスの王様は、クリスティーヌ妃との間に、既に子供がふたりいて、しかも、ふたりとも男だって?」 
「その情報は、少し古いね」 
「何?」 
「最新の情報によると、この次の春には、三人目が生まれてくるらしい」
「そりゃあ・・・、あんたも、おちおちしていられないな」
「僕は、僕だよ、リック。それに、アレクセイ国王は、家庭円満のせいか、侵略戦争には、興味が薄れているようだ。僕には、そっちのほうが、よっぽど有り難いね」 
四年前のユースティティアと、グラディウスの大規模な衝突以来、時折、両国の国境付近で、小競り合いがあるものの、大きな軍事衝突は、なかった。
圧政を強いられてきたイーオンは、ユースティティア、フォルティスとの協力関係をうまく利用して、グラディウスの支配を押し返し、三年前に、無事、独立を果たしていた。
とはいえ、フィリップは、グラディウス相手に、気を抜くつもりはなかった。
四年前の、悲惨な戦闘を目の当たりにしたフィリップは、自分の舵取りに、多くの人命が委ねられているのだと、あのような傷ましい戦いは、二度と起こしてはならぬのだと、肝に銘じていた。
「それで、わざわざ俺に用っていうのは?」 
「その前に、尋ねたいことがあるんだ」
「何だ?」 
「リックは、レティシアのことを、本当は、どう思っていた?本当に・・・、好きだった?ブリストンで、ずっと一緒に暮らそうと思っていた?」 
不意を突かれて、リックは真顔になった。
レティシアは、ブリストンに、現れなかった。
アンヌはその手紙の中で、傷を負ったレティシアを、さるところへ預けたと書いてあった。
命に別条はなく、傷を癒せば、レティシアの方から、リックへ連絡を寄越すだろうと、書いてあった。 
けれども、四年を経ても、レティシアからの便りが、リックに届くことはなかった。
しばらく、リックも、フィリップも、どちらも黙ったままだった。 
フィリップは、リックの横顔をじっと見つめていたが、リックは、フィリップの顔から視線をそらせて、真正面を見つめていた。 
「あいつは、頑固な女だった」 
やがて、リックは、ぽつりと、呟くように言った。 
「俺は、必ず迎えに行くから待っていろと、約束させた。ひとりで、勝手をするなと、きつく言った。だが、その約束を守らずに、ひとりで行って、帰ってこなかった。全く、聞き分けのない女だった」 
「リック」 
「だが、俺が、どうしても、どんなことをしても、幸せにしてやりたいと思ったのは、あの女だけだ」 
「リック・・・」
「昔の話だ」 
リックは、振り切る様にそう言うと、立ち上がった。
「昔話をしに来たのか?だったら、俺はもう行くぜ」
「違うよ。リックに、頼みがあって来たんだ」
「頼み?」 
「そう、ちょっとユースティティアまで、一緒に来てほしいんだ」 
「冗談は大概にしてくれ、王様。俺には、仕事がある。俺は、働かなくても食っていける身分じゃない。大体、ユースティティアで、一体、俺に何をさせようっていうんだ?」 
リックとって、あまりに唐突で無謀な話なだけに、あきれ顔になった。
「それは、向こうに行ってから話すよ」 
「論外だ。いくらあんたが王様でも、それは無理だ。第一、そんなことがジェフリーの耳に入ったら、俺は、ただじゃすまない」 
リックは、マクファーレン商会の経営者であり、リックの兄貴分でもあるジェフリーの、厳めしい顔を思い浮かべた。
「ジェフリー・マクファーレンには、もう話をつけた。以前、リックが、拝金主義者だって、言ってただろう?あれは、本当だね。わかりやすくて、嫌いじゃないよ、ああいう人」
フィリップは、茶目っ毛たっぷりに笑った。
「本気か・・・」 
これには、リックの方が、当惑気味だった。 
「リック、僕たちは、友達だろう?友達だったら、頼みを聞いてくれても、いいんじゃない?」 
「友達?」 
リックは、フィリップの顔をまじまじと見つめ返して、思った。 
でかくなりやがって、こいつ。
四年の間に、こんなにも、でかくなりやがって。
「いいだろう、行ってやるよ、ユースティティアまで。友達の頼みじゃ、断れない」 
そう言って、リックは、その黒い瞳に、微笑みを浮かべた。 
  
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