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侍従の悩み(従者視点)
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面倒なことになった。
ため息をぎりぎりで呑み込んで、一歩先を歩く広い背中を恨めし気に見据える。
皇弟、パトリック・ブラウニンガー公爵。
出会ったのは俺が7才の頃で、パトリック様が6才。実際はたった4ヵ月の年の差なので、同学年として学園に上がっている。
あの頃のパトリック様は線が細く、小柄で、女の子みたいだった。
不敬を承知で言うのなら、弟みたいだった。
それが高等学部の卒業を迎える時は何もかもが逆転されていた。
中等学部卒業の頃から雨後の筍のように背が伸び、地道な鍛錬で腕も胸板も厚くなり、腹筋が割れるという騎士バリの変貌を遂げたのだ。あの小柄な可愛い系男子を邁進していたパトリック様が!
女子がキャーキャー言ってたよ。
血統良し、顔良し、頭良しだ。
王位継承権を所持していたが、さして年の変わらぬ皇子がいた。無駄な火種を生まぬように婚約者がいなかったことも女子にとっては好ましかったのだろう。私が私が、と肉食系女子が常に群がっていた。
パトリック様は、そんな女子には目もくれなかった。
クールな姿が、尚更ストイックな皇弟として好ましく映ったことだろう。
実際は、いかな高貴な血とは言え男である。生理的欲求はある。十代の男に”堪えよ!”は無理は話だ。
上っ面しか見ない令嬢は理想ばかりを追うが、現実の男の生活は生臭い。
プライベートでは好みの女の話をするし、女体についてのあれやこれも話す。1人になったら自慰もする。
抜かなきゃ死ぬ!ってくらい十代男子は大変だ。
そもそも皇族が童貞のはずがない。
童貞の皇族なんて、十代の滾る下半身を持て余してハニートラップにかかりまくりだろ。
あいつは早々に童貞を捨ててる。いや、捨てさせられた、というのが正しいかな。
俺たちはパトリック様の口から女体の神秘を聞いたし、なんなら高級娼館の娼婦を紹介されたくらいだ。
だが、そんなパトリック様は人知れずに鬱屈したものを心に抱えていた。
それに気が付いたのは、学園を卒業してからだ。
パトリック様はどんな美人にも心を傾けなかった。鉄壁の笑顔という仮面で当たり障りのない挨拶を交わす。
自分を売り込む女の種類は美人から可愛い系、グラマラスにエロティックと多岐に渡ったが、どれにも仮面がはがれることはなかった。
現皇帝であるウィルヘルム陛下が戴冠された後、度々呼び出されてはパトリック様の好みの女性を聞かれたが、恥ずかしいことに私は答えを持ち合わせなかった。
そして月日が過ぎ、パトリック様がブラウニンガー公爵として臣籍降下されると、ますます女性から遠ざかる日々となった。
それがある日、引き裂かれた着衣に反して無傷という奇跡の姿で帰還したパトリック様は、初めて見るような高揚した顔で言ったのだ。「迎えたい女が出来た」と。
あの時は、公爵家が沸いた。
まさか隣国の1等級聖女だと誰が思う?
で、あのクールでストイックだと女子に人気の皇子様が、ストーカー気質だと誰が想像できた?しかも、来る者拒まず去る者追わずかと思えば、去れば去るほど全力で追いかける猛獣みたいな気質ときた。
預言者だってパトリック様の本質を見極められないだろう。
間者を放ち、聖女を特定し、情報を集め続けて半月。
一筋縄ではいかないと思ったが、まさかの国ぐるみで偽装だ。
まぁ、1等級聖女だから仕方ない。逆の立場なら、こちらも偽装して縁談を跳ね除ける。
ひと月経たずに我慢の限界を超えたパトリック様は、単騎で隣国に行くというのを慌てて止めて私が同行することになったのだけど、疾うにウィルヘルム陛下のお耳には入っているのだろう。
多くの者たちは、陛下とパトリック様は仲が悪いと思っている。
実際、お二方が談笑される姿が目撃されたことはない。
それもそのはず、年齢が離れすぎているのだ。前皇帝が「まさかこの年でできるとは思わなんだ」と驚いたほどだから、誰もが予想外だったに違いない。
そんなお二方、実は非常に仲が良い。
正確には、ウィルヘルム陛下の方が重度のブラコンを拗らせている。何しろ、パトリック様が誕生するまで、側室の御子を含めて皇女が5人だったのだ。常々「弟が欲しい」と熱望していたウィルヘルム陛下。17年越しに弟の誕生に、ウィルヘルム陛下は歓喜の涙を流したと言われる。
17といえば、ウィルヘルム陛下…当時はウィルヘルム皇太子の婚姻に国が沸いた年でもある。Wの慶びが国を席捲したのは言うまでもない。
ウィルヘルム陛下にとっては、パトリック様は目に入れても痛くないほど可愛かっただろう。
その猫可愛がりは現在進行形だ。多くの者が不仲と誤解しているが、近しい場所で仕える使用人はそれを理解しているし、ウィルヘルム陛下をヨイショしようとパトリック様を貶める発言をした貴族が人知れず行方不明になっているのも知っている。
そんな弟ラブなウィルヘルム陛下が、パトリック様の謂わば”初恋”を知らないとは思えない。
フランシス王国のスムーズな入国の裏にはウィルヘルム陛下の影があると睨んでいる。
恐らく、イザベラ・ミュルディス1等級聖女の面会のセッティングにも関わっているはずだ。
水面下で暗躍する皇帝陛下を想像して、ぞくり、と鳥肌が立ってしまった。
いかん。
ここは神聖なるビーミッシュ大神殿だ。
不埒な思考は、主祭神である女神ミスラヴァの怒りを買いかねない。
そっと胸を撫でて緊張を解す。
歩くは白大理石で作られた回廊だ。
行き交う聖女の制服は白いワンピースで、襟や袖口に入る線の数が、聖女の等級を表している。
各所で警備に当たる聖騎士の制服も、白に近い白藍色。マントは銀の刺繍の入った白。腰に佩いた剣の鞘も白いので、ほぼ白だ。
どこを見ても白、白、白の中、私たちを案内する侍女だけが黒い。スタンダードな黒いお仕着せに白いエプロン。
人参色の髪を団子状に結って、真っすぐに廊下を歩く姿にほっとする。
精神医学を学ぶ友人が、白い空間に閉じ込められると人は発狂する言っていた。
この侍女はオアシスのようだな。
そう思っているのは我が主も同じらしい。侍女に好感を持っているのが背中を見るだけで分かる。
私たちが案内されているのは、大神殿の回廊を行った最奥だ。
手入れのされた中庭を迂回するように作られた離れは、それ自体が客を招く応接室のようだ。
中庭に配された聖騎士と、窓を最小限の数に留めた離れは、王族などの高貴な者を招くために作られたのだろう。
侍女がドアをノックすると、「どうぞ」と凛とした声が返った。
ドアが開かれ、「失礼する」とパトリック様が部屋に入り、私も続く。
シンプルながらにハイセンスな応接室だ。
革張りのソファと一枚板から作られた木目が美しいテーブル。キャビネットは、深みのあるチョコレート色の木目と重厚感がある。
たったそれだけの家具なのに、高級なウォルナット材が目を楽しませる。
そして、ソファに美しい姿勢で座っている女性が、イザベラ・ミュルディス1等級聖女なのだろう。
年齢は40の半ばほどと聞いているが、艶やかな煌めきを放つ金髪と思慮深い銀青色の双眸は、随分と若く見える。
若く見えるのだが、年を経て得た老獪さが透けて見えて、かなりの年嵩にも思えるから不思議だ。
実に掴みどころがない。
聖女を前に言葉は悪いが、まるで魔女のようだなと思う。
イザベラ・ミュルディス1等級聖女は立ち上がると、聖女らしく胸に手を当て、頭を下げて挨拶を述べた。
公爵家に籍を置いたままだと聞いたが、貴族女性の屈膝礼を行わないのは、貴族よりも聖女という立場を重んじているからだろう。
「急な訪問の対応に感謝申し上げる」
進められるがままにソファに座したパトリック様の後ろに、そっと影のように立つ。
イザベラ・ミュルディス1等級聖女は嫋やかな笑みを張り付けたままだ。給仕がお茶を用意して立ち去るまで微動だにしない。
「それで、隣国のブラウニンガー公爵がイェーツ1等級聖女ではなく、治癒の聖女であるわたくしに何用でしょうか?」
「領地の憂いを祓って頂きたい旨は、日を改めてイェーツ1等級聖女に依頼したい。本日は、シルヴィア・ランビエール1等級聖女について伺いたい」
「ランビエールですか?」
おや?
敬称をつけず家名呼びだ。
「ランビエール1等級聖女では?」
思わず口を挟めば、イザベラ・ミュルディス1等級聖女はころころと笑う。
「ランビエールは未成年者です。調べてもらえれば分かりますが、フランシス王国では身分問わず、全ての子が6才になると神殿にて魔力検査を行います。そこで己の適性を判別し、切磋琢磨して技術を身に着けていくことになります。聖女に関しても同様で、魔力検査で聖女認定を受けた女児が、週に1度、神殿に赴いて女神ミスラヴァ様へ加護を高める訓練を行い聖女への覚醒を手助けします」
「聖女認定されると神殿に引き取られるのではないのだな」
「ええ。その場で聖女と判定されたとしても親元から離すような真似は致しません。神殿に上がるのは12才からと決まっております。神殿に上がり、初めて3等級を頂きますが、未成年者である聖女は聖女でありながら聖女ではない扱いとなるのです」
「それは未成年者保護という観点からですか?」
「はい。12才で聖女となれば、聖女搾取になってしまいます。もちろん、聖女としての仕事は行いますが、それはアクマで補佐。聖女見習いですわね。聖女見習いは女神ミスラヴァ様へ祈り、加護を高め、先輩聖女の下で力の使い方を学ぶのです。なにより、日中は学院へ通う子もおりますし、神殿内の教室にて自主勉強する子もおります。ですので、一人前の聖女として名乗れるようになるのは、18才の成人の儀を終えた後になります。ランビエールが聖女と名乗れるのは、もうしばらく先になりますので、今は敬称をつけては呼びません」
つまり、未成年者の聖女は、聖女というアルバイトをしているってことか。
そんな未成年者であるにも関わらず、1等級聖女ね。これは手放せない。
「それで、ランビエールがいかがなさいました?」
「実は彼女に婚約を打診したのだが、どうも婚約者がいると断られてしまったのだ。なんともタイミング良く現れたものでね」
「偽装ではないかとお疑いになっているのですね」
ふむふむ、とイザベラ・ミュルディス1等級聖女が考え込む。
なかなかの狸だ。
「ランビエールの婚約者はよく知っています。わたくしの甥なのです。わたくしの付き添いとして同行したランビエールに一目惚れしたようで、何度も相談を受けました。家格は釣り合いますが、何分、ランビエールは聖女なので婚約が調うまでに時間がかかった次第です」
「私が婚約を打診したことに驚かないのですね」
「ええ。驚きはありません。国内外問わず、聖女への婚約打診は珍しくないのです。他国の王族からもひっきりなしに話が来ます。聖女が他国へ嫁いではならぬという法はありませんから」
理由は、いくら他国に聖女が嫁いでも、他国では聖女が生まれないからだ。
なぜか、聖女はこの国にしか生まれない。
とはいえ、嫁いだ聖女の力が消失するわけではないので、聖女の力を目当てに縁談は山ほど来るだろう。
ちらりと視線を落とせば、パトリック様の肩が揺れている。「負けてはいられんな」と豪気に笑っているから驚く。イザベラ・ミュルディス1等級聖女も瞬刻目を瞠った。
「私は諦めが悪くてな」
にこやかに宣言するパトリック様に、イザベラ・ミュルディス1等級聖女は完璧なる笑顔の仮面を張り付けた。
ため息をぎりぎりで呑み込んで、一歩先を歩く広い背中を恨めし気に見据える。
皇弟、パトリック・ブラウニンガー公爵。
出会ったのは俺が7才の頃で、パトリック様が6才。実際はたった4ヵ月の年の差なので、同学年として学園に上がっている。
あの頃のパトリック様は線が細く、小柄で、女の子みたいだった。
不敬を承知で言うのなら、弟みたいだった。
それが高等学部の卒業を迎える時は何もかもが逆転されていた。
中等学部卒業の頃から雨後の筍のように背が伸び、地道な鍛錬で腕も胸板も厚くなり、腹筋が割れるという騎士バリの変貌を遂げたのだ。あの小柄な可愛い系男子を邁進していたパトリック様が!
女子がキャーキャー言ってたよ。
血統良し、顔良し、頭良しだ。
王位継承権を所持していたが、さして年の変わらぬ皇子がいた。無駄な火種を生まぬように婚約者がいなかったことも女子にとっては好ましかったのだろう。私が私が、と肉食系女子が常に群がっていた。
パトリック様は、そんな女子には目もくれなかった。
クールな姿が、尚更ストイックな皇弟として好ましく映ったことだろう。
実際は、いかな高貴な血とは言え男である。生理的欲求はある。十代の男に”堪えよ!”は無理は話だ。
上っ面しか見ない令嬢は理想ばかりを追うが、現実の男の生活は生臭い。
プライベートでは好みの女の話をするし、女体についてのあれやこれも話す。1人になったら自慰もする。
抜かなきゃ死ぬ!ってくらい十代男子は大変だ。
そもそも皇族が童貞のはずがない。
童貞の皇族なんて、十代の滾る下半身を持て余してハニートラップにかかりまくりだろ。
あいつは早々に童貞を捨ててる。いや、捨てさせられた、というのが正しいかな。
俺たちはパトリック様の口から女体の神秘を聞いたし、なんなら高級娼館の娼婦を紹介されたくらいだ。
だが、そんなパトリック様は人知れずに鬱屈したものを心に抱えていた。
それに気が付いたのは、学園を卒業してからだ。
パトリック様はどんな美人にも心を傾けなかった。鉄壁の笑顔という仮面で当たり障りのない挨拶を交わす。
自分を売り込む女の種類は美人から可愛い系、グラマラスにエロティックと多岐に渡ったが、どれにも仮面がはがれることはなかった。
現皇帝であるウィルヘルム陛下が戴冠された後、度々呼び出されてはパトリック様の好みの女性を聞かれたが、恥ずかしいことに私は答えを持ち合わせなかった。
そして月日が過ぎ、パトリック様がブラウニンガー公爵として臣籍降下されると、ますます女性から遠ざかる日々となった。
それがある日、引き裂かれた着衣に反して無傷という奇跡の姿で帰還したパトリック様は、初めて見るような高揚した顔で言ったのだ。「迎えたい女が出来た」と。
あの時は、公爵家が沸いた。
まさか隣国の1等級聖女だと誰が思う?
で、あのクールでストイックだと女子に人気の皇子様が、ストーカー気質だと誰が想像できた?しかも、来る者拒まず去る者追わずかと思えば、去れば去るほど全力で追いかける猛獣みたいな気質ときた。
預言者だってパトリック様の本質を見極められないだろう。
間者を放ち、聖女を特定し、情報を集め続けて半月。
一筋縄ではいかないと思ったが、まさかの国ぐるみで偽装だ。
まぁ、1等級聖女だから仕方ない。逆の立場なら、こちらも偽装して縁談を跳ね除ける。
ひと月経たずに我慢の限界を超えたパトリック様は、単騎で隣国に行くというのを慌てて止めて私が同行することになったのだけど、疾うにウィルヘルム陛下のお耳には入っているのだろう。
多くの者たちは、陛下とパトリック様は仲が悪いと思っている。
実際、お二方が談笑される姿が目撃されたことはない。
それもそのはず、年齢が離れすぎているのだ。前皇帝が「まさかこの年でできるとは思わなんだ」と驚いたほどだから、誰もが予想外だったに違いない。
そんなお二方、実は非常に仲が良い。
正確には、ウィルヘルム陛下の方が重度のブラコンを拗らせている。何しろ、パトリック様が誕生するまで、側室の御子を含めて皇女が5人だったのだ。常々「弟が欲しい」と熱望していたウィルヘルム陛下。17年越しに弟の誕生に、ウィルヘルム陛下は歓喜の涙を流したと言われる。
17といえば、ウィルヘルム陛下…当時はウィルヘルム皇太子の婚姻に国が沸いた年でもある。Wの慶びが国を席捲したのは言うまでもない。
ウィルヘルム陛下にとっては、パトリック様は目に入れても痛くないほど可愛かっただろう。
その猫可愛がりは現在進行形だ。多くの者が不仲と誤解しているが、近しい場所で仕える使用人はそれを理解しているし、ウィルヘルム陛下をヨイショしようとパトリック様を貶める発言をした貴族が人知れず行方不明になっているのも知っている。
そんな弟ラブなウィルヘルム陛下が、パトリック様の謂わば”初恋”を知らないとは思えない。
フランシス王国のスムーズな入国の裏にはウィルヘルム陛下の影があると睨んでいる。
恐らく、イザベラ・ミュルディス1等級聖女の面会のセッティングにも関わっているはずだ。
水面下で暗躍する皇帝陛下を想像して、ぞくり、と鳥肌が立ってしまった。
いかん。
ここは神聖なるビーミッシュ大神殿だ。
不埒な思考は、主祭神である女神ミスラヴァの怒りを買いかねない。
そっと胸を撫でて緊張を解す。
歩くは白大理石で作られた回廊だ。
行き交う聖女の制服は白いワンピースで、襟や袖口に入る線の数が、聖女の等級を表している。
各所で警備に当たる聖騎士の制服も、白に近い白藍色。マントは銀の刺繍の入った白。腰に佩いた剣の鞘も白いので、ほぼ白だ。
どこを見ても白、白、白の中、私たちを案内する侍女だけが黒い。スタンダードな黒いお仕着せに白いエプロン。
人参色の髪を団子状に結って、真っすぐに廊下を歩く姿にほっとする。
精神医学を学ぶ友人が、白い空間に閉じ込められると人は発狂する言っていた。
この侍女はオアシスのようだな。
そう思っているのは我が主も同じらしい。侍女に好感を持っているのが背中を見るだけで分かる。
私たちが案内されているのは、大神殿の回廊を行った最奥だ。
手入れのされた中庭を迂回するように作られた離れは、それ自体が客を招く応接室のようだ。
中庭に配された聖騎士と、窓を最小限の数に留めた離れは、王族などの高貴な者を招くために作られたのだろう。
侍女がドアをノックすると、「どうぞ」と凛とした声が返った。
ドアが開かれ、「失礼する」とパトリック様が部屋に入り、私も続く。
シンプルながらにハイセンスな応接室だ。
革張りのソファと一枚板から作られた木目が美しいテーブル。キャビネットは、深みのあるチョコレート色の木目と重厚感がある。
たったそれだけの家具なのに、高級なウォルナット材が目を楽しませる。
そして、ソファに美しい姿勢で座っている女性が、イザベラ・ミュルディス1等級聖女なのだろう。
年齢は40の半ばほどと聞いているが、艶やかな煌めきを放つ金髪と思慮深い銀青色の双眸は、随分と若く見える。
若く見えるのだが、年を経て得た老獪さが透けて見えて、かなりの年嵩にも思えるから不思議だ。
実に掴みどころがない。
聖女を前に言葉は悪いが、まるで魔女のようだなと思う。
イザベラ・ミュルディス1等級聖女は立ち上がると、聖女らしく胸に手を当て、頭を下げて挨拶を述べた。
公爵家に籍を置いたままだと聞いたが、貴族女性の屈膝礼を行わないのは、貴族よりも聖女という立場を重んじているからだろう。
「急な訪問の対応に感謝申し上げる」
進められるがままにソファに座したパトリック様の後ろに、そっと影のように立つ。
イザベラ・ミュルディス1等級聖女は嫋やかな笑みを張り付けたままだ。給仕がお茶を用意して立ち去るまで微動だにしない。
「それで、隣国のブラウニンガー公爵がイェーツ1等級聖女ではなく、治癒の聖女であるわたくしに何用でしょうか?」
「領地の憂いを祓って頂きたい旨は、日を改めてイェーツ1等級聖女に依頼したい。本日は、シルヴィア・ランビエール1等級聖女について伺いたい」
「ランビエールですか?」
おや?
敬称をつけず家名呼びだ。
「ランビエール1等級聖女では?」
思わず口を挟めば、イザベラ・ミュルディス1等級聖女はころころと笑う。
「ランビエールは未成年者です。調べてもらえれば分かりますが、フランシス王国では身分問わず、全ての子が6才になると神殿にて魔力検査を行います。そこで己の適性を判別し、切磋琢磨して技術を身に着けていくことになります。聖女に関しても同様で、魔力検査で聖女認定を受けた女児が、週に1度、神殿に赴いて女神ミスラヴァ様へ加護を高める訓練を行い聖女への覚醒を手助けします」
「聖女認定されると神殿に引き取られるのではないのだな」
「ええ。その場で聖女と判定されたとしても親元から離すような真似は致しません。神殿に上がるのは12才からと決まっております。神殿に上がり、初めて3等級を頂きますが、未成年者である聖女は聖女でありながら聖女ではない扱いとなるのです」
「それは未成年者保護という観点からですか?」
「はい。12才で聖女となれば、聖女搾取になってしまいます。もちろん、聖女としての仕事は行いますが、それはアクマで補佐。聖女見習いですわね。聖女見習いは女神ミスラヴァ様へ祈り、加護を高め、先輩聖女の下で力の使い方を学ぶのです。なにより、日中は学院へ通う子もおりますし、神殿内の教室にて自主勉強する子もおります。ですので、一人前の聖女として名乗れるようになるのは、18才の成人の儀を終えた後になります。ランビエールが聖女と名乗れるのは、もうしばらく先になりますので、今は敬称をつけては呼びません」
つまり、未成年者の聖女は、聖女というアルバイトをしているってことか。
そんな未成年者であるにも関わらず、1等級聖女ね。これは手放せない。
「それで、ランビエールがいかがなさいました?」
「実は彼女に婚約を打診したのだが、どうも婚約者がいると断られてしまったのだ。なんともタイミング良く現れたものでね」
「偽装ではないかとお疑いになっているのですね」
ふむふむ、とイザベラ・ミュルディス1等級聖女が考え込む。
なかなかの狸だ。
「ランビエールの婚約者はよく知っています。わたくしの甥なのです。わたくしの付き添いとして同行したランビエールに一目惚れしたようで、何度も相談を受けました。家格は釣り合いますが、何分、ランビエールは聖女なので婚約が調うまでに時間がかかった次第です」
「私が婚約を打診したことに驚かないのですね」
「ええ。驚きはありません。国内外問わず、聖女への婚約打診は珍しくないのです。他国の王族からもひっきりなしに話が来ます。聖女が他国へ嫁いではならぬという法はありませんから」
理由は、いくら他国に聖女が嫁いでも、他国では聖女が生まれないからだ。
なぜか、聖女はこの国にしか生まれない。
とはいえ、嫁いだ聖女の力が消失するわけではないので、聖女の力を目当てに縁談は山ほど来るだろう。
ちらりと視線を落とせば、パトリック様の肩が揺れている。「負けてはいられんな」と豪気に笑っているから驚く。イザベラ・ミュルディス1等級聖女も瞬刻目を瞠った。
「私は諦めが悪くてな」
にこやかに宣言するパトリック様に、イザベラ・ミュルディス1等級聖女は完璧なる笑顔の仮面を張り付けた。
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