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顔合わせ
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小鍋に水を注ぎ、ミントを入れて弱火でじっくりハーブの効能を引き出す。
ことこと、と小鍋の中が騒がしくなり、ミントの効能が十分に出てきたところで、エルダーフラワーを入れた漉し器を投入。小鍋に木蓋を被せる。
エルダーフラワーは煮出さず、すぐに小鍋を小型コンロから下ろす。
ミントは熱に強いので煮出すことで香りが立つ。これを煎剤と言うけど、エルダーフラワーはミントほど熱に強くないので、じっくりと水から効能を抽出する。または、今みたいにハーブティーと同じ要領で蒸らす。この方法を浸剤と言って、薬草やハーブの性質によって使い分けなくてはならない。
エルダーフラワーの蒸らしは5分くらい。
5分計の砂時計を使って時間を計る。
時間が来たら、漉し器ごとエルダーフラワーを小鍋から回収する。
ああ、良い香り!
部屋中にエルダーフラワーの甘い香りと、ミントの清涼感ある香りが満ちている。
窓を開けて風を通しているので、外まで香りそうだ。
深呼吸で香りを吸い込み、もう1つ小鍋を用意する。
大量に作るには小鍋を3つ4つ用意しなくてはならない。大鍋で作れば一度で終わるけど、大鍋では難しい。
過去に1度、大鍋で浸煎薬作りにチャレンジして失敗。以降、大鍋は使用しないようにしている。トラウマというか、自分の腕に信用がおけないのだ。
祖母の言葉を借りれば「未熟」。この一言に尽きる。
「イヴ」
コンコンと壁をノックされて、びくりと肩が跳ねた。
「ジャ、ジャレッド団長。びっくりしました。全然気づかなかったので」
「かなり集中していたな。それは?」
と、作業台に並ぶ小鍋3つと、手にした小鍋を顎で示す。
「孤児院に配ってもらおうと思って。飴を作ってます」
「飴?」
「はい。体調を整える飴です。ここにあるのはハーブ入り。エルダーフラワーとミントです。エルダーフラワーは風邪症状の緩和とリラックスに、ミントは食欲促進や鼻詰まりなどに効果があるんです。それを水に入れて煮出して、冷ますために放置するんですが、今はその放置中です」
「冷めたら完成なのか?」
「いえ。冷めたら、今度は濾し布でハーブを除いた液剤を鍋に戻し、砂糖とレモン汁を入れてよく溶かします。砂糖は安くないので少量。はちみつを多めに入れて、弱火で煮詰めて、冷やして固めれば完成です」
簡単だけど手間がかかる。
特に弱火で煮詰めるのは、慣れないと焦げてしまうので要注意だ。
「あ。煮詰めている時に、ちょっとだけ聖魔力を注ぐので、ほどよく効果があります。でも薬ではないので、熱が出てる風邪の場合はちゃんと薬を飲まなきゃダメなんですけどね」
棚から瓶詰した飴を取り出す。
「これは風邪予防の飴です」
咳や喉のケアに良いショウガはちみつの飴と、はちみつ大根の飴だ。
小さな子供のために、はちみつを使用しないで作った飴もある。量は少ないけど、砂糖を大量に使える予算はないので仕方ない。
「子供は薬が嫌いなので予防は大事だと思うんです」
「確か、薬草ほどではないがハーブには効能があると言っていたな。人族では菓子として楽しみながら予防するのが一般的なのか?」
「どうなんでしょう?うちでは…ヴァーダト家では当たり前でしたが、私が子供の頃、ゴゼット家で母が飴を作ってくれた記憶はないです。水飴だったと思います。小さな子にはちみつはダメなので、それで作ってなかったのかも知れません」
「みずあめ?飴とは違うのか?」
「私も詳しくは知らないんです。確か…大麦と芋を蒸した後に濾して…いや、茹でて?絞り汁を煮詰めて…と手間のかかった甘味です。飴のように固くなくて、はつみつより粘度は高め。向こうでは、お店があるんです。ハノンには、お祭りの日に水あめ売りが来て、棒に水飴を巻き付けて売ってくれるんです。鍋や壺を持って行って買う人もいます。というのも、水飴ならお菓子ですが、それに薬草やハーブのエキスをしみ込ませれば、風邪のお薬にもなったんです」
そうそう。
思い出した。
「父は水飴が好きだったんです。今思うと、すごく甘党でした。だから、ゴゼット家では飴じゃなく水飴だったのかも」
お酒を飲んでいる記憶ではなく、水飴の入った壺を抱えて、こっそり舐めていた記憶が蘇る。母に叱られても苦笑いで謝って、私の口にスプーンに掬った水飴を入れるのだ。共犯者だ、と笑いながら。
顔も声も朧で殆ど思い出せないのに、懐かしさが胸に広がる。
ひとり追憶に耽ってしまったけど、はっと思い出に蓋をしてジャレッド団長を見上げる。
「それで、何か用事があったんじゃないですか?」
「ああ。ちょっと顔合わせをさせたいのがいる。下りてこられるか?」
「顔合わせですか?分かりました」
手にしたままの小鍋を棚に戻し、小型の焔石バサミを使い焔石を専用ケースに仕舞う。専用ケースと言っても、武骨な鉄製の皿に蓋が付いただけのものだ。
焔石は少しの水でも熱を発するので、席を立つときは専用ケースに仕舞うことにしている。
「イヴ」
差し出された手と階段を交互に見た後、逡巡の末に手を添える。
ジャレッド団長が嬉しそうに目を細めたのを見て、恥ずかしさに顔に熱が籠る。
こんなのは公爵家限定でしてほしい。
外ではしないで!というのが本音だ。
もし他の団員が治療院に駆け込んで来たら、私は恥ずかしさに叫んで使い物にならなくなってたかもしれない。
階段を下りた後、素早く手を引っ込める。
ふっと聞こえた笑みを無視して、ジャレッド団長が開けてくれたドアから外に出た。
外で待っていたのは、見覚えのある灰褐色の髪の男性と、筋骨隆々から細身と体躯も得物もバラバラの5名の男性だ。
「ウルバス大公国への派遣が決まった6名だ」
「お目にかかるのは初めてではありませんが、ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。わたくしはイライジャ様の従者を務めていますハーヴェイ・ドークと申します。この度は、イライジャ様の名代として、ウルバス大公国へ赴くこととなりました。ゴゼット様のご期待に添えるよう尽力いたします」
ゆるりと頭を下げたドークに、驚きすぎて口がぽかんと開いてしまう。
”ゴゼット様のご期待”というのは、私の親族発見のことかな?
正直、期待値は限りなくゼロに近い。公国とはいえ、誰もが知り合いという極小国ではないと思う。例えば、ゴールドスタイン領くらいの広さと人口なら、聞き込みし続ければ「そういえば!」と心当たりのある人に巡り逢えそうだけど、きっとそうはならないだろう。
手掛かりは”ゴゼット”のみ。
父の名前すら憶えていない。
万が一にも親族が見つかっても、関係をアピールするつもりはないのだ。ただ、自分のルーツがウルバス大公国にあるという確認でしかない。
それを思うと、この仰々しい一向に申し訳なさが募る。
「次は俺たちだな。一方的だが、嬢ちゃんのことは知ってる。団長さんが馬に乗せて巡回していた人族の治癒士様だからな。俺たちはAランクパーティーの”不滅の戦士”。リーダーのランド・メンジーだ」
筋骨隆々。
帯剣しているのに、右手の拳にナックルダスターを装備するという見るからに戦闘狂の、赤茶色の男性がニッと笑う。
「俺はワード・スタッシーだ」
これまた筋骨隆々の山賊といった風体の男性だ。
黒髪に無精髭。背中に柄の長い戦斧を背負っているせいか、粗野な雰囲気がある。
「俺たちはチャーリー・ホーラーとエヴァレット・ボイルで幼馴染だ」
ホーラーは胡桃色の髪をして、背中には三叉の槍を背負っている。
ボイルは暗い金髪だ。口を真一文字に結び、ひたすら腰に佩いた剣の柄を摩る。人見知りなのかもしれない。
「最後は俺ね。ヤン・アスペル。ウサギ獣人だ」
矢筒を背負い、弓を肩にかけた白髪のアスペルは胸を張る。
騎士を含め、戦闘職に就くウサギ獣人は珍しい。中でもウサギ獣人のBランカーはアスペルを含め片手で数える程度らしい。
ウサギ獣人の強みは聴力や機動力なので、戦闘重視の騎士や兵士より、どちらかといえば諜報機関に多いという。
そこは知りたくなかった…。
「不滅の戦士は、マロース山脈まで遠征に行くほどのパーティーだ」
「言い換えれば、マロース山脈より北には行ったことがないんだがな」
ジャレッド団長の説明に、スタッシーが豪快に笑う。
マロース山脈はキャトラル王国から隣国のトーゴ王国を縦断するように走る山地だ。キャトラル王国側では、マロース山脈に属するヴクブ山が国内最高峰となっている。
ヴクブ山はハノンからも見ることができるほど大きい。
万年雪で常に白く、中腹まで伸びた登山道は過酷。さらに”帰らず森”よりも危険度が高い魔物が棲息している。商人ギルドのギルド長が言っていたように、危険度が高いけど高額取引される固有種が棲息する為、腕利きの冒険者はマロース山脈へと向かうことが多い。
ちなみに、ヴクブとは死神が語源だ。
「ヴクブ山ですか?」
私が質問すると、スタッシーは眉を上げ、にやりと笑う。
「ヴクブも行ったことがあるな」
「テペウ山だ。トーゴ王国にある。マロース山脈のちょうど真ん中あたりの山で、マロース山脈の中で最高峰だ」
メンジーは言って、「標高は5000m超えだったかな」と恐ろしい情報を追加する。
「マロース山脈の中腹部に棲息するワイバーンの監視を依頼されることが多い」
ホーラーが更に恐ろしいことを言う。
ワイバーンとはドラゴンに似た魔物になる。似非ドラゴンなんて言われることもあるけど、ランス曰く、「ワイバーンは目についた人里は徹底的に群れで襲撃するのでドラゴンよりも厄介かつ危険。ドラゴンは種によって違うけど、知能が高く、殆どが腹の虫の居所が悪くなければ人なんて見向きもしない」らしい。
なので、ワイバーンの監視とは人里に降りそうな個体がいないかと、昼夜を問わず見張ることにある。
さらに最悪なのは、1度でも人を襲ったことのある個体は、他の獲物より狩りやすい人をターゲットに絞り、襲撃を繰り返す性質がある。街道を行く商人や田畑で作業する農民が、上空から飛来したワイバーンに攫われた…という事例は数えきれない。
冒険者や騎士を狙わないあたり、それなりに知能はある。
その為、ワイバーンは監視対象だ。
監視方法は、繁殖地が決まっているので、そこから行動範囲を割り出す。頻繁に街道や人里近くに飛来し、偵察している個体は即座に討伐対象となる。依頼を請けられる冒険者はAランク以上で、飛翔する魔物に対峙するため、必ず魔導師が所属しているパーティーであることと聞いたことがある。
でも、不滅の戦士には魔導師はいない。
私の疑問を察したのか、メンジーが人族の冒険者パーティーと合同任務だと教えてくれた。
「ワイバーンの監視依頼だが、ワイバーン以外の大型の魔物が多く棲息しているからな。実力があれば魔導師がいなくても依頼を請けられる。他のパーティーにいればいいんだ。だいたい3から5のパーティーが集められるんだ。もちろん、背中を預ける可能性があるから、ギルドの審査に合格した中から推薦される」
「その山からでもデッカイ川が見えるよ」
アスペルが両手を広げ、「蛇みたいに蛇行した大河だ」と桃色の瞳を煌めかせる。
「今回は、その川を渡ることになる。そこからさらに1つ国を越えた先が、目的のウルバス大公国だ」
ジャレッド団長は言って、ドークに目を向ける。
「魔素の影響で、こちらより厳しい寒さが予想されている。向こうの魔導師は確保できたのか?」
「ペパード様の助言に従って、必要な物資は揃えております。出立は2日後。トーゴ王国ルベルノ波止場まで馬車で移動するようになっています。そこで魔導師ギルドより魔導師3名と落ち合います。1名は風、2名は火属性の魔導師とのことです。彼らはウルバス大公国まで同行してくれることになりました」
「3名の魔導師を確保か。さすが父上だな」
ジャレッド団長は苦笑する。
「彼ら自身、ウルバス大公国に興味があったそうです」
ドークも苦笑する。
渡りに舟状態だったというわけだ。
「ウルバス大公国到着後は、不滅の戦士と魔導師、交互にわたくしの護衛をしてもらう予定です」
「ああ。休日ありってことだから、こちらもウルバスが楽しみなんだ。向こうには、こちらにいない魔物もいるからな。冬毛は儲かるんだ」
ガハハハ、とスタッシーが笑う。
どうやら向こうでも魔物を討伐して稼ぎを上げるらしい。
「魔導師たちも似たような心積もりだと聞いていますので、来春まで、鬱屈させずに済みそうです。何分、長期の依頼ですので。ストレスで内輪揉めの事態だけは避けたいものです」
「そうだな。場合によっては、今後も行く可能性がある。長い付き合いになることを考えれば、こちらの依頼に不快感を与えないのは妥当だな」
「長い付き合い?そんなに長期的にウルバスに行くんですか?」
口を挟めば、ジャレッド団長は「ああ」と甘やかな表情で頷く。
「向こうは薬草栽培が盛んな上、ガラスの技術が突出しているそうだから、どうしても繋ぎが欲しい。父上も同意している」
「そういえば、クロムウェル領は治療に力を入れたいんでしたよね」
「ああ。なかなか聖属性の勧誘は上手くいかない。ポーションを大量に仕入れたところで、庶民の手には高価だからな。一般にも普及でき、かつ効果のある薬となると、やはり聖属性となるだろう?聞けばペパードの奥方が聖属性らしいからな。今はペパードを勧誘してるところだ」
悪びれることなくジャレッド団長が笑う。
それにつられて、不滅の戦士の面々も喝采だ。
「獣人は自己治癒力が高いが、大きなケガにはポーションが必須だ。ケガに強いっつても痛くないわけじゃない。運悪く化膿すればヤバイことになる。だから仕方なくポーションを使う。低級だけどな」
「それでもアレは高い!泣く泣くポーションをケチって引退した冒険者は多いぜ」
「ポーションに及ばずとも効果の高い人族の薬が普及すれば、冒険者寿命も延びるってものだ」
「団長さん頑張れ~!」
「団長さん頑張れって…ぶふっ」
今まで無言を貫いていた寡黙と思しきはボイルは、アスペルの歌うような口調に吹き出し、箍が外れたように笑い出した。
「すみません。こいつ、笑い上戸で。何がツボるか分からないんです。腕は確かなんで」
と、ホーラーはボイルの頭を叩き、唖然とするジャレッド団長と私に頭を下げた。
ことこと、と小鍋の中が騒がしくなり、ミントの効能が十分に出てきたところで、エルダーフラワーを入れた漉し器を投入。小鍋に木蓋を被せる。
エルダーフラワーは煮出さず、すぐに小鍋を小型コンロから下ろす。
ミントは熱に強いので煮出すことで香りが立つ。これを煎剤と言うけど、エルダーフラワーはミントほど熱に強くないので、じっくりと水から効能を抽出する。または、今みたいにハーブティーと同じ要領で蒸らす。この方法を浸剤と言って、薬草やハーブの性質によって使い分けなくてはならない。
エルダーフラワーの蒸らしは5分くらい。
5分計の砂時計を使って時間を計る。
時間が来たら、漉し器ごとエルダーフラワーを小鍋から回収する。
ああ、良い香り!
部屋中にエルダーフラワーの甘い香りと、ミントの清涼感ある香りが満ちている。
窓を開けて風を通しているので、外まで香りそうだ。
深呼吸で香りを吸い込み、もう1つ小鍋を用意する。
大量に作るには小鍋を3つ4つ用意しなくてはならない。大鍋で作れば一度で終わるけど、大鍋では難しい。
過去に1度、大鍋で浸煎薬作りにチャレンジして失敗。以降、大鍋は使用しないようにしている。トラウマというか、自分の腕に信用がおけないのだ。
祖母の言葉を借りれば「未熟」。この一言に尽きる。
「イヴ」
コンコンと壁をノックされて、びくりと肩が跳ねた。
「ジャ、ジャレッド団長。びっくりしました。全然気づかなかったので」
「かなり集中していたな。それは?」
と、作業台に並ぶ小鍋3つと、手にした小鍋を顎で示す。
「孤児院に配ってもらおうと思って。飴を作ってます」
「飴?」
「はい。体調を整える飴です。ここにあるのはハーブ入り。エルダーフラワーとミントです。エルダーフラワーは風邪症状の緩和とリラックスに、ミントは食欲促進や鼻詰まりなどに効果があるんです。それを水に入れて煮出して、冷ますために放置するんですが、今はその放置中です」
「冷めたら完成なのか?」
「いえ。冷めたら、今度は濾し布でハーブを除いた液剤を鍋に戻し、砂糖とレモン汁を入れてよく溶かします。砂糖は安くないので少量。はちみつを多めに入れて、弱火で煮詰めて、冷やして固めれば完成です」
簡単だけど手間がかかる。
特に弱火で煮詰めるのは、慣れないと焦げてしまうので要注意だ。
「あ。煮詰めている時に、ちょっとだけ聖魔力を注ぐので、ほどよく効果があります。でも薬ではないので、熱が出てる風邪の場合はちゃんと薬を飲まなきゃダメなんですけどね」
棚から瓶詰した飴を取り出す。
「これは風邪予防の飴です」
咳や喉のケアに良いショウガはちみつの飴と、はちみつ大根の飴だ。
小さな子供のために、はちみつを使用しないで作った飴もある。量は少ないけど、砂糖を大量に使える予算はないので仕方ない。
「子供は薬が嫌いなので予防は大事だと思うんです」
「確か、薬草ほどではないがハーブには効能があると言っていたな。人族では菓子として楽しみながら予防するのが一般的なのか?」
「どうなんでしょう?うちでは…ヴァーダト家では当たり前でしたが、私が子供の頃、ゴゼット家で母が飴を作ってくれた記憶はないです。水飴だったと思います。小さな子にはちみつはダメなので、それで作ってなかったのかも知れません」
「みずあめ?飴とは違うのか?」
「私も詳しくは知らないんです。確か…大麦と芋を蒸した後に濾して…いや、茹でて?絞り汁を煮詰めて…と手間のかかった甘味です。飴のように固くなくて、はつみつより粘度は高め。向こうでは、お店があるんです。ハノンには、お祭りの日に水あめ売りが来て、棒に水飴を巻き付けて売ってくれるんです。鍋や壺を持って行って買う人もいます。というのも、水飴ならお菓子ですが、それに薬草やハーブのエキスをしみ込ませれば、風邪のお薬にもなったんです」
そうそう。
思い出した。
「父は水飴が好きだったんです。今思うと、すごく甘党でした。だから、ゴゼット家では飴じゃなく水飴だったのかも」
お酒を飲んでいる記憶ではなく、水飴の入った壺を抱えて、こっそり舐めていた記憶が蘇る。母に叱られても苦笑いで謝って、私の口にスプーンに掬った水飴を入れるのだ。共犯者だ、と笑いながら。
顔も声も朧で殆ど思い出せないのに、懐かしさが胸に広がる。
ひとり追憶に耽ってしまったけど、はっと思い出に蓋をしてジャレッド団長を見上げる。
「それで、何か用事があったんじゃないですか?」
「ああ。ちょっと顔合わせをさせたいのがいる。下りてこられるか?」
「顔合わせですか?分かりました」
手にしたままの小鍋を棚に戻し、小型の焔石バサミを使い焔石を専用ケースに仕舞う。専用ケースと言っても、武骨な鉄製の皿に蓋が付いただけのものだ。
焔石は少しの水でも熱を発するので、席を立つときは専用ケースに仕舞うことにしている。
「イヴ」
差し出された手と階段を交互に見た後、逡巡の末に手を添える。
ジャレッド団長が嬉しそうに目を細めたのを見て、恥ずかしさに顔に熱が籠る。
こんなのは公爵家限定でしてほしい。
外ではしないで!というのが本音だ。
もし他の団員が治療院に駆け込んで来たら、私は恥ずかしさに叫んで使い物にならなくなってたかもしれない。
階段を下りた後、素早く手を引っ込める。
ふっと聞こえた笑みを無視して、ジャレッド団長が開けてくれたドアから外に出た。
外で待っていたのは、見覚えのある灰褐色の髪の男性と、筋骨隆々から細身と体躯も得物もバラバラの5名の男性だ。
「ウルバス大公国への派遣が決まった6名だ」
「お目にかかるのは初めてではありませんが、ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。わたくしはイライジャ様の従者を務めていますハーヴェイ・ドークと申します。この度は、イライジャ様の名代として、ウルバス大公国へ赴くこととなりました。ゴゼット様のご期待に添えるよう尽力いたします」
ゆるりと頭を下げたドークに、驚きすぎて口がぽかんと開いてしまう。
”ゴゼット様のご期待”というのは、私の親族発見のことかな?
正直、期待値は限りなくゼロに近い。公国とはいえ、誰もが知り合いという極小国ではないと思う。例えば、ゴールドスタイン領くらいの広さと人口なら、聞き込みし続ければ「そういえば!」と心当たりのある人に巡り逢えそうだけど、きっとそうはならないだろう。
手掛かりは”ゴゼット”のみ。
父の名前すら憶えていない。
万が一にも親族が見つかっても、関係をアピールするつもりはないのだ。ただ、自分のルーツがウルバス大公国にあるという確認でしかない。
それを思うと、この仰々しい一向に申し訳なさが募る。
「次は俺たちだな。一方的だが、嬢ちゃんのことは知ってる。団長さんが馬に乗せて巡回していた人族の治癒士様だからな。俺たちはAランクパーティーの”不滅の戦士”。リーダーのランド・メンジーだ」
筋骨隆々。
帯剣しているのに、右手の拳にナックルダスターを装備するという見るからに戦闘狂の、赤茶色の男性がニッと笑う。
「俺はワード・スタッシーだ」
これまた筋骨隆々の山賊といった風体の男性だ。
黒髪に無精髭。背中に柄の長い戦斧を背負っているせいか、粗野な雰囲気がある。
「俺たちはチャーリー・ホーラーとエヴァレット・ボイルで幼馴染だ」
ホーラーは胡桃色の髪をして、背中には三叉の槍を背負っている。
ボイルは暗い金髪だ。口を真一文字に結び、ひたすら腰に佩いた剣の柄を摩る。人見知りなのかもしれない。
「最後は俺ね。ヤン・アスペル。ウサギ獣人だ」
矢筒を背負い、弓を肩にかけた白髪のアスペルは胸を張る。
騎士を含め、戦闘職に就くウサギ獣人は珍しい。中でもウサギ獣人のBランカーはアスペルを含め片手で数える程度らしい。
ウサギ獣人の強みは聴力や機動力なので、戦闘重視の騎士や兵士より、どちらかといえば諜報機関に多いという。
そこは知りたくなかった…。
「不滅の戦士は、マロース山脈まで遠征に行くほどのパーティーだ」
「言い換えれば、マロース山脈より北には行ったことがないんだがな」
ジャレッド団長の説明に、スタッシーが豪快に笑う。
マロース山脈はキャトラル王国から隣国のトーゴ王国を縦断するように走る山地だ。キャトラル王国側では、マロース山脈に属するヴクブ山が国内最高峰となっている。
ヴクブ山はハノンからも見ることができるほど大きい。
万年雪で常に白く、中腹まで伸びた登山道は過酷。さらに”帰らず森”よりも危険度が高い魔物が棲息している。商人ギルドのギルド長が言っていたように、危険度が高いけど高額取引される固有種が棲息する為、腕利きの冒険者はマロース山脈へと向かうことが多い。
ちなみに、ヴクブとは死神が語源だ。
「ヴクブ山ですか?」
私が質問すると、スタッシーは眉を上げ、にやりと笑う。
「ヴクブも行ったことがあるな」
「テペウ山だ。トーゴ王国にある。マロース山脈のちょうど真ん中あたりの山で、マロース山脈の中で最高峰だ」
メンジーは言って、「標高は5000m超えだったかな」と恐ろしい情報を追加する。
「マロース山脈の中腹部に棲息するワイバーンの監視を依頼されることが多い」
ホーラーが更に恐ろしいことを言う。
ワイバーンとはドラゴンに似た魔物になる。似非ドラゴンなんて言われることもあるけど、ランス曰く、「ワイバーンは目についた人里は徹底的に群れで襲撃するのでドラゴンよりも厄介かつ危険。ドラゴンは種によって違うけど、知能が高く、殆どが腹の虫の居所が悪くなければ人なんて見向きもしない」らしい。
なので、ワイバーンの監視とは人里に降りそうな個体がいないかと、昼夜を問わず見張ることにある。
さらに最悪なのは、1度でも人を襲ったことのある個体は、他の獲物より狩りやすい人をターゲットに絞り、襲撃を繰り返す性質がある。街道を行く商人や田畑で作業する農民が、上空から飛来したワイバーンに攫われた…という事例は数えきれない。
冒険者や騎士を狙わないあたり、それなりに知能はある。
その為、ワイバーンは監視対象だ。
監視方法は、繁殖地が決まっているので、そこから行動範囲を割り出す。頻繁に街道や人里近くに飛来し、偵察している個体は即座に討伐対象となる。依頼を請けられる冒険者はAランク以上で、飛翔する魔物に対峙するため、必ず魔導師が所属しているパーティーであることと聞いたことがある。
でも、不滅の戦士には魔導師はいない。
私の疑問を察したのか、メンジーが人族の冒険者パーティーと合同任務だと教えてくれた。
「ワイバーンの監視依頼だが、ワイバーン以外の大型の魔物が多く棲息しているからな。実力があれば魔導師がいなくても依頼を請けられる。他のパーティーにいればいいんだ。だいたい3から5のパーティーが集められるんだ。もちろん、背中を預ける可能性があるから、ギルドの審査に合格した中から推薦される」
「その山からでもデッカイ川が見えるよ」
アスペルが両手を広げ、「蛇みたいに蛇行した大河だ」と桃色の瞳を煌めかせる。
「今回は、その川を渡ることになる。そこからさらに1つ国を越えた先が、目的のウルバス大公国だ」
ジャレッド団長は言って、ドークに目を向ける。
「魔素の影響で、こちらより厳しい寒さが予想されている。向こうの魔導師は確保できたのか?」
「ペパード様の助言に従って、必要な物資は揃えております。出立は2日後。トーゴ王国ルベルノ波止場まで馬車で移動するようになっています。そこで魔導師ギルドより魔導師3名と落ち合います。1名は風、2名は火属性の魔導師とのことです。彼らはウルバス大公国まで同行してくれることになりました」
「3名の魔導師を確保か。さすが父上だな」
ジャレッド団長は苦笑する。
「彼ら自身、ウルバス大公国に興味があったそうです」
ドークも苦笑する。
渡りに舟状態だったというわけだ。
「ウルバス大公国到着後は、不滅の戦士と魔導師、交互にわたくしの護衛をしてもらう予定です」
「ああ。休日ありってことだから、こちらもウルバスが楽しみなんだ。向こうには、こちらにいない魔物もいるからな。冬毛は儲かるんだ」
ガハハハ、とスタッシーが笑う。
どうやら向こうでも魔物を討伐して稼ぎを上げるらしい。
「魔導師たちも似たような心積もりだと聞いていますので、来春まで、鬱屈させずに済みそうです。何分、長期の依頼ですので。ストレスで内輪揉めの事態だけは避けたいものです」
「そうだな。場合によっては、今後も行く可能性がある。長い付き合いになることを考えれば、こちらの依頼に不快感を与えないのは妥当だな」
「長い付き合い?そんなに長期的にウルバスに行くんですか?」
口を挟めば、ジャレッド団長は「ああ」と甘やかな表情で頷く。
「向こうは薬草栽培が盛んな上、ガラスの技術が突出しているそうだから、どうしても繋ぎが欲しい。父上も同意している」
「そういえば、クロムウェル領は治療に力を入れたいんでしたよね」
「ああ。なかなか聖属性の勧誘は上手くいかない。ポーションを大量に仕入れたところで、庶民の手には高価だからな。一般にも普及でき、かつ効果のある薬となると、やはり聖属性となるだろう?聞けばペパードの奥方が聖属性らしいからな。今はペパードを勧誘してるところだ」
悪びれることなくジャレッド団長が笑う。
それにつられて、不滅の戦士の面々も喝采だ。
「獣人は自己治癒力が高いが、大きなケガにはポーションが必須だ。ケガに強いっつても痛くないわけじゃない。運悪く化膿すればヤバイことになる。だから仕方なくポーションを使う。低級だけどな」
「それでもアレは高い!泣く泣くポーションをケチって引退した冒険者は多いぜ」
「ポーションに及ばずとも効果の高い人族の薬が普及すれば、冒険者寿命も延びるってものだ」
「団長さん頑張れ~!」
「団長さん頑張れって…ぶふっ」
今まで無言を貫いていた寡黙と思しきはボイルは、アスペルの歌うような口調に吹き出し、箍が外れたように笑い出した。
「すみません。こいつ、笑い上戸で。何がツボるか分からないんです。腕は確かなんで」
と、ホーラーはボイルの頭を叩き、唖然とするジャレッド団長と私に頭を下げた。
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